62 / 72
三章「堅国の花」
第十六話「余花 ーよかー」③
しおりを挟む
話が終わると、早々に部屋から追い出された。
鹿男君を呼び出し、僕の送迎を命じるまでの手際が良すぎたので、初めからそのつもりだったのだろう。とことん時間の無駄を嫌う人のようだ。
鹿男君が「あの」と声を上げた。
普段から勢い任せの彼にしては、珍しく口籠っている様子だ。
ここまでの流れと彼の気まずそうな顔で、言いたいことは何となく分かる。
「申し訳ございません。せっかく来ていただいたのにその……慌ただしくて」
案の定、彼の口から出たのは謝罪だった。
口籠っていたのは、鹿男君なりに言葉を選んでいたからだろう。『慌ただしくて』と置き換えることで、主人を極力貶めないように。
従者というのは、本当に気苦労が多そうだ。そんなことを呑気に考えつつ、最大限の柔らかい笑みを浮かべた。
「謝るのは僕の方だよ。こんな時間に部屋に押し掛けたんだから」
実のところ、追い出されてほっとした。
最初こそ雑談の一つや二つできたらと思っていたけど、あの話をした後で部屋に居続けても、どんな顔をすればいいのか分からなかったから。
「鹿男君には迷惑かけちゃったね」
「滅相もございません! むしろ――」
「むしろ?」
「い、いえ! なんでもございません!」
鹿男君が、あたふたと首を横に振り出した。
何を慌てているのか分からないけど、あえて突っ込まないことにした。
ふと顔を上げて、夜の闇がさらに深みを増していることに気付いた。いつもなら、とっくに床に就いている時間だ。
それを証明するかの如く、部屋には布団がきっちりと敷かれていた。
鹿男さんが「おやすみなさいませ」と、屈託のない笑顔を残して去っていった。足音が遠ざかり、夜の静寂が訪れる。
布団に入り、暗闇に身を委ねた。
瞼を閉じれば、闇がさらに深みを増す。
深く静かな闇に包まれている内に、全身に心地良い熱が回り出し、気が付けば眠りの世界へ誘われていく――――いつもなら。
(…………眠れない)
瞼を閉じているのに、脳が休まらない。
身体が睡眠を欲しているのに、さっきまでの会話が頭の中から離れない。
謎の幻覚。
魂の状態。
落葉さんが感じた『臭い』。
黄林さんの…………。
寝る前にぼんやりするには、分からないことが、考えることがあまりにも多い。
現時点で分かるのは、魂の状態を自分で把握する必要があることだけだ。
かといって、身勝手に暴走するわけにはいかない。それで倒れたら、この前の二の舞だ。またみんなに迷惑をかけてしまう。
桜さんに、心配させてしまう。
(……風に当たろう)
いったん起き上がり、布団から出る。
そのまま部屋を後にし、近くの庭の前に腰を下ろした。こういう時にふらりと出歩けるのだから、本当に今の体は恵まれている。
(綺麗な月だ)
夜更けの月が、黒い夜空を彩らんばかりに光り輝いている。月光というのは控えめと思いきや、時々、こんな風に存在を主張し――――
「葉月様」
不意に声をかけられ、肩が跳ね上がった。
振り替えると、三郎さんが僕を見据えていた。
「僭越ながら、卑賤の身で無礼な口を利くことをお許しください」
三郎さんが恭しく一礼する。巫女に対して、口調を崩すことへの断りだ。
見事な礼が終わった瞬間、恭しさから一転して素っ気なくなった。そしてごく普通の友人のように、特に断りなく僕の隣に腰をかけてくる。
「珍しいな。こんな時間に出歩いているなど」
「ちょっと、眠れなくて。とりあえず風に当たろうかなと思って」
僕が『普通に話してくれていい』と言って以来、こうして表向きの断りを入れてから口調を崩すようになった。黄林さんの命とはいえ、巫女相手に軽口を叩くのは身分不相応と考えてのことだろう。本当に真面目な人だ。
あれは、わざわざ僕なんかに気を遣わなくていいという意味だったけど、実際は余計に気を遣わせてしまっているわけだ。
あの時の僕は、巫女としての自覚なんて皆無だった。社という組織で生きる人に対して浅慮なことをしてしまった。
だけど本人が職務として、主人の命として受け入れたのだ。今さら蒸し返すのはかえって失礼だろうと思い、あえてそのままにしている。
「体の方は?」
「お陰様ですっかり元気です」
「そうか」
「すみません。心配かけてしまって」
「仕事だ。謝られる筋合いはない」
斬り捨てるような物言いだった。その清々しい口ぶりに、思わず笑いが溢れた。
「三郎さんらしいなぁ」
「何が」
「本心で言ってる感じがして」
三郎さんが「は?」と眉をひそめた。
「三郎さんって、僕に対して必要以上に気遣ったりしないでしょう? 今はもちろん、従者として接している時も」
「……悪かったな。愛想がなくて」
「あ、いや! 悪いどころかむしろ逆です」
三郎さんが訝しげに目を細めた。自分でも、何を言っているのだろうと思う。
「僕、気を遣われ過ぎるのが苦手というか、悪いなって感じちゃって。かといって何を考えているか分からないのも、それはそれで怖くて……」
多分、三郎さんは感情を律する人だ。
初対面の時の彼は、怒っていた。いっそ感情を爆発させていた。喜怒哀楽の豊かそうな人というのが第一印象だったけど、それこそが本来の三郎さんなのだろう。
そんな自分を抑えるために、普段は『無愛想』の仮面を付け、さらに巫女の前では『無機質な従者』に扮している。
本来の自分と真逆の仮面を被ることで、溢れる感情を律している。
そう見えるからこそ、僕に対して敬語で接し出した彼が、なんだか窮屈そうに見えたのだ。三郎さんからしたら、余計なお世話だろうけど。
ただ、上手く隠せていない。
本人は隠しているつもりだろうけど、従者の鉄仮面から感情が度々溢れているのだ。顔に出るタイプなのだろう。
もちろん、それは口にしない。
隠しているものを無神経に暴かれて、喜ぶ人間なんていないのだから。
「三郎さんはどっちでもないから、気楽に話せるんです。多分」
「……それを言うなら、桜の方がよほど気心の知れた仲だろう」
「分かるんですか?」
「分かるも何も、お前と二人きりの時のあいつは、今の僕以上に砕けてるだろう」
「えっ!?」
思いも寄らない爆弾を直球で投げつけられた。互いに人目には気を付けていたはずなのにと、冷や汗が滲み出る。
「公でなければ問題ない。第一、巫女であるお前が了承していることだ。他国の従者である僕がいちいち騒ぎ立てたりしない」
その言葉に、僕は胸を撫で下ろした。よかった。とりあえず、桜さんが不敬の罪を被る心配はなさそうだ。
「まぁ、花鶯様にだけは見つからぬよう気を付けることだな。あの御方はまだ幼い。巫女としての在り方が純粋かつ、真面目が過ぎる」
(三郎さんから見ても『真面目』なのか)
正直、三郎さんも『真面目が過ぎる』部類に入ると思うけど、僕が思っている以上に大人で、真面目の使いどころを心得ているのだろう。
(あ、でも……)
花鶯さんは、蛍ちゃんに弱い。
そして三郎さんは、黄林さんに弱い。
(……うん。やっぱり似た者同士だ)
出会った当初、黄林さんと一緒にいる時間を割かれたと怒っていた。そして黄林さんの命というだけで、僕の我が儘を聞いてくれている。
本当に彼女が大好きなのだろう。律している感情を抑えきれなくなるほどに。
「おい。なんだ、その顔は」
「え?」
「なぜ僕を見てにやついている。気色悪い」
「すごい辛辣!!」
嫌悪感たっぷりの目で睨まれてしまった。顔を戻そうにも、出会った当初を思い出してしまい、どうにも顔が緩んでしまう。
「すみません、ちょっと顔が戻らなくて」
「訳の分からん男だ」
「あはは、僕もです」
「僕もって、自分のことだろう」
「まぁ、そうなんですけど……正直、人のことを考える方が楽しくて」
「人のこと?」
「自分のことなんて、下手に考えすぎても疲れるだけですから。それだったら、誰かを想っている方がずっと良い」
ふと見ると、三郎さんが苦虫でも噛み潰したような顔をしていた。
控えめに言って酷い顔だ。巫女どころか、人に向ける顔じゃない。とりあえず、ドン引きされていることだけは分かった。
「どうりで、中つ国に連行された時もへらへらしていたわけだ。あまりにも危機感がなさすぎるとは思っていたが……」
「危機感はありましたよ。桜さんの生死がかかっていたわけですから」
「……そうだったな」
三郎さんの声色が、やけに静かになった。
どこか遠い目で、虚空を見つめている。無機質な従者でも、無愛想な彼でも、感情豊かな彼でも、主人を敬愛する彼でもない。
初めて見る顔だ。
大切なものを失くして、途方にくれる子供のような――――。
「三郎さん?」
声をかけると、遠かった目の色が戻った。
そして、誤魔化すような溜め息と共に「なんでもない」と吐き捨てる。
「お前の生き方に口を挟むつもりはないが……少しは自分の心配もするべきだ。もう、お前一人の体ではないのだから」
「ですよね。肝に銘じておきます」
動国ではみんなに迷惑をかけたし、先日も眩暈を起こして落葉さんに助けられた。三郎さんに『危機感がない』と怒られるのも無理はない。
立ち上がり、改めて三郎さんを見た。
「そろそろ寝ます。夜中なのに、長いこと引き留めてすみません」
「声をかけたのは僕だ。それに、こうしてお前と話をするのは嫌いじゃ――」
一瞬の沈黙を、無理やりな咳払いが破った。
月明かりが一段と眩しいからか、夜の闇でも耳が真っ赤なのが見て取れる。
「……『好き』?」
「普通ということだ!!」
「僕は好きですよ。三郎さんと話をするの」
「お前の好き嫌いなど聞いていない」
「これまた辛辣な」
理不尽な八つ当たりに苦笑した。
それでも嫌な感じがしないのは、僕も三郎さんと話すのが楽しいからだろう。会話のキャッチボールを楽しめる相手なのだ。
「それじゃあ、僕はこれで」
「待て」
部屋に向かおうと歩き出したところで、三郎さんに呼び止められた。
三郎さんが立ち上がり、そのまま歩み寄ってくる。あっという間に、長いまつ毛が見える距離まで迫ってきた。
改めて、女の子に見紛う童顔だと思った。口に出したら間違いなく『お前が言うな』と怒られるだろうけど。
(ていうか、本当に近くない?)
急な距離の詰め方に、戸惑いを隠せない。
困惑して狼狽える僕に構わず、三郎さんが腕を伸ばしてきた。
そのまま、僕の頭に両手を添え――――!?
「いでででででで!!」
「つぼを押すだけだ。大人しくしていろ」
「え? つぼ――あだだだだ!!」
今度は両耳と首の間に重圧がかかった。
これは痛いどころではない。冗談抜きで、悲鳴が上がるレベルの重圧だ。
(やばいやばい首がもげる!!)
実際にはあり得ない危機感を抱き始めたところで、地獄の重圧から解放された。
「眠れない時に押すつぼだ。寝る前に、少し痛いくらいに押すといい」
「は、はい」
あれが少しなのかと突っ込む余裕もなかった。力任せに見えて、三郎さんのことだ。ちゃんと加減していただろうけど……地獄だった。マジで。
その後、部屋は近いけど念のためと三郎さんに送られ、そのまま寝床に就いた。
(あ……なんか、体がぽかぽかする)
血の巡りが良くなったのだろうか。とりあえず、常人に成せる技ではない。良い子は真似しないでねというやつだ。
それに、頭の中がすっきりした。
考えすぎてごちゃごちゃしていたものが、驚くほど綺麗にまとまっている。
(……ひとまず、虹さんに相談しよう)
落葉さんの名前は伏せて、幻覚の件を伝える。
魂を見てもらうのが無理でも、アドバイスをもらうくらいはできるはずだ。花鶯さんに相談するかどうかは、その後に考えればいい。
(黄林さんのことも、気になるけど……)
菩薩のような笑みが、頭を過る。
普段から良くしてくれるし、悪い人ではないだろうけど、それしか知らない。
肝心なところでのらりくらりと躱されるし、明らかに一線を引かれている。授業で幾度となく接してきたけど、未だに彼女が何を考えているのか分からない。
何より、あの笑顔は――笑っていない。
だから時折、不気味に感じてしまう。
虹さんとの一件で真っ先に黄林さんを疑ったのは、可能性として高いというのもあるけど、それ以上にどこか恐れているのだ……黄林さんを。
だけど、落葉さんはあくまでも『盗聴の可能性があるから気を付けろ』と忠告しただけだ。むやみやたらに疑えとは言っていない。
少なくとも、今やるべきことではない。
今やるべきことは、魂を見ることだ。そう結論付けたところで、再び眠気が押し寄せてきた。眠りを妨げるものは、もう無い。
今度こそ、心置きなく瞼を閉じた。
鹿男君を呼び出し、僕の送迎を命じるまでの手際が良すぎたので、初めからそのつもりだったのだろう。とことん時間の無駄を嫌う人のようだ。
鹿男君が「あの」と声を上げた。
普段から勢い任せの彼にしては、珍しく口籠っている様子だ。
ここまでの流れと彼の気まずそうな顔で、言いたいことは何となく分かる。
「申し訳ございません。せっかく来ていただいたのにその……慌ただしくて」
案の定、彼の口から出たのは謝罪だった。
口籠っていたのは、鹿男君なりに言葉を選んでいたからだろう。『慌ただしくて』と置き換えることで、主人を極力貶めないように。
従者というのは、本当に気苦労が多そうだ。そんなことを呑気に考えつつ、最大限の柔らかい笑みを浮かべた。
「謝るのは僕の方だよ。こんな時間に部屋に押し掛けたんだから」
実のところ、追い出されてほっとした。
最初こそ雑談の一つや二つできたらと思っていたけど、あの話をした後で部屋に居続けても、どんな顔をすればいいのか分からなかったから。
「鹿男君には迷惑かけちゃったね」
「滅相もございません! むしろ――」
「むしろ?」
「い、いえ! なんでもございません!」
鹿男君が、あたふたと首を横に振り出した。
何を慌てているのか分からないけど、あえて突っ込まないことにした。
ふと顔を上げて、夜の闇がさらに深みを増していることに気付いた。いつもなら、とっくに床に就いている時間だ。
それを証明するかの如く、部屋には布団がきっちりと敷かれていた。
鹿男さんが「おやすみなさいませ」と、屈託のない笑顔を残して去っていった。足音が遠ざかり、夜の静寂が訪れる。
布団に入り、暗闇に身を委ねた。
瞼を閉じれば、闇がさらに深みを増す。
深く静かな闇に包まれている内に、全身に心地良い熱が回り出し、気が付けば眠りの世界へ誘われていく――――いつもなら。
(…………眠れない)
瞼を閉じているのに、脳が休まらない。
身体が睡眠を欲しているのに、さっきまでの会話が頭の中から離れない。
謎の幻覚。
魂の状態。
落葉さんが感じた『臭い』。
黄林さんの…………。
寝る前にぼんやりするには、分からないことが、考えることがあまりにも多い。
現時点で分かるのは、魂の状態を自分で把握する必要があることだけだ。
かといって、身勝手に暴走するわけにはいかない。それで倒れたら、この前の二の舞だ。またみんなに迷惑をかけてしまう。
桜さんに、心配させてしまう。
(……風に当たろう)
いったん起き上がり、布団から出る。
そのまま部屋を後にし、近くの庭の前に腰を下ろした。こういう時にふらりと出歩けるのだから、本当に今の体は恵まれている。
(綺麗な月だ)
夜更けの月が、黒い夜空を彩らんばかりに光り輝いている。月光というのは控えめと思いきや、時々、こんな風に存在を主張し――――
「葉月様」
不意に声をかけられ、肩が跳ね上がった。
振り替えると、三郎さんが僕を見据えていた。
「僭越ながら、卑賤の身で無礼な口を利くことをお許しください」
三郎さんが恭しく一礼する。巫女に対して、口調を崩すことへの断りだ。
見事な礼が終わった瞬間、恭しさから一転して素っ気なくなった。そしてごく普通の友人のように、特に断りなく僕の隣に腰をかけてくる。
「珍しいな。こんな時間に出歩いているなど」
「ちょっと、眠れなくて。とりあえず風に当たろうかなと思って」
僕が『普通に話してくれていい』と言って以来、こうして表向きの断りを入れてから口調を崩すようになった。黄林さんの命とはいえ、巫女相手に軽口を叩くのは身分不相応と考えてのことだろう。本当に真面目な人だ。
あれは、わざわざ僕なんかに気を遣わなくていいという意味だったけど、実際は余計に気を遣わせてしまっているわけだ。
あの時の僕は、巫女としての自覚なんて皆無だった。社という組織で生きる人に対して浅慮なことをしてしまった。
だけど本人が職務として、主人の命として受け入れたのだ。今さら蒸し返すのはかえって失礼だろうと思い、あえてそのままにしている。
「体の方は?」
「お陰様ですっかり元気です」
「そうか」
「すみません。心配かけてしまって」
「仕事だ。謝られる筋合いはない」
斬り捨てるような物言いだった。その清々しい口ぶりに、思わず笑いが溢れた。
「三郎さんらしいなぁ」
「何が」
「本心で言ってる感じがして」
三郎さんが「は?」と眉をひそめた。
「三郎さんって、僕に対して必要以上に気遣ったりしないでしょう? 今はもちろん、従者として接している時も」
「……悪かったな。愛想がなくて」
「あ、いや! 悪いどころかむしろ逆です」
三郎さんが訝しげに目を細めた。自分でも、何を言っているのだろうと思う。
「僕、気を遣われ過ぎるのが苦手というか、悪いなって感じちゃって。かといって何を考えているか分からないのも、それはそれで怖くて……」
多分、三郎さんは感情を律する人だ。
初対面の時の彼は、怒っていた。いっそ感情を爆発させていた。喜怒哀楽の豊かそうな人というのが第一印象だったけど、それこそが本来の三郎さんなのだろう。
そんな自分を抑えるために、普段は『無愛想』の仮面を付け、さらに巫女の前では『無機質な従者』に扮している。
本来の自分と真逆の仮面を被ることで、溢れる感情を律している。
そう見えるからこそ、僕に対して敬語で接し出した彼が、なんだか窮屈そうに見えたのだ。三郎さんからしたら、余計なお世話だろうけど。
ただ、上手く隠せていない。
本人は隠しているつもりだろうけど、従者の鉄仮面から感情が度々溢れているのだ。顔に出るタイプなのだろう。
もちろん、それは口にしない。
隠しているものを無神経に暴かれて、喜ぶ人間なんていないのだから。
「三郎さんはどっちでもないから、気楽に話せるんです。多分」
「……それを言うなら、桜の方がよほど気心の知れた仲だろう」
「分かるんですか?」
「分かるも何も、お前と二人きりの時のあいつは、今の僕以上に砕けてるだろう」
「えっ!?」
思いも寄らない爆弾を直球で投げつけられた。互いに人目には気を付けていたはずなのにと、冷や汗が滲み出る。
「公でなければ問題ない。第一、巫女であるお前が了承していることだ。他国の従者である僕がいちいち騒ぎ立てたりしない」
その言葉に、僕は胸を撫で下ろした。よかった。とりあえず、桜さんが不敬の罪を被る心配はなさそうだ。
「まぁ、花鶯様にだけは見つからぬよう気を付けることだな。あの御方はまだ幼い。巫女としての在り方が純粋かつ、真面目が過ぎる」
(三郎さんから見ても『真面目』なのか)
正直、三郎さんも『真面目が過ぎる』部類に入ると思うけど、僕が思っている以上に大人で、真面目の使いどころを心得ているのだろう。
(あ、でも……)
花鶯さんは、蛍ちゃんに弱い。
そして三郎さんは、黄林さんに弱い。
(……うん。やっぱり似た者同士だ)
出会った当初、黄林さんと一緒にいる時間を割かれたと怒っていた。そして黄林さんの命というだけで、僕の我が儘を聞いてくれている。
本当に彼女が大好きなのだろう。律している感情を抑えきれなくなるほどに。
「おい。なんだ、その顔は」
「え?」
「なぜ僕を見てにやついている。気色悪い」
「すごい辛辣!!」
嫌悪感たっぷりの目で睨まれてしまった。顔を戻そうにも、出会った当初を思い出してしまい、どうにも顔が緩んでしまう。
「すみません、ちょっと顔が戻らなくて」
「訳の分からん男だ」
「あはは、僕もです」
「僕もって、自分のことだろう」
「まぁ、そうなんですけど……正直、人のことを考える方が楽しくて」
「人のこと?」
「自分のことなんて、下手に考えすぎても疲れるだけですから。それだったら、誰かを想っている方がずっと良い」
ふと見ると、三郎さんが苦虫でも噛み潰したような顔をしていた。
控えめに言って酷い顔だ。巫女どころか、人に向ける顔じゃない。とりあえず、ドン引きされていることだけは分かった。
「どうりで、中つ国に連行された時もへらへらしていたわけだ。あまりにも危機感がなさすぎるとは思っていたが……」
「危機感はありましたよ。桜さんの生死がかかっていたわけですから」
「……そうだったな」
三郎さんの声色が、やけに静かになった。
どこか遠い目で、虚空を見つめている。無機質な従者でも、無愛想な彼でも、感情豊かな彼でも、主人を敬愛する彼でもない。
初めて見る顔だ。
大切なものを失くして、途方にくれる子供のような――――。
「三郎さん?」
声をかけると、遠かった目の色が戻った。
そして、誤魔化すような溜め息と共に「なんでもない」と吐き捨てる。
「お前の生き方に口を挟むつもりはないが……少しは自分の心配もするべきだ。もう、お前一人の体ではないのだから」
「ですよね。肝に銘じておきます」
動国ではみんなに迷惑をかけたし、先日も眩暈を起こして落葉さんに助けられた。三郎さんに『危機感がない』と怒られるのも無理はない。
立ち上がり、改めて三郎さんを見た。
「そろそろ寝ます。夜中なのに、長いこと引き留めてすみません」
「声をかけたのは僕だ。それに、こうしてお前と話をするのは嫌いじゃ――」
一瞬の沈黙を、無理やりな咳払いが破った。
月明かりが一段と眩しいからか、夜の闇でも耳が真っ赤なのが見て取れる。
「……『好き』?」
「普通ということだ!!」
「僕は好きですよ。三郎さんと話をするの」
「お前の好き嫌いなど聞いていない」
「これまた辛辣な」
理不尽な八つ当たりに苦笑した。
それでも嫌な感じがしないのは、僕も三郎さんと話すのが楽しいからだろう。会話のキャッチボールを楽しめる相手なのだ。
「それじゃあ、僕はこれで」
「待て」
部屋に向かおうと歩き出したところで、三郎さんに呼び止められた。
三郎さんが立ち上がり、そのまま歩み寄ってくる。あっという間に、長いまつ毛が見える距離まで迫ってきた。
改めて、女の子に見紛う童顔だと思った。口に出したら間違いなく『お前が言うな』と怒られるだろうけど。
(ていうか、本当に近くない?)
急な距離の詰め方に、戸惑いを隠せない。
困惑して狼狽える僕に構わず、三郎さんが腕を伸ばしてきた。
そのまま、僕の頭に両手を添え――――!?
「いでででででで!!」
「つぼを押すだけだ。大人しくしていろ」
「え? つぼ――あだだだだ!!」
今度は両耳と首の間に重圧がかかった。
これは痛いどころではない。冗談抜きで、悲鳴が上がるレベルの重圧だ。
(やばいやばい首がもげる!!)
実際にはあり得ない危機感を抱き始めたところで、地獄の重圧から解放された。
「眠れない時に押すつぼだ。寝る前に、少し痛いくらいに押すといい」
「は、はい」
あれが少しなのかと突っ込む余裕もなかった。力任せに見えて、三郎さんのことだ。ちゃんと加減していただろうけど……地獄だった。マジで。
その後、部屋は近いけど念のためと三郎さんに送られ、そのまま寝床に就いた。
(あ……なんか、体がぽかぽかする)
血の巡りが良くなったのだろうか。とりあえず、常人に成せる技ではない。良い子は真似しないでねというやつだ。
それに、頭の中がすっきりした。
考えすぎてごちゃごちゃしていたものが、驚くほど綺麗にまとまっている。
(……ひとまず、虹さんに相談しよう)
落葉さんの名前は伏せて、幻覚の件を伝える。
魂を見てもらうのが無理でも、アドバイスをもらうくらいはできるはずだ。花鶯さんに相談するかどうかは、その後に考えればいい。
(黄林さんのことも、気になるけど……)
菩薩のような笑みが、頭を過る。
普段から良くしてくれるし、悪い人ではないだろうけど、それしか知らない。
肝心なところでのらりくらりと躱されるし、明らかに一線を引かれている。授業で幾度となく接してきたけど、未だに彼女が何を考えているのか分からない。
何より、あの笑顔は――笑っていない。
だから時折、不気味に感じてしまう。
虹さんとの一件で真っ先に黄林さんを疑ったのは、可能性として高いというのもあるけど、それ以上にどこか恐れているのだ……黄林さんを。
だけど、落葉さんはあくまでも『盗聴の可能性があるから気を付けろ』と忠告しただけだ。むやみやたらに疑えとは言っていない。
少なくとも、今やるべきことではない。
今やるべきことは、魂を見ることだ。そう結論付けたところで、再び眠気が押し寄せてきた。眠りを妨げるものは、もう無い。
今度こそ、心置きなく瞼を閉じた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
悪徳貴族の、イメージ改善、慈善事業
ウィリアム・ブロック
ファンタジー
現代日本から死亡したラスティは貴族に転生する。しかしその世界では貴族はあんまり良く思われていなかった。なのでノブリス・オブリージュを徹底させて、貴族のイメージ改善を目指すのだった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
みんなで転生〜チートな従魔と普通の私でほのぼの異世界生活〜
ノデミチ
ファンタジー
西門 愛衣楽、19歳。花の短大生。
年明けの誕生日も近いのに、未だ就活中。
そんな彼女の癒しは3匹のペット達。
シベリアンハスキーのコロ。
カナリアのカナ。
キバラガメのキィ。
犬と小鳥は、元は父のペットだったけど、母が出て行ってから父は変わってしまった…。
ペットの世話もせず、それどころか働く意欲も失い酒に溺れて…。
挙句に無理心中しようとして家に火を付けて焼け死んで。
アイラもペット達も焼け死んでしまう。
それを不憫に思った異世界の神が、自らの世界へ招き入れる。せっかくだからとペット達も一緒に。
何故かペット達がチートな力を持って…。
アイラは只の幼女になって…。
そんな彼女達のほのぼの異世界生活。
テイマー物 第3弾。
カクヨムでも公開中。
幼女に転生したらイケメン冒険者パーティーに保護&溺愛されています
ひなた
ファンタジー
死んだと思ったら
目の前に神様がいて、
剣と魔法のファンタジー異世界に転生することに!
魔法のチート能力をもらったものの、
いざ転生したら10歳の幼女だし、草原にぼっちだし、いきなり魔物でるし、
魔力はあって魔法適正もあるのに肝心の使い方はわからないし で転生早々大ピンチ!
そんなピンチを救ってくれたのは
イケメン冒険者3人組。
その3人に保護されつつパーティーメンバーとして冒険者登録することに!
日々の疲労の癒しとしてイケメン3人に可愛いがられる毎日が、始まりました。
底辺おっさん異世界通販生活始めます!〜ついでに傾国を建て直す〜
ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
学歴も、才能もない底辺人生を送ってきたアラフォーおっさん。
運悪く暴走車との事故に遭い、命を落とす。
憐れに思った神様から不思議な能力【通販】を授かり、異世界転生を果たす。
異世界で【通販】を用いて衰退した村を建て直す事に成功した僕は、国家の建て直しにも協力していく事になる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる