人災派遣のフレイムアップ

紫電改

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第6話:『北関東グレイヴディガー』

◆19:とある男の半生/とある役者の半生−2

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 その手紙には、私と連絡が取れなくなってからの彼の、その後についてが書き連ねられてあった。

 変身能力を活かして昂光に潜入し密輸の証拠をつかむのは、彼にとってはごく簡単な任務のはずだった。事実、彼は社員、取引先相手、警備員などにまさしく変幻自在に化けて、いとも容易く主犯である小田桐某の正体に迫ることが出来たのだという。

 しかし――私には未だに信じられないのだが――最終的に彼はその正体を見破られてしまい、銃撃戦となってしまう。

 結果、逃走を図った小田桐某は爆発事故で行方不明になり、密輸の決定的な物証を握ることは出来なかった。それでも、襲撃の手口からして小田桐が主犯なのは疑いようのない事実であり、密輸のために形成されたネットワークも被害甚大。まず任務成功と言ってもよかったはずだった。

 しかし、彼……誇り高き我が師、『役者アクター』には、銃撃戦で決着をつけるような無骨な結末は、到底受け容れられるものではなかったらしい。


 彼は昂光に固執した。ウルリッヒ保険にも任務完了の報告をせず、行方不明になった小田桐剛史に変身を行い、その代役を完璧に演じ続けた。そしてその手に握った小田桐の権限と情報を以て、構築されたネットワークをことごとく、彼の言を借りれば偏執的に、潰していった。 

「今にして思えば、正体を見破られた事に対する子供じみた腹いせだったんだよ」

 彼は手紙でそう述べている。

 
役者アクター』。

 分類で言えば突然変異ミュータントの部類に入るのだろう。異常発達したミラーニューロンと、自在に変化する体細胞。DNAまで一時的に組成を偽装させることが出来るその能力は、ひょっとしたら人類の新たな可能性を模索するものだったのかも知れない。

 生まれながらの『物真似師』である彼にとって、己の能力を見破られる屈辱というのは、私のような凡才には計り知れないものがあったのだろうか。

 99.99%の擬態を可能とする人間。その傷ついたプライドは、いつしか歪んだ挑戦へとねじ曲がっていった。


 オリジナルを模写することは容易だ。

 そんな低レベルな演技ではまだ足りない。

 オリジナルが無い・・・・・・・・状況で、完璧に本人を演じきってこそ『役者』である。

 小田桐剛史としてのレールを、誰にも疑われずに、小田桐らしく歩み続ける。

 小田桐として上司に疎まれ、部下に敬遠されようと一向にかまわない。

 己一人の胸に秘かに満たされるものさえあればよい。

 そう考えて過ごしてきたのだと彼は言う。小田桐のように考え、小田桐のように振る舞う。演技は精髄を極め、自分が『役者』だと言うことを思い出すのが一週間に一度、という事も珍しくはなかったのだとか。

 結局、彼の『演技』は一年以上にも及んだ。潜入捜査には数ヶ月から半年を要することが多いが、そこから考えても長い時間である。だがしかし、そのレールは、いつの間にか後戻り出来ないものになっていた。

 その頃にちょうど降ってわいたのが、取引先の重役の娘との見合い、だった。『小田桐ならば』己の出世のために受けないはずがない縁談。迷うことなく婚姻を申し入れ、式を挙げ、妻が懐妊したあたりで――

「悪い夢から、はたと醒めた」

 そう彼は語っている。彼とて、自らの異能力や遺伝子の秘密を完全に理解しているわけではない。遺伝子まで擬態できる彼の子供は、果たして誰の子なのだろうか?彼の意地による『挑戦』のため、偽者の小田桐と結婚した妻の人生は、一体どうなるのか。

 
 『小田桐ならば』政略結婚で娶ったような妻に愛情は注がない。

 毎晩女のいる店を経費で飲み歩くほうが『小田桐らしい』。


 『小田桐ならば』土日に子供と一緒に車で出かけるような事はしない。

 人脈つくりに取引先とゴルフでもしている方が『小田桐らしい』。

 『役者』であるならば、どうすべきかは明らかなはずだった。

 

 
 だが結局、彼の家庭は……後に私が調べたところ、幸せな家庭と呼びうるものであった。

 一流の『役者アクター』は、新たに作り出された家庭、という舞台ステージでの演技をやめてしまったのだ。

 調和ある家族、暖かい帰るべき場所。そして相互の信頼。世の中のどんな人間であろうと、どちらが欲しいかと言われれば、不幸な家庭よりも幸せな家庭と答える決まっている。それは絶対的に正しい、世間では賞賛されるはずの行為のはずだった。

 だというのに、己一人の胸には、己が『役者』として失格であるという事実が突きつけられ続ける。どれほど苦しみもがいても、今更舞台を降りることなどかなわない。
 

 傲慢な挑戦に対する、これ以上もないほどの重い罰。
 

 幸せで過酷な時間は、実に三年も続いた。

 ある時、彼はとある情報を聞きつける。再び昂光の企業秘密に接触しようとする不穏な動きがある、と。半ば予感めいたものを感じて、彼はその機会を待ち続けた。

 
 そして、一ヶ月前のあの大雨の日。彼は奴に坂東山に呼び出されたのだった。
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