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第六話 雲上人の戦い

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「追いつけるかっ」
 数分の遅れ、闇夜に紛れてしまうには十分すぎる時間。ビルから出た後どうやって追跡しようか考えていたが、それは杞憂だった。
 もうすぐ一階というところで、足下から雲が湧き上がってきたのだ。
「なっなんだこれ?」
「落ち着け甲斐、この雲には見覚えがある。それよりも気をつけろ、この雲があるということは、俺達の手の届かない雲上人の戦いが始まっているぞ」
 不用意に戦いに巻き込まれないように、壁越しにそっと外を覗けば。
 叢雲が廻と対峙していた。
 考えてみれば、これは公安の作戦、なら叢雲がいるのは至極当然か。むしろ突入時にいなかったことこそ可笑しい。後ろの甲斐も魔人を知らないどころか、雲を見て驚いているようすから叢雲すら知らないようだし。公安も一枚岩ではないって事か。どこの組織も大変だな。
「なるほど燧石から聞いていたとおり美しい。堪能させて貰ったよ」
 敵は叢雲の存在を知っている。敵の方が情報伝達が出来ているようで悲しくなるな。
「そうよかったわね。ならお代を払って貰うわよ」
 叢雲が鞭をゆったりと振り上げ、ビュンッと一閃を放った。端には閃光が走ったようにしか見えなかったが、廻は当然の如く躱す。まあ銃弾ですら躱す奴だ、今更驚きはしない。驚くのはこれからだ。剣や槍と比較して各段に扱いが難しいが極めればその攻撃の軌道は蛇の如く変幻自在なのが鞭系の武器の本領。ただの縦の一閃だったのが躱された瞬間から軌道が蜷局を巻いて廻を包囲、逃げ道を塞いで一気に輪が縮んだっ。
 捕らえた。廻に鞭が巻き付いたと思った次には廻は縮まる螺旋の動きに合わせて自ら回転を行い、猫じゃらしの如く鞭の拘束から抜け出してしまった。
 鮮やか、まるでサーカスのショーでも見ている気分だった。
「今のは少し危なかった。この雲、僕の能力を少し制限してますね」
 廻は足下の雲を掬い取り掌から雲が零れ落ちていく様を感慨深げに眺めながら言う。
「それで、初見で、躱すというの」
 叢雲は今の技によほどの自信があったのか、焦りが窺える。確かに初見殺しに近い技だから、次からは対策され捕らえることすら出来なくなるだろう。
「どうしました今ので底割れですか」
「言ってくれるわね。その言葉後悔しなさい」
 廻の挑発に乗った叢雲は不敵な笑いを浮かべると叢雲は再び舞い出す。更に上の技があるというのか、それが証拠に今までのような天界の柔らかく陽気な音では無く、鋭く冷たい音が積み重ねられていく。舞いも、これまでの天女が踊る華やかな感じと違い、重くおどろおどろしい。まるで大嵐が来る前兆、陽光が遮られ雲が黒々と厚くなっていく様子を眺めているときのような不安が込み上げてくる。
 直接対峙していないのに逃げ出したくなってくるというのに、廻は何もしない。いや、むしろ台風をわくわくして待ちわびる子供のように叢雲の舞いを堪能している。 
「叢雲流 管弦楽 第二章 凶兆」
 旋律が終わり叢雲が手を掲げると、旋律具が旋回し地面に漂っていた雲を全て舞い上げた。
 見上げれば。頭上を沸き上がり積み重なった雲が蓋をする。逃げられない、天網恢々、天からは逃げられない。そんな威圧が体を竦ませる。
「最後よ。降伏しなさい」
 何だかんだ言いつつ人を殺すことには抵抗があるのか叢雲は厳しい表情で再度降伏勧告をする。
「断ります」
 叢雲の内心など知ったことで無い廻はあっさりと答えた。
「そう」
 叢雲の表情が一瞬曇るのを見逃さなかった、見逃せなかった。直ぐに不敵に笑う顔に戻ったが、馬鹿がやっぱり辛いんじゃ無いか。そんな華奢な体で無理しやがって。今にも飛び出していきたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えた。同情したところで現実的には俺は役に立たないどころか足を引っ張るだけだからな。
「天の怒りの予兆を感じて悔い改めなさいっ」
 叢雲が手を振り下ろすと、頭上からラクビーボール大の雹が散弾の如く廻に向かって降り注いだ。廻がどんな手品を使って攻撃を躱してきたか不明だが、避ける隙間さえない攻撃なら避けようがない。氷の破片が舞い上がり白銀の幕が廻を覆い隠す。
 徐々にだが氷砕が晴れていく、表れるのはミンチとなった死体か、跡形も無く吹き飛んだ爆撃の跡か。
「そんな馬鹿な、信じられない」
 あの少女が初めて敵に畏怖する表情を見せた。それもそのはず、視界が晴れた先には無傷で立つ廻が立っていたのだから。廻が立つ半円から一歩出れば、アスファルトは粉々に砕け捲り上がっていて爆撃を受けたかのような惨状から凄まじい攻撃が雨霰のように降り注いだことは確かなのに、なのに廻は平然と立っている。
「今のは素晴らしかったですよ」
 本当に絶賛しているのか廻は拍手をしているが、必殺の攻撃を躱された叢雲にしてみれ人が猿の芸を褒めている行為に感じてしまう。
「なんて奴なんだっ」
 何が起きたのかは分かっている。廻が何やら力を使って降り注ぐ雹のうち一つだけ軌道を逸らし、逸らされた雹は別の雹に当たりその軌道を逸らす。それがまさか爆発的に連鎖していき無数にあった全ての雹の軌道が逸らされるなんて。逸らす力も凄いかも知れないが、どこを起点にすれば連鎖するかをあの一瞬で見抜いた力の方こそ恐ろしい。
 全身の震えが止まらなくなるほどの恐怖、だが叢雲もまた超人なのか、ここで更なる不敵な笑みを浮かべた。
「何を言っているの、ちゃんと聞いておきなさい。今のは前触れ、それで悔い改めない輩には天罰がくだるのよ」
「ほう、更に先があるとなら早く見せて欲しいな」
 プレゼントを期待する子供と同じ顔で廻は言う。
「言われなくても」
「楽しそうだな、俺も混ぜろよ」
 厳粛なる決闘の場に割って入って来たのは燧石だった。どこで何をしていたのか肉が焼ける匂いを撒き散らしている。
「燧石、堪能したのか?」
「エリートが焼き崩れていく姿はそれなりだが、今一喰い足りないな。最も早めに切り上げられて、こうしてメインディッシュに間に合った」
 燧石はその目を喜色に輝かせ叢雲を見る。
「この間は碌に相手もせず失礼したが、今夜はとことんまで楽しませて貰うぞ」
「変態放火魔が一人加わったくらい」
「ふふ、人間をサキイカみたいに引き裂くのは、面白くてしょうが無いな」
「そうか、男なんぞつまらん。やっぱり女が恐怖に歪んだ顔が最高だぜ。おっ女じゃないか」
 叢雲の強気の台詞を踏み潰すように更に二人、背後の闇から滲み出てくる。二人とも角を生やし筋肉隆々、その盛り上がる筋肉は真っ赤に塗りたくられている。これで期せずして叢雲は三方を囲まれる形になった。
 まずい、廻だけでも厄介だったのにこれはまずい。叢雲もプロならこの状況を冷静に分析できるはず。未だ幸運は残っている、頼むから残された穴から全力で逃げてくれ。神にすら祈らないが、叢雲に祈ってしまった。
「おいおい待て、その女は俺が先に目を付けたんだ」
 独占欲を剥き出しにして燧石が俺の女に手を出すな宣言をする。
「燧石さん独り占めはずるいですよ」
「何言ってやがる。お前らに回したらガバガバになって俺が楽しめないじゃないか。そんなに滾ってるなら、そこらの通行人を攫え」
 あまりに軽い言葉、人を燃やし、引き裂き、踏み躙るというのにあまりに軽い言葉。
「あんた達地獄に落ちなさい」
 叢雲は怒った。少女らしい素直な心で悪に怒った。
 共感できる清々しい気持ちだが、今はまずかった。
「怒りに燃えたな」
 パチンッ、燧石が愉悦を浮かべて指を鳴らしてしまった。
 叢雲の腕がその怒りを体現するかのような真紅の色で燃えだした。
「きゃあ、熱い」
「くっく、攻撃にあの不思議な雲を使ったのは失敗だったな。その真っ赤に染まった色、いい色だ」
「片腕くらい」
 叢雲は歯を食いしばって、残った腕で旋律具を回し旋律を奏でようとした。
「させるかよ」
 いつの間にか背後に回り込んでいた鬼が叢雲の背に蹴りを叩き込む。
「きゃあっ」
「ぐっ」
 本来なら一撃であんな華奢な少女の背骨などへし折れるが、今回ばかりは美貌に救われた。鬼は叢雲を嬲るつもりで手加減したようだ。地面に吹っ飛ばされはしたが未だ動けるようで立ち上がろうとする。上げた叢雲の頭をサッカーボールのようにもう一体の鬼が蹴り飛ばした。
「がはっ」
 咄嗟にガードはしたが叢雲は体ごと地面を転がっていく。
「ひゃっほ~い、ご~る」
 鬼が小躍りする中、叢雲は地面に爪を立て回転を止めると、蹌踉けながらも立ち上がった。立ち上がれば嬲られるだけなのに、それでも屈するのを良しとせず立ち上がった。
「ぺっ」
 叢雲は口の中にたまった血を吐き出し、包囲する男達を睨み付ける。
「どうしたどうした、正義の魔法少女。降参するか? 今なら優しくしてやるかもしれないぜ」
 男達はにたにたしながら叢雲に近寄っていく。
「冗談。ここからの逆転劇がカタルシスを生むのよ」
「その根性ますます気に入った。いつまでその気丈さが保つか試してやる」
 燧石が再び指を鳴らすと叢雲の火は消えた。
「火は消してやったぞ。存分に納得するまで抵抗するがいい」
「ええ~もう終わらせません。俺もう我慢できないんだけど」
 鬼が不満そうに言う。
「その好色、いい色に燃えるかもな」
「分かった分かりましたよ。全く燧石さんは鬼サドっすね」
 燧石が鬼を睨み付け、渋々そうだが鬼は従った。どうやら、燧石の方が鬼より上のようだ。
「屑が」
 鬼畜達を気丈にも睨み付ける叢雲だったが、状況は圧倒的不利。魔人が二人にユガミが二体、万全の体勢でも廻一人に苦戦していたというのに、今は火が消えたとはいえ片腕をだらりと下げたままの所を見ると、感覚が無いのだろう。更に言えば、肩で息をしていて包囲を突破して逃げる体力も既に無いように見える無い。どう予測しても、鬼畜共に嬲られる未来しか無いというのに、それでも叢雲は泣かない泣き言を言わない、こんな絶境だからこそ叢雲は、凜と背筋を伸ばし、血塗れの顔で不敵な笑みを浮かる。
 いい女だ。素直に認められる。
 何より凄いのは虚勢じゃ無い。本当に目に力が漲っている。虚勢でも無く自分が勝つことを信じて疑ってない目。こういう人間にこそ奇跡は起こる、起こせる。
 その神々しさ、あまりに美しさに月だけでなく車のスポットライトも叢雲を照らし出す。
「なにっ!?」
 一瞬きょとんとする叢雲の顔が浮かび上がる。
「飛べっ」
 廻のとっさの指示に反応したのは燧石のみ、後の鬼達はフルスルットルノーブレーキで突っ込んできた車に跳ね飛ばされた。鬼を跳ね飛ばして減速した車は、見事なドリフトをかまして叢雲に向かって滑っていく。
 今日、俺に天が授けた仕事があるとしたら、これだっ。
 後部座席のドアを開け、身を乗り出し手を伸ばす。その先には、気高き姫が救いを待っている。通常なら俺が助けられるだけだが、今だけは俺の助けを待っている。
 ぐいぐい迫っていくが、未だ手は届きそうにない。もう少し寄せて欲しいが、むちゃくちゃやった割には甲斐は良く車をコントロールしている、これ以上は望めまい。
 なら俺が無茶をするしか無いじゃないか。俺はもはやアスファルトが鼻先を擦るまで身を乗り出し手を伸ばす、ちょっと手が滑れば人間擂り身の出来上がりだ。
 後は姫が答えてくれるか、俺は祈りつつ叫んだ。
「手を伸ばせ叢雲っ」
 俺の声が聞こえたのか、きょとんとしていた叢雲が俺に向かって飛んでくれた。
 なら、答えなくちゃな。
「ぐおおおおおおおおおおおおおお」
 叢雲を受け止めた俺は、手の筋が数本切れる音が聞こえた気がしたが構わず力尽くで車内に引きづり込んだ。
「よし、確保した。全力でとんずらしろ甲斐」
「アイアイサー」
 運転席の甲斐はカウンターで車のコントロールを立て直すとアクセルを一気に踏み込んだ。
「逃がしません」
 廻が手を車に伸ばしたが、その前を鬼が立ち塞がる。そして響く銃声。
「廻様、大丈夫ですか」
「ありがとう。君も怪我の手当を」
 廻の前に立った鬼の胸は大きく剔れ血が噴き出していた。
「この程度なら放っておいても大丈夫です」
「そうか」
 廻が鬼の影から出たときには、車は遙か彼方に逃げ去っていた。

「今の銃声は?」
「多分如月チーフですね」
 犬鉄の質問に甲斐が答える。
「スナイパーだったのか。つくづくおっかない女だ」
「ちょっといつまで抱いてるのよ。セクハラで訴えるわよ」
 後部座席で犬鉄に抱き抱えられていた叢雲が文句を言い出した。
「おっとすまないな。だがこの場合俺はお前の上司でも同僚でもないのでセクハラには当たらないな」
「なら淫行条例で訴えてやる」
「そいつは困ったな」
 犬鉄は丁寧にガラス細工でも扱うように叢雲を隣の席に座らせた。
「ふんっ、私みたいな美少女を抱えられて感謝しなさい」
「ああ一生の思い出にするよ。感謝して毎晩感触を思い出す」
「ちょっと気持ち悪いこと言わないでよ」
 叢雲が本気で嫌そうに言った。
「お二人さん仲がいいこって。それでこれからどうします? 俺とお嬢ちゃんは如月さんから連絡があったので合流地点に行きますが」
 甲斐は一応警官のくせに片手運転、片手でスマフォをいじくっている。
「そうだな~。俺がのこのこ行くわけにはいかないよな」
 如月に会ったら、この場にいた説明を延々と求められるだろう。
「そうですね。いなかったことにした方がめんどくさくないでしょ」
「でも絶対にばれてるよな」
「まあ、チーフですから」
 甲斐も如月の反感を買ってまで隠し通す気はないようだ。命の恩人に対して薄情な奴だと思いながら犬鉄は仰いで数秒考えた。
「今日はもう疲れた。ここらで降ろしてくれ。タクシーで帰るわ」
 たまには逃げたっていいじゃないか、そんな流行の詩っぽいことを考えながら犬鉄は言う。戦略的撤退、今の自分に如月とやり合う気力は無い。こんな状態で会ったら、どんなに都合の悪いことでも約束させられてしまいそうだ。
「了解です」
 甲斐も特に反対はしなかった。車は止まり犬鉄は降りた。
「それじゃあ。助けて貰ったお礼は必ずしますんで」
 甲斐は犬鉄に気さくに言う。
「期待しないでおくよ」
 犬鉄は甲斐の軽い口調に社交儀礼と受け取った。まっ元々そんな打算を期待して助けたわけじゃ無いので犬鉄も軽く答える。
「私も一応礼は言っておくわ。ありがとう」
 叢雲はばつが悪そうに言う。まあファミレスで凡人は関わるなと言ったばかりなのに、その相手に助けられてはバツが悪いだろう。
「市民を守るのは警察の仕事。ましてや子供を守るのは大人の役目だ気にすんな。これからもがんがん助けてやるよ」
「調子乗り過ぎ、ばっかじゃないの」
「手厳しいな」
「あんた、もう本当に大人しく帰りなさいよ」
「これで俺のネタは尽きた、言われなくても帰って寝るさ」
「そう。お休み」
「じゃあな。お休み」
 犬鉄が見送る中車は去って行き、完全に見えなくなったところで犬鉄は座り込んでしまった。
「ふう~このまま寝ちまいたいな」
 気を抜いたら最後脳がドロップアウトする。一日に四度も死線を潜れば気力も尽きるというもの。誰かに迎えに来て欲しいものだが、悲しいかなそんな人はいない。
 立ち上がらないと、立ち上がって帰らないと行けないのだが、最後の最後に美少女を救うなんて大仕事を果たしてしまったもんだから、やり切った満足感が半端なく、どうにも気力が沸かない。
 このまま・・・。
「ふんっ」
 犬鉄は立ち上がった。漫画みたいにクライマックスでは終わらない、明日も明後日も生活は続いていくのだ。
「早く帰って寝るか」
 犬鉄は今度こそアパートに向かって歩き出した。
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