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第5話:『六本木ストックホルダー』
◆13:泡沫の果てに−1
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トミタ商事事件。
かつて、戦後最大と言われた詐欺事件である。
その被害者救済に東奔西走し、弁護士の亀鑑として称えられる事になったのが露木甚一郎氏。しかしその名声の影には、家族の犠牲があった。有形無形の圧力が彼自身とそして家族に向けられ、やがて疲れた夫人は、事故を起こして鬼籍に入る。
事件が解決した後も、一人息子である恭一郎は、決して父を許すことはなかった。父の業績が世間に認められても、いや、認められるほどに、それが誰の犠牲によって成り立っているのかと思うようになったのかも知れない。
縁を切ってアメリカに渡り、父の業績を否定するようにカネを儲けることを目指した息子。一方の父は、その後も弁護士として業績を残したが、やがて年齢を理由に引退する。
方々から名誉職や企業の顧問の地位を提示されたが、応じることはなかったという。トミタ事件について本をを著してみないか、との誘いも断った。
その時点では誰にも告げていなかったが、癌に冒されていたこともあったし、自分は弁護士であり、それ以外のものではないと思うところもあったようだ。
伝説の弁護士の晩年は、その業績に比してとても寂しいものだったらしい。家族はなく、引退と同時に後進の弁護士達との交流も断ったと聞く。数少ない友人達とは手紙を交わしていたが、直接顔を合わせることはなく、誰も彼が癌に冒されていた事を知らなかったようだ。
世捨て人とも思える彼の行動が、どういった心境に基づくものなのかは、おれ程度ではまだ窺い知ることは出来ない。病院にもろくに行かず、担ぎ込まれて入院した時にはもう転移が進んで手遅れだった。
以後、それなりに闘病生活は送っていたが、一縷の生還の望みに向けて努力するということもなく、淡々と日々を過ごしていた、とは病院の医師の語るところだ。イズモ・エージェントサービスに息子恭一郎の捜索を依頼したときには、もうベッドから起き上がることも出来なくなっていた。
――自分はプライドに縛られた弱い人間なのだ。
先日おれが伺ったとき、甚一郎氏はそう語っていた。
歩けるうちは息子を探そうともせず、歩けなくなってから会いたいと思う。
私は弁護士の亀鑑などではない。トミタの時もそうだった。私があの仕事を引き受けたのは、勇気からではない。恐怖からだった。目の前にいる被害者を置き去りにして逃げたかった。だが自分が”正義”でなくなるのが怖かったから、引き受けざるを得なかったのだ、と。
そして今また、家族と会う資格など捨ててしまいながら、息子の現在の姿を知らないまま逝くことを恐れ、最期の最期で会いたいと思ってしまったのだ、と。
イズモ・エージェントサービスへの当初の依頼は、今息子がどうしているのか知りたい、というものだった。無事でいることがわかればそれでいい、会うつもりはない。調査結果を受け取るまではそう思っていた。
だが、息子がヨルムンガンドの社長であると知り、その商売の内容を聞いて、一度だけ会わなければならない、会って言葉をかけねばならないと思ったのだそうだ。
……それが、今回の依頼のそもそもの発端である。
かつて、戦後最大と言われた詐欺事件である。
その被害者救済に東奔西走し、弁護士の亀鑑として称えられる事になったのが露木甚一郎氏。しかしその名声の影には、家族の犠牲があった。有形無形の圧力が彼自身とそして家族に向けられ、やがて疲れた夫人は、事故を起こして鬼籍に入る。
事件が解決した後も、一人息子である恭一郎は、決して父を許すことはなかった。父の業績が世間に認められても、いや、認められるほどに、それが誰の犠牲によって成り立っているのかと思うようになったのかも知れない。
縁を切ってアメリカに渡り、父の業績を否定するようにカネを儲けることを目指した息子。一方の父は、その後も弁護士として業績を残したが、やがて年齢を理由に引退する。
方々から名誉職や企業の顧問の地位を提示されたが、応じることはなかったという。トミタ事件について本をを著してみないか、との誘いも断った。
その時点では誰にも告げていなかったが、癌に冒されていたこともあったし、自分は弁護士であり、それ以外のものではないと思うところもあったようだ。
伝説の弁護士の晩年は、その業績に比してとても寂しいものだったらしい。家族はなく、引退と同時に後進の弁護士達との交流も断ったと聞く。数少ない友人達とは手紙を交わしていたが、直接顔を合わせることはなく、誰も彼が癌に冒されていた事を知らなかったようだ。
世捨て人とも思える彼の行動が、どういった心境に基づくものなのかは、おれ程度ではまだ窺い知ることは出来ない。病院にもろくに行かず、担ぎ込まれて入院した時にはもう転移が進んで手遅れだった。
以後、それなりに闘病生活は送っていたが、一縷の生還の望みに向けて努力するということもなく、淡々と日々を過ごしていた、とは病院の医師の語るところだ。イズモ・エージェントサービスに息子恭一郎の捜索を依頼したときには、もうベッドから起き上がることも出来なくなっていた。
――自分はプライドに縛られた弱い人間なのだ。
先日おれが伺ったとき、甚一郎氏はそう語っていた。
歩けるうちは息子を探そうともせず、歩けなくなってから会いたいと思う。
私は弁護士の亀鑑などではない。トミタの時もそうだった。私があの仕事を引き受けたのは、勇気からではない。恐怖からだった。目の前にいる被害者を置き去りにして逃げたかった。だが自分が”正義”でなくなるのが怖かったから、引き受けざるを得なかったのだ、と。
そして今また、家族と会う資格など捨ててしまいながら、息子の現在の姿を知らないまま逝くことを恐れ、最期の最期で会いたいと思ってしまったのだ、と。
イズモ・エージェントサービスへの当初の依頼は、今息子がどうしているのか知りたい、というものだった。無事でいることがわかればそれでいい、会うつもりはない。調査結果を受け取るまではそう思っていた。
だが、息子がヨルムンガンドの社長であると知り、その商売の内容を聞いて、一度だけ会わなければならない、会って言葉をかけねばならないと思ったのだそうだ。
……それが、今回の依頼のそもそもの発端である。
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