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第7話:『壱番街サーベイヤー』
◆19:ミックスカクテル(その1)-1
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時計の針が二十二時を回った。地方の街であれば人通りは少なくなり、商店はシャッターを下ろし明日に向けての準備を始める。
だが都内、それも新宿区高田馬場の駅前ともなれば、店舗の終日営業などはごく当たり前。ネオンはより一層輝きを増し、二次会へと向かう酔っぱらった学生達の喧騒に駆り立てられるように、街のせわしなさはより加速していく。
「なんだかなあ」
駅前の一角、小さなビルの一室に押し込められたファミリー向けのイタリアンレストランのカウンター席のひとつに、七瀬真凛は己の身を押し込んでいた。
真凛が知る限り、本来このチェーン店は余裕のある座席配置でゆったりと食事がとれるはずだったが、都内の高騰した家賃で利益を出すのは容易ではないらしく、いま彼女は隣の客と肘がぶつかりそうな細いカウンター席に詰め込まれ、女子高生にもお手頃な値段のドリアと飲み放題のドリンクバーに向かい合っていた。
一通り歓迎会が盛り上がった後、皇女は疲れを癒やすため割り当てられた客間に引き取り、後は残ったメンバー達の単なる飲み会と化していた。来音さんが遅いから家まで送ってくれると言ってくれたが、謝辞し、そのまま自分の足で帰路についたのがついさっき。
そのまま真っ直ぐ帰宅するだけの事だったのだが……なぜか今、自分はファミレスでドリアをつついている。
グラスの中には薄桃色の液体。アイスティーとオレンジジュースとソーダを混ぜ合わせたドリンクバー・カクテル。友人から教えて貰ったものだ。
カバンの中のがま口を開けて、硬貨の枚数と金額をいまいちど数え、注文したメニューが予算内に収まっているか確認する。消費税を忘れずに。
七瀬の家には小遣いという概念がない。母は使う目的さえはっきりしていれば金額の大小に問わずお金を出してくれるが、それ以外には友人達に喫茶店に誘われた時用にごく小額を渡されるのみである。現役女子高生の懐事情としてはお寒い限りであった。
メニューを見て、テーブルにある呼び出しボタンを押し、店員さんにメニューを告げる。たったそれだけの事にもたつき、ボタンを何度も連打し、店員さんから冷たい眼で見られてしまった。
「……なんだかなあ」
繰り返し、ため息を一つ。自分の馬鹿さ加減が時々心底嫌になる。いつもこうだ。学校帰りに一緒に寄り道する達、そして仕事で同席するアイツが当たり前のように出来ていることができない。やったことがないからだ。
この一年あまりで、いかに自分が『箱入り』(その単語すらつい最近知ったのだ)であるかということを、七瀬真凛はつくづく思い知らされていた。
正直なことを言えば、アルバイトでもないのに夜十時を回って一人でファミレスに居るというのも初めての体験だった。勢いで入店したものの、極めて落ち着かない。今すぐ食事をかきこんで、店を出て行きたくなる。
それも情けなかった。つい数時間前、武道家として新たな境地に達したことを喜んでいた自分がどこか遠くに消え失せてしまったかのようだった。
「映画の約束なんて覚えてないよね」
またドリアをつつきまわし、そんなことを呟いていた。六本木のオールナイト特撮映画。もちろんそんなものは皇女と出会う前にバタバタとかわした口約束にすぎない。
自分だって勢いで友達とかわした放課後のお茶の約束なんて、忘れたり反故にされたりするのが当たり前だ。当たり前なのだ。だが、とは言え。
「素敵なひとだったなあ」
銀髪のお姫様。絵本の中から出てきたような。そして頭がいい。なんか難しい国の話とか戦争の話をアイツとしていた。脳みそを使った難しい会話をする時、アイツは決まってそういう時嬉しそうな顔をする。自分相手には決してしない。どちらの約束を優先するかなど、わかりきっていたことだろう。
彼女とは何歳離れていただろうか。国と、そこに暮らす人々の事を心から思う優しい女性。彼女、いや、彼女達から見れば、自身の事で手一杯の幼稚な自分など、子供、いや、猿か何かに見えているのではないか。
いやいやそんな事はない。彼女は自分を友人として扱ってくれている。それこそ彼女に失礼だ。いや、だがしかし。
「あああああ~!なんなんだろうコレ」
頭を抱えてテーブルに突っ伏すと、ドリアの皿が抗議の声を上げる。どうにもこれはよくない。普段シンプルな思考に慣れきった頭が、複雑な問題を解決しようとしてオーバーヒートしているようだった。そんな状態がしばらくつづいた後。
「……あれ?」
ふとテーブルの端にある伝票に眼をやり、――凍り付いた。
伝票に記載された合計額が、予算を上回っていた。
「うそ」
計算を間違ったのか。
胃のあたりが締め付けられる。そんな馬鹿な。確かに数学は大の苦手だが、いくらなんでも三桁の足し算を間違えるはずが。確認したのに。だが数字には確かにそう書かれていた。
大慌てでカバンの中をまさぐる。小銭の入ったがま口、学生証、定期を兼ねた交通カード、余白の目立つ手帳と筆記用具、非常食と包帯、通話機能のみの携帯。友人達が口々に『残念』と評するカバンの中身は、それだけだった。
食い逃げ。無銭飲食。おまわりさん。逮捕。死刑。
チープな単語が脳内で連鎖しぐるぐると回転。涙目でパニックに陥りかける。この半分食べ残しのドリアを返せば料金へらしてもらえるだろうか。そんな愚かなことを本気で実行しようかと思った時。
「こういうレストランだとね、時間によっては深夜の割り増し料金を取られることがあるんだよ」
横合いから声がかけられた。
「あー、すまない、ここ、いいかな」
だが都内、それも新宿区高田馬場の駅前ともなれば、店舗の終日営業などはごく当たり前。ネオンはより一層輝きを増し、二次会へと向かう酔っぱらった学生達の喧騒に駆り立てられるように、街のせわしなさはより加速していく。
「なんだかなあ」
駅前の一角、小さなビルの一室に押し込められたファミリー向けのイタリアンレストランのカウンター席のひとつに、七瀬真凛は己の身を押し込んでいた。
真凛が知る限り、本来このチェーン店は余裕のある座席配置でゆったりと食事がとれるはずだったが、都内の高騰した家賃で利益を出すのは容易ではないらしく、いま彼女は隣の客と肘がぶつかりそうな細いカウンター席に詰め込まれ、女子高生にもお手頃な値段のドリアと飲み放題のドリンクバーに向かい合っていた。
一通り歓迎会が盛り上がった後、皇女は疲れを癒やすため割り当てられた客間に引き取り、後は残ったメンバー達の単なる飲み会と化していた。来音さんが遅いから家まで送ってくれると言ってくれたが、謝辞し、そのまま自分の足で帰路についたのがついさっき。
そのまま真っ直ぐ帰宅するだけの事だったのだが……なぜか今、自分はファミレスでドリアをつついている。
グラスの中には薄桃色の液体。アイスティーとオレンジジュースとソーダを混ぜ合わせたドリンクバー・カクテル。友人から教えて貰ったものだ。
カバンの中のがま口を開けて、硬貨の枚数と金額をいまいちど数え、注文したメニューが予算内に収まっているか確認する。消費税を忘れずに。
七瀬の家には小遣いという概念がない。母は使う目的さえはっきりしていれば金額の大小に問わずお金を出してくれるが、それ以外には友人達に喫茶店に誘われた時用にごく小額を渡されるのみである。現役女子高生の懐事情としてはお寒い限りであった。
メニューを見て、テーブルにある呼び出しボタンを押し、店員さんにメニューを告げる。たったそれだけの事にもたつき、ボタンを何度も連打し、店員さんから冷たい眼で見られてしまった。
「……なんだかなあ」
繰り返し、ため息を一つ。自分の馬鹿さ加減が時々心底嫌になる。いつもこうだ。学校帰りに一緒に寄り道する達、そして仕事で同席するアイツが当たり前のように出来ていることができない。やったことがないからだ。
この一年あまりで、いかに自分が『箱入り』(その単語すらつい最近知ったのだ)であるかということを、七瀬真凛はつくづく思い知らされていた。
正直なことを言えば、アルバイトでもないのに夜十時を回って一人でファミレスに居るというのも初めての体験だった。勢いで入店したものの、極めて落ち着かない。今すぐ食事をかきこんで、店を出て行きたくなる。
それも情けなかった。つい数時間前、武道家として新たな境地に達したことを喜んでいた自分がどこか遠くに消え失せてしまったかのようだった。
「映画の約束なんて覚えてないよね」
またドリアをつつきまわし、そんなことを呟いていた。六本木のオールナイト特撮映画。もちろんそんなものは皇女と出会う前にバタバタとかわした口約束にすぎない。
自分だって勢いで友達とかわした放課後のお茶の約束なんて、忘れたり反故にされたりするのが当たり前だ。当たり前なのだ。だが、とは言え。
「素敵なひとだったなあ」
銀髪のお姫様。絵本の中から出てきたような。そして頭がいい。なんか難しい国の話とか戦争の話をアイツとしていた。脳みそを使った難しい会話をする時、アイツは決まってそういう時嬉しそうな顔をする。自分相手には決してしない。どちらの約束を優先するかなど、わかりきっていたことだろう。
彼女とは何歳離れていただろうか。国と、そこに暮らす人々の事を心から思う優しい女性。彼女、いや、彼女達から見れば、自身の事で手一杯の幼稚な自分など、子供、いや、猿か何かに見えているのではないか。
いやいやそんな事はない。彼女は自分を友人として扱ってくれている。それこそ彼女に失礼だ。いや、だがしかし。
「あああああ~!なんなんだろうコレ」
頭を抱えてテーブルに突っ伏すと、ドリアの皿が抗議の声を上げる。どうにもこれはよくない。普段シンプルな思考に慣れきった頭が、複雑な問題を解決しようとしてオーバーヒートしているようだった。そんな状態がしばらくつづいた後。
「……あれ?」
ふとテーブルの端にある伝票に眼をやり、――凍り付いた。
伝票に記載された合計額が、予算を上回っていた。
「うそ」
計算を間違ったのか。
胃のあたりが締め付けられる。そんな馬鹿な。確かに数学は大の苦手だが、いくらなんでも三桁の足し算を間違えるはずが。確認したのに。だが数字には確かにそう書かれていた。
大慌てでカバンの中をまさぐる。小銭の入ったがま口、学生証、定期を兼ねた交通カード、余白の目立つ手帳と筆記用具、非常食と包帯、通話機能のみの携帯。友人達が口々に『残念』と評するカバンの中身は、それだけだった。
食い逃げ。無銭飲食。おまわりさん。逮捕。死刑。
チープな単語が脳内で連鎖しぐるぐると回転。涙目でパニックに陥りかける。この半分食べ残しのドリアを返せば料金へらしてもらえるだろうか。そんな愚かなことを本気で実行しようかと思った時。
「こういうレストランだとね、時間によっては深夜の割り増し料金を取られることがあるんだよ」
横合いから声がかけられた。
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