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第7話:『壱番街サーベイヤー』
◆02:佳人来訪-1
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インフルエンザの自覚症状はないか?事前に書いた問診票に間違いはないか?入国の目的は?滞在期間は?滞在先は?パスポートは?査証は?ルーナライナ王国?聞いたことがないぞどこの国だ?申告の必要な輸入品はないか?
諸々の質問攻めから解放され、ファリス・シィ・カラーティに正式に入国の許可が下りたのは、飛行機がナリタ空港に降り立ってから実に一時間後の事だった。なんでも未曾有のインフルエンザの大流行だとかで、とくに検疫が厳しかったらしい。
スタンプの押されたパスポートを手にしたまま、エコノミークラスという名の牢獄に疲れ果てた体を引きずってエスカレーターを降り、急いで手荷物の受取所へ。ベルトコンベアーの一番手前に立ちながら、次々と吐き出されてくるスーツケースに目を光らせ、自分が預けたスーツケースが現れるのを待ち続ける。
ファリスとて、もちろんわかってはいるのだ。この国には他人のスーツケースをこれ幸いと持っていくような不心得者はまず居ない。それどころか!聞いた話によれば、例えスーツケースを持って帰るのを忘れたとしても、何とわざわざ空港職員がお客の住所を調べて、届けてくれるのだという。
確かに、ふり返れば空港の無防備に置き去りにされているスーツケースがいくつも目に入る。持ち主はスタンドに軽食でも買いに行ったのだろう、注意を払ってすらいない。
――そう、まったく信じられない光景なのだ。
これが彼女の国の空港であれば、こうしてスーツケースを見張っていなければ、たちまち誰かに持って行かれ、丸一日も経てばケースと中身がそれぞれ闇市のどこかで売りさばかれる事となるだろう。国民の多くが、盗みを心配せずにすむほど安全で、盗みをする必要もない。
ここは日本。アジアでもっとも清潔で安全で豊かな国。
乗り換えの際に誤配されてはいないかという疑念も杞憂に終わり、スーツケースが無事に手元に戻ったとき、ファリスは心から安堵した。
なにしろルーナライナ唯一の国際空港から一旦ドバイに出て、そこからフランクフルトとバンコクを経由してトウキョウに至るという、ユーラシア大陸を丸三日かけて一周する強行軍だったのだから、多少ナーバスになるのは仕方がないだろう。まして今回は、何も知らなかった子供時代のお気楽な観光旅行とは違うのだし。
私塾のオチアイ先生にお墨付きをもらい、日本語にはかなりの自信があったファリスだが、それでも空港に着いた途端に押し寄せてくる日本語の津波には閉口した。壁という壁に貼ってあるさまざまな広告のポスター、天井と床に描かれた標識と、目の前を流れる電光掲示板のテキストが、これでもかとばかりに異国語のインフォメーションを脳みそに押し込んでくるのだ。
しかもそのうちの一枚を頑張って読み解いた結果が『コズミックマーケット今年も開催、海外からのお客様も大歓迎!コスプレもおっけー宅配も出来ます』であれば、機内でろくに眠れなかった身にはもはや拷問ですらある。
それでも三十分をかけて膨大な情報の波から電話マークの看板を見つけ出し、ようよう窓口へ。事前に予約を入れておいた携帯電話をレンタルする事が出来た。ファリスが普段使っている携帯電話からSIMカードを抜き出し、装填。相性が心配だったが、どうやら無事に動作するようだ。
「しかし、すごい……」
その液晶画面の大きさ、細かさ、明るさにはため息しか出ない。日本人は”ケータイ”をこよなく愛し、子供でさえスマートフォンに匹敵する機能を詰め込んだ携帯電話を所有しているという噂は、まさしく真実だったわけだ。
『モノを小さく・薄く・軽くする』事に関しては、日本の技術は飛び抜けていると言わざるを得ない。ファリスの携帯電話など、ごく小さな液晶画面に電話番号が表示される程度で、しかも不便を感じた事はなかったというのに。
続けて電車とバスの時刻表を見つけ出し、ファリスはなんとかリムジンバスのチケットを購入する事にも成功した。あとはこのバスに乗り、シンジュク駅に辿り着けば、そこで迎えが来ることになっている。ロビーのソファに腰を下ろすと、ようやく人心地つくことが出来た。
「シンジュクク、タ……カ、ダノ、ヴァ、ヴァ……たかだのばば、高田の、馬場」
借りたばかりの携帯電話に、アドレスが正しく引き継がれているかを確認。事前に入力を済ませてきた、やや発音しづらいaが五つも並ぶ固有名詞を復唱する。これからしばらくお世話になる街なのだ、発音を思い出しておくに越したことはないだろう。
隣のスタンドからたいそう芳しいコーヒーの香りが漂ってくるが、ここはじっと我慢の子である。なにしろ先ほど価格をチェックしたら一杯650エンなどという正気の沙汰とも思えぬ数字が目に入ったので。もちろん食事付きではない。ただでさえ交通費と携帯電話のレンタル代金でギリギリなのだ、無駄な出費など出来るはずもなかった。
諸々の質問攻めから解放され、ファリス・シィ・カラーティに正式に入国の許可が下りたのは、飛行機がナリタ空港に降り立ってから実に一時間後の事だった。なんでも未曾有のインフルエンザの大流行だとかで、とくに検疫が厳しかったらしい。
スタンプの押されたパスポートを手にしたまま、エコノミークラスという名の牢獄に疲れ果てた体を引きずってエスカレーターを降り、急いで手荷物の受取所へ。ベルトコンベアーの一番手前に立ちながら、次々と吐き出されてくるスーツケースに目を光らせ、自分が預けたスーツケースが現れるのを待ち続ける。
ファリスとて、もちろんわかってはいるのだ。この国には他人のスーツケースをこれ幸いと持っていくような不心得者はまず居ない。それどころか!聞いた話によれば、例えスーツケースを持って帰るのを忘れたとしても、何とわざわざ空港職員がお客の住所を調べて、届けてくれるのだという。
確かに、ふり返れば空港の無防備に置き去りにされているスーツケースがいくつも目に入る。持ち主はスタンドに軽食でも買いに行ったのだろう、注意を払ってすらいない。
――そう、まったく信じられない光景なのだ。
これが彼女の国の空港であれば、こうしてスーツケースを見張っていなければ、たちまち誰かに持って行かれ、丸一日も経てばケースと中身がそれぞれ闇市のどこかで売りさばかれる事となるだろう。国民の多くが、盗みを心配せずにすむほど安全で、盗みをする必要もない。
ここは日本。アジアでもっとも清潔で安全で豊かな国。
乗り換えの際に誤配されてはいないかという疑念も杞憂に終わり、スーツケースが無事に手元に戻ったとき、ファリスは心から安堵した。
なにしろルーナライナ唯一の国際空港から一旦ドバイに出て、そこからフランクフルトとバンコクを経由してトウキョウに至るという、ユーラシア大陸を丸三日かけて一周する強行軍だったのだから、多少ナーバスになるのは仕方がないだろう。まして今回は、何も知らなかった子供時代のお気楽な観光旅行とは違うのだし。
私塾のオチアイ先生にお墨付きをもらい、日本語にはかなりの自信があったファリスだが、それでも空港に着いた途端に押し寄せてくる日本語の津波には閉口した。壁という壁に貼ってあるさまざまな広告のポスター、天井と床に描かれた標識と、目の前を流れる電光掲示板のテキストが、これでもかとばかりに異国語のインフォメーションを脳みそに押し込んでくるのだ。
しかもそのうちの一枚を頑張って読み解いた結果が『コズミックマーケット今年も開催、海外からのお客様も大歓迎!コスプレもおっけー宅配も出来ます』であれば、機内でろくに眠れなかった身にはもはや拷問ですらある。
それでも三十分をかけて膨大な情報の波から電話マークの看板を見つけ出し、ようよう窓口へ。事前に予約を入れておいた携帯電話をレンタルする事が出来た。ファリスが普段使っている携帯電話からSIMカードを抜き出し、装填。相性が心配だったが、どうやら無事に動作するようだ。
「しかし、すごい……」
その液晶画面の大きさ、細かさ、明るさにはため息しか出ない。日本人は”ケータイ”をこよなく愛し、子供でさえスマートフォンに匹敵する機能を詰め込んだ携帯電話を所有しているという噂は、まさしく真実だったわけだ。
『モノを小さく・薄く・軽くする』事に関しては、日本の技術は飛び抜けていると言わざるを得ない。ファリスの携帯電話など、ごく小さな液晶画面に電話番号が表示される程度で、しかも不便を感じた事はなかったというのに。
続けて電車とバスの時刻表を見つけ出し、ファリスはなんとかリムジンバスのチケットを購入する事にも成功した。あとはこのバスに乗り、シンジュク駅に辿り着けば、そこで迎えが来ることになっている。ロビーのソファに腰を下ろすと、ようやく人心地つくことが出来た。
「シンジュクク、タ……カ、ダノ、ヴァ、ヴァ……たかだのばば、高田の、馬場」
借りたばかりの携帯電話に、アドレスが正しく引き継がれているかを確認。事前に入力を済ませてきた、やや発音しづらいaが五つも並ぶ固有名詞を復唱する。これからしばらくお世話になる街なのだ、発音を思い出しておくに越したことはないだろう。
隣のスタンドからたいそう芳しいコーヒーの香りが漂ってくるが、ここはじっと我慢の子である。なにしろ先ほど価格をチェックしたら一杯650エンなどという正気の沙汰とも思えぬ数字が目に入ったので。もちろん食事付きではない。ただでさえ交通費と携帯電話のレンタル代金でギリギリなのだ、無駄な出費など出来るはずもなかった。
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