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偽善者と閉じた世界 十二月目
偽善者と赤色のスカウト その13
しおりを挟む「なんだよ……これ……」
少年がそこで見たものは、そう漏らしてしまうほどの光景だった。
一人の人間と一匹の獣がじゃれている。
そう一言で表すことができれば、いったいどれだけ愉快だっただろうか。
獣の大きさは城に匹敵するもので、一歩踏みだすだけで大地が歪んでいく。
視界中に、そうして凹むクレーターがいくつも確認できた。
人間は、そのスケールの獣に殺意を向けられようと踊り続ける。
姿を一瞬でかき消し、何度も何度も獣の視界の端に現れては消えていく。
──そして生まれたのが、かつて見たものとはまったく異なる地形である。
『クソガキ、生きてやがったか』
「ようやく来たか……あの娘も、どうやら役目を果たしたようだな」
自分を見ると、両者共に何かを呟く。
まだ遠くにいる少年からは理解できないものであったが、なんとなく獣の表情が歪み、男性である人間の表情が楽し気であることだけは見えていた。
少年はできるだけ男の方へ近づこうと、獣の動きを警戒しながら進んでいく。
だが、人のスペックでは本来、邪神の眷属である獣から逃れることはできない。
『逃がさねぇよ、クソガ──チィッ!』
「そう簡単にはやらせてくれないか……大丈夫か、少年」
高速で移動し、前足を下ろそうとする獣よりも先に、男が少年の手を掴んで回収に成功する。
一瞬で視界が揺れたと思えば、少年はなぜか空の上にいた。
「え? う、うわぁぁぁぁ!」
「落ち着け。俺のスキルで浮かせてある。落ちることはない」
「へ? あ、ありがとう……」
「気にするな。ここでお前に死なれては、あの娘の覚悟が無駄になる」
その言葉にハッとする少年。
すぐさま剣を抜き、構えをとる。
「……それが、お前の選択か」
「ルミンを生き返らせろ。死にたくなければ早く」
『おいおい、仲間割れかよ! どうやら俺様が間違ってたぜ! クヒヒヒ……やっぱり人間ってのは最高に屑で馬鹿な生き物だよ!』
男の首に突き付けられた剣。
少年はそれを使い、妹の蘇生を命令する。
獣は大嗤いし、大きく口を開く。
剥き出しとなった牙には、街で喰ったであろう人々の血がこべりついていた。
「ぼくはルミンより弱いから、ルミンみたいな選択はできない……けど、大切なものを守ろうとする覚悟はできている」
「それがこの選択か……やれやれ、あの娘も愚かだったか。賢妹の兄は愚兄……つくづく厭になるな」
それでもなお、男は平静であった。
少年のことなど気にも留めず、ただ獣の挙動だけをじっかりと視ている。
「言っておくが、俺が死ねばあの娘は死ぬ。そして、お前を守ろうとしていた妹の遺志も死ぬことになる……それでもなお、この選択が正しいと思うか」
「……正しいはずなんてない。けど、これしかないじゃないか! アイツに勝てるはずがない! それは最初にアイツを見つけて、時間を稼ごうとしたぼくが一番分かってる!」
『おい、クソガキ。俺様の本気をテメェが勝手に定義してんじゃねぇよ』
怒気を放つ獣など気にしない。
少年は身の震えを再び起こし、剣を震わせながら叫び続けた。
「死にたくない……だけど、ルミンは助けたいんだ。それなら選ぶ方法は一つ──お前を脅してでもルミンを生き返らせて、二人でどこかに逃げるだけだ」
「……ここでそれができたとしても、あの獣はどこまでもお前を追い続けるぞ。結局果てにあるのは死のみ。そんな選択を、お前はあの娘に強いるのか」
説得を試みようとする男。
だがそこで、獣が悪魔の甘言を少年にかけていく。
『クソガキ、俺様がそれを手伝ってやろう。ソイツは今殺さねぇと厄介だが、テメェならいつでも殺せる。妹を助けてぇってんなら、俺といっしょにソイツを瀕死にしちまおう』
「……分かった、そうしよう」
さらに強く剣を突き付ける少年。
男の首筋からは、ポタリポタリと血が垂れ始める。
「約束しろ、それを手伝うんだからボクたちにもう危害を加えないと」
『……まあ、それも面白ェか。最後にしっかりとソイツを殺せたらそれを認めてやるよ』
「──ということだ。悪いけど、お前にはここで死んでもらうよ。もちろん、ルミンを生き返らせてからだけど」
「ふっ。そう簡単に言うことを聞くと?」
男の不遜な態度はそれでも変わらない。
ギリッと歯軋りを鳴らす少年だが、すぐに考えを思いつく。
「……やれ」
『あいよ』
少年の指示に嗤いながら従い、極太い爪を男へ突き刺した獣。
ブスリと刺さった爪が、心の臓の周りを抉り取っていた。
「──甘いんだよ。あの娘が、なんの勝算もなく俺にお前らの命を委ねるとでも? ……よっぽどあの娘の方が、外の世界に目を向けていただろうよ」
男の体にポッカリと空いた空虚な穴。
だがそれは一瞬にして、男の体と共に煙のように溶けて消える。
「ど、どこに」
『落ち着け、どうせ幻影だ。アイツの目的はテメェなんだ、ここからは逃げねぇ』
「……そうか」
『だからじっくりと索敵すりゃあ……ほら、そこにいる』
魔法とスキルを併用し、獣の一撃を回避した男。
しかし、なんの対価もなくできることでもないらしく、額からは汗を零していた。
「もう一度言う、お前がその獣を倒せば俺はあの娘を蘇らせる。例え脅そうが、それ以外の選択肢は用意しない」
「……ぼくは、ルミンがいればそれだけで充分なんだ。世界なんてどうでもいい、例えお前の考えがどうであろうとやってもらう」
「……適性はあるが、こいつは外れだな。別の役割で済ませるとしよう」
男が小さく呟いた次の瞬間──
「えっ?」
「お前はもう要らん、ここで退場だ」
少年の胸には、小さな空洞ができていた。
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