人災派遣のフレイムアップ

紫電改

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第6話:『北関東グレイヴディガー』

◆09:『派遣社員』VS『派遣社員』−1

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「はじめまして、小田桐剛史さん」

 居住まいを正して座る清音の前で、無色透明な”何か”はそこにたたずんでいる。他のメンバーが見守る中、葉音に紛れてかすかに渦を巻く音が届いた。

「今日は、奥様とお子様のご依頼でこちらにうかがいました」

”……オク……サマ……?”

 風が震える。声の発生源と思われる宙の一点が、右に左に、遠くに近くにぶれるため、非常に聞き取りづらい。が、清音は慣れた調子で続ける。

「小田桐花恵さん、そして小田桐敦史くんです」

”……ハナエ……アツシ…………”

 声の調子がやや強くなる。

「そう。はなえさんと、あつしくんです」

 子供に言い聞かせるようにやさしい言葉使い。

 厳密に言うなら、清音達がここにやって来たのは小田桐氏の家族の依頼ではなく、ウルリッヒ保険の仕事である。だがそこまで事情を説明しては複雑になるだけであり……そして、残念ながら、彼らはそういった論理的な考えをする事がとても難しくなっている。

 少しずつ、少しずつ。清音は言葉を積みあげてゆく。

「花恵さんと、敦史くん。この間、みんなで赤城山にドライブに出かけたでしょう」

 事前に目を通した資料にはそんな報告が載っていた。その時、こうなることを彼らのうち誰が予想していただろう。

”……アカギヤマ……ソウダ……クルマデ……みんなで……”

 声が近くなり、ぶれが小さくなる。

 霊との会話、特に死後時間が経過しているモノとの会話は、熟睡している人間を叩き起こして話しかけているようなものだ。最初はろくに言葉をしゃべれないが、いくつか質問を重ねていくうちに、次第に意識は焦点を結び、自分が誰なのか、今どこにいるのかを思い出していく。

 一月ほど前に失踪した小田桐氏がその時に死亡したとするのなら、時間をかけてその意識を掘り起こさなければいけないのだった。

「そう、車で。青いホンダのレジェンド。買ったばかりの新車なんですよね?」

 事前に読んだレポートと徳田に聞いた話をもとに、清音は霊相手の『世間話』を続けた。

”……あおいレジェンド。……そうだ。アツシが立てるようになって……”

”……家族でのドライブの機会を増やそうと……買い換えたんだ……”

 チューニングが完全に合った。今、清音の前にいる”誰か”の声は、清音の操る風に増幅、補正され、驚くほどくっきりと聞き取れるようになっていた。その声も、もはや霊の声などとは思えない、しっかりとした意志を感じさせる男のものとなっていた。

「ええ。会社にも毎日、その新車で通勤されていましたよね」

”……会社……?……ああ。昂光だ。毎日、会社と自宅を通勤してたな。山道を走るのが結構楽しく
て……それで会社では……そうだ、プロジェクトを……。赤城山にもみんなでドライブに行ったのが……夏だから……”

 寝起きの人間が、今自分の居る場所を思い出すかのように続けられるつぶやき。清音は一旦質問を切って、しばらく静観する。こうして記憶を蘇らせていくと、霊は必ず一つの事実を思い出す。自分がなぜ、今、こうなってしまったのかという原因について。

”………………そうだ。…………私は……あの時……”

 見えない誰かの、重い、重すぎる沈黙。全ての記憶が、つながったのだろう。

 清音にしてみれば、ここからが正念場である。霊の中には、己が死んだという事実に気づいていない者が多い。特に不意の事故で何もわからないうちに亡くなった人は尚更だ。なぜか意識を失い、ふと永い眠りから”起こされた”ら、死んでいた”事に気づく。

 たいていの霊はそのショックで錯乱し、暴れ出すのだ。袖に手を隠し、密かに印を組む。最悪、法力で強引に押さえ込まなければならないだろう。

「驚かれるのは当たり前だと思います。ですが、どうか落ち着いて私の話を、」

”……教えて欲しい。今は、何月だ?”

 だから、そんな冷静極まる質問を返されたことに驚いた。
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