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偽善者と閉じた世界 十二月目

偽善者と赤ずきん その14

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『…………』

 女神様は答え……ませんでした。
 沈黙を貫き、ただ狼人を見ています。

 その瞳はとても冷たく、いっさいの感情を読み取ることができませんでした。

「繰り返そうと、喰った味も覚えてらんねぇのかよ……最悪だな」

『少し、違います』

 狼人が吐き捨てるように言うと、ようやく女神様が口を動かします。

『蓄積を繰り返した記憶は脳を圧迫し、やがてその活動が鈍ります。そうならないよう、極限まで書き込まれる情報を抑えるのです』

「取り繕っても、変わんねぇだろ。俺は死んだことも……どうせこうやって話をしたことも忘れて、赤ずきんを狙うんだろ?」

『本当に覚えなければいけないことは覚えていますし、予め記憶を調整しておけば覚えておきたいことは覚えていられますよ。……しかし、それはお薦めできません』

 申し訳なさそうな声を出す女神様。
 狼人は、迷うことなく回答を告げます。

「構わねぇよ、俺は【貪食】に飯を喰えりゃあ充分なんだ。さぁ、俺の記憶を弄ってもらうぞ」

『……そうですか。では、始めましょう』

 そして狼人は、女神様と契約を交わすことになりました。
 これまで生きたの記憶をすべて【貪食】が喰らい、魂の奥底へ女神様が封じました。

 しかしそのすべてを、狼人は思いだすことはありません。

 女神様の思惑と狼人の願いは、決して交わることのないものですから。

  ◆   □   ◆   □   ◆

「忘れるな! 逃げるな! 全部が全部周りのせいだって思って、過去から逃れようとするなよ!!」

 地団駄を踏み、声を荒げた少年は狼人に向けてそう叫ぶ。

「だから記憶を封じたんだろ! だから話に乗ったんだろ! だから喰べることしか考えなくなったんだろ! それだけを考えていれば、何も辛くなかったんだろ!」

「…まれ」

「ボクは抑えられた! お腹は空くけど、それ以外のことも考えられる! お前もできるはず! なのにどうして目を逸らす!」

「──黙れ! 過去のお前は、ただ暴れ回って喰い尽くしただけだ! 誰も止められず、誰の抑制も受け入れなかった!」

 蹴り飛ばされた先から叫び、少年の元へ戻ると──全力で拳をぶつける。

「知らねぇよ! 俺は【貪食】、全てを喰らう化け物なんだ! 過去なんて関係ねぇ、未来の食事だけ考えてりゃあいいんだよ!」

 咆哮を上げ、荒い息を吐く狼人。
 握り締められた拳は必要以上に強く力が籠められ、喰い込んだ爪から血が滴っている。

 狼人は苛立っていた。
 かつての自分は彼とは異なる道を辿り、自分を説教している。

 抗うことのできなかった自分は、いったいなんだったのか……複雑な心境は全て怒りに変換され、拳から放出された。

(過去は不変だと? 変わってんじゃんぇかあのクソガキ! 俺はいったい、なんでこんなことしてんだよ!)

 確固たる意志で、少年は【貪食】が促す無限の飢餓に喰らいついた。

 そして捻じ伏せ、自我を維持し正常な思考でいることができている。
 自分をこの場所に連れ出した少年のことを思い出し、そちらにも怒りを感じる。

「痛たたた……もー、何するのさー!」

「うるせーよ、過去の亡霊。テメェはさっさと消えろ」

「──うん、ボクは消えるよ。だけど、それはもう少し後のこと」

 闘士のような構えを取り、攻撃を防いでいた少年は……寂しそうな目でそう語る。

 その瞳に違和感を覚える狼人だが、それを遮るように少年が突進してくる。

 そして再び拳を交わし──あるモノが喰われていく。

  □   ◆   □   ◆   □

 すべてを喰らい終えたとき、少年の目の前には何も残っていなかった。
 村の痕などいっさい残らず、広い地面だけが森の中に広がっている。

「……あれ? み、みんなは?」

 キョロキョロと辺りを見渡すが、誰一人として知っている者は見つからない。

 美味しそうな香りだけがそこには残り、結局誰も見つからない。

「みんなー、どこー!?」

 恐ろしくなった少年は、走りだす。
 虚ろながら、これまでと違って少しだけ意識があった少年。

 大人や子供たちが声を上げ、自分に向かって走ってくる様子が何度も思い返される。

 そして最後には彼らに近づき……そこで必ず記憶は途絶えている。

「──っ!」

 思わず口を押えようとした……そのとき、気づいてしまう。

 自分の歯に何かが挟まっていて、そこからとても懐かしい匂いがすることを。

「な、なに……これ……」

 取り出してみたそれは、毛がこびりついた真っ赤な肉だった。

 自分と似た色をした、新鮮な肉だ。
 
「もしかして、これ……」

 辿り着いた答えに、少年は意識を遮断してすべてを忘れようとする。

 そこに挟まった物からは──母親に抱き着いたときに嗅いでいた、優しくて落ち着く匂いがしていた。

  □   ◆   □   ◆   □

「──ッ!」

「どう、伝わったかな? ボクはこの後、おとうさんもおかあさんも食べちゃうんだ」

「……らしいな」

「けどもうお仕舞い。ボクはそんなことしたくないし、もう疲れちゃった」

「お前、だからわざと……」

 すでに少年の心臓は、狼人によって貫かれていた。

 ゆっくりと弱まっていく鼓動の音に、少年が何をしようとしていたかを悟る。

「【貪食】はね、ただ喰べて終わりってわけじゃないんだよ。自分の中に取り込んで、放出したり強化することができる。……だからボクは、喰らった記憶しんじつを正しい状態で帰すことができた……これで、ボクの役目は終わりなんだろうね」

「ま、待て……」

「ううん、無理だよ。もともとぼくは、このためだけに読み込まれた過去。アナタと一つになって機能する【貪食】細胞の一つ」

 少しずつ薄れ、狼人の体内に吸収されていく少年。

「要らねぇ、要らねぇよこんな記憶! 俺が断るんだ、テメェもさっさと止めやがれ!」

「ボクはアナタだけど、アナタはボクじゃないよ。ほら、食事が終わったときは確かこうするんだよね?」

 再び掌を合わせ、狼人に確かめる少年。
 その行動は、かつて喰らった誰かが覚えてきた記憶。

 喰らった食材に感謝を籠め、それを用意してくれた全てに祈りを籠めて行う行動。

「……ああ、そうだ」

「これでもうお仕舞い、食事が終わったら行かないとね」

 二人は互いに向き合い──共に言う。

『ごちそうさまでした』

 目を閉じ、初めて心からその意味を噛み締める狼人。

 不思議と空腹感は薄れ、何かが体の中に取り込まれていく感覚が染み渡る。

 それを感じるのと同時に、瞼の裏に閃光が奔る感覚を掴んだ。
 例の少年が何かをした、そう直感的に理解した。

「……先に、アイツに感謝しねぇとな」

 まずは謝ろう、そう思う狼人は閃光に呑まれていく。

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