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第3話:『中央道カーチェイサー』
◆07:オーナーズトーク−2
しおりを挟む『ミッドテラス』が勝利した場合、瑞浪紀代人氏は晴れて自由の身となり、『ルシフェル』で描くことも出来るようになるだろう。だが、すでにアニメ化され、単行本も無数に出ている『えるみかスクランブル』という商標は動かすことが出来ない。
『あかつき』で露骨に打ち切られた他の連載も、『ルシフェル』で再開させるに当たっては、タイトル名を変えたり、一部設定を変えたりするような苦しい措置を取らされているのだ。人気作品である『えるみか』に取って、その手の『世界観が壊れる』ような真似は読者離れを招きかねない。出来ればやらせたくないと言うのが、伊嶋の本音ではあった。だが。
「そろそろ来たようですね」
浅葱所長のコメントに、男二人の視線がドアに向く。ドアベルが済んだ音を立てて、そこに二人の女性が入ってきた。
「遅いぞ、弓削!」
「失礼しました」
先日と変わらない鉄仮面で上司の罵倒すら跳ね返し、続く女性に声をかける。緊張した面持ちで入ってきたのは、まだ二十代前半の、世間慣れしていなさそうな女性だった。
「瑞浪くん……ひさしぶりだね」
「は、はい。お久しぶりです、伊嶋編集」
彼女、人気漫画『えるみかスクランブル』の作者瑞浪紀代人……本名水野紀子が、眼鏡の奥から上目遣いにかつての編集者を見やる。
「瑞浪先生、会社を辞めた奴を編集と呼ぶ必要はない!」
一応『先生』と敬称をつけているが、小娘を怒鳴りつける中年の横暴さそのままだ。すくみ上がる瑞浪さん。
「こちらへ」
そんな情景をまるきり無かったかのように、弓削かをる女史は瑞浪さんをテーブルに着かせた。浅葱所長が二人にお絞りを手渡しながら聞いた。オーダーを聞いたマスターが手際よく珈琲を淹れる。新たな豆の香りが店内に加わった。
「松本からどうやってここまで?」
「タクシーと長野新幹線の終電を使いました。それにもともと、原稿を仕上げてから競争の開始まで、鶫野さんに二時間ほど待ってもらいましたから」
「今、彼らは小渕沢を過ぎたあたりで、原稿は、ホーリック側に両方あるようです」
「そう……ですか」
答えたのは瑞浪さんだった。明らかに気落ちしており、彼女がどちらの出版社で働きたいのか、という本音を雄弁に物語っている。
「改めて確認します。このレースに勝利した側の編集者が、『えるみか』と瑞浪の身を預かる。それでよろしいですね?」
浅葱所長がうなずく。ホーリック編集長がニンマリと笑い、最後の一人の伊嶋編集長が、不承不承、という態でうなずく。そして、
「弓削君」
たまらず声をかける。
「君は本当にそれでいいのか。君の希望は」
「作家にとってベストの環境を確保する。それが編集者の仕事と教えてくれたのはあなたです」
ぴしりと言い放つ。背後の瑞浪さんが、本当に泣き出しそうな顔で担当編集の背中を見つめた。
マスターが次のコーヒーをじっくりと淹れる音だけが、店内に響いていた。
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