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第6話:『北関東グレイヴディガー』
◆13:幽霊あらわる−2
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「って、また走るのかよ!」
誰にともなく悪態をつき、逃げる人影を追ってひたすらに全力疾走。
「肉体労働は、おれの担、当じゃない、ってぇのに!」
おれが悪態をつく間にも、小田桐氏は背広を翻して走り続ける。スポーツクラブの建物をカベ沿いに回り込み、裏手へと抜けていくその姿を追って、さらに走る、走る。
クラブの裏は駐車場になっており、ごくささやかな雑木林を経て河へと続いていた。おれが角を曲がって駐車場にたどり着くと、果たして男の姿は、煙のようにかき消えていた。
すでに西の太陽はその下端を、板東山の山頂にかすらせており、都内では見ることの出来ない、十月の巨大な夕焼けがおれの視界に飛び込んでくる。
赤から紫へと鮮やかなグラデーションを描く空の下で、ひたすらあえぎ、肩で息をすること一分。どうにか酸素を補給し落ち着いたところで、おれは駐車場を横切り、雑木林へと慎重に足を進める。見失った、とは思わない。わざわざご指名でおれの前に姿を現した以上は――
『――墓荒らしよ。なぜ死者の尊厳と安息を妨げようとする?』
何処からか、そんな声が響いた。
何処、とは比喩ではない。雑木林の奥からか、はたまたその向こうの河原からか。あるいはスポーツクラブの建物の陰からか。遠くに近くに響く、不可思議な声。
『死とは終わりだ。死ねばこれ以上何かを得ることはない。だから死とは恐怖だ』
不思議な声だった。時に野太い男の声になったかと思うと、唐突に甲高い女の声に転じる。一つの言葉ごとに老いては若返り、怒号したかと思えば、一転して悲嘆にくれてみせる。それでありながら、言葉としては一糸も乱れてはいないのだ。
まるで何人もの人間が喋った同じ台詞を、あちこちに取り付けられたスピーカーからランダムに放送しているかのような幻覚を覚えた。グラデーションが東から西へと流れ、急速に夜の闇へと沈んでいく世界。
闇の向こうから聞こえるこの声は……到底この世のものとも思えなかった。そういえばこういう時間帯を『逢魔ヶ時』というのではなかったか。
『死とは終わりだ。死ねばこれ以上何かを失うことはない。だから死とは安らぎだ』
朗々と響く声。おれが右を向けば左から。左を向けば今度は真後ろから。目に見えない何者かが、おれにまとわりつきながら語りかけてくる。
『愚者でも最期に善い事を為せば聖人となり、英雄でも最期に凶事を為せば姦賊に堕ちる。人は死した時点で評価が確定し、それ以上もそれ以下ももはや存在しなくなる』
おれは立ち止まり、周囲に目を配る。どうせ居所がわからないのであれば、動くだけ無駄だった。
『墓を暴くということは、固定された死を覆すという行為だ。だからこそ、墓荒らしは罪である』
気の弱い人間ならアタマがおかしくなりそうな幻惑の声。だが、
「へーぇ。二十一世紀の幽霊はずいぶんと喋るもんだな」
幸か不幸か、本当にこの世ならざるモノの声を脳裏でしょっちゅう聞いている『召喚師』にしてみれば、こけおどし以外の何者でもない。
「おれがガキの頃やってたホラー番組と特撮番組じゃあ、霊と怪人は喋らないのが一番コワイってセオリーだったんだがね。最近はどっちもCGに頼り切りで情けない限りだぜ」
霊だろうが悪魔だろうが知ったことではない。少なくともコイツは意志が疎通できる相手であり、意志が疎通できれば理性的な解決が可能だと言うことだ。あちらの思惑はどうか知らないが、喋れば喋るほど、おれの方は冷静さを増していた。
「……で。一体おれに何の用だ?そろそろ顔を見せなよ、”小田桐剛史氏の幽霊サン”」
おれの質問は、しばしの沈黙を以て報われた。その時、おれはひとつ、決定的な食い違いに気がついた。奴はいま、墓荒らしは罪、だとか言った。だがそもそもおれ達がここに来た理由は……と。いうことは。あれがこうしてこうなって……つまりは、こういう事か?
頭の中で高速に推論が組み立てられ、おれは一つカマをかけてみる気になった。
「なあ。墓荒らしはおれ達じゃない。たぶんあいつらの方だぜ」
『――何?』
幻惑の声がはたと止む。幽霊が息を呑む、ってのは変だよなあ、と、おれはこんな状況にも関わらず笑い出しそうになった。
『では、貴様達は何者だ?』
「ああ。おれ達は、オマケで引っかかった方だよ。おれ達は、ただ幽霊を探しに来ただけだ」
こういう例えが正しいのかはわからないが、カニ漁船に引き上げられたサンマのようなものだ。唐突に幻惑の声が止み、壮年の男性を思わせる力強い声になった。
『ああ。……そういう事か。私は愚かな間違いをしていたということか』
カマが一つ引っかかったことで、おれは自分の推測が正しかったことを知った。
「多分そうだ。おれ達は、舞台にずかずか上がりこんできた配役にないメンバー、って事なんだろ?それでアンタは脚本家としておれ達の真意を確かめるために来たって事か」
『私は脚本家ではない、がな――』
”幽霊”の声。それは逢魔ヶ時の魔物の声などではすでになく、一個の人間のものだった。なんとも間抜けな話ではある。勘違いと予定違いが、それぞれの思惑を大きくずらしてしまっていただけ、という事か。
「……で。どうする?おれ達は争う必要がないように思うんだがな?」
おれは腕を広げて、敵意のなさを示す。
「――確かに。どうやらお前の言うとおりのようだ」
ややあって、雑木林の奥からその声は聞こえた。もう、声の出所を隠すつもりもなさそうだった。どうやら”幽霊”は雑木林の向こうから、なにがしかの技法を用いて、声の高さと方向を変えながらおれに語りかけていたらしい。
おれは一つ、大きなため息をついた。あまりのアホらしさに、安堵と疲労が一気におそってきたのだった。
「やーれやれ。じゃあこれでおれ達は任務解決だな。日帰り任務で終わりそうで何よりだ」
「そうなのか?」
「ああ。だって、どっちにしろもうすぐ幽霊は出なくなるんだろ?」
「……そう、だな」
雑木林の向こうの”幽霊”が、そう告げる。その声が心なしか気落ちしている様子なのが、おれには引っかかった。
「なんだよ一体……って。ああ。三人も来るとは思わなかった、ってことか?」
”幽霊”が頷く気配があった。さもありなん。あんな化け物共が出てくるとは想定の範囲外だったのだろう。と、そこでおれの脳裏に一つ、閃くものがあった。
「……なあ。どうせなら顔を合わせて話をしないか?アンタが姿を隠している理由は、多分おれ達の方には関係ない」
その声に応じ突如、雑木林の向こうからがさりがさりという音がしたかと思うと。
――唐突に。おれの前に、”幽霊”が、その姿を現した。
誰にともなく悪態をつき、逃げる人影を追ってひたすらに全力疾走。
「肉体労働は、おれの担、当じゃない、ってぇのに!」
おれが悪態をつく間にも、小田桐氏は背広を翻して走り続ける。スポーツクラブの建物をカベ沿いに回り込み、裏手へと抜けていくその姿を追って、さらに走る、走る。
クラブの裏は駐車場になっており、ごくささやかな雑木林を経て河へと続いていた。おれが角を曲がって駐車場にたどり着くと、果たして男の姿は、煙のようにかき消えていた。
すでに西の太陽はその下端を、板東山の山頂にかすらせており、都内では見ることの出来ない、十月の巨大な夕焼けがおれの視界に飛び込んでくる。
赤から紫へと鮮やかなグラデーションを描く空の下で、ひたすらあえぎ、肩で息をすること一分。どうにか酸素を補給し落ち着いたところで、おれは駐車場を横切り、雑木林へと慎重に足を進める。見失った、とは思わない。わざわざご指名でおれの前に姿を現した以上は――
『――墓荒らしよ。なぜ死者の尊厳と安息を妨げようとする?』
何処からか、そんな声が響いた。
何処、とは比喩ではない。雑木林の奥からか、はたまたその向こうの河原からか。あるいはスポーツクラブの建物の陰からか。遠くに近くに響く、不可思議な声。
『死とは終わりだ。死ねばこれ以上何かを得ることはない。だから死とは恐怖だ』
不思議な声だった。時に野太い男の声になったかと思うと、唐突に甲高い女の声に転じる。一つの言葉ごとに老いては若返り、怒号したかと思えば、一転して悲嘆にくれてみせる。それでありながら、言葉としては一糸も乱れてはいないのだ。
まるで何人もの人間が喋った同じ台詞を、あちこちに取り付けられたスピーカーからランダムに放送しているかのような幻覚を覚えた。グラデーションが東から西へと流れ、急速に夜の闇へと沈んでいく世界。
闇の向こうから聞こえるこの声は……到底この世のものとも思えなかった。そういえばこういう時間帯を『逢魔ヶ時』というのではなかったか。
『死とは終わりだ。死ねばこれ以上何かを失うことはない。だから死とは安らぎだ』
朗々と響く声。おれが右を向けば左から。左を向けば今度は真後ろから。目に見えない何者かが、おれにまとわりつきながら語りかけてくる。
『愚者でも最期に善い事を為せば聖人となり、英雄でも最期に凶事を為せば姦賊に堕ちる。人は死した時点で評価が確定し、それ以上もそれ以下ももはや存在しなくなる』
おれは立ち止まり、周囲に目を配る。どうせ居所がわからないのであれば、動くだけ無駄だった。
『墓を暴くということは、固定された死を覆すという行為だ。だからこそ、墓荒らしは罪である』
気の弱い人間ならアタマがおかしくなりそうな幻惑の声。だが、
「へーぇ。二十一世紀の幽霊はずいぶんと喋るもんだな」
幸か不幸か、本当にこの世ならざるモノの声を脳裏でしょっちゅう聞いている『召喚師』にしてみれば、こけおどし以外の何者でもない。
「おれがガキの頃やってたホラー番組と特撮番組じゃあ、霊と怪人は喋らないのが一番コワイってセオリーだったんだがね。最近はどっちもCGに頼り切りで情けない限りだぜ」
霊だろうが悪魔だろうが知ったことではない。少なくともコイツは意志が疎通できる相手であり、意志が疎通できれば理性的な解決が可能だと言うことだ。あちらの思惑はどうか知らないが、喋れば喋るほど、おれの方は冷静さを増していた。
「……で。一体おれに何の用だ?そろそろ顔を見せなよ、”小田桐剛史氏の幽霊サン”」
おれの質問は、しばしの沈黙を以て報われた。その時、おれはひとつ、決定的な食い違いに気がついた。奴はいま、墓荒らしは罪、だとか言った。だがそもそもおれ達がここに来た理由は……と。いうことは。あれがこうしてこうなって……つまりは、こういう事か?
頭の中で高速に推論が組み立てられ、おれは一つカマをかけてみる気になった。
「なあ。墓荒らしはおれ達じゃない。たぶんあいつらの方だぜ」
『――何?』
幻惑の声がはたと止む。幽霊が息を呑む、ってのは変だよなあ、と、おれはこんな状況にも関わらず笑い出しそうになった。
『では、貴様達は何者だ?』
「ああ。おれ達は、オマケで引っかかった方だよ。おれ達は、ただ幽霊を探しに来ただけだ」
こういう例えが正しいのかはわからないが、カニ漁船に引き上げられたサンマのようなものだ。唐突に幻惑の声が止み、壮年の男性を思わせる力強い声になった。
『ああ。……そういう事か。私は愚かな間違いをしていたということか』
カマが一つ引っかかったことで、おれは自分の推測が正しかったことを知った。
「多分そうだ。おれ達は、舞台にずかずか上がりこんできた配役にないメンバー、って事なんだろ?それでアンタは脚本家としておれ達の真意を確かめるために来たって事か」
『私は脚本家ではない、がな――』
”幽霊”の声。それは逢魔ヶ時の魔物の声などではすでになく、一個の人間のものだった。なんとも間抜けな話ではある。勘違いと予定違いが、それぞれの思惑を大きくずらしてしまっていただけ、という事か。
「……で。どうする?おれ達は争う必要がないように思うんだがな?」
おれは腕を広げて、敵意のなさを示す。
「――確かに。どうやらお前の言うとおりのようだ」
ややあって、雑木林の奥からその声は聞こえた。もう、声の出所を隠すつもりもなさそうだった。どうやら”幽霊”は雑木林の向こうから、なにがしかの技法を用いて、声の高さと方向を変えながらおれに語りかけていたらしい。
おれは一つ、大きなため息をついた。あまりのアホらしさに、安堵と疲労が一気におそってきたのだった。
「やーれやれ。じゃあこれでおれ達は任務解決だな。日帰り任務で終わりそうで何よりだ」
「そうなのか?」
「ああ。だって、どっちにしろもうすぐ幽霊は出なくなるんだろ?」
「……そう、だな」
雑木林の向こうの”幽霊”が、そう告げる。その声が心なしか気落ちしている様子なのが、おれには引っかかった。
「なんだよ一体……って。ああ。三人も来るとは思わなかった、ってことか?」
”幽霊”が頷く気配があった。さもありなん。あんな化け物共が出てくるとは想定の範囲外だったのだろう。と、そこでおれの脳裏に一つ、閃くものがあった。
「……なあ。どうせなら顔を合わせて話をしないか?アンタが姿を隠している理由は、多分おれ達の方には関係ない」
その声に応じ突如、雑木林の向こうからがさりがさりという音がしたかと思うと。
――唐突に。おれの前に、”幽霊”が、その姿を現した。
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