人災派遣のフレイムアップ

紫電改

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第6話:『北関東グレイヴディガー』

◆22:”変貌”の果てに−3

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 奴の唇が笑いの形に歪む。肯定の意思表示。その皮一枚奥では、すでに死したはずの小田桐の喉の奥から、ひゅうひゅうと音が漏れている。おそらくは喉を圧迫することで、無理矢理空気を押しだして声としているのだろう。表情、という言葉の定義そのものが冒涜されているかのような醜悪な光景だった。

『ドレスデンを根城にしていた23番もお前に奪られたんだってな。不良在庫のくせに相変わらずフライングだけは得意らしい』

 以前所長に仕入れてもらった情報を匂わせてやると、へばりついた顔の皮が驚きの表情を形成する。

『耳が早いのぅ。確かに23番は使い方次第では充分にこのゲームに勝ち残れるカードだったが、いかんせん宿主に才がなさ過ぎた。丁度昔のおぬしのようにの』

 そう、どんな素晴らしい道具も、野心と才がなければ使いこなすことはできない。

 極端な話だが、例えば普通の人間が偶然に核爆弾を入手したとしても、大抵の人はそれを使おうとすら思えない。野心がある人間なら、これを使って一儲けしてやろう、あるいはテロでもやってやろうと思うかも知れない。だが、それを成功させるには今度は核爆弾を効率よく爆発させたり、脅迫のカードとして用いたりするための才覚が必要なのだ。

『おぬしには才がなかったし、あの女――村雨晴霞ムラサメハルカには野心がなかった』

 その固有名詞だけは、流暢な日本語の発音だった。おれの背後で真凛がわずかに身じろぎする。ままならぬものよ、としわがれた老人の声。

『愚かな女じゃ。我ら三十六全てを手中にする機会など、栄耀栄華を窮め尽くした覇者であろうと、屍山血河を贄に捧げた左道であろうと、垣間見ることすら叶わぬ幸運だと言うに――』
『道具風情が気安く彼女の名前を口にするな』

 つぶやく自分の声がひどく遠く感じられた。砂漠の風のように、乾ききった、だが熱を孕んだ声。かつては人生の全てをなげうって追い求め、今もなお、片時も忘れることなどあり得ない仇敵。その尻尾がいまここにある。

『おお怖い怖い。清掃係が使命を忘れて私怨に狂っておるわ』

 露骨な嘲弄の響き。わざとらしいジジイ言葉が気に障る。今すぐにあの薄ら笑いを浮かべている皮一枚を削ぎ取ってやりたい――その衝動を必死に抑える。奴は操作をしているだけ。本体はおそらくは『第三の目』の本拠地に居るはずだ。

『今おぬしが持っているカードでは儂に干渉する事は出来んじゃろう。それともめくらめっぽうに海を越えて『切断』でも撃ち込んでみるかの?』
『魅力的な提案だが辞退させてもらおう』

 おれは乾いた声のまま応じ、儀礼的な通告を出すに留めた。

『三十六の第三席、『万偽にてザルム一真を示す針レント』。『召喚師』の名にかけて、貴様を捕らえてみせる。貴様の行く末は、我が脳髄の奥で保管される標本の一つとなって、共に虚無へと還るのみだ』
『残念じゃが当分は儂の出番はない。おぬし達にはいずれ8番か16番あたりが挨拶に行くじゃろうて。奴らを排除しおぬしが儂の前に現れるその時を――楽しみにしておるぞ』

 皮が表情を失い、だらりと垂れ落ちる。高分子ゲルの表情筋とセラミックのフレームがコマンドを解除され、その役目を終えたのだ。すべてのモーションが初期化された跡に残ったのは、どんな顔にも効率よく変化できるよう配された、もっとも平均的な個性のない、苦悶の痕跡すらも消え失せた無表情な顔立ちだった。

 風が獣道の隙間を吹き抜け、ざわざわと悲しげに音を立てる。

 
 ――結局、本当の顔を求め続けた男の元に残ったのは、誰のものでもない顔だった。
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