桜吹雪の後に

片隅シズカ

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三章「堅国の花」

第十八話「花狩り ーはながりー」 (後編) ④

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 せみの鳴き声が、激しく鼓膜を揺らす。
 一段と主張の強くなった鳴き声に、俺は思わず眉をひそめた。

「あれ? 蝉の鳴き声がする」

 鹿しかが、横から呑気な声を出してきた。

おち様、聞こえますかっ? まだ春なのに蝉が鳴いてますよ!!」
「さっきからずっと聞こえてるよ」

 鹿男のはしゃぐ声で、やかましさに拍車がかかった。止まっていても落ち着きのない鹿男は、鳴き声が強くなってようやく気付いたらしい。

「あれは春蝉ですね」

 向かい側に座っているすみが、茶をすすりながら淡々と語り出した。

「春から初夏に鳴くことからそう呼ばれています。小さい上に数が減っているので、近くで鳴き声を聞けるのは珍しいですよ」
「おぉー!」

 鹿男が阿呆みたいな顔で興奮し出した。単純な鹿男は、珍しいという言葉に弱い。こういう馬鹿が詐欺に引っ掛かるのだ。

「俺は蝉より、女の子の可愛い声が聞きたいですねぇ。もちろん人間の」

 はるがちまきを頬張りながら、己の主人を横目で見た。言葉の無駄遣いでしかない戯言だ。案の定、炭は無視してちまきに手を伸ばした。

 ちなみに、ちまきは西で主流の団子入りと、東で主流のおこわ入りの二種類ある。この場にいる俺たちが全員西出身かつ、鹿男が甘党なので、団子入りの減りが圧倒的に早い。唯一、辛党の炭がおこわ入りを積極的に食べている。

「春といえば、小春さんも名前に『春』って入ってるよね。由来とかあるの?」

 鹿男の屈託のない笑顔が、炭の隣に座る小春へと向けられる。
 小春は、いかにも考えてますみたいな顔で「んー」と声を漏らした。

「俺が女の子みたいに可愛かったから」
「え、そうなんだ!」
「うっそー。なーんか、すごいどうでもいい由来だったから忘れたわ。女の子みたいに可愛かったのは事実だけど」

(……なんなんだ、この時間)

 俺と鹿男は今、炭組と共に一服している。
 試合が終わるまでは動けない上に、やることがない。ござの上に並べられた茶や菓子は、暇を潰せるように用意されたものだ。


 気付いたら、俺たちは本陣にいた。


 炭組が連れてきた猿どもと戦っていたはずなのだが、揃いも揃って棄権させられたという。身に覚えが全くない話だ。

(棄権させられたってことは、誰かに土笛を吹かれたわけだけど……)

 その誰かは、前後の状況から察しがつく。
 虹が気まぐれに何かしたか、桜に薬でも盛られたか、あるいは両方か……試合から離脱した今となっては、考えても仕方がないことだ。

(分かってるけど……悔しい!)

 今年こそ勝ちたかった。
 鹿男の馬鹿みたいな笑顔を見ながら、一緒に温泉卵を食べたかった。


 それなのに、あんな呆気ない幕引きなんて――


「落葉様」

 小春に声をかけられ、我に返った。

「落葉様はどう思われますか?」
「何が」
「優勝候補」

 唐突に話を振られた。

 その口ぶりから察するに、三人ですでにあれこれ話していたのだろう。考え事に没入しすぎて周りが見えなくなるのは、昔からの悪癖だ。
 普段はそれで無駄話を回避できるのでさほど困らないが、今は四人で茶を飲んでいる最中だ。付き合うほかないだろう。

 手にしていた湯呑みを、ぼんの上に置いた。

「……この試合は運の要素も強い。そもそも猿を見つけられなければ意味がないからだ。それを踏まえた上で、虹、葉月、花鶯の三人」
「花鶯様、ですか?」

 予想通り、鹿男が意外そうに目を丸めた。炭の表情は変わらない。

 俺にとって意外だったのは、小春が驚いていないことだった。表面上は鹿男と同様に目を丸めているけど、臭いは誤魔化せない。

(まぁ、別にここで追及することでもないか)

 この疑問はいったん置いておいて、とりあえず話を続けることにした。

「虹は言わずもがな。葉月は力こそ不明だが月国の巫女だ。自分の力を把握して経験を積めば、猿はもちろん、他の組にとっても脅威になる。実際、去年までは、虹と夜長の二人が優勝の常連だったわけだし。だけど――」

 俺たちが敗退したのも、おそらく虹の力が原因だ。あの人は簡単に勝ってもつまらないからと、試合では己の力を極力使わない。

 その分、葉月への警戒に偏りすぎて、虹への対策が疎かになっていた。
 それが、今回の試合における敗因だ。毎年力を使わないからといって、次も絶対に使わない保障なんてどこにもない。



 だからこそ、今になって気付いた。

 脅威となるのは、あの二人だけじゃない。



「力を最大限に活かすなら、優勝するのは――運の要素を塗り潰せる花鶯だ」





   ***





 刀から生じたせんぷうで、己の髪が舞い踊る。
 目の前の猿たちが、成す術もなく旋風に巻き上げられて姿を消した。

「花鶯様、こちらも終わりました」

 めしがにこやかに告げる。
 かたわらには、数匹の猿が転がっていた。全て一様に、縄で手足を拘束されている。

「念のために、しびれ薬を飲ませてあります」
「えっ?」

 言われてみれば確かに、転がっている猿たちの動きが不自然なほどに無い。

「ご安心を。対彩雲君用の薬なので、後遺症の心配はありません。専門家である桜さん特製ですから、効果の方も折り紙付きです」
「そ、それならいいけど……」

 私の従者は温厚だけど、こういう時は抜かりがないというか……意外と容赦がない。無残に転がる猿たちに、少し同情した。

 菜飯に縄を解かせてから、刀の旋風で猿たちを捕らえた。薬の効果のおかげか、猿たちは少しも抵抗せず、静かに宙に浮いて消えていった。

 菜飯が無力化し、私が捕らえる。
 試合において、私たちは毎回、この戦法で地道に数を稼いでいる。

 相手にできるのは少数に限られるが、派手に動かない分、他の組にも目を付けられにくいし、何より体力を消耗せずに済む。


 そう……巫女として、正しいやり方だ。


「いかがされましたか?」
「え?」
「浮かない御顔……いえ、物足りないという御顔をされておりますが」
「うっ……!」

 内心をものの見事に言い当てられ、私としたことがろうばいしてしまった。
 この従者は物腰柔らかで温厚だけど、たまにこうやって人の心を見透かしたような言動をする。人への気遣いに余念がない所以だろう。

 だけど、その細やかな気遣いは、この場では余計というほかなかった。

「べ、別に……いつも通りじゃない?」
「そんなことはございません。失礼ながら、花鶯様は感情が表によく現れます。去年も一昨年も、試合の時のあなたはいつも物足りなさそうです」
「な、なんのことやら……」
「私にできることがあれば、微力ながらお力添え致しますが」
「ないわよ」

 きっぱりと断言した。
 傍から見たら、絶対に冷たく見える口調で。

「この試合は視察中の息抜きといいつつ、里を荒らす猿へのけんせい及び人心を集めることが目的、つまり巫女のお務めよ。私の都合で好き勝手するわけにいかないわ」
「……出過ぎた真似を致しました」

 菜飯は呆気ないほど、あっさりと引き下がった。巫女としての事情を出されては、ただの従者である菜飯にはどうしようもできないのだ。

 分かっていて、あえて出した。
 崇高なる巫女の使命を言い訳にした自分に嫌気が差したが、実際、私が好き勝手に動き回るわけにはいかない。

 だって、私の力は――――


「花鶯様」


 菜飯ではない声が、後ろからした。
 振り返ると意外な人物がいた。どういうわけか、たった一人で。

「桜……? 葉月はどうしたのよ?」
「諸事情によりはぐれてしまいました」
「あぁ、そういうこと……」

 気分屋かつ自信家の虹ならともかく、桜が単独行動を取るとは考えにくい。

 だが、桜は賢い。そして豪胆だ。
 その賢さと豪胆さで周囲をあざむき続け、一国の巫女を殺めておいて平然としている女だ。葉月がそばにいない彼女は、何をするか分からない。



 事実、私を見る彼女の目は――狩人のそれだ。



 そんな感じで警戒していたから、彼女の口から出た言葉に度肝を抜かれた。

「この試合では命が保障されているとはいえ、葉月様は戦闘のご経験が皆無です。一刻も早く合流する必要がありますが、無力な私一人ではどうにもできず……せんえつながら、あなた様にご助力いただきたく探しておりました」
「えっ、私を?」
「葉月様を見つけていただきたいのです。あなた様の御力で」

 周りの音が、一瞬にしてなくなった。
 そう錯覚するほどに、胸の内がざわついた。
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