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第1話:『副都心スニーカー』
◆06:侵入と荒事−1
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水が流れる音がどろどろと暗闇の奥から鳴り響き、おれの足元を人工の川が流れてゆく。下水道という言葉から予想していたよりは、悪臭や汚水も遥かに少なかった。かつては生活排水が注がれていたのだが、再開発に伴い新規に下水網が整備された結果、今ではそのほとんどは遠くから流れ流れてきた雨水なのだという。
――ここは臨海副都心の地下に広がる下水道の一つ。地中を貫く分厚いコンクリートの円柱の中、横合いに穿たれた穴から注がれた下水が合流し一本の川となり、下り坂になっている円の底をゆるやかに滑り落ちてゆく。直径五メートル以上もある管に対して水位は三十センチ程度のため、おれ達は下水を避けて歩いてゆくことが出来た。靴音が響き渡り、ここが地下であることを否応無しに思い知らされる。
おれはバンから持ち出してきた七ツ道具、強力ペンライトのアマ照ラス君(そういうネーミングなんだ、おれがつけたんじゃない)を掲げて奥へ奥へと慎重に進んでゆく。
「うう、こんなことなら一回事務所で着替えてくればよかった」
その後ろから同じくアマ照ラス君を掲げてついて来るのが真凛。おれの行動選択肢が気に入らなかったのか、ひたすらさっきから愚痴っている。トンネル内に反響して愚痴が倍増しになる。
「なんだよ、ちゃんとインナーは着込んであるんだろ?」
「そういう問題じゃないよ!ボク制服着てるんだよ!?」
じゃあ機関銃でも持たせておけばよかったかねえ。いや、ブレザーではアカンか。おれはこいつの愚痴を無視することにした。だいたいおれより先に呼び出されていたくせにロクに着替えてないというのは如何なものか。ちなみにおれはといえば暑さに耐えつつ長袖を着込んできた。おれ達スタッフは任務中は、最低限調査に支障なく活動しやすい服装を心がけるものである。幸か不幸か分厚い地面は夏の日光を遮断し、むしろ地下は涼しいくらいなのだが。
「だって、ジャケット着て戦うものだと思ってたし」
「あのねえ真凛。おまえうちの仕事を押込強盗か対テロ鎮圧部隊かなんかだと思ってるだろ」
図星だったらしく真凛は沈黙した。おれはやれやれと頭を振る。
「今回は金型を取り返せばいいんだからドンパチは無用。こっそり潜って、こっそり取ってくりゃそれでいいの」
だからこそこうして、地上の喧騒に背を向けて明かりも差さない下水道に侵入などしているのだ。
あれから事務所に連絡を入れてみたら、うちの電子部門担当である羽美さんにつながった。どうやら豚のジョナサン君の件は科学よりも腕力がモノを言う段階に移行したため、ヒマになったから帰ってきたということらしい。これ幸いと、『下水処理施設』をキーワードに調査してもらったところ、驚くほどあっさり情報が手に入った。
建てては壊し、壊しては建て。大都会のコンクリートジャングルは変化が早く、最新の地図の作成は容易ではない。まして地上と異なり、数メートル先に通路があっても見ることが出来ない地下世界となれば尚更のことだ。地下鉄のトンネル、ビルの地階フロア、各種公共施設の埋設ケーブル、下水道、緊急避難通路……。都会の地下にはまさしく迷宮じみた世界が広がっているのだ。中には、官公庁でさえ存在を把握していない戦前の古い地下施設もあると聞く。
立体的に無数の構造物が組み合わさった地下世界の完全な地図を把握している人間は、おそらくこの世にいないだろう。羽美さんがネットで集めた、無数の公式非公式のデータを丁寧に重ね合わせていった結果、下水処理施設へとつながる下水道の一本が、ザラスビルの地下施設の極めて近くを通っていた、ということがわかったのである。
「まだ埋められてなければ、だけどな」
近所の公園に埋設された貯水施設のマンホールから潜入し、問題の下水道まで進む。バイトを始めた時に不幸にも仕込まれた基礎研修が、解錠やら警報をごまかすのに役に立った。羽美さんが即席で作ってくれたCADデータを、事務所から支給された違法改造多機能携帯『アル話ルド君』にダウンロードしてあるので、まず道に迷うことは無いはずだ。ここからザラスビルの地下施設に接近し、メンテ用の共同溝を経由して潜入するというのが、おれ達の即席のプランだった。とりあえずは今のところ、順調に歩を進めている。
「ううう、明日学校なのに。臭いついたらどうしよう……」
ここまで来てまだ諦めの悪いヤツ。
「なんならここで脱いでいってもいいぞ」
「絶対やだ」
わがままなヤツめ。だがどうやらそれで吹っ切ったのか、真凛も愚痴るのは止めておれについて進み始めた。しばらくは、緩やかな下り坂となっている下水管を奥へ奥へと進む無機質な時間が過ぎる。下水管は終点でより大きな下水管に連結しており、水を避けてそちらに飛び降り、さらに下ってゆく。そんなことを幾つか繰り返してゆくうちに、水を避けて端を歩いていたはずの下水管は、いつしか二人がしっかり並んで歩けるほどに広くなっていた。と、『アル話ルド君』がアラームを鳴らす。おれはなおも歩き続けようとする真凛の肩をつかんで引き止めた。
「どうしたの?」
そこでおれの表情を見て、真凛も言葉を仕舞う。ここからはお仕事モードだ。
――ここは臨海副都心の地下に広がる下水道の一つ。地中を貫く分厚いコンクリートの円柱の中、横合いに穿たれた穴から注がれた下水が合流し一本の川となり、下り坂になっている円の底をゆるやかに滑り落ちてゆく。直径五メートル以上もある管に対して水位は三十センチ程度のため、おれ達は下水を避けて歩いてゆくことが出来た。靴音が響き渡り、ここが地下であることを否応無しに思い知らされる。
おれはバンから持ち出してきた七ツ道具、強力ペンライトのアマ照ラス君(そういうネーミングなんだ、おれがつけたんじゃない)を掲げて奥へ奥へと慎重に進んでゆく。
「うう、こんなことなら一回事務所で着替えてくればよかった」
その後ろから同じくアマ照ラス君を掲げてついて来るのが真凛。おれの行動選択肢が気に入らなかったのか、ひたすらさっきから愚痴っている。トンネル内に反響して愚痴が倍増しになる。
「なんだよ、ちゃんとインナーは着込んであるんだろ?」
「そういう問題じゃないよ!ボク制服着てるんだよ!?」
じゃあ機関銃でも持たせておけばよかったかねえ。いや、ブレザーではアカンか。おれはこいつの愚痴を無視することにした。だいたいおれより先に呼び出されていたくせにロクに着替えてないというのは如何なものか。ちなみにおれはといえば暑さに耐えつつ長袖を着込んできた。おれ達スタッフは任務中は、最低限調査に支障なく活動しやすい服装を心がけるものである。幸か不幸か分厚い地面は夏の日光を遮断し、むしろ地下は涼しいくらいなのだが。
「だって、ジャケット着て戦うものだと思ってたし」
「あのねえ真凛。おまえうちの仕事を押込強盗か対テロ鎮圧部隊かなんかだと思ってるだろ」
図星だったらしく真凛は沈黙した。おれはやれやれと頭を振る。
「今回は金型を取り返せばいいんだからドンパチは無用。こっそり潜って、こっそり取ってくりゃそれでいいの」
だからこそこうして、地上の喧騒に背を向けて明かりも差さない下水道に侵入などしているのだ。
あれから事務所に連絡を入れてみたら、うちの電子部門担当である羽美さんにつながった。どうやら豚のジョナサン君の件は科学よりも腕力がモノを言う段階に移行したため、ヒマになったから帰ってきたということらしい。これ幸いと、『下水処理施設』をキーワードに調査してもらったところ、驚くほどあっさり情報が手に入った。
建てては壊し、壊しては建て。大都会のコンクリートジャングルは変化が早く、最新の地図の作成は容易ではない。まして地上と異なり、数メートル先に通路があっても見ることが出来ない地下世界となれば尚更のことだ。地下鉄のトンネル、ビルの地階フロア、各種公共施設の埋設ケーブル、下水道、緊急避難通路……。都会の地下にはまさしく迷宮じみた世界が広がっているのだ。中には、官公庁でさえ存在を把握していない戦前の古い地下施設もあると聞く。
立体的に無数の構造物が組み合わさった地下世界の完全な地図を把握している人間は、おそらくこの世にいないだろう。羽美さんがネットで集めた、無数の公式非公式のデータを丁寧に重ね合わせていった結果、下水処理施設へとつながる下水道の一本が、ザラスビルの地下施設の極めて近くを通っていた、ということがわかったのである。
「まだ埋められてなければ、だけどな」
近所の公園に埋設された貯水施設のマンホールから潜入し、問題の下水道まで進む。バイトを始めた時に不幸にも仕込まれた基礎研修が、解錠やら警報をごまかすのに役に立った。羽美さんが即席で作ってくれたCADデータを、事務所から支給された違法改造多機能携帯『アル話ルド君』にダウンロードしてあるので、まず道に迷うことは無いはずだ。ここからザラスビルの地下施設に接近し、メンテ用の共同溝を経由して潜入するというのが、おれ達の即席のプランだった。とりあえずは今のところ、順調に歩を進めている。
「ううう、明日学校なのに。臭いついたらどうしよう……」
ここまで来てまだ諦めの悪いヤツ。
「なんならここで脱いでいってもいいぞ」
「絶対やだ」
わがままなヤツめ。だがどうやらそれで吹っ切ったのか、真凛も愚痴るのは止めておれについて進み始めた。しばらくは、緩やかな下り坂となっている下水管を奥へ奥へと進む無機質な時間が過ぎる。下水管は終点でより大きな下水管に連結しており、水を避けてそちらに飛び降り、さらに下ってゆく。そんなことを幾つか繰り返してゆくうちに、水を避けて端を歩いていたはずの下水管は、いつしか二人がしっかり並んで歩けるほどに広くなっていた。と、『アル話ルド君』がアラームを鳴らす。おれはなおも歩き続けようとする真凛の肩をつかんで引き止めた。
「どうしたの?」
そこでおれの表情を見て、真凛も言葉を仕舞う。ここからはお仕事モードだ。
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