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第6話:『北関東グレイヴディガー』
◆15:夜、繁華街にて−3
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気前よく水割りの追加を頼み――久しぶりのアシスタント業務、経費を気にしないですむ特権を利用しない手はない――いかにも”こういうお店は初めてです”風を装っておれが訪ねると、故人相手ならばもう義理立ての必要もないと思ったのか、ママさんは気前よく話してくれた。
「そう……何年前だったかしらね。アイツが全然お店に来なくなった時期があったのよ。――結局、二ヶ月くらいしたらまた戻ってきたんでウンザリしたんだけど。その時は、私もウチの子達も正直ほっとしたものよ。でも、そうならそうで、どこで飲んでるのかが気になっちゃうのよね。最低の客とはいえ、他の店に取られたならそれはそれで悔しいし、でもまたそこで絡むんじゃその店の子が可哀相だし」
ママさんの言葉には水商売の複雑なプライドがにじんでいた。
「でね。たまたまお店の外に買い出しに行ったとき、通りでアイツを見つけたのよ」
余談ながら、この手の飲み屋ではお酒やフルーツの類が足りなくなって、急遽お店の人が裏口から八百屋やコンビニに買いに走る、ということは結構あるんだそうだ。五百円で買ったスナック菓子やあり合わせの果物が、裏口から店のカウンターを通って出撃するときには二千円や三千円になっているのがこの世界なのである。
「普段肩で風切って歩いているようなアイツが、妙にコソコソしてたのよねぇ。で、これは何かあるな、と思って。そしたらアイツら、『アリョーシャ』に入っていったのよ」
「アリョーシャ?それに、アイツ”ら”?」
我ながら芸のないオウム返しの質問。さすがに不自然かなとも思ったのだが、ママさんは何年か越しの秘め事を打ち明けられることにすっかり心を奪われているようだった。
「その時は、なんか体格のいい外国人が何人か一緒にいたの。で、アリョーシャっていうのは、ちょっと奥の通りにある酒場なんだけど、昔日本人と結婚したロシアの人がマスターをしててちょっと珍しいお酒が飲めるのよ。だから、たぶん一緒にいたのはロシアの人じゃないかしらね。いつもと違ってやたらと挙動不審だったし。あれは相当、後ろ暗いことやってたハズよね」
そう言われてしまえば、『アリョーシャ』へ向かわないわけにはいかない。幸い、店自体はすぐに見つかった。歓楽街というにはささやかすぎる通りの、店と店の隙間の通路に体をねじ込む。通常の店の従業員用の通用口の隣にある安っぽいスチールの扉を開けて中に入ると、雑居ビルの一室を改装したのだろう、小さな酒場がそこにはあった。
恐らくは内装のチープさを照明を暗くすることでごまかしているのか。鈍いライトの光が無骨なカウンターを照らし出しており、その後ろのラックにはウォッカをはじめとして幾つもの酒が無造作に並べてあった。カウンターから出てきた羆のような巨漢のマスター、オレグさんに話を聞くと、
「四年前の夏だな」
と、彼はあっさりと答えてくれた。もちろん、高めのウォッカを一本ボトルキープさせてもらった効果も大きいだろう。
「ずいぶんはっきり覚えてるんですね」
「その一ヶ月後に女房が出い行った」
「……そ、そうですか」
というようなやり取りはあったものの、マスターは当時のことをよく覚えていた。四年前に来た常連でもない客の事を覚えているのだろうかとも思ったのだが、むしろ今はほとんど常連相手にしか商売をしていないため、一見の客、しかもロシア人というのは相当珍しかったらしい。
「まして、マフィアと来ればな」
「マフィア?……というといわゆる、ロシアンマフィア?」
マスターは苦々しげに首を縦に振ったものだった。
「ハバロフスクに駐在していたときにあの手の奴らは何度も見たからな。においでわかる」
照明の下でよく見ると、しかめ面をしているマスターの長年の飲酒で灼けた頬に、うっすらと刀疵が浮かんでいるのが見て取れた。となるとこの御仁も、前職ではテッポーやらドスやらを扱っていたのかも知れない。
「その時の様子に、何か変わったことは無かったかい――ああ、俺もボトルを入れさせてもらおう。スタルカはまだ飲んだことがないんだが、お勧めの飲み方は?」
根本まで吸い終えたゴールデンバットを灰皿に押しつけ、チーフが問う。
「ストレート以外あるわけなかろうが。――四年前の客の様子なんぞ、さすがに覚えておらんよ」
と言いつつ、マスターはしばし考え込み……ふと思い出した表情になる。
「ああ。そう言えば、マフィア共は随分と日本人をせっついていたようだったな。『装置』だの『納期』だのなんてロシア語を聞いたのはずいぶんと久しぶりだった」
へぇ。『装置』に、『納期』ね。隣の席を見やると、チーフの目が、鷹のそれを思わせるほど鋭いものとなっていた。
「ああいう手合いが紛れ込んでくるから、俺達が白眼視される。小樽に流れて漁師の家に婿入りした俺の同期も、ずいぶんと差別を受けているんだ」
とにかく鬱陶しい連中で、早く帰ってもらいたかったものだ、とマスター。一通り聞けることを聞き出した後、おれ達は勘定を済ませ、「キープしたボトルは他の客に出すなりアンタが飲むなり好きにしてくれ」とお決まりの台詞を投げて出てきたのであった。
「そう……何年前だったかしらね。アイツが全然お店に来なくなった時期があったのよ。――結局、二ヶ月くらいしたらまた戻ってきたんでウンザリしたんだけど。その時は、私もウチの子達も正直ほっとしたものよ。でも、そうならそうで、どこで飲んでるのかが気になっちゃうのよね。最低の客とはいえ、他の店に取られたならそれはそれで悔しいし、でもまたそこで絡むんじゃその店の子が可哀相だし」
ママさんの言葉には水商売の複雑なプライドがにじんでいた。
「でね。たまたまお店の外に買い出しに行ったとき、通りでアイツを見つけたのよ」
余談ながら、この手の飲み屋ではお酒やフルーツの類が足りなくなって、急遽お店の人が裏口から八百屋やコンビニに買いに走る、ということは結構あるんだそうだ。五百円で買ったスナック菓子やあり合わせの果物が、裏口から店のカウンターを通って出撃するときには二千円や三千円になっているのがこの世界なのである。
「普段肩で風切って歩いているようなアイツが、妙にコソコソしてたのよねぇ。で、これは何かあるな、と思って。そしたらアイツら、『アリョーシャ』に入っていったのよ」
「アリョーシャ?それに、アイツ”ら”?」
我ながら芸のないオウム返しの質問。さすがに不自然かなとも思ったのだが、ママさんは何年か越しの秘め事を打ち明けられることにすっかり心を奪われているようだった。
「その時は、なんか体格のいい外国人が何人か一緒にいたの。で、アリョーシャっていうのは、ちょっと奥の通りにある酒場なんだけど、昔日本人と結婚したロシアの人がマスターをしててちょっと珍しいお酒が飲めるのよ。だから、たぶん一緒にいたのはロシアの人じゃないかしらね。いつもと違ってやたらと挙動不審だったし。あれは相当、後ろ暗いことやってたハズよね」
そう言われてしまえば、『アリョーシャ』へ向かわないわけにはいかない。幸い、店自体はすぐに見つかった。歓楽街というにはささやかすぎる通りの、店と店の隙間の通路に体をねじ込む。通常の店の従業員用の通用口の隣にある安っぽいスチールの扉を開けて中に入ると、雑居ビルの一室を改装したのだろう、小さな酒場がそこにはあった。
恐らくは内装のチープさを照明を暗くすることでごまかしているのか。鈍いライトの光が無骨なカウンターを照らし出しており、その後ろのラックにはウォッカをはじめとして幾つもの酒が無造作に並べてあった。カウンターから出てきた羆のような巨漢のマスター、オレグさんに話を聞くと、
「四年前の夏だな」
と、彼はあっさりと答えてくれた。もちろん、高めのウォッカを一本ボトルキープさせてもらった効果も大きいだろう。
「ずいぶんはっきり覚えてるんですね」
「その一ヶ月後に女房が出い行った」
「……そ、そうですか」
というようなやり取りはあったものの、マスターは当時のことをよく覚えていた。四年前に来た常連でもない客の事を覚えているのだろうかとも思ったのだが、むしろ今はほとんど常連相手にしか商売をしていないため、一見の客、しかもロシア人というのは相当珍しかったらしい。
「まして、マフィアと来ればな」
「マフィア?……というといわゆる、ロシアンマフィア?」
マスターは苦々しげに首を縦に振ったものだった。
「ハバロフスクに駐在していたときにあの手の奴らは何度も見たからな。においでわかる」
照明の下でよく見ると、しかめ面をしているマスターの長年の飲酒で灼けた頬に、うっすらと刀疵が浮かんでいるのが見て取れた。となるとこの御仁も、前職ではテッポーやらドスやらを扱っていたのかも知れない。
「その時の様子に、何か変わったことは無かったかい――ああ、俺もボトルを入れさせてもらおう。スタルカはまだ飲んだことがないんだが、お勧めの飲み方は?」
根本まで吸い終えたゴールデンバットを灰皿に押しつけ、チーフが問う。
「ストレート以外あるわけなかろうが。――四年前の客の様子なんぞ、さすがに覚えておらんよ」
と言いつつ、マスターはしばし考え込み……ふと思い出した表情になる。
「ああ。そう言えば、マフィア共は随分と日本人をせっついていたようだったな。『装置』だの『納期』だのなんてロシア語を聞いたのはずいぶんと久しぶりだった」
へぇ。『装置』に、『納期』ね。隣の席を見やると、チーフの目が、鷹のそれを思わせるほど鋭いものとなっていた。
「ああいう手合いが紛れ込んでくるから、俺達が白眼視される。小樽に流れて漁師の家に婿入りした俺の同期も、ずいぶんと差別を受けているんだ」
とにかく鬱陶しい連中で、早く帰ってもらいたかったものだ、とマスター。一通り聞けることを聞き出した後、おれ達は勘定を済ませ、「キープしたボトルは他の客に出すなりアンタが飲むなり好きにしてくれ」とお決まりの台詞を投げて出てきたのであった。
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