24 / 368
第1話:『副都心スニーカー』
◆10:『折り紙使い』
しおりを挟む
ぬいぐるみの群れが攻撃を止めたおかげで、おれはどうにか立ち上がり、彼女と話をすることが出来た。
「やあどうも、またやって来てしまいました」
このぬいぐるみを操っていた女性――門宮さんがポニーテールを揺らし、極上の営業スマイルでこちらを見つめてくださっていた。
「あまりお待ちする必要はなかったみたいですね」
ダンボールの箱から軽々と床に降り立つ。その手に持っているのは、純白の鶴。といっても生きている鳥ではなく、紙で作った折り鶴という奴だ。その細い指に挟まれた鶴は、この殺伐とした部屋にはやたらとそぐわない。
「もっとお時間のある時に、と聞いたんで」
「残念ながら貴方の今夜はそんなに悠長ではないみたいですけど?」
「ええまあ。そういうわけでそこはこう、密度で補いたいというワケなんですが」
「あらそうですか」
回答はそっけない。今門宮さんが着ているのは、夕方のときの店員のユニフォームではない。今後ろで苛烈な戦闘を繰り広げている『スケアクロウ』と同様の迷彩服だ。そしてその胸に輝くのは『シグマ』のエンブレム。とほほ。
「改めまして。警備会社シグマ、特殊警備第三班副主任、『折り紙使い』です」
まあ、下水道で敵が待ち伏せていた時点で三割くらいは予想していたんだけどね。おれ達の潜入ごっこは最初っから誘導されてたってわけだ。
「はあ。そういやシグマって、戦闘型と支援型のエージェントがコンビを組んで活動するんでしたっけね。聞いたことありますよ、『折り紙使い』の名は」
「光栄です、フレイムアップのエージェントの耳にまで届いているとは」
この業界は広いようで狭い。有能な人間の存在はその『二つ名』と共にあっという間に業界に広まるものだ。おれは『折り紙使い』の名を知っていた。陰陽師の系譜に連なり、手にした紙を『折り紙』とすることで様々な術を行使する、術法系のエージェント。てえことは、この無数のぬいぐるみたちも……。おれは手にひっ掴んだ熊の背中を見る。そこには小さな菱形の紙片が張り付いていた。
「『かえる』です。一階のアミューズメントパークから連れて来たのですが。お気に召しました?」
『かえる』の折り紙。なるほどね、これを媒介にして操っているわけだ。
「そこの扉を通してほしい、と言ってもムダなんでしょうねぇ」
おれはぼりぼりと頭を掻いた。
「密度の濃いコミュニケーションをお望みなのでしょう?」
『折り紙使い』はすい、とその右手を持ち上げる。それに合わせてか、ぬいぐるみたちが一斉に引き下がる。
「身を削りあうような激しいのでお相手しますわ」
どっちかというと削るより暖める方が。夏でも無問題で。ダメですか?
「啄め。『鶴』」
ダメらしい。彼女の手から放たれた一片の鶴は、いかなる幻覚か、瞬く間にその姿を百に千に増やし、吹雪のようにおれに襲い掛かってきた。
「……ッ!!」
今度ばかりは悠長に叫び声を上げているヒマはなかった。襲い掛かってくる鶴の羽と嘴、その一つ一つに鋭利極まりない刃が仕込まれており、さながらおれは剃刀の嵐の中に飛び込んだ格好になったからだ。袖を、胴を、そして咄嗟に顔をかばったものの耳や頬を、刃がかすめて赤い線を刻み込んでゆく。実際には十秒も無かったのかも知れないが、身を削ぎ落とされるようなおぞましい感覚が過ぎた後、おれはボロボロの格好で膝をついていた。
「いちおう、インナーは身につけているみたいですね」
頭上から降り注ぐ『折り紙使い』の冷静な声。
「……ま、職業柄こういうの多いんでね」
おれは、切り裂かれた袖から露出している黒い生地を見やった。こういう荒事に備えて、仕事中は防弾防刃性をそなえた『インナー』と総称される極薄のボディスーツを普段着の下に纏うことを義務付けられている。これはこの業界では常識と化しており、うちの事務所で支給されているのは羽美さん謹製の一級品で、ボディスーツの薄さでありながら9mmパラベラムの近距離射撃を防ぎきってのけるというトンデモアイテムだ。今もこれを身につけていなかったら、ナイフで滅多刺しにされたくらいの手傷を負っていただろう。ちなみに、強襲任務の際には特殊部隊も真っ青の防弾防刃防毒耐ショック装備である、ごっつい『ジャケット』を着込むこともあるが、これは極めて希である。
おれはさっき警備員から没収してきたバトンを取り出し、スイッチを入れた。かすかな振動音を発し、バトンの電圧が高まっていく。とりあえずそれっぽく構えてみた。
「あんまり接近戦は得意じゃないんだけどなー……」
「捕らえよ。『かえる』」
彼女の命令に答え、ぬいぐるみ達が再び一斉におれに襲い掛かる。おれはたまらず飛びのき、壁沿いに今来た道を逃げ走る。
「ちっとは手加減してもらえんものですかね」
「まさか。あの『人災派遣』相手に手加減など出来るはずはないでしょう?我々エージェント業界の鬼子。任務成功率『だけは』100%の凶悪な異能力者集団が良くいいます」
ひでー言われようだなオイ。飛び掛ってくるぬいぐるみを払い落とし、物陰に逃げ込む。やっぱり業界内のうちの事務所の評判はこんなもんなんだろうかねぇ。
休む間もなくぬいぐるみ達の攻撃を転げまわってかわしつつ、おれはひたすら走る、走る。積まれた台車を跳び箱の要領でまたぐ。壁沿いを疾走、足元に食いついてくるワニにはサッカーボールキックを叩き込む。すかさず横合いから襲い掛かってくる愛らしいネズミをどうにかバトンで叩き落す。逃げ回る間に、向こうが何を狙っているか想像はついていた。だが事ここに到ってはどうしようもない。まるで予定通りのコースを走らされていたかのようにおれは、
「王手詰み、ですね」
部屋の隅に追い込まれていた。微笑を浮かべて佇む彼女の手には折り紙。おれの頬を汗が伝う。走った汗だと思いたいが、それはどうしようもなく冷たかった。手詰まりの中、ふと耳に響く金属音。視界の端によぎるのは、水蒸気の向こう、人間離れした軌道でスケアクロウと切り結ぶ真凛の姿だった。
「やあどうも、またやって来てしまいました」
このぬいぐるみを操っていた女性――門宮さんがポニーテールを揺らし、極上の営業スマイルでこちらを見つめてくださっていた。
「あまりお待ちする必要はなかったみたいですね」
ダンボールの箱から軽々と床に降り立つ。その手に持っているのは、純白の鶴。といっても生きている鳥ではなく、紙で作った折り鶴という奴だ。その細い指に挟まれた鶴は、この殺伐とした部屋にはやたらとそぐわない。
「もっとお時間のある時に、と聞いたんで」
「残念ながら貴方の今夜はそんなに悠長ではないみたいですけど?」
「ええまあ。そういうわけでそこはこう、密度で補いたいというワケなんですが」
「あらそうですか」
回答はそっけない。今門宮さんが着ているのは、夕方のときの店員のユニフォームではない。今後ろで苛烈な戦闘を繰り広げている『スケアクロウ』と同様の迷彩服だ。そしてその胸に輝くのは『シグマ』のエンブレム。とほほ。
「改めまして。警備会社シグマ、特殊警備第三班副主任、『折り紙使い』です」
まあ、下水道で敵が待ち伏せていた時点で三割くらいは予想していたんだけどね。おれ達の潜入ごっこは最初っから誘導されてたってわけだ。
「はあ。そういやシグマって、戦闘型と支援型のエージェントがコンビを組んで活動するんでしたっけね。聞いたことありますよ、『折り紙使い』の名は」
「光栄です、フレイムアップのエージェントの耳にまで届いているとは」
この業界は広いようで狭い。有能な人間の存在はその『二つ名』と共にあっという間に業界に広まるものだ。おれは『折り紙使い』の名を知っていた。陰陽師の系譜に連なり、手にした紙を『折り紙』とすることで様々な術を行使する、術法系のエージェント。てえことは、この無数のぬいぐるみたちも……。おれは手にひっ掴んだ熊の背中を見る。そこには小さな菱形の紙片が張り付いていた。
「『かえる』です。一階のアミューズメントパークから連れて来たのですが。お気に召しました?」
『かえる』の折り紙。なるほどね、これを媒介にして操っているわけだ。
「そこの扉を通してほしい、と言ってもムダなんでしょうねぇ」
おれはぼりぼりと頭を掻いた。
「密度の濃いコミュニケーションをお望みなのでしょう?」
『折り紙使い』はすい、とその右手を持ち上げる。それに合わせてか、ぬいぐるみたちが一斉に引き下がる。
「身を削りあうような激しいのでお相手しますわ」
どっちかというと削るより暖める方が。夏でも無問題で。ダメですか?
「啄め。『鶴』」
ダメらしい。彼女の手から放たれた一片の鶴は、いかなる幻覚か、瞬く間にその姿を百に千に増やし、吹雪のようにおれに襲い掛かってきた。
「……ッ!!」
今度ばかりは悠長に叫び声を上げているヒマはなかった。襲い掛かってくる鶴の羽と嘴、その一つ一つに鋭利極まりない刃が仕込まれており、さながらおれは剃刀の嵐の中に飛び込んだ格好になったからだ。袖を、胴を、そして咄嗟に顔をかばったものの耳や頬を、刃がかすめて赤い線を刻み込んでゆく。実際には十秒も無かったのかも知れないが、身を削ぎ落とされるようなおぞましい感覚が過ぎた後、おれはボロボロの格好で膝をついていた。
「いちおう、インナーは身につけているみたいですね」
頭上から降り注ぐ『折り紙使い』の冷静な声。
「……ま、職業柄こういうの多いんでね」
おれは、切り裂かれた袖から露出している黒い生地を見やった。こういう荒事に備えて、仕事中は防弾防刃性をそなえた『インナー』と総称される極薄のボディスーツを普段着の下に纏うことを義務付けられている。これはこの業界では常識と化しており、うちの事務所で支給されているのは羽美さん謹製の一級品で、ボディスーツの薄さでありながら9mmパラベラムの近距離射撃を防ぎきってのけるというトンデモアイテムだ。今もこれを身につけていなかったら、ナイフで滅多刺しにされたくらいの手傷を負っていただろう。ちなみに、強襲任務の際には特殊部隊も真っ青の防弾防刃防毒耐ショック装備である、ごっつい『ジャケット』を着込むこともあるが、これは極めて希である。
おれはさっき警備員から没収してきたバトンを取り出し、スイッチを入れた。かすかな振動音を発し、バトンの電圧が高まっていく。とりあえずそれっぽく構えてみた。
「あんまり接近戦は得意じゃないんだけどなー……」
「捕らえよ。『かえる』」
彼女の命令に答え、ぬいぐるみ達が再び一斉におれに襲い掛かる。おれはたまらず飛びのき、壁沿いに今来た道を逃げ走る。
「ちっとは手加減してもらえんものですかね」
「まさか。あの『人災派遣』相手に手加減など出来るはずはないでしょう?我々エージェント業界の鬼子。任務成功率『だけは』100%の凶悪な異能力者集団が良くいいます」
ひでー言われようだなオイ。飛び掛ってくるぬいぐるみを払い落とし、物陰に逃げ込む。やっぱり業界内のうちの事務所の評判はこんなもんなんだろうかねぇ。
休む間もなくぬいぐるみ達の攻撃を転げまわってかわしつつ、おれはひたすら走る、走る。積まれた台車を跳び箱の要領でまたぐ。壁沿いを疾走、足元に食いついてくるワニにはサッカーボールキックを叩き込む。すかさず横合いから襲い掛かってくる愛らしいネズミをどうにかバトンで叩き落す。逃げ回る間に、向こうが何を狙っているか想像はついていた。だが事ここに到ってはどうしようもない。まるで予定通りのコースを走らされていたかのようにおれは、
「王手詰み、ですね」
部屋の隅に追い込まれていた。微笑を浮かべて佇む彼女の手には折り紙。おれの頬を汗が伝う。走った汗だと思いたいが、それはどうしようもなく冷たかった。手詰まりの中、ふと耳に響く金属音。視界の端によぎるのは、水蒸気の向こう、人間離れした軌道でスケアクロウと切り結ぶ真凛の姿だった。
0
よろしければ、『お気に入り』に追加していただけると嬉しいです!感想とか頂けると踊り狂ってよろこびます
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。


目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる