赤ずきん

つむぎ

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赤ずきん

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赤ずきん。

赤ずきんは森の中のおばあさんの所へ弁当を届けにいきます。途中優しい狼に出会い花を摘むよう誘われその通りにします。狼は先回りしおばあさんを食べてしまいました。

森のおばあさんの家についた赤ずきんはおばあさんに化けた狼を不思議に思って尋ねます。どうしてそんなにお口が大きいの? 狼は赤ずきんも食べてしまいます。ところが通りかかって真実を知った猟師が狼を退治しお腹にいたおばあさんと赤ずきんを助けました。めでたしめでたし。でもこの童話の教訓はなんだったのでしょう。寄り道をしないこと? 

季節は冬。成人式が盛大に執り行われていた。振り袖着物で美しく飾った女性の群れ。みな友人との再会を喜び涙し楽しいひとときを過ごしている。

袴姿の男性あるいはスーツもいる。華やかで爽やかで新しい希望に満ちた処だ。晴れやかな表情の者たちの中にひときわ赤い振り袖と赤い口紅が目立つ可憐な乙女がいた。名を一華。小学生時代の同級生と話に華を咲かせていた。ところが一本の電話が慶賀ムードを損壊させることとなる。一華のスマホが鳴った。

「もしもし、どなたですか?」声のトーンをひそめ一華が聞く。「病院?はい、はい、はい、ええ。え? お母さんが?」一華は青ざめ盟友に別れを告げると足早にその場を立ち去った。



つむぎが寝醒めたのはやけにピンクの病室だった。いてて、とまず思った。身体中の骨や筋肉や関節が痛む。ここは何処だろう、そして私は誰だっけ。つむぎは懸命に記憶をたどったが頭は真っ白で何も出てこない。側にいたナースがつむぎの目覚めに気付きドクターを呼んだ。
「お体の調子はいかがですか?」
「痛いです。」
「お名前と生年月日は言えますか?」
「いえ」
「では今日は何月何日ですか?」
「わかりません。」
「ここに絵があります。何の絵か順番に答えてください」
「犬、猫、星、太陽、カレーライス、玉子」
「ではお名前と生年月日はどうですか」
「わかりません。」
「そうですか。少し記憶に混乱が見られますね」
ドクターは真剣な顔で重大な事実だという風にカルテを書き込んだ。
「しばらく安静が必要です。このままおやすみになってください」
つむぎは言われるがまま浅い眠りについた。ナースがずっと側にいた。うとうとと目が覚めた。


何も覚えていなかった。自分が誰であるか。何故ここにいるのか。しばらくしてナースが一人の女性を連れてきた。齢は20くらいだろうか。病院に似つかわしくない赤い振り袖。綺麗な赤い口紅。何か行事があったのをほっぽりだして駆けつけた風で額に汗が滲んでいる。

「お母さん」
呼ばれた呼称に驚いた。私の、娘?
「お母さん、喋れる? 大丈夫じゃないよね。交通事故にあったのって本当? 何でなのよ。心臓止まるかと思ったわよ。生きてるのよね。よかった。」
「あなたは、誰?」
一華と名乗った女性は目に涙をためやっぱりと呟いた。
「先生のいう通りだわ。記憶喪失なのね。私も覚えてないの、一華。一人娘よ」


つむぎはそこで鏡を見せられた。鼻や口に繋がれたチューブ。四十代の自分の肌。点滴。頭にはめられたいろんな装置。心電図がモニターに映っている。バイタルは安定しているようだ。身体中痛い。動くには動くのだが一華に手を握られて何の感動もないことを少し悲しく思った。

「大丈夫。体には奇跡的に酷い外傷はない。打撲程度よ。問題は脳なの。強く頭を打ったせいで一時的に記憶が飛んでいるらしいけど自分すら思い出せないのは重症よ。」


一華はつむぎの手を強く握りぬくもりから何かを伝えようと必死なようだ。つむぎは心にぽっかり穴が空いているような気がした。こんなにも私を思ってくれる娘を全く思い出せない自分。つむぎは罪悪感を感じた。


一週間の入院の後つむぎは通院しつつ自宅療養となった。今まで二人暮らしだったようだが一華が泊まりこむことに違和感を感じた。狭い六畳二部屋のボロアパート。タクシーで自宅へ帰る途中広い田畑を通った。農家の人がビニールハウスの温室の中で何か作業しているのが見えた。


一華はなんだか前よりも若返ったように見えた。肌艶が違うのだ。髪の毛は、長かったのを切り今はショートボブにしている。白のスキニーパンツに桃色柄ありのトップス。贔屓目にみても可愛い。一華はしばらくはご飯は私が作るからと言った。

「あなたは本当に私の娘?」
疲れて年よりも老けて見える自分と一華を比べて妙な劣等感を抱いたつむぎは、聞いてはいけないと思いつつもつい口を滑らせた。
一華はにっこり笑って運転免許をみせた。
「大河原一華。大河原紬の一人娘よ」
「何故私はそんな大切なことを覚えていないのかしら」
「うちどころが悪かったのよ。」
「ねえ、一つ聞いてもいい? 今日は前よりも化粧が濃いの?」
「違うよお母さん。私これでも肌は素っぴんよ。アイメイク以外はね。」
「何故か、肌がいや全部が若返ったみたいに見えるの。ファンデは塗ってないの?」
一華は一瞬目を鋭くしてしかしすぐ笑顔に戻った。
「私も、不思議なの。お母さんが事故にあった日からなんだか私痩せてきたのよ。」
心労をかけているのか。やるせない思いを察したのか一華は笑顔を取り繕い「今日は何食べたい?」と話題を変えた。


夜になり来客があった。六十五くらいの初老の男性は聞けばつむぎの父親だという。


「おじいちゃん」
一華は嬉々としている。
その晩のメニューは豚汁、ぶりの照り焼き、おつけものだった。文句なしに美味しかった。なんせ病院では点滴と味気ないそっけない食事だったからだ。三人で食卓を囲む。つむぎは居心地悪かったが同時にありがたいとも思った。
つむぎは父親がよく手を合わせているのに気づいた。

「なんまいだ。なむあみだぶつ。アーメン。神様ありがとう。つむぎを救ってくれて。ああ仏陀にキリストにアッラーよ。仏様、大地の神様。誰でもいい。ありがとう」
父親は仏教、神道、キリスト教、イスラム教の全部をごちゃ混ぜにして手を合わせていた。なんだこの人。つむぎは笑ってしまった。
「お。今初めて笑ったね」元気を見せたつむぎに父親は喜んでいた。六畳の食卓に三人は狭すぎたが今は少しこの狭さが距離を縮めてくれた気がした。その時天井で何かごそごそという音がした。
「ネズミがいるな。」父親が言った。「ネズミの糞には細菌がいっぱいなんだよ。気をつけて清潔にしていなさい」
父親は夕食を食べて帰って行った。
「じゃあおじいちゃんまたきてね」
一華が叫んでいた。家族ごっこというフレーズがつむぎに過った。記憶というよりも感情が無いのが辛かった。こんなにも良くしてくれる人々を裏切っているようで、無理に作った笑顔は歪んでいた。目が笑っていなかった。
一華はつむぎの記憶を取り戻そうと思い出の詰まった写真を見せたり、懐かしみを感じる場所へ連れていくというあらゆる手を打ってくれた。


幼稚園小学校中学高校大学の入学式の写真。クリスマスツリー、雪遊び、スキーへ行ったことなど、確かに写真の中にはつむぎと一華が一緒に笑顔だった。

つむぎは少し感づき始めていた。楽しい、嬉しい、ポジティブな感情を私は抱いていない。どの写真の中でも。笑顔は無理して繕っている。一華は純粋に楽しげだがつむぎは違っていた。無理している。

ネガティブな感情はだんだん取り戻してきた。だいたい、私は子どもをもつことを望んではいなかった。子どもが好きではない。一華はもう大人だが、幼い頃の写真が極端に少ない。親ってのは普通馬鹿になって我が子を溺愛するもんだろう。ハイハイしたとか足が立てたとか、オムツが取れたとか。そういう感動の瞬間の写真がない。

病院のお見舞いにもらった赤い薔薇を見つめた。一つ二つ三つ。そういえば玄関に赤いヒールがあったっけ。赤には何か不思議な縁を感じる。姿見のフレームも赤い。DVDプレーヤーも赤い。オレンジとピンクと真っ赤な口紅のどれかを選べと言われれば赤にするだろうな。

一華は初めてスーツを買ったデパートへ行こうと提案してきた。馴染みのデパートは電車で二駅だ。珈琲が好きだったつむぎのために一華はカフェへ入り持ち帰りのためにブルーマウンテンの豆を買った。
「ここ、覚えてない? よく一緒に来たんだよ」
お洒落なクラシックが流れる店内の、芳しい珈琲の香りは確かに好きな感じがしたが、それよりも一華が前よりずいぶんと小さくなっている気がした。
「ねえ、本当に無理してない?私には一華ちゃんが凄く若くなっているようにみえるの。」
一華は思案して眉間にシワを寄せ、答えた。
「実は私も気づいていた。なんだか生命エネルギーが沸いてくるのよ。育ち盛りみたいにね。最近調子が良すぎるの。まるで昔に戻っているみたい。」
デパートのお酒コーナーに立ち寄った時つむぎはドキンと胸が跳ねるのを感じた。悪い気配がある。一華は気に止めず酒の説明をし始めた。「これはマッコリ、麦焼酎、あれ、鬼ころしもあるね。大関も。これじゃコンビニと一緒じゃん。」


嫌な気持ちはドクンドクンと脈打って頭がズキズキした。大衆酒に詳しい一華。私も酒には詳しい。特にコンビニのラインナップは空でいえた。それがどうしてかはわからない。だが今の一華はわざと酒を見せにきたようなそんな感じがある。意地悪か?それとも酒が私の記憶のネックなのか。

一華はデパートの帰りの空いた電車の中で、こんなことを話し始めた。


「お母さん。私にはね、前世の記憶があるの。フランス語でいうデジャブってやつを何度も経験した。二度目に見る景色。お母さんの子どもに産まれるのも二度目なの。私にはわかる。今回はお父さんがいない。離婚しちゃったのね。それで良かったのよ。あんなグズ男。それで二度目の人生は順調と思いきやお母さんが事故にあい、私は何故か若返っている。思ったの。もしかしたらお母さんと一緒にいられる時間はそう長くないのかもしれない。だから私の知っていることを今のうちに話そうと思うのよ。」
電車の窓にずっと映っているのは大きなパチンコ屋のネオンの看板だった。本日9時から23時まで。新台入れ替え。それを見てつむぎはますます具合が悪くなった。
「待って。まだ重い話を受け入れられるほど回復していないの。その夢みたいな二度の人生の話はまた今度にして。」
「わかった。」


農家の畑を歩いて通りボロアパートへ帰る。季節は冬だから、蛙もいないしミミズもみえない。ましてネズミなんかは寝ているのだろう。


つむぎは眠れず、一華の寝顔を見ていた。こういう時、ちゃんとした親は愛おしさを感じるはずだ。病院にきてくれたときには確かに二十代だったのに今は十五くらいに幼くなっている。だいたい私は子どもをもつことを望んではいなかったのだと、また思い出した。

足手まといでしかない。働けなくなる。自分の時間はなくなる。トイレ、食事、睡眠、トイレ、食事、睡眠の繰り返しで時間は過ぎていく。好きな男性とも交際できない。いや違う。根本的な原因はつむぎ自身の幼少時代だった。つむぎは幼いころ母親に虐待されていた。小学校ではいじめにあった。ろくな幼少時代ではなかった。だから自分には子育てする資格はないと思っていた。じゃあなぜ一華がいる? 不思議だ。旦那と別れたと一華は言った。結婚できたんだな。こんな私が。


音楽をヘッドホンできいていると落ち着いた。ビート、ベース、イントロ、AメロBメロ、サビ、リフレインが落ち着く。が、同時に何か思い出しそうな気配があった。机の中にはカラフルな色鉛筆があった。青、緑、赤に目がとまった。そうだ、チャンスだ。ワクワクした。しかし、何がチャンスなんだ?そこらへんで眠気に襲われつむぎは机に突っ伏して寝た。

暗い、暗い方へ流れていく。雨の後の水溜まりが下水道へと吸い込まれるように私の人生も下へ、下へと流れていく。

そこで目が覚めた。夢を見ていた。暗黒の夢。怠惰で堕落していて退屈で仕方ない夢だ。


一華がいた。朝ごはんができていた。コーンスープにハムエッグに白いパンだ。健康的だなと思った。一華は今、奇跡的に肥溜めに咲いた一輪のタンポポだ。私はこの子を育てたのだろうか。つむぎは考えた。種を植え芽に水をやり草をかって咲いた花を愛でる。一華を眺めた。可愛い子だった。光の中にいる子。私とは違う人格。でもやはり昨日見た時より幼くなっている。あどけない頬の紅潮は、十二、三歳くらいか。二十代ではあり得ない。中学生くらいの身長だ。

一華はあさげを囲んで、しんみり言った。
「赤ずきんって童話知ってるでしょう?あの話の伝えたい事はなんだろうね」
「なんの話かな?」
「子ども向けのお話ってたいがい隠されたお説教のメッセージがあるでしょう? 赤ずきんにもメッセージ性があるかもってこと」
「騙されてはいけないこと、かなあ」
「寄り道するのよね赤ずきんは。綺麗な花畑で花を摘むの。狼は例えばネズミを退治すると言って殺鼠剤を手にいれていたのかもしれない。それを車のクーラーに仕込む。赤ずきんにはあらかじめ綺麗な色を、音楽を教えておきそれに夢中にさせておく。おばあさんをまず食べるためよ。猟師は狼に気付き、狼の腹をさく。ずいぶん残酷なおとぎ話よね。」
「ちょっと待って。殺鼠剤て何? クーラーに仕込むって何?」
「私の前世の話をしたの」
「え? え?」
「お母さん、お酒はのむ?」
「飲まないわ」
「なのにやけにお酒に詳しいのね」
「どういうこと?」
「誰かのためにいつも買いに行ったんじゃないかな」
はっとした。誰かとは、元旦那だ。そうだ、彼は酒乱でいつもつむぎが買いに行ったのだ。次々と、芋づるのように記憶が、甦った。旦那は働いていなかった。つむぎが彼を養っていた。それでいいと思っていた。酒をのみ暴力を振るわれていた。そう、幼い頃の母親にされたようにだ。全く同じだった。でも私は自分が我慢すれば解決すると思っていた。この人には私が必要で。支えてあげないと駄目なんだ。
「赤ずきんはお母さん、貴方よ。カラフルと音楽と刺激に弱い赤ずきんなの。」
「どうして?」
「パチンコのこと、覚えていない?」
「そうだったわ」
旦那に連れていかれたパチスロに、見事にはまったのだ。つむぎは。当たりがくるとキラキラ光る台、素敵な音楽、じゃらじゃら出てくる玉。楽しいというめったに感じない高揚感が得られる場所がパチスロ店だった。


その生活で良かった。一華を妊娠するまでは。子どもは、邪魔だった。はっきりと迷惑だった。歪みができた。一華の存在は望んでいなかった。最低な親だ。
「一度目のとき、私はまだ二歳で、パチンコにいくあなたに取り残され、夏の炎天下の車の中で死んだの。クーラーには殺鼠剤が仕込まれていて気分が悪くなったあなたは交通事故を起こして死んだ。猟師はおじいちゃんよ。八百万、全ての神に祈って祈って私たちは第二の人生を与えられた。そして二度目の人生では貴方たちは離婚した。私は二十代まで生き延びた。だけど今度はあなたがうつ病にかかった。交通事故っていっても、実は自殺未遂なのよあなた。」
話す一華には後光が射していてみるみる幼くなっていく。話すべきことを話したからかもしれない。つむぎは後悔に苛まれ悔やみ泣いた。

一華を愛せなかった。一度目も二度目も。三度目は多分もうない。一華は、今は三歳の姿になっていた。今の告白をすっかり忘れたように純粋無垢な顔でママー、と言った。

三歳になった一華は一旦後光がなくなり、幼くなるスピードが緩やかになった。だがどんどん幼稚化していくのは明らかだ。つむぎは一華が言葉を話せなくなり立てなくなりお漏らしをし、ゆびを吸い始めそしてずっと眠るようになったその経緯を一年間見守った。

世話をした。子どもは望んでいなかったはずなのに、いざ居なくなるとわかると後悔が止まらない。本当に奇跡の子どもだった。私はその貴重さに気付けなかった。とうとうその日がきた。ゼロ歳の2500グラムの一華に後光が射し、みるみるうちに居なくなったのだ。残されたのは深い深い喪失感だけだった。しかし後の祭りだ。


一華が居なくなった次の年、ボロアパートの隣夫婦に妊娠が発覚したと噂好きな大家が教えてくれた。あ、一華だ。つむぎにはすぐにわかった。子どもは親を選べないのが普通だが、一華には親を選ぶ権利が与えられたのだ。望まない人から望む人の方へ移行した。

隣夫婦は貧乏だが仲が良く一華は四人目として産まれてくる。隣との近所付き合いは皆無。一番遠くて近い場所から一華を見守ることを許されたのは神の粋な計らいかそれとも一華を忘れることを許さない残酷な仕打ちか。どちらか。

どちらにせよつむぎはこれから独りきりの人生を生きることになる。自分の人生に責任をもて。そう言われている気がしていた。タンポポは肥溜めには咲かない。綿毛は綺麗な野原を選んで飛んでいく。
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