64 / 368
第2話:『秋葉原ハウスシッター』
◆15:冷えたビールとスイカと猛暑
しおりを挟む
「それで、結局特許は承認されたんすか?」
受け取った封筒の感触に頬をほころばせつつ、おれは問うた。一任務終わるごとに即時現金で報酬が支給されることは、うちの事務所の数少ない長所の一つだ。迂闊に月末払いにでもされると、報酬を受け取らないうちに餓死しかねない連中も何人か所属しているので、自然とこうなったようだ。
明日からいよいよ世間様はお盆である。ニュースでは帰省ラッシュによる新幹線乗車率がどうの、成田空港の利用者は何万人だのといった情報が垂れ流されている。二十四時間体制でろくでもない仕事を引き受けるうちの事務所も、大きな仕事もないため明日からはしばらく事務所を閉めて日本の風習に倣うこととなるのだ。メンバー達はほとんどが休みを取っており、所長とおれと直樹と真凛だけがただいま事務所に残っている。
直樹は盆になにやら大きなイベントがあるとかで、おれは純粋に生活資金が枯渇しているので、両者とも今日までに任務の報酬を受け取っておく必要があった。真凛はこの後すぐに家に帰って盆の準備をするのだとか。渦巻く外気温は引き続き絶賛上昇中、直樹なんぞはさすがにこのままでは日光で消滅しかねんと判断したのか、逆にサマーコートを羽織っての出勤だ。
「はいこれ。一昨日の日経産業新聞」
応接室の雑誌ラックから所長が取り出した新聞を受け取り、ぱらぱらと広げてみる。紙面の後ろの方、衣食住あたりの企業まわりの情報を紹介する欄の片隅に、おれは小さな記事を見つけることができた。
「『クランビール、新種のスイカを登録。低温、少量の水での栽培が可能、国際協力活動への展開も』……なるほどね」
その後には、この苗が今後数件の提携農家によって試験的に栽培される旨の記事が続いていた。
「ふむ。どうやらうまくいったようだな」
おれが置いていったあの荷物の梱包を終え、戻ってきた直樹が言う。
公式に登録された事により、もはやうちの業界が暗躍する余地はなくなった。ムリにでも苗に危害を加えようとすれば、確実に痕跡は残る。そうなれば当然調査はされるだろうし、関与が判明すれば外交上の交渉カードにすらなりえる。証拠を隠滅して力技で口を拭うという方法を取るにはあまりにもリスクが高い。ステージはすでに、次の段階へと移ったということだ。
「そ・れ・で・ね」
所長が満面の笑みを浮かべる。あ、珍しく邪悪じゃない普通の笑みだ。
「……なんかヘンなこと考えなかった?」
「イエイエメッソウモゴザイマセン」
所長はじろりとおれを一瞥したあと、気を取り直して流し台に向かう。そこには冷水が貯められており、そこに浮かぶは、
「じゃーん!笹村氏からの差し入れよ~!」
おれたちが守り通した、緑に黒の縞も鮮やかなあのスイカだった。
「うわ、大っきいなあ~」
真凛が感嘆の声を上げる。
「日本に滞在して長いつもりだが……。これほどのものは始めて見るな」
「今回の報酬のおまけで、ぜひ食べてくれってね。君たちが来るのに朝から冷やしておいてやったのよ。感謝しなさい」
湧き上がる喜びの声。さっそく食べよう、そうしよう、なんて言葉が飛び交う。
何となく、おれの脳裏に一つの風景が浮かぶ。果てしなく続く荒涼とした砂漠。そこにぽつぽつと植えられていくスイカたち。しかし、そこには二人居るべきはずなのにもう一人しか居ない。それは少し、悲しい風景なのかもしれない。
「そうでもないんじゃない?」
おれの思考を読んだかのごとく、所長が意味ありげにコメントする。おれはその意図を読み取り、新聞の記事を再度読み進めていった。記事の末尾に、それは載っていた。
「何と書いてあるのだ?」
「『……本件の登録商標は『瑞恵』。開発者である笹村氏の命名である』だとさ」
瑞々しき恵み。不毛の地へ実りをもたらす種、か。
「ははあ。名前はもう決めてあったってわけだね」
笹村氏がどんな顔をしてこの名前を登録したのか。想像するうちに、次第におれは爽快な気分になってきた。気合を一つ、気だるさを振りきり立ち上がる。
「おれが切りますよ、丸々一個、いいですよね?」
いいよー、盆前に全部食べちゃうつもりだから、との所長のお言葉。となれば一人四分の一切れ。横で真凛が目をきらきらと輝かせているのがわかる。そういやガキの頃からおれもやってみたかったんだよな。でかいスイカに思いっきりかぶりつくって奴。
「じゃあ、ボクお盆とお皿出してくるね!」
「タオルと包丁と塩も頼むぞ」
「あいあいさー!」
「ふむ。では俺はテーブルを出すとするか」
「いいのかよ、日焼けすんぞ」
「なに。雅を味わうためなら些細な事よ」
それにな、と奴は不敵に笑って見せた。
「明日より炎天下のもとに三日間曝されるのだ。今のうちに体を慣らしておかねばな」
おれには良く意味がわからなかったが、まあ理解しても幸福になるわけでもなさそうなので突っ込まなかった。
スイカは叩くとキレイに音波が通りそうなぎっちり実の詰まった大玉。まっかっかの果肉と黒い種がもうこれでもかっ、とばかりに己の存在をアピールしている。それをワイルドに皿に乗せ、事務所のベランダに出されたテーブルへ並べる。ちなみにテーブルの上には、スイカと一緒に送られてきたクランビールの缶が。笹村さん、やるな。
「所長、さすがに昼間からビールはいかがなものかと」
言いつつ、しっかり缶をキープしているお前の方がいかがなものか。
「いいのよ。たった今夏季休業の報せを発信したから。今から晴れてお盆休みってワケ」
所長は言い、プルタップを押し込んだ。おれも習い、ビールを一気にあおる。なんだか水分の取りすぎで腹を壊しそうだが、気にしない気にしない。
「こういう報酬もたまには悪くないでしょう?真凛ちゃん」
「はい、美味しいです!」
ドラえもんの登場人物の如くうまそ感を振りまきながらスイカを食べる真凛であった。なんだかこいつもなんだかんだで上手く騙されているような。
「まあいいか。これはこれでアリだしな」
おれはスイカにかぶりついた。それはとても冷たく汁気たっぷりで、極上の甘味だった。
吹き込んだ風が、蒸し暑い空気を払ってゆく。風鈴の音が、ちりん、と響いた。
今日もまた、暑くなりそうだった。
【2話完】
受け取った封筒の感触に頬をほころばせつつ、おれは問うた。一任務終わるごとに即時現金で報酬が支給されることは、うちの事務所の数少ない長所の一つだ。迂闊に月末払いにでもされると、報酬を受け取らないうちに餓死しかねない連中も何人か所属しているので、自然とこうなったようだ。
明日からいよいよ世間様はお盆である。ニュースでは帰省ラッシュによる新幹線乗車率がどうの、成田空港の利用者は何万人だのといった情報が垂れ流されている。二十四時間体制でろくでもない仕事を引き受けるうちの事務所も、大きな仕事もないため明日からはしばらく事務所を閉めて日本の風習に倣うこととなるのだ。メンバー達はほとんどが休みを取っており、所長とおれと直樹と真凛だけがただいま事務所に残っている。
直樹は盆になにやら大きなイベントがあるとかで、おれは純粋に生活資金が枯渇しているので、両者とも今日までに任務の報酬を受け取っておく必要があった。真凛はこの後すぐに家に帰って盆の準備をするのだとか。渦巻く外気温は引き続き絶賛上昇中、直樹なんぞはさすがにこのままでは日光で消滅しかねんと判断したのか、逆にサマーコートを羽織っての出勤だ。
「はいこれ。一昨日の日経産業新聞」
応接室の雑誌ラックから所長が取り出した新聞を受け取り、ぱらぱらと広げてみる。紙面の後ろの方、衣食住あたりの企業まわりの情報を紹介する欄の片隅に、おれは小さな記事を見つけることができた。
「『クランビール、新種のスイカを登録。低温、少量の水での栽培が可能、国際協力活動への展開も』……なるほどね」
その後には、この苗が今後数件の提携農家によって試験的に栽培される旨の記事が続いていた。
「ふむ。どうやらうまくいったようだな」
おれが置いていったあの荷物の梱包を終え、戻ってきた直樹が言う。
公式に登録された事により、もはやうちの業界が暗躍する余地はなくなった。ムリにでも苗に危害を加えようとすれば、確実に痕跡は残る。そうなれば当然調査はされるだろうし、関与が判明すれば外交上の交渉カードにすらなりえる。証拠を隠滅して力技で口を拭うという方法を取るにはあまりにもリスクが高い。ステージはすでに、次の段階へと移ったということだ。
「そ・れ・で・ね」
所長が満面の笑みを浮かべる。あ、珍しく邪悪じゃない普通の笑みだ。
「……なんかヘンなこと考えなかった?」
「イエイエメッソウモゴザイマセン」
所長はじろりとおれを一瞥したあと、気を取り直して流し台に向かう。そこには冷水が貯められており、そこに浮かぶは、
「じゃーん!笹村氏からの差し入れよ~!」
おれたちが守り通した、緑に黒の縞も鮮やかなあのスイカだった。
「うわ、大っきいなあ~」
真凛が感嘆の声を上げる。
「日本に滞在して長いつもりだが……。これほどのものは始めて見るな」
「今回の報酬のおまけで、ぜひ食べてくれってね。君たちが来るのに朝から冷やしておいてやったのよ。感謝しなさい」
湧き上がる喜びの声。さっそく食べよう、そうしよう、なんて言葉が飛び交う。
何となく、おれの脳裏に一つの風景が浮かぶ。果てしなく続く荒涼とした砂漠。そこにぽつぽつと植えられていくスイカたち。しかし、そこには二人居るべきはずなのにもう一人しか居ない。それは少し、悲しい風景なのかもしれない。
「そうでもないんじゃない?」
おれの思考を読んだかのごとく、所長が意味ありげにコメントする。おれはその意図を読み取り、新聞の記事を再度読み進めていった。記事の末尾に、それは載っていた。
「何と書いてあるのだ?」
「『……本件の登録商標は『瑞恵』。開発者である笹村氏の命名である』だとさ」
瑞々しき恵み。不毛の地へ実りをもたらす種、か。
「ははあ。名前はもう決めてあったってわけだね」
笹村氏がどんな顔をしてこの名前を登録したのか。想像するうちに、次第におれは爽快な気分になってきた。気合を一つ、気だるさを振りきり立ち上がる。
「おれが切りますよ、丸々一個、いいですよね?」
いいよー、盆前に全部食べちゃうつもりだから、との所長のお言葉。となれば一人四分の一切れ。横で真凛が目をきらきらと輝かせているのがわかる。そういやガキの頃からおれもやってみたかったんだよな。でかいスイカに思いっきりかぶりつくって奴。
「じゃあ、ボクお盆とお皿出してくるね!」
「タオルと包丁と塩も頼むぞ」
「あいあいさー!」
「ふむ。では俺はテーブルを出すとするか」
「いいのかよ、日焼けすんぞ」
「なに。雅を味わうためなら些細な事よ」
それにな、と奴は不敵に笑って見せた。
「明日より炎天下のもとに三日間曝されるのだ。今のうちに体を慣らしておかねばな」
おれには良く意味がわからなかったが、まあ理解しても幸福になるわけでもなさそうなので突っ込まなかった。
スイカは叩くとキレイに音波が通りそうなぎっちり実の詰まった大玉。まっかっかの果肉と黒い種がもうこれでもかっ、とばかりに己の存在をアピールしている。それをワイルドに皿に乗せ、事務所のベランダに出されたテーブルへ並べる。ちなみにテーブルの上には、スイカと一緒に送られてきたクランビールの缶が。笹村さん、やるな。
「所長、さすがに昼間からビールはいかがなものかと」
言いつつ、しっかり缶をキープしているお前の方がいかがなものか。
「いいのよ。たった今夏季休業の報せを発信したから。今から晴れてお盆休みってワケ」
所長は言い、プルタップを押し込んだ。おれも習い、ビールを一気にあおる。なんだか水分の取りすぎで腹を壊しそうだが、気にしない気にしない。
「こういう報酬もたまには悪くないでしょう?真凛ちゃん」
「はい、美味しいです!」
ドラえもんの登場人物の如くうまそ感を振りまきながらスイカを食べる真凛であった。なんだかこいつもなんだかんだで上手く騙されているような。
「まあいいか。これはこれでアリだしな」
おれはスイカにかぶりついた。それはとても冷たく汁気たっぷりで、極上の甘味だった。
吹き込んだ風が、蒸し暑い空気を払ってゆく。風鈴の音が、ちりん、と響いた。
今日もまた、暑くなりそうだった。
【2話完】
0
よろしければ、『お気に入り』に追加していただけると嬉しいです!感想とか頂けると踊り狂ってよろこびます
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説

目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。


『五十年目の理解』
小川敦人
経済・企業
70歳を過ぎた主人公は、雨の降る土曜日の午後、かつての学生時代を過ごした神田神保町の古書店街を訪れる。偶然目にした「シュンペーター入門」と「現代貨幣理論(MMT)の基礎」に心を惹かれ、店主と経済理論について語り合う。若き日は理解できなかった資本主義の成長メカニズム――信用創造と創造的破壊――が、今では明確に見えるようになっていた。商社マンとしての45年間の経験を経て、理論と現実がつながる瞬間を迎えたのだ。MMTの視点を通じて、従来の財政観念にも新たな理解を得る。雨上がりの街に若者たちの笑い声を聞きながら、主人公は五十年越しの学びの価値を実感する。人生には、時間を経なければ見えない真理があることを悟り、新たな学びへの期待を胸に、静かにページをめくり始める。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる