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第7話:『壱番街サーベイヤー』
◆08:赤焼けた記憶-2
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聞くところによると、この事務所が入っているビルは、本来はマンションとして設計されたらしい。しかし諸事情があり、結局企業向けのオフィスとして貸出される事になったのだそうだ。
その名残なのか、事務所の奥には六畳の洋室と和室がある。洋室はベッドと机、本棚が備えられた物置兼休憩室となっており、男衆が徹夜上等で事務所に詰める際は、ここのベッドで仮眠を取ることもしばしばである。
いつもならここは、おれが持ち込んだ健康グッズ、仁サンが読み捨てたコンビニコミック、チーフの替えのシャツ、仮置きされた資料が散乱し惨憺たる有り様なのだが――今この時ばかりは、それらの雑多な私物はまるで神隠しにでもあったように何処かへ消え失せていた。
山谷の簡易宿泊所を思わせる草臥れたフトンはふかふかの羽布団へと差し替えられ、窓際の机には、一体どこから出現したのやら、シンプルだが趣のある陶器の花瓶に南天が生けてある。
ついでに言えば部屋の壁紙にこびりついていたはずのヤニの臭いも、魔法でも使ったかのように拭い去られ、今はくどくならない程度の仄かなアロマで満たされている。こういった細やかな気配りが出来るのは、もちろんおれや直樹でも、こと家事についてはそろいも揃って赤点レベルなウチの女性陣でもない。
「いやしかし、相変わらずの腕前ですねぇ」
「お誉めに預かり光栄ですな」
扉の前に詰めていた桜庭さんに一声かける。
我々フレイムアップの会計担当にして、事務所の一階、喫茶店『ケテル』の店主たるこの白髪の紳士こそが、小汚い雑魚寝部屋をわずか数日のうちにセンスが光る山荘の一室風に改装してのけた張本人であった。コーヒーや料理のみならず、家事全般を芸術と呼べる領域で実行できる人間を、おれは他に知らない。
「それで、依頼人さんは?」
「こちらへ」
「失礼しまーす、っと……」
桜庭さんに従って部屋の中へ。
――そこに、彼女はいた。
「ヨウジ・ワタリさん、マリン・ナナセさん、でしょうか?」
入室したおれ達の耳に届けられた、鈴の音のように澄んだ日本語。
ウチの事務所の主である所長に付き添われ、羽根布団からチェックのパジャマ姿で上半身を起こしていたのは、月光を連想させる銀髪と、滑らかな褐色の肌、大粒の紫水晶の瞳の少女だった。
「ああ。……おれは亘理陽司。よろしく」
「あ、あの!七瀬真凛です!」
「私はファリス・シィ・カラーティです。ファリスと呼んで下さい」
そう言って、現代に継がれるルーナライナ王国の第三皇女は、柔らかな微笑を返した。
「――んじゃあ、お言葉に甘えてファリス、と呼ばせてもらうよ。おれの事は陽司で頼む」
「ボ、ボクは何でもいいです」
「はい、ではよろしくお願いします。陽司……さん、真凛さん」
下々にファースト・ネームで呼ばれても一向に気にしないあたり、先ほどの言葉はリップサービスではなく本心なのだろう。
「……きれいな人だなあ……」
ぽかんとしたままの真凛の呟きにも、同意せざるを得ない。規格外の人間の集まるこの業界、「ハリウッド女優みたいな美人」に会う機会も時にはあるが、目の前の少女の現実離れした美しさは、映画というより、もはや絵本の世界の住人と呼ぶほうが相応しかった。
その名残なのか、事務所の奥には六畳の洋室と和室がある。洋室はベッドと机、本棚が備えられた物置兼休憩室となっており、男衆が徹夜上等で事務所に詰める際は、ここのベッドで仮眠を取ることもしばしばである。
いつもならここは、おれが持ち込んだ健康グッズ、仁サンが読み捨てたコンビニコミック、チーフの替えのシャツ、仮置きされた資料が散乱し惨憺たる有り様なのだが――今この時ばかりは、それらの雑多な私物はまるで神隠しにでもあったように何処かへ消え失せていた。
山谷の簡易宿泊所を思わせる草臥れたフトンはふかふかの羽布団へと差し替えられ、窓際の机には、一体どこから出現したのやら、シンプルだが趣のある陶器の花瓶に南天が生けてある。
ついでに言えば部屋の壁紙にこびりついていたはずのヤニの臭いも、魔法でも使ったかのように拭い去られ、今はくどくならない程度の仄かなアロマで満たされている。こういった細やかな気配りが出来るのは、もちろんおれや直樹でも、こと家事についてはそろいも揃って赤点レベルなウチの女性陣でもない。
「いやしかし、相変わらずの腕前ですねぇ」
「お誉めに預かり光栄ですな」
扉の前に詰めていた桜庭さんに一声かける。
我々フレイムアップの会計担当にして、事務所の一階、喫茶店『ケテル』の店主たるこの白髪の紳士こそが、小汚い雑魚寝部屋をわずか数日のうちにセンスが光る山荘の一室風に改装してのけた張本人であった。コーヒーや料理のみならず、家事全般を芸術と呼べる領域で実行できる人間を、おれは他に知らない。
「それで、依頼人さんは?」
「こちらへ」
「失礼しまーす、っと……」
桜庭さんに従って部屋の中へ。
――そこに、彼女はいた。
「ヨウジ・ワタリさん、マリン・ナナセさん、でしょうか?」
入室したおれ達の耳に届けられた、鈴の音のように澄んだ日本語。
ウチの事務所の主である所長に付き添われ、羽根布団からチェックのパジャマ姿で上半身を起こしていたのは、月光を連想させる銀髪と、滑らかな褐色の肌、大粒の紫水晶の瞳の少女だった。
「ああ。……おれは亘理陽司。よろしく」
「あ、あの!七瀬真凛です!」
「私はファリス・シィ・カラーティです。ファリスと呼んで下さい」
そう言って、現代に継がれるルーナライナ王国の第三皇女は、柔らかな微笑を返した。
「――んじゃあ、お言葉に甘えてファリス、と呼ばせてもらうよ。おれの事は陽司で頼む」
「ボ、ボクは何でもいいです」
「はい、ではよろしくお願いします。陽司……さん、真凛さん」
下々にファースト・ネームで呼ばれても一向に気にしないあたり、先ほどの言葉はリップサービスではなく本心なのだろう。
「……きれいな人だなあ……」
ぽかんとしたままの真凛の呟きにも、同意せざるを得ない。規格外の人間の集まるこの業界、「ハリウッド女優みたいな美人」に会う機会も時にはあるが、目の前の少女の現実離れした美しさは、映画というより、もはや絵本の世界の住人と呼ぶほうが相応しかった。
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