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第5話:『六本木ストックホルダー』
◆14:凶蛇と蝙蝠と紙鶴とー1
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港区芝公園、増上寺。
東京タワーから歩いて足下に広がるその豊かな森に包まれた建築物は、四百年以上に渡って、徳川家の菩提寺として、人々の素朴な信仰の対象として、また観光名所として注目を集めてきた。
深夜零時、その名の通り、無数のヒト、モノ、カネが行き交う”港”区は、夜になっても明かりが尽きることは決してない。六本木、赤坂に繰り出せば、その歓楽の空気と人種の坩堝とに酔ってしまいそうだ。
人によっては、同じ歓楽街でも新宿などとは異なった、どこか上流の……言い方を変えればお高くとまった雰囲気を感じるかも知れない。
しかし所詮そんな喧噪も、増上寺の境内へと続く重厚な三解脱門をくぐればまさしく俗世の泡沫。境内の奥、寺社を取り囲む林の中に踏み入ると、たちまち濃密な鈴虫や蟋蟀の声が身を包み込む。
見上げれば、織りなす枝葉の隙間から、天を貫くようにそびえる東京タワーから鮮やかな赤と黄白色の輝きが降り注ぎ、異世界じみた光景を作り出していた。
『蛇』は、心地よい緑の匂いと虫の声に抱かれ、深い集中を維持して『絞める蛇』へと己の呪力をつぎ込んでいる。薄っぺらい文明の産物であるスーツを脱ぎ捨て、今の『蛇』の姿は、太古の呪術師そのままであった。
鮮やかな色彩の顔料で隈取りを施し、首や腕には幾つものいびつな玉飾り。その素肌を晒した両腕、両足には呪術記号としての意味を持つであろう入れ墨がびっしりと彫り込まれている。
『蛇』が高輪の高級ホテルを出てこの境内に入り込んでいるのは、個人の嗜好だけではない。森の匂い、そして己の精神の昂ぶりこそが、その呪術をより強力なものに為すのである。
『絞める蛇』はどうやらキョウスケ・ミズチを追ってかなり離れた位置まで移動したらしい。後は、奴が仕遂げるまで力を供給し続けるだけだ。
距離を隔てた相手に危害を加えられる代わりに、今現在相手の状況がどうなっているのかはわからない。それが呪いのデメリットではあるが、『蛇』は己の放った使い魔に充分な自信を持っていた。
「そこまでにしてもらおうか」
愛想のない、だが秋の夜風のごとき涼やかな声が、『蛇』を忘我の境地から引き戻す。眼を開けば、五メートルほど離れた木の幹の側に、二人の人物が立っていた。
一人は若い男。年齢に似合わぬ王侯の威を備え、流れ星をイメージさせる長い銀の髪を束ね、白皙の貌に宿した黄玉の瞳でこちらを射抜くように見据えている。もう一人は女。陸軍迷彩を思わせる無骨なデザインの制服に身を包み、こちらは黒髪を結い上げている。
『良くここがわかったな』
硬質でハスキーな英語が『蛇』の喉から滑り出る。この二人が境内を潜ったときから、その存在には気づいていた。先制攻撃をしかけなかったのは、その質問をしてみたかったがためである。
『名が売れているエージェントも考え物だな。貴様が攻撃に本腰を入れて呪術を展開する場合、もっとも己にとって快適な場所である森を根城にして呪力を高めるとか』
『ほう。良くも調べたものだ』
素直に『蛇』は感嘆した。比較的情報がオープンなランカーとて、仕事上の癖を公開するほど愚かではない。少なくとも数日で調べ上げられるものでは断じてないはずだ。弱小の派遣会社と聞いていたが、なかなかこの業界の情報通が居るようではないか。
『ウチには元本職がいるのでな』
『土地勘のない場所で山に籠もるとも思えません。港区で豊富に緑があるところと言えば浜離宮、旧芝離宮、増上寺くらいですからね。最悪、東京中しらみつぶしの捜索も考えていましたが、思ったより近くに潜んでいてくれて助かりました』
女の足下にはいくつもの紙で作られた『かえる』が誇らしげに胸を張っていた。なるほど、式神を放って敵を探すのは古来より陰陽師の本業である。
『この島国にも呪術師が居るのだったな。失念していたよ。アウェーでは仕方がないが……』
『いずれ忘れられなくなります。……チェックメイトですよbase Head』
優雅な発音できつい台詞を吐いて、女が戦闘態勢に入る。男の瞳が朱に転じ、全身から冷たい銀色の空気が吹き出し、インバネスのコートをはためかせる。太陽の束縛を逃れた吸血鬼が本性を解放したのだ。
それに呼応して『蛇』の全身から禍々しい原始の殺気が立ち上る。日本屈指の名刹で、呪術師と吸血鬼とアメリカ人が対峙する。
獲物を狩るために潜む蛇と、蛇を狙う狩人達の戦いが始まった。
東京タワーから歩いて足下に広がるその豊かな森に包まれた建築物は、四百年以上に渡って、徳川家の菩提寺として、人々の素朴な信仰の対象として、また観光名所として注目を集めてきた。
深夜零時、その名の通り、無数のヒト、モノ、カネが行き交う”港”区は、夜になっても明かりが尽きることは決してない。六本木、赤坂に繰り出せば、その歓楽の空気と人種の坩堝とに酔ってしまいそうだ。
人によっては、同じ歓楽街でも新宿などとは異なった、どこか上流の……言い方を変えればお高くとまった雰囲気を感じるかも知れない。
しかし所詮そんな喧噪も、増上寺の境内へと続く重厚な三解脱門をくぐればまさしく俗世の泡沫。境内の奥、寺社を取り囲む林の中に踏み入ると、たちまち濃密な鈴虫や蟋蟀の声が身を包み込む。
見上げれば、織りなす枝葉の隙間から、天を貫くようにそびえる東京タワーから鮮やかな赤と黄白色の輝きが降り注ぎ、異世界じみた光景を作り出していた。
『蛇』は、心地よい緑の匂いと虫の声に抱かれ、深い集中を維持して『絞める蛇』へと己の呪力をつぎ込んでいる。薄っぺらい文明の産物であるスーツを脱ぎ捨て、今の『蛇』の姿は、太古の呪術師そのままであった。
鮮やかな色彩の顔料で隈取りを施し、首や腕には幾つものいびつな玉飾り。その素肌を晒した両腕、両足には呪術記号としての意味を持つであろう入れ墨がびっしりと彫り込まれている。
『蛇』が高輪の高級ホテルを出てこの境内に入り込んでいるのは、個人の嗜好だけではない。森の匂い、そして己の精神の昂ぶりこそが、その呪術をより強力なものに為すのである。
『絞める蛇』はどうやらキョウスケ・ミズチを追ってかなり離れた位置まで移動したらしい。後は、奴が仕遂げるまで力を供給し続けるだけだ。
距離を隔てた相手に危害を加えられる代わりに、今現在相手の状況がどうなっているのかはわからない。それが呪いのデメリットではあるが、『蛇』は己の放った使い魔に充分な自信を持っていた。
「そこまでにしてもらおうか」
愛想のない、だが秋の夜風のごとき涼やかな声が、『蛇』を忘我の境地から引き戻す。眼を開けば、五メートルほど離れた木の幹の側に、二人の人物が立っていた。
一人は若い男。年齢に似合わぬ王侯の威を備え、流れ星をイメージさせる長い銀の髪を束ね、白皙の貌に宿した黄玉の瞳でこちらを射抜くように見据えている。もう一人は女。陸軍迷彩を思わせる無骨なデザインの制服に身を包み、こちらは黒髪を結い上げている。
『良くここがわかったな』
硬質でハスキーな英語が『蛇』の喉から滑り出る。この二人が境内を潜ったときから、その存在には気づいていた。先制攻撃をしかけなかったのは、その質問をしてみたかったがためである。
『名が売れているエージェントも考え物だな。貴様が攻撃に本腰を入れて呪術を展開する場合、もっとも己にとって快適な場所である森を根城にして呪力を高めるとか』
『ほう。良くも調べたものだ』
素直に『蛇』は感嘆した。比較的情報がオープンなランカーとて、仕事上の癖を公開するほど愚かではない。少なくとも数日で調べ上げられるものでは断じてないはずだ。弱小の派遣会社と聞いていたが、なかなかこの業界の情報通が居るようではないか。
『ウチには元本職がいるのでな』
『土地勘のない場所で山に籠もるとも思えません。港区で豊富に緑があるところと言えば浜離宮、旧芝離宮、増上寺くらいですからね。最悪、東京中しらみつぶしの捜索も考えていましたが、思ったより近くに潜んでいてくれて助かりました』
女の足下にはいくつもの紙で作られた『かえる』が誇らしげに胸を張っていた。なるほど、式神を放って敵を探すのは古来より陰陽師の本業である。
『この島国にも呪術師が居るのだったな。失念していたよ。アウェーでは仕方がないが……』
『いずれ忘れられなくなります。……チェックメイトですよbase Head』
優雅な発音できつい台詞を吐いて、女が戦闘態勢に入る。男の瞳が朱に転じ、全身から冷たい銀色の空気が吹き出し、インバネスのコートをはためかせる。太陽の束縛を逃れた吸血鬼が本性を解放したのだ。
それに呼応して『蛇』の全身から禍々しい原始の殺気が立ち上る。日本屈指の名刹で、呪術師と吸血鬼とアメリカ人が対峙する。
獲物を狩るために潜む蛇と、蛇を狙う狩人達の戦いが始まった。
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