桜吹雪の後に

片隅シズカ

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三章「堅国の花」

第十七話「花狩り ーはながりー」 (前編)④

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 猿たちの鼻息が、落葉殿の一振りで静まり返った。狙っていた小春のことなどすっかり忘れ、毛を逆立てて落葉殿を睨み付けている。

 闘争心と、警戒心。
 それらを覆い尽くさんばかりの、恐怖心。

 猿たちは毛を逆立てているものの、動けない。こうちゃく状態の一歩手前だ。

 落葉殿は、ここで大人しく猿たちの土俵に付き合う男ではない。
 膠着状態におちいる前に、再び、刀を猿たち目掛けて振り下ろした。次々と猿たちを無慈悲に風で巻き上げては消していく。

 炭姫も刀を抜き、同様に猿たちを捕らえ始めた。風をまぬがれて巫女たちに飛び掛かる猿は、鹿男と小春がぎ倒して風の中に放り込む。

「おーおー、派手にやってるねぇ」

 隣の虹姫が、容赦なく狩られていく猿たちを見下ろしながら愉快そうに笑った。

 猿と戦うのは従者だが、捕獲するのは巫女だ。巫女が持つ刀は『気の強化』で、護身のみならず捕具としても振るえる仕様となっている。
 なお、消えた猿たちは本陣の所定のおりにぶち込まれることになる。檻の中にいる猿の数で、試合の勝敗が決まるのだ。

「桜。落葉組と炭組、どっちにける?」

 虹姫が顔の緩みを隠すことなく、こちらに目を向けてきた。余裕を通り越して呑気な、殴り落としたくなる笑顔だ。

「心底どうでもいいわ。そもそもあんた、そんなことしてる場合?」
「というと?」
さいうんはどこに置いて来たのよ。一応、あんたの従者でしょう」
さぶろうのところ」
「そんなことだろうと思った……」

 あまりの身勝手さに、大きな溜め息が出た。

「……助けてくれたことは感謝するわ。だけど、呑気なあんたと違って、私は一刻も早く葉月のところに戻りたいのよ」
「そんなに葉月が心配か」
「悪い?」
「もったいなくはあるな。ただの遊びなんだ。もっと楽しめばいいのに」
「あんたにとってはそうでしょうね」

 ただの遊びだろうが、葉月は戦闘の経験がないのだ。心配もする。そんな状況でくだらない愉悦に付き合えるほど、私は寛容じゃない。

「それにしても、小春の色男ぶりには目を見張るものがあるな。桜は幼馴染として、このわら……奇怪な状況をどう見る?」
「今、笑えるって言いそうになったわね」
「仕方ないだろ、笑えるんだから。これでも落葉に同情してるんだ」
「それは同感ね」
「ちなみに、猿に欲情された幼馴染は?」
「別に」
「別にときたか」

 虹姫が愉悦丸出しの目を細めた。本当に、いちいちかんさわる女だ。

「あんなの、あいつにとっては日常茶飯事よ」

 昔から小春は、とにかく性的に好かれた。
 諸事情で女のなりをしていた村時代は、老若男女問わず視線を釘付けにしたし、襲われかけたのも一度や二度ではない。

 しかもそれは、人の垣根を越えていた。顔が整っているだけなのに、どういうわけか獣にとっても性の対象となるらしい。
 そんなわけで、鼻息の荒い猿に迫られるなんて別に初めてじゃないのだ。当の本人は心底嫌そうな顔をしているが、慣れからくる余裕がある。

 だから、小春のことなんかどうでもいい。

「私が気になるのは主人の方。さも偶然みたいな顔で落葉殿と接触したけど……」
「十中八九、わざとだな」
「でしょうね」

 巫女は保身のために、自分の従者の力や体質を把握する必要がある。だから炭姫が、小春の無駄に整った顔からくるへいがいを知らないはずがない。

 おそらく共闘と言いつつ、体力を温存しながら序盤で地道に稼ぐ作戦だろう。
 捕獲した猿たちは折半することになるが、安全に猿を捕獲できる。隙を見つければ、土笛を奪って棄権に追い込むことだってできる。

 たまたまそこにいた落葉組は、まんまと手足にさせられたわけだ。おまけに、隙を見せれば何をされるか分からない状況下に置かれている。

「これだから試合は面白い。戦いの中でこそ、人の本質が垣間見えるというもの」
「それで、どうするの?」
「ん?」
「私たち、今、木の上で身動きが取れない状態になってるんだけど」


 時は少し前にさかのぼる。


 気が付くと、目の前から葉月が消えていた。
 そして異変に気付くと同時に、鹿男に手足をなわで縛られていた。

 馬鹿の一つ覚えのように「ごめんね!」と繰り返し謝られたが、許すもへったくれもないので、腕に痺れ薬を刺してやった。後ろ手に縛らなかったのは、鹿男が間抜けだったと言うほかない。

 急なことだったけど、鹿男の力で葉月から引き離されたこと、そのまま落葉殿の前に連れ去られるであろうことは理解できた。

 だからこそ、その次の瞬間にはきょうがくした。
 落葉殿の姿も鹿男の拘束もなく、隣にいたのは虹姫だったのだ。それも木の上で、落葉殿たちを見下ろす形になっていた。


 そこで炭姫たちの襲撃を目撃して、今に至る。


「降りられなくて怖いか?」
「馬鹿も休み休み言ってくれる? 私がここにいるって分かったら、またあいつらに捕らえられるでしょうが。冗談じゃないわよ」

 正直、こうして上でひそひそと話しているだけでも生きた心地がしないのだ。で、その心配はいらないと分かっていても。

「だが、この状況はどうにかしたいだろう?」
「そりゃ、そうだけど」
「私ならできるよ。それも、猿も落葉たちも全員まとめて無力化した上でな。捕らえた猿どもは、あんたら葉月組の手柄にすればいい」

 都合の良すぎる話だった。
 当然、素直にありがとうと頷けるはずがない。

「……こんなことで恩を売るつもり?」
「半分正解。面白そうだからね。もう半分は、それでも私が余裕だからだ」

 虹姫が、下の連中を指さした。
 相手を明確に定めて、力を振るう時の動作だ。

 途端に、落葉殿と炭姫が周囲を気にし出した。私には何も分からないが、二人は臭いや音で虹姫の力を探知できるらしい。

 虹姫が近くにいることは露見したが、この強者にとっては何の問題もない。

「ほら」

 私の返答を聞く前に、手を差し伸べてきた。
 私は何も言わず、その手を取る。

 そのまま私を抱きかかえ、飛び降りた。世の理を無視した緩やかな動きで、虹姫は乱闘騒ぎの真っただ中に降り立つ。



 誰も、こちらを見向きもしない。

 私と虹姫だけが、この世界から切り離されているかのようだ。



 虹姫が私を下ろし、軽やかに歩き出した。
 散歩のような足取りで、変化に気付かず動き回る落葉殿の、炭姫の、鹿男の、小春の、猿たちの背後をするりと通っていく。

 汗一つかかずに、私の前に戻ってきた。

 その後ろで、私たち二人を除いた全員が倒れ伏せた。糸が切れた糸操り人形のように、なんの抵抗もなく、静かに。

「……相変わらず、とんでもない力ね」
「まぁな。私に焼けないものはない」

 うぬれではない。この女にとって言葉通りの意味かつ、当たり前の事実なのだ。

 私に分かるのは、焼いたことだけだ。



 私たちがいるという『認識』を。

 飛び降りた時の『衝撃』を。

 そして、彼らの『意識』を。



 木の上で呑気に話していられたのも、彼らが聞き取れる『私たちの声』を焼いたからだ。虹姫が私に合わせて声を抑えたのは、単なる遊びでしかないだろう。
 二国の巫女に封じられるだけあって、極めて危険な力だ。焼き加減を少しでも間違えれば、体の機能を奪うことになりかねない。

 そんな危険極まりない力を、この女は散歩に出かける気軽さで振るったのだ。一寸たりとも狂わず精確に、完璧に。

「それじゃ、健闘を祈るよ」

 最初の宣言通り、猿たちに見向きもせずに歩き出した。その泰然とした背に「待ちなさい」と声を投げつける。

「私がもらうのは半分だけ。そうでなければお断りよ。あんたに借りを作るなんて」

 虹姫が軽やかな足を止め、振り返った。

「とことん嫌われてるなぁ」
「当たり前よ。私にとって、あんたはなんだから」
「ははっ! まさにその通りだ」

 気を悪くするどころか、破顔して笑い声を上げた。強者故の寛容さは、言動がいちいち腹立たしいこの女の数少ない美点の一つだ。

「それで? あえて半分貰う理由は?」
「巫女の申し出を断るわけにはいかないでしょう。仕方なくよ」
「仕方なく……ねぇ。まったく、分をわきまえているのやらいないのやら」

 虹姫が舌なめずりを一つ。
 倒れ伏せたままの猿たちへと体を向け、腰の柄に手を添えた。

 他の巫女とは違い、脇差ではない。実戦でも大いに振るえる打刀だ。
 虹姫は、刀を使う場では必ずこの愛刀を携えている。もちろん、ただのお遊びである試合でも例外ではない。

「いいよ。半分。ただし――」


 さやから、刀が抜かれた。


 抜き身の刃を中心に、周囲が尋常じゃない熱の嵐にさらされた。髪が乱れるのはもちろん、呼吸もままならない。嵐から顔をかばって立っているのがやっとの状態だ。

「――負けても、後悔するなよ!」

 喉笛を食いちぎらんばかりの、どうもうな笑み。
 強者の刀が、一気に振り下ろされた。

 嵐が、無防備な猿たちを目掛けて駆けていく。先ほどまで場を騒がせていた風が可愛く見えるほどに熱く、力強く――速い。

 嵐から庇いながら瞬きをする間に、半数の猿が上空に巻き上げられた。宣言通り均等に分けている辺りは、さすがようこくの巫女と言うほかない。

 焼き尽くすような嵐が、止んだ。
 本能的に警戒しながら、顔から腕を退ける。

 嵐に巻き込まれた猿たちの姿はなく、代わりに悲惨な光景が広がっていた。

「…………うわ」

 思わず、潰されたかえるのような声が漏れた。
 倒れたままの残りの猿たちが、一匹残らず禿げ上がっていたのだ。私を含め、人間の方にはこれといった変化は見受けられない。

(……半数を捕獲しつつ、残り半分で気まぐれに遊んでみたってところか)

 獣相手だが、これは同情しそうになる。
 そんな惨事を起こした当の本人は、悪気など欠片もなく猿たちを見つめていた。

「まぁまぁだな」

 何がまぁまぁだ、と内心で突っ込む。

「そのおかしな改造、どうにかならないの? 試合に必要ないでしょう?」
「試合だからこそ、だ。支給された獲物を振り回すだけじゃつまらないだろう。それに、最後に勝つのは火力だ」
「あんたが面白いだけじゃない。近くにいる人間は堪ったもんじゃないのよ」

 これでもましな方だ。今のところ、まだ明確な実害を被っていない。

 去年など、こいつが気まぐれで大砲まがいの火力を放ったせいで、こっちまで巻き添えを食らいそうになった。あれで殺傷能力がない程度に抑えていたのだから、本当に巫女の『気の強化』というものは意味が分からない。

「そういや、去年も桜が近くにいたな。夜長は楽しそうだったぞ?」
「山火事が大歓迎の女を引き合いに出さないで」

 私の苦情で、虹姫も自身のろくでもない所業を思い出したらしい。しかも、余計な記憶まで一緒にというおまけつきだ。


 虹姫と夜長姫。

 一際強い力を持つ、二国の巫女。


 去年の試合は、この二人のせいで多大な迷惑を被った。本当に散々だった。
 二人に個人的な接点はなかったが、息を吐くように気まぐれの迷惑行為を度々起こすという点で似た者同士だったと思う。

(……どうでもいい共通点ね)

 実にくだらない気付きだ。糞食らえと内心で唾を吐き捨てる。
 そんな私の苛立ちなど知りもせず、虹姫がすがすがしい顔で刀を鞘に納めた。

「これで文句はないだろう。あとは毒を盛るなり薬を盛るなり、好きにしな」

 虹姫が背を向け、さっそうと歩き出した。未練の欠片もない足取りは迷いがない故に速く、あっという間に背中が遠くなる。

 やかましい人間がいなくなった途端、自然の静けさが戻ってきた。

(――さてと)

 歩き去っていく虹姫に背を向けた。
 のんびりしていられない。虹姫が離れるほど、彼らを縛る『力』が弱まる。

 ならば、再びこいつらを縛る必要がある。
 私のやり方で、確実に。

 眠り続ける落葉殿へと忍び寄る。横には炭姫も眠っていて、実に都合が良い。

 せっかく得た猿たちを、みすみす手放すわけにはいかない。巫女たちが目覚めて刀を振ったら、全てが水の泡だ。


 まずは、こいつらの動きを封じる。


 命に別状のない毒ならば、黒湖の加護が発動する心配もない。着物の帯に手を滑らせ、慎重に針を取り出した。

 一刻も早く、葉月を見つけ出すために。
 二人で一緒に、優勝するために。
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