人災派遣のフレイムアップ

紫電改

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第4話:『不実在オークショナー』

◆15:『***』

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 ねずみ色の雲が厚い緞帳となって、空を覆っている。

 ゆうべ深夜から天気が崩れ、そのまま今日まで降りしきる雨。

 屋外にうち捨てられたトタンに弾ける雨音のリズムに包みこまれ、おれはじっと待っていた。

 北区、荒川沿いのとある廃工場。かつては工作機械が何台も賑やかに金属音を奏でていたであろう工場は、債権者によってか、あらゆる設備が剥ぎ取られ、床下の土塊すら露出していた。だだっぴろい空間の中、柱に背を預けて座りこむ事、既に一時間。

 まだ午後だと言うのに、日光は垂れ込める分厚い雨雲と、灯りの途絶えた窓の少ない建物に遮られ、部屋の端の壁すら満足に見えやしない。そのくせ、むき出しのコンクリートは、湿気と冷気を直に送り込んでくる。つい先日の長野の夜とは異なった、深々と染み込んでくる類の寒さだった。

 携帯兼音楽端末『アル話ルド君』の演奏が一周して止まる。ふとその液晶画面を見やり、映し出された日付を確認する。泥まみれで真凛と炎天下を歩き回ったあれから、百時間と経過していない事実に気づき愕然とする。

 ここ数日の気候の激変は、まるで、誰かが可能な限り引き伸ばしてきた夏が終わり、その代償を急速に取り立てられているかのようだった。気がつけば、九月も終わり。来週からはまた、大学の講義が始まる。
 
 

 ――ああ。そう言えばそうだった。
 
 
 今更ながらにそんな事に思いが到った。
 
 
 夏休みが終わるのか――
 
 
 
 ……ざりざりと小石を踏みしめる音が、おれのまどろみを断ち切る。イヤホンを引き抜くと、おれはよっこらせ、と無意識に呟いて身を起こした。
 
 
 
「……どーも、その節は」

 今ひとつかける言葉が思い浮かばなかったので、なんとも間の抜けた挨拶になった。廃工場にまさにやってきた男、『毒竜ファフニール』モルデカイ・ハイルブロンは、居合わせたおれの顔を見て明らかに面食らったようだった。

「……『ラプラス』の小僧か」

 そう呟くモルデカイの腕には、分厚いギブスが巻かれている。そして外れかかった顎を吊る為に、顔に対して縦に包帯を巻きつけており、それは頬かむりをしているようにも見えた。何とも無惨な話である。

 それは、先日まで業界に畏怖を持って知られた『毒竜』の二つ名が、完全に地に堕ちた様を示していた。おれは表情こそ変えなかったが、その気配は伝わってしまったのだろう。モルデカイの雰囲気が一層険悪になる。

「仕事は決着したはずだ。こんなところで何をしている?」

 エージェント業界の仁義――通常、どれほど熾烈な戦いを繰り広げたとて、その仕事が終了すれば、互いに遺恨を残さないのが暗黙の掟。奴自身がそれを守るかどうかは別として、言う事はもっともだ。が、

「そういうあんたは何でこんなところにいるんだ?」

 おれの質問に、モルデカイが不快げな表情を消し、こちらに視線を向ける。おれがどれ程の情報を握っているのか推し量っているのだろう。喧嘩の動力は怒り。戦闘の動力は義務感。そして、殺人の動力は必要性。モルデカイがおれを見る目は、急速に『派遣社員』のものではなくなっていった。時間を浪費するつもりは毛頭ないので、さっさと答える事とする。

「あんたの探してるのはコイツだろ」

 おれはこの倉庫に保管されていたバッグを放りやる。紛れもなく、プルトンのバッグだ。

「……」
「あんたの本当の依頼人について教えて欲しくってね」

 もつれたイヤホンのコードを胸ポケットに仕舞いつつ続ける。

「あんたが所属する海鋼馬と『狂蛇』の間にどういう契約が取り交わされたかは知らないけどさ。いくら重要な資金源の芽とは言え、通常は企業間の最後の切り札として、あるいは国家レベルの案件に投入される『S級』エージェントがこんな任務に就くとは到底思えないんだよね。ましてや、特に凶暴なアンタが」

 剣呑さを増して行く、前方の殺気。

「だけど、一つだけ、ここに仮説がある。プロの鑑定士が見破ろうとしても見破れない、完璧なコピー。これを作ろうとしたらどうすればいい?まっとうなバッグメーカーが精確な情報を得て全力を尽くせば出来るのかもしれないが、少なくとも某国で作業をして闇ルートに流すような後ろ暗い工場にはまずムリだろうな」

 おれはポケットに手を突っ込み、ゆっくりと歩きはじめる。

「では、エージェントによる異能力でのコピーはどうか。これも現実味が薄い。複製の魔術や錬金術も、実際の所万能じゃない。絵画を描くのと同じでね。形だけ似せるなら初心者でも出来るし、上級者ならまずバレないくらい良く似たものを、達人なら本物以上のものだって作り出せる。だけどね、完全に同じものは作り出せないんだ。よってこれもムリ。何でもアリのおれ達エージェントの業界ですら、理論上不可能って事さ」

 モルデカイを中心に円を描くように。奴は正面を見据えたまま動かない。

「ところが。この世界にはただ一つ、これを可能にする法則がある。いや、違うな。この世界を崩壊に導く、あってはならない法則がある。……この世の根幹を揺るがす、禁忌の力」

 モルデカイは動かない。

「……とある組織が、その禁断の力を手に入れたとする。その力とは、ありとあらゆるものを正確無比に、完璧に『複製』する。しかも時間が立つと消えてしまったりするわけじゃない。本当に、単純に一個が二個になるだけ。材料も必要ない。とんでもない能力だ」

 質量保存の法則など意味を成さない。悪用などそれこそ星の数だろう。例えば、金塊を倍々に増やすだけで、単純に一生遊んでいられるほどの財産を築く事が出来る。

「ところがその組織はそう金には困っていない。彼等はもっと別の事にその力を使いたかった。だから、実験をしてみた。多くの人に『複製』したものをばら撒き、誰か偽物と気付く人がいないか、確かめてみたかった。……つまり、連中にとっては偽物の売り上げによる利益なんかはどうでもよくて」

 半円を描ききる。おれは奴の背後に立った。

「ちゃんと『複製』出来るかどうかが問題だった。そしてそれを見届ける為に、お目付け役が必要だった。海鋼馬のエージェント、『毒竜』ではなく。戦場で多くの兵士を毒殺し、その後一時期消息を断っていた元傭兵……モルデカイ・ハイルブロン」

 返答はなし。

「ここまで言ってもわからない?そうか。じゃあ率直に言うよ」

 おれはポケットから手を抜いた。

「この下らない悪戯の仕掛人。あんたの本当の飼い主。最低最悪のエージェント――『誰かの悪夢バッドジョーカー』。今、どこに居る?」

 背を向けたまま、モルデカイは声を上げる。

「――何故、今聞く?聞きたければ俺を倒したあの時に聞けば良かろう」
「あれは仕事の上での戦闘だ。プライベートを持ち込む事は出来ない」

 その肩が震えた。笑っているのだろう。

「つくづくお目出度いな、『ラプラス』!!それともまさか、負傷している俺を御する事など容易いと思ったか?」

 次の瞬間。振り向き様に振るわれたカギ爪が、おれの胴を薙ぎ払った。両腕をハネ上げて身を浮かす。ガードした腕に衝撃が弾け、おれは工場の壁まで容易く吹き飛ばされた。
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