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第0話:『傭兵』VS『傭兵』
◆00:ある派遣社員の戦闘−2
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「とは言っても、脱出できる宛てがあるわけじゃないんだがねえ」
左手に握り込んだ『サンプル』を見やり、おれはぼやいた。そもそも行く宛がないからあの通路で待機していたわけでもあるし。
ええいしかたない。まずはできることをやろう。走りながら右手で携帯を操作。腐れ縁の学友たちに片っ端からグループチャットとショートメッセージをばらまき、明日のノートを調達すべく打診する。一人でも引っかかってくれればいいんだが。と、早速携帯が振動し、着信をもたらした。
「おおっ誰だ!?ノート借してくれる!?助かるぜー!?」
『…………残念ながら亘理氏、吾輩は貴公の学友ではない』
「なんだ、羽美さんですか」
『……ここから脱出する経路を特定したのだが、不要だったかね?』
「いやあ神様仏様石動大明神様!!持つべきものは優秀なバックアップですね!!相変わらず仕事が早い!情報封鎖は解除できたんですね!?」
もともとおれ達がこんな目にあっているのも、建物の見取り図があるはずのサーバーにアクセスできなかったことによる。だからこそ羽美さんに救援を依頼していたのだが。
『……やれやれ。少しは情報を引っこ抜いた功績を労ってもらってもいいのではないかな?サーバーを守っていたのは『鬼蜘蛛』だぞ。吾輩の本職は学徒であって、ハッカーだのクラッカーだのは本業ではないのだがね』
「ああ、あの蜘蛛ヤロウでしたか。それは本当にお疲れ様です」
『鬼蜘蛛』。
アジアを中心に活動するクラッカー。狂信者どもに囲まれてネットのカリスマを気取る軽薄者、と見せかけて、信者共を手足、身代わり、囮として使い捨て、巣の中央に居座る自らの正体を晒すことは決してない、性悪の蜘蛛。こいつもいるってことは。
……携帯に送付された地図をもとに走る、走る。
迷宮じみた通路を曲がり、進み、曲がり、登る。僅かな草の臭いが濃くなり、微細な気流が風の流れとなり――おれは外に出た。
広がる曇天の夜空。月と星は隠され、視界は暗い。左右には深い森。振り返ればおれが今まで居た施設。窓はごく少なく、明かりは乏しい。
――その看板にはごく控えめに『ダイワ自動車 つくば工場』の文字。
おれは胸を抑え、肺に新鮮な外気を送り込む。そして、
「――、――、『それは』、『当たらない』」
風切り音ひとつ。
一拍前までおれの頸があった空間を、鋼の軌道が走りぬける。
『――ふん。よくかわしたな』
視界不良の闇夜の向こう。
分厚く垂れ込める雲のはざまから漏れる幽かな月明かりに、黒焼きの刃がゆらめいた。ようやく、おれの目は暗闇に慣れてきた。
闇夜の向こうに男がいる。
百九十センチの上背、クリーム色の頭髪。タイヤめいた厚みの胸板と、大木の安定感と猛獣の瞬発性を兼ね備えた脚。そして――その手に掲げられた無骨なファイティングナイフ。奇を衒わない順手の構え、微動だにしない切先は、この男が正規の訓練を、それも膨大な量積み上げてきたことを示している。
顔はわからない。だが、その東欧訛りの英語で推察は出来た。
『誰かと思えば『強奪屋』かよ。お前はまだクリミア半島で腐肉漁りの真っ最中って聞いてたがな』
『ほう。俺を知っているか』
ぐつぐつと空気が震える。笑っているのか。
「『鞴』『鬼蜘蛛』が居るとなればてめぇも居るのは道理だろう。まさか海鋼馬公司の三凶エージェントがこんな仕事に揃い踏みとは恐れ入ったね。ダイワ自動車はずいぶんと報酬をはずんだらしい」
『確かについ四十時間前までは向こうに居たよ。だがまあ、呼ばれれば金次第でどこへでも参上するのが派遣社員ってものだ、そうだろう?』
『強奪屋』。欧州特殊部隊崩れ。
格闘戦、重火器、各種車両の扱いに長け、『二割を瞬殺、残り八割は雑でよし』をモットーに、迅速果断な略奪を得手とする危険な男。
「重火器を持ち出してないあたりは依頼人の意向かい?」
「まあそんなところだ。運が良かったな?」
素手でも刃物でも人間を容易にバラせる男に相対して、どこまでアドバンテージになるかは微妙なところだったが。
「さて、ボルトを渡してほしいものだが」
男はざっくりと一歩間合いを詰める。それだけで重圧が五割増しだ。
「お生憎。こいつはおれ達の依頼人が社運をかけて開発したものでな」
おれは左手を開き、サンプル……長さ12センチ程度の一本のボルトを見せつける。
そう、この小さなボルトこそが、おれ達の依頼人……滝沢鉄工所が奪還を依頼したもの。彼らが開発した次世代の高強度ボルトなのだ。鋼材の成分、ファイバーフロー、熱処理の微調整の芸術。従来の材料を使用しながら性能を一割アップさせる。数字だけ聞いてもイメージしづらいかもしれないが、自動車を大幅に軽量化できるとなれば、その有用性はわかってもらえるだろうか。
「ボルト一本のために命をかけるか?愚かだな」
「そのボルト一本を手に入れるために、呪術師やハッカーとつるんで海を渡ってやってくる軍人崩れに言われたくはねえな。だいたいダイワ自動車が滝沢鉄工所に不当な値引きを繰り返すからこそ、彼らは他の自動車に売り込もうとしたんだぜ」
そして、取引先の離反を恐れたダイワ自動車は製品サンプルを強奪。それを取り返しに来たのがおれ達というわけだ。
「ま、そりゃそうだ。お互いここにいる時点で、哀れな雇われの身だよなあ」
『強奪屋』はシニカルに笑った。
「ということで、さっさと片付けて帰るとしよう」
切っ先が一瞬ブレる。上――ではない、それに気を取られたのが失敗――、下!
「……っ!」
ノーモーションから地面すれすれを奔る円弧。――足払い。柔道の基本技だが、軍隊格闘技をみっちりやりこんだ『強奪屋』のそれはもはや一つの必殺技である。おれはまったく反応できず、軸足を刈られ草むらにすっ転んだ。
左手に握り込んだ『サンプル』を見やり、おれはぼやいた。そもそも行く宛がないからあの通路で待機していたわけでもあるし。
ええいしかたない。まずはできることをやろう。走りながら右手で携帯を操作。腐れ縁の学友たちに片っ端からグループチャットとショートメッセージをばらまき、明日のノートを調達すべく打診する。一人でも引っかかってくれればいいんだが。と、早速携帯が振動し、着信をもたらした。
「おおっ誰だ!?ノート借してくれる!?助かるぜー!?」
『…………残念ながら亘理氏、吾輩は貴公の学友ではない』
「なんだ、羽美さんですか」
『……ここから脱出する経路を特定したのだが、不要だったかね?』
「いやあ神様仏様石動大明神様!!持つべきものは優秀なバックアップですね!!相変わらず仕事が早い!情報封鎖は解除できたんですね!?」
もともとおれ達がこんな目にあっているのも、建物の見取り図があるはずのサーバーにアクセスできなかったことによる。だからこそ羽美さんに救援を依頼していたのだが。
『……やれやれ。少しは情報を引っこ抜いた功績を労ってもらってもいいのではないかな?サーバーを守っていたのは『鬼蜘蛛』だぞ。吾輩の本職は学徒であって、ハッカーだのクラッカーだのは本業ではないのだがね』
「ああ、あの蜘蛛ヤロウでしたか。それは本当にお疲れ様です」
『鬼蜘蛛』。
アジアを中心に活動するクラッカー。狂信者どもに囲まれてネットのカリスマを気取る軽薄者、と見せかけて、信者共を手足、身代わり、囮として使い捨て、巣の中央に居座る自らの正体を晒すことは決してない、性悪の蜘蛛。こいつもいるってことは。
……携帯に送付された地図をもとに走る、走る。
迷宮じみた通路を曲がり、進み、曲がり、登る。僅かな草の臭いが濃くなり、微細な気流が風の流れとなり――おれは外に出た。
広がる曇天の夜空。月と星は隠され、視界は暗い。左右には深い森。振り返ればおれが今まで居た施設。窓はごく少なく、明かりは乏しい。
――その看板にはごく控えめに『ダイワ自動車 つくば工場』の文字。
おれは胸を抑え、肺に新鮮な外気を送り込む。そして、
「――、――、『それは』、『当たらない』」
風切り音ひとつ。
一拍前までおれの頸があった空間を、鋼の軌道が走りぬける。
『――ふん。よくかわしたな』
視界不良の闇夜の向こう。
分厚く垂れ込める雲のはざまから漏れる幽かな月明かりに、黒焼きの刃がゆらめいた。ようやく、おれの目は暗闇に慣れてきた。
闇夜の向こうに男がいる。
百九十センチの上背、クリーム色の頭髪。タイヤめいた厚みの胸板と、大木の安定感と猛獣の瞬発性を兼ね備えた脚。そして――その手に掲げられた無骨なファイティングナイフ。奇を衒わない順手の構え、微動だにしない切先は、この男が正規の訓練を、それも膨大な量積み上げてきたことを示している。
顔はわからない。だが、その東欧訛りの英語で推察は出来た。
『誰かと思えば『強奪屋』かよ。お前はまだクリミア半島で腐肉漁りの真っ最中って聞いてたがな』
『ほう。俺を知っているか』
ぐつぐつと空気が震える。笑っているのか。
「『鞴』『鬼蜘蛛』が居るとなればてめぇも居るのは道理だろう。まさか海鋼馬公司の三凶エージェントがこんな仕事に揃い踏みとは恐れ入ったね。ダイワ自動車はずいぶんと報酬をはずんだらしい」
『確かについ四十時間前までは向こうに居たよ。だがまあ、呼ばれれば金次第でどこへでも参上するのが派遣社員ってものだ、そうだろう?』
『強奪屋』。欧州特殊部隊崩れ。
格闘戦、重火器、各種車両の扱いに長け、『二割を瞬殺、残り八割は雑でよし』をモットーに、迅速果断な略奪を得手とする危険な男。
「重火器を持ち出してないあたりは依頼人の意向かい?」
「まあそんなところだ。運が良かったな?」
素手でも刃物でも人間を容易にバラせる男に相対して、どこまでアドバンテージになるかは微妙なところだったが。
「さて、ボルトを渡してほしいものだが」
男はざっくりと一歩間合いを詰める。それだけで重圧が五割増しだ。
「お生憎。こいつはおれ達の依頼人が社運をかけて開発したものでな」
おれは左手を開き、サンプル……長さ12センチ程度の一本のボルトを見せつける。
そう、この小さなボルトこそが、おれ達の依頼人……滝沢鉄工所が奪還を依頼したもの。彼らが開発した次世代の高強度ボルトなのだ。鋼材の成分、ファイバーフロー、熱処理の微調整の芸術。従来の材料を使用しながら性能を一割アップさせる。数字だけ聞いてもイメージしづらいかもしれないが、自動車を大幅に軽量化できるとなれば、その有用性はわかってもらえるだろうか。
「ボルト一本のために命をかけるか?愚かだな」
「そのボルト一本を手に入れるために、呪術師やハッカーとつるんで海を渡ってやってくる軍人崩れに言われたくはねえな。だいたいダイワ自動車が滝沢鉄工所に不当な値引きを繰り返すからこそ、彼らは他の自動車に売り込もうとしたんだぜ」
そして、取引先の離反を恐れたダイワ自動車は製品サンプルを強奪。それを取り返しに来たのがおれ達というわけだ。
「ま、そりゃそうだ。お互いここにいる時点で、哀れな雇われの身だよなあ」
『強奪屋』はシニカルに笑った。
「ということで、さっさと片付けて帰るとしよう」
切っ先が一瞬ブレる。上――ではない、それに気を取られたのが失敗――、下!
「……っ!」
ノーモーションから地面すれすれを奔る円弧。――足払い。柔道の基本技だが、軍隊格闘技をみっちりやりこんだ『強奪屋』のそれはもはや一つの必殺技である。おれはまったく反応できず、軸足を刈られ草むらにすっ転んだ。
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