グリーフワークオン・マイ・ウェイ

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ラナンキュラス

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人殺しの前に現れたのは自分を見失った男だった。



明日、人を殺そう。そう思いたった理由が嫌がらせを受け続けたから、だというのはあまりにも短絡的すぎるだろうか。疲れていた。人間関係に。この先よくなるとも思えない人を巻き込んだドロドロに。胸の中には秘めたるマグマがあり、もうとっくの昔に沸点を超え泡だっていた。嫌がらせの一つ一つは取るに足りないが度重なると完全に悪意を感じる。深い絶望を感じられるほどもはや感性は残っておらずただ、空虚な無気力と造り笑いと黒い衝動を抑え込もうとする意志だけが私を支配していた。分かりやすく自傷に走った。追い詰められた人間のすることは自死だ。先に逝った芸能人のことを思い巡らせたりした。どんなにか、無念だった事だろう。人と関わるとろくな事がない。だから私は一人で生きていく。そして、明日人を殺す。


戸建てで買ったマイホームは築10年を迎えて目先の真新しさは無くなった。外壁には害鳥よけのフェンスがしっかりと組み込まれ、燕さえも寄せ付けない。


私は料理を生きがいとするしがない主婦だった。夫の母親と同居し、子どももいないため夕飯造りに専念していた。そしてもう夫も諦めたのか5年以上レスだった。姑は昭和カタギで私にいい顔はしなかった。何があったかは察してほしい。私が殺したい相手は姑だ。


夫が帰宅するのは夜も更けた頃だ。夕飯時は姑と二人きりの息詰まる時間が続く。なんのために料理するのかわからなくなっていた。けして美味しいとは言ってくれない人と二人。

「春さん、このアジは少し塩辛いわ。私の血圧に良くないみたい。これはワザとなの?」

「すみませんお母様」

「あなた、今日包丁を研いでいたわね。鉄臭い手でサラダを掴んだんじゃなくて?なんだか匂います」

「すみませんお母様」

「それから後でゆっくりお話があります。紅茶を淹れてくださる?」

「はいお母様」

何も言う事は許されなかった。黙って耐える。それが美徳。

だがもう限界。

夜のニュースでは近頃株価が乱高下していると流れていた。政治不信の世論が強くなり景気悪化は止められないと。そして不倫した芸能人が干されたとか漁獲量が減っているとか、明日の天気とか今夜のドラマラインナップ……。



私は彼女をめった刺しにした。そして呆然と座り込んだ。だが。

目の前のむくろに直面して、激しく悔いる私がいた。手に残った感覚。人を刺した瞬間の肉をえぐる体感。血の海。異臭。戻りたかった。人殺しになる前の自分に。ああ、神様。


現れたのは死神だった。それもえらく沢山花束を抱えた。

「シクラメンはいかがですか。花言葉は遠慮、気後れ、内気、はにかみ。逃亡したいあなたにぴったりだ」

「貴方は死神?私はこの人を殺しました」

死神は、分かりやすく髑髏のお面を被った黒マントという出で立ちで、しかしその正体は若い青年のように見て取れた。


「逃げたいの?この場から?それとも自分のしてしまった罪からか?」

「なかった事に、お願いなかったことにしてええ」

死神は柔らかくほほえんでまず落ち着きなさいと私をかき抱いた。私は激しく嗚咽し涙はとどまることを知らず流れた。後悔の念が押し寄せてきた。


「いいよ。戻そう。できるよ。だが春さんの自責の念までは消せない。こびりついている感触や一度みた風景がフラッシュバッグすることについては責任を負えない。」

「それでもいい。姑を生き返らせて」

「それで、気が済むのなら」

死神は姑に触れ、傷あとを繋いでいった。私は姑の心臓が動き出す瞬間をみた。しかし死神は言った。


「お姑さんは今、人間ではない何かになった。人間だったころの記憶を引き継いだ人ならざるものだ。電池が切れるまで蠢くだろう」

まずは春さんシャワーでも浴びて落ち着きなさいと死神に促された。姑は血まみれの床ですやすやと生まれたての赤ちゃんのような寝息をたてている。私はバスルームへと這っていった。そこで、一度吐いた。

風呂からあがると死神がコーヒーを淹れていて、私はふがいなくもそれを飲み精神を落ち着けたいと思ってしまった。勧められるままダイニングに腰掛け香りをいただく。随分とリラックスした様子の死神にくらべ私はまだ全身の震えが取れなかった。

「あなたはどうして来たの?どれだけの人を殺したの?」

「私が神としてどれだけの命を殺めてきたか知りたいのかい?違う違う。死神は、死んだ人間の後処理をするだけで、直接手を下すわけではないよ。魂の浮游がないようきちんと刈り込むんだ。しかるべき処置をほどこす」

コーヒーを丁寧に勧めながら死神は言った。私は一口、嗜んだ。

「私の目的は春さんの魂を刈り取ること。人殺しをした罪人としてね。だが神様は春さんに猶予を与えた。同じ刈り取るとは言え人の心はうつろうもの。その猶予の中で何を感じるかは春さん次第だ」

そう語ると死神はどこからか出してきた花束を渡してくれた。

「さあここまでが私の話。あとは秘密です。オレンジのラナンキュラスを貴方にあげよう。花言葉は秘密主義。あとは春さん貴方の話を聞きたい」

ラナンキュラスは初めて見る花だった。小ぶりの菊のようで死神に似合っていた。


「春さん。あなたは気がおかしくなるまであてこすり、いやつまり拷問を受け続けたわけだ。まああんたのせいじゃない、殺人なんて大それた事ができるタイプではないからね。参考までに中国の毛沢東政権下で行われていた拷問方法をしりたいか?」

死神は私の背後にきて髪の毛に触れてきた。シャワーの後乾かさなかったからかくるりとパーマがうねっていて死神の人差し指に巻き付いた。

「とある男がいた。彼は政治体制に従わなかった事で軟禁された。くる日もくる日も与えられたのは僅かな食事のみ。そして監視官は言う。妻がお前を裏切ったと。これを繰り返し繰り返し刷り込まれちょっとでも反論しようものならムチ打ちだった。外界から遮断され、情報は得られない。神経がまいってきたころに、隣室からのクスクス笑いを聞かされて、今妻がきて、お前を笑っているんだと何度も教えられるんだ。しばらくは耐え抜いたんだ。しかし結果として男は当然気が触れた。どうだ?春さんににているかい?」


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