180 / 368
第5話:『六本木ストックホルダー』
◆13:泡沫の果てに−1
しおりを挟む
トミタ商事事件。
かつて、戦後最大と言われた詐欺事件である。
その被害者救済に東奔西走し、弁護士の亀鑑として称えられる事になったのが露木甚一郎氏。しかしその名声の影には、家族の犠牲があった。有形無形の圧力が彼自身とそして家族に向けられ、やがて疲れた夫人は、事故を起こして鬼籍に入る。
事件が解決した後も、一人息子である恭一郎は、決して父を許すことはなかった。父の業績が世間に認められても、いや、認められるほどに、それが誰の犠牲によって成り立っているのかと思うようになったのかも知れない。
縁を切ってアメリカに渡り、父の業績を否定するようにカネを儲けることを目指した息子。一方の父は、その後も弁護士として業績を残したが、やがて年齢を理由に引退する。
方々から名誉職や企業の顧問の地位を提示されたが、応じることはなかったという。トミタ事件について本をを著してみないか、との誘いも断った。
その時点では誰にも告げていなかったが、癌に冒されていたこともあったし、自分は弁護士であり、それ以外のものではないと思うところもあったようだ。
伝説の弁護士の晩年は、その業績に比してとても寂しいものだったらしい。家族はなく、引退と同時に後進の弁護士達との交流も断ったと聞く。数少ない友人達とは手紙を交わしていたが、直接顔を合わせることはなく、誰も彼が癌に冒されていた事を知らなかったようだ。
世捨て人とも思える彼の行動が、どういった心境に基づくものなのかは、おれ程度ではまだ窺い知ることは出来ない。病院にもろくに行かず、担ぎ込まれて入院した時にはもう転移が進んで手遅れだった。
以後、それなりに闘病生活は送っていたが、一縷の生還の望みに向けて努力するということもなく、淡々と日々を過ごしていた、とは病院の医師の語るところだ。イズモ・エージェントサービスに息子恭一郎の捜索を依頼したときには、もうベッドから起き上がることも出来なくなっていた。
――自分はプライドに縛られた弱い人間なのだ。
先日おれが伺ったとき、甚一郎氏はそう語っていた。
歩けるうちは息子を探そうともせず、歩けなくなってから会いたいと思う。
私は弁護士の亀鑑などではない。トミタの時もそうだった。私があの仕事を引き受けたのは、勇気からではない。恐怖からだった。目の前にいる被害者を置き去りにして逃げたかった。だが自分が”正義”でなくなるのが怖かったから、引き受けざるを得なかったのだ、と。
そして今また、家族と会う資格など捨ててしまいながら、息子の現在の姿を知らないまま逝くことを恐れ、最期の最期で会いたいと思ってしまったのだ、と。
イズモ・エージェントサービスへの当初の依頼は、今息子がどうしているのか知りたい、というものだった。無事でいることがわかればそれでいい、会うつもりはない。調査結果を受け取るまではそう思っていた。
だが、息子がヨルムンガンドの社長であると知り、その商売の内容を聞いて、一度だけ会わなければならない、会って言葉をかけねばならないと思ったのだそうだ。
……それが、今回の依頼のそもそもの発端である。
かつて、戦後最大と言われた詐欺事件である。
その被害者救済に東奔西走し、弁護士の亀鑑として称えられる事になったのが露木甚一郎氏。しかしその名声の影には、家族の犠牲があった。有形無形の圧力が彼自身とそして家族に向けられ、やがて疲れた夫人は、事故を起こして鬼籍に入る。
事件が解決した後も、一人息子である恭一郎は、決して父を許すことはなかった。父の業績が世間に認められても、いや、認められるほどに、それが誰の犠牲によって成り立っているのかと思うようになったのかも知れない。
縁を切ってアメリカに渡り、父の業績を否定するようにカネを儲けることを目指した息子。一方の父は、その後も弁護士として業績を残したが、やがて年齢を理由に引退する。
方々から名誉職や企業の顧問の地位を提示されたが、応じることはなかったという。トミタ事件について本をを著してみないか、との誘いも断った。
その時点では誰にも告げていなかったが、癌に冒されていたこともあったし、自分は弁護士であり、それ以外のものではないと思うところもあったようだ。
伝説の弁護士の晩年は、その業績に比してとても寂しいものだったらしい。家族はなく、引退と同時に後進の弁護士達との交流も断ったと聞く。数少ない友人達とは手紙を交わしていたが、直接顔を合わせることはなく、誰も彼が癌に冒されていた事を知らなかったようだ。
世捨て人とも思える彼の行動が、どういった心境に基づくものなのかは、おれ程度ではまだ窺い知ることは出来ない。病院にもろくに行かず、担ぎ込まれて入院した時にはもう転移が進んで手遅れだった。
以後、それなりに闘病生活は送っていたが、一縷の生還の望みに向けて努力するということもなく、淡々と日々を過ごしていた、とは病院の医師の語るところだ。イズモ・エージェントサービスに息子恭一郎の捜索を依頼したときには、もうベッドから起き上がることも出来なくなっていた。
――自分はプライドに縛られた弱い人間なのだ。
先日おれが伺ったとき、甚一郎氏はそう語っていた。
歩けるうちは息子を探そうともせず、歩けなくなってから会いたいと思う。
私は弁護士の亀鑑などではない。トミタの時もそうだった。私があの仕事を引き受けたのは、勇気からではない。恐怖からだった。目の前にいる被害者を置き去りにして逃げたかった。だが自分が”正義”でなくなるのが怖かったから、引き受けざるを得なかったのだ、と。
そして今また、家族と会う資格など捨ててしまいながら、息子の現在の姿を知らないまま逝くことを恐れ、最期の最期で会いたいと思ってしまったのだ、と。
イズモ・エージェントサービスへの当初の依頼は、今息子がどうしているのか知りたい、というものだった。無事でいることがわかればそれでいい、会うつもりはない。調査結果を受け取るまではそう思っていた。
だが、息子がヨルムンガンドの社長であると知り、その商売の内容を聞いて、一度だけ会わなければならない、会って言葉をかけねばならないと思ったのだそうだ。
……それが、今回の依頼のそもそもの発端である。
0
よろしければ、『お気に入り』に追加していただけると嬉しいです!感想とか頂けると踊り狂ってよろこびます
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説

目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。


『五十年目の理解』
小川敦人
経済・企業
70歳を過ぎた主人公は、雨の降る土曜日の午後、かつての学生時代を過ごした神田神保町の古書店街を訪れる。偶然目にした「シュンペーター入門」と「現代貨幣理論(MMT)の基礎」に心を惹かれ、店主と経済理論について語り合う。若き日は理解できなかった資本主義の成長メカニズム――信用創造と創造的破壊――が、今では明確に見えるようになっていた。商社マンとしての45年間の経験を経て、理論と現実がつながる瞬間を迎えたのだ。MMTの視点を通じて、従来の財政観念にも新たな理解を得る。雨上がりの街に若者たちの笑い声を聞きながら、主人公は五十年越しの学びの価値を実感する。人生には、時間を経なければ見えない真理があることを悟り、新たな学びへの期待を胸に、静かにページをめくり始める。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる