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第80話 向日葵の部屋へ

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 長らく色々なことで言いくるめられてきた楓だったが、今回は向日葵をどうにか説得して、向日葵の家で夏休みの再現をすることになった。
 家に来たのは誰だったのかということは気になったが、わからないことを気にしていても仕方がない。今の楓はすでに切り替えていた。
 不要な荷物を置き、簡単に身支度を済ませた。
「お待たせ」
 楓は言った。
「女の子を待たせるなんてひどいな」
 わざとらしく向日葵が言った。
「僕も今は一応女の子のつもりなんだけど」
「楓は男の子でしょ?」
「久しぶりに男扱いされた気がする」
「まあまあ、それはそれということで」
「どれ? まあいいや、向日葵の家まで結構あるよね? どうするの?」
「大丈夫だよ。どこにいてもすぐつくから」
「あ」
 思い出して楓は腰が抜けた。地面にへたり込むより早く、体を向日葵にすくい上げられた。
 何度やっても慣れない姿勢だと楓は思った。どうにも落ち着かなくなる。
「今の向日葵の能力って大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。私も神様だよ? 大船に乗ったつもりでいてよ」
 楓は不安だった。ただでさえ空を飛ぶことが恐怖なのに、調子の悪い向日葵が飛ぶことが拍車をかけていた。
 いつものように身を縮こませ、目をつむった。どうか、茜や朝顔のように安定していますように。と祈りながら。
 辺りをキョロキョロと見回して、人の気配を確認してから向日葵は飛び上がった。

「生きてる」
 楓は全身がつながっていることを確認した。
 注意を奪ってはいけないと思い、話をせずに移動を済ませたが、向日葵が言った通り予想外に安定していた。
 疑心暗鬼になり、疑いすぎていたことを反省しながら、楓は向日葵に視線を送った。
「当たり前でしょ。私が楓を離すわけないじゃん」
「それはわかってたけど、高いところ怖いじゃん」
「そう? 飛ぶのは、歩くのとは違った楽しさがあると思うけど」
「僕自身には飛行能力はないから、その感覚はわからない。
 相も変わらず、割られた窓は簡単に修復され、部屋へと案内される。窓による怪我もないのは不思議だが、慣れっこで手際がいいのだろう、と楓は勝手に考えていた。
「茜ちゃんに連れ出される時は急だったからわかるけど、夏目姉妹は窓割って家に入るのが好きなの?」
「面白くない?」
「怖いよ」
「そうかな?」
 ちょっと共感できないな、と思いながら歩いているとドアが開けられ中に入る。
 二度目の向日葵の部屋。
 屋敷に何度か来てはいたが、向日葵の部屋に入るのは久しぶりだなと楓は思った。
 屋敷内の部屋数は多いが、中に入ったことのある部屋は少ない。自分で開ければ朝顔の部屋につながってしまうこともあり、未だ家の中身を理解していない。
 説明された時は誰かと一緒じゃないと意図した部屋に行けないのかと思ったものだが、人の家を勝手にウロウロすることはないことがわかり、あまり気にならなかった。
 向日葵の部屋は変わらず整然としていた。若干思い出の写真が増えているような気はした。
 しかし、ゆっくり見回すと片づきすぎているような印象だった。ゴミや汚れは当たり前のようになく、出しっぱなしになっているものもない。雑貨の類も見当たらなかった。だが、お手伝いさんがいたことを思い出し、必要とあらば用意し、汚れていても方してくれるのだろうと、楓は納得した。
「ま、ゆっくりしててよ。どれからやるかは決めてあるから」
 言いながら向日葵は部屋から出て行った。
 すぐにやるのではないのかと思い、楓は出されたクッションに座った。
 床に手をつき、天井を見る。
 照明はおしゃれだと思った。こだわりはカップやティーポットだけではないのかもしれない。それが、朝顔のこだわりなのか、それとも全員のこだわりなのか、楓は少し気になった。
 ドアが開き、手に荷物を持って向日葵がやってくる。
 飲み物とお菓子を持ってきたらしかった。
「向日葵は自力で運んでくるんだね」
「楓は食べ物を能力で移動させるのを気にするみたいって楓から聞いてたからね」
「まあ、抵抗があるよ。僕からすれば、出したのか移動させたのか見分けがつかないし。でも、お手伝いさんに運んでもらえばいいんじゃない? そういうのじゃない?」
「できるっちゃできるけど、それはそれで疲れるんだよね」
「そうなんだ」
 お手伝いさんなどいたことのない楓にはわからない感覚だった。
 確かに、家に仕事として家事をしてくれる人がいれば、常に緊張してしまいそうだと思った。
 友達といる時に入ってこられたら、決まりが悪そうだ。今も入れないように鍵をしていた。今日は大丈夫そうだと思い、楓も安心だった。
「それで、何するの?」
 楓はテキトーにクッキーをかじりながら聞いた。
「ふっふっふ。盛り上がったってウワサのアレだよ」
 向日葵はテーブルに持ってきたものを置いて、わざわざ立ち上がった。
 マジシャンがするように空の手からステッキを出し、しきりにクルクルと回し出した。
 手の上、腕の上、頭の上。時に二本あるように見えるほど、器用に素早く回すと、右手で握り回転を止め、向日葵は楓に向けて振った。
「えいっ」
 という似つかわしくないかけ声にあっけに取られ、楓は何度かまばたきをした。
 楓にステッキによる曲芸をした記憶はなかった。話した記憶もない。
 もしかしたら楓は楓でも並行世界の楓かもしれないと思った。いつの間にか別世界に迷い込んでしまったのかもしれない。
「じゃあ、今から楓の妹ごっこスタートね。私がお姉ちゃんだから」
「ちょっと待って、今のなんだったの? ただの前座?」
「私に見とれちゃってて気づかなかった? 楓の服装を変えるために意気込んでみたんだけど」
 言われて初めて楓は自分の姿を見下ろした。目に入ってきたのは見知らぬ服装。慌てて部屋中を見回すも、着ていたはずの制服はどこかへ消えてしまっていた。
 立ち上がり、部屋にある姿見で今一度服装を確認すると、自分ではなく誰かが着ているところならば見覚えがあった。
 朝顔だ。
 茜にアリスの格好をさせられた時のエプロンドレスとは違った。
「百歩譲って妹ごっこをするのはわかる。でも、この格好は何?」
「朝顔みたいな格好になってもらおうと思って」
「妹がいる人にその妹の代わりをやるのは話が違う気がするんだけど」
「でもお姉ちゃんにはやったんでしょ?」
「茜ちゃんでも向日葵や朝ちゃんの真似をしろとは言わなかったよ」
「お姉ちゃんと私は別でしょ」
 確かに、と楓は思った。
 結局、言い訳をしていただけで、二人になっても恥ずかしいものは恥ずかしかった。
 またも、先延ばしのための言葉を述べていたのではないかと思った。
「やることは理解した。じゃあ、要望は?」
「やってくれるの?」
「ここまできたら、とことん付き合ってあげるよ」
「じゃあ、朝顔みたいにしてみて」
「二人は仲良いの?」
「私は仲良いと思ってるけど、朝顔はどうなんだろう?」
「なるほど」
 関係性も理解。
 まだまだ関係は浅いが、印象的な朝顔像を思い出し、憑依させるイメージで楓は目を閉じた。
「ひま姉。楓と遊ぼ?」
 言った瞬間、楓の言葉をかき消すほどの爆発音が部屋に響くと、ドアが消えた。廊下ではどういうわけか埃が舞っていた。
 煙の中から姿を現し、ズカズカと部屋に入ってきたのは制服姿の朝顔だった。
「ひま姉、これはどういうこと? 服が突然変わったかと思ったら、かえ姉の匂いがするんだけど」
 向日葵をにらみつけながら朝顔が言った。
 最初は気づいていなかったのか、それとも起きたことに集中していたのか、朝顔は楓の姿を見つけるとピクリとした。
「かえ姉? なんでいるの? というかどうして朝顔の服着てるの?」
 楓には何が何だかわからなかった。
 そっくりな服だと思ったが、朝顔が言うには朝顔本人の服らしい。
 しかし、それはおかしい。どう考えても体格が違う。もしそうなら、着ていて苦しいはずだと楓は思った。
 答えあぐねて楓は視線を向日葵に向けた。
「イメージして作るより、サイズを合わせて、そっくりそのまま入れ替えちゃった方がラクかと思ってやっちゃった」
 頭をかきながら向日葵が言った。
「能力についてはよくわからないけど、朝ちゃんが困ってるみたいだし戻してあげたら?」
「いや、このままでいいです。わざわざ結界張ってまで遊んでたみたいで、この間もタイミング悪く入っちゃったから、これ以上邪魔はしたくないので。だから、かえ姉の制服はひま姉が新しく作ってあげてね」
 朝顔は制服姿のまま嵐のように去っていった。
 言いたいことだけ言って、どこかへ行ってしまった。楓の望み通り、対策は盤石だったらしいが、向日葵力不足で破られてしまったようだ。
 完全に誰にも邪魔されない場所などないのだと、楓は悟った。
 朝顔の手により、ドアは元に戻され、部屋はすっかり静かになった。
「え、朝ちゃんこの服いらないの?」
「そういうことなんじゃない? プレゼントかな?」
「制服の方がいらないと思うんだけど」
「同じ制服だから予備が欲しかったんじゃない?」
「同じ学校だったの?」
「一個下だよ」
「マジか」
 知らなかった、と楓は思った。
 知らないことばかりだ。夏目姉妹は三人とも同じ学校。そして、姉についても妹についても知らなかった。
 もっと向日葵に関心を持っていたらと思い、楓は肩を落とした。
「え、というか僕の家に来てたの朝ちゃんだったんだ」
「みたいだね」
「まあ、いいか。用があるわけじゃないみたいだし、どうする? 続ける?」
「やろう」
 と向日葵は言った。水をさされ、興が冷めたのかと思ったが、そんなことはなく、しきり直して妹ごっこは再開した。
 最後に朝顔の頼み通り、楓は向日葵に新品の制服を作ってもらいことなきを得た。
「もらっても困るんだよなぁ」
 楓は自分のサイズにリメイクされた朝顔の服を見ながら言った。
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