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二章「動国の花」
第十二話「桜の便り ーさくらのたよりー」(後編) ②
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小春はともかく、丹精込めて作られた桜餅にはなんの罪もない。美味しく食するのが礼儀だと、桜餅を口に含んだ。
塩漬けされた葉のしょっぱさが、舌を撫でる。
程なくして、しっとりとした皮の食感と、こってりとしつつも優しいあんこの甘さが、桜の華やかな香りと共に口いっぱいに広がった。
ふと、李々のことを思い出す。
人目を気にしないどころか見せつけるようにくっついてくるので、二人で外食することは滅多にないのだが、たまにこういう店に連れていくと大喜びする。女の例に漏れず甘いものに目がないし、洒落た茶屋を好むのだ。
(今の状態を李々に知られたら、二重の意味で面倒になりそうね)
小春と寄り道をしていたことはもちろん、私も桜餅を食べたかったと騒ぎ立てること間違いない。下手をすると、桜餅を食べる私を見たかったなどと馬鹿なことを言い出す可能性も……いや、絶対に言う。
(近い内に暇を見つけて、こういう店に連れていってあげようかな)
甘いものを食べる時の李々は、本当に可愛い。
小春の前なので絶対にやらないが、思い出すだけで頬が緩みそうになる。
(葉月も、こういう店とか喜ぶだろうな。甘いもの好きだし)
そもそも葉月は、外出自体を喜ぶ。病気でろくに出かけられなかったらしいから、知らない場所に赴くだけでも新鮮な気持ちになるのだろう。
最初に町を案内した時だって、ただ歩いているだけなのに楽しそうで、祭りではしゃぐ子供を連れているような気分だった。
(…………あ)
そういえば、葉月と一緒に町を歩いたのって、あの一度きりだ。
最初に町を案内した時は、必要最低限のことしか教えなかった。巫女から葉月を匿っていたこともあって、あちこちを歩き回られるのは都合が悪かったのだ。
あの時は必死だった。葉月には、社と関わり合いを持ってほしくなかったから。
川の上に突然現れた時点で普通じゃないのは分かっていたけど、それでも普通の人間として自由に生きてほしかった。
もし巫女にでもなったりしたら、あの笑顔を曇らせてしまうと知っていたから。
だけど、それはもう叶わない。葉月は、巫女に選ばれてしまったから。それが、公衆の面前で証明されてしまったから。
私を助けるためとはいえ、葉月自身が巫女になることを望んでしまったから。
葉月が自分の意思で選んだことだ。今さら、それを否定するつもりはない。
だからこそ、あの時のように二人で自由に町を歩くことは、もうできない。
(こんなことになるのなら、もっと一緒に歩けばよかったな……)
「あ、そういやさ」
小春が、桜餅を頬張りながら声を上げた。後悔の念が、強制的に遮断される。
「月国の新しい巫子……確か、葉月殿だっけ? 実際どうなの?」
「――――っ!」
葉月のことを考えていた矢先だったからか、動揺が体中を走った。しかも心なしか、顔も少し熱い気がする。
小春に醜態を晒すなど冗談じゃない。
熱を引っ込め、平常心をもって口を開く。すぐに冷静さを取り戻せるのは、胸の内に刃を隠し続けた侍女時代の賜物だ。
「どうって、何が?」
「夜長姫に似てるんだろ? 俺、謹慎中だったから未だに会ったことないけど」
「……えぇ、似てるわ。恐ろしく」
「うわぁ。そりゃ是非とも会いたくねーな。別人だとは分かっちゃいるけどさ」
「でしょうね」
口調こそ軽いが、これは紛れもない本心だ。
茶をすすり、あえて無関心を装った。理由なんて聞くまでもない。
「ま、あの時のこと関係なしに、最初に会った時から無理だったけどね。なんかこう……人間のふりをしてるみたいで」
「言い得て妙ね」
相変わらず鋭いなと、感心する。
もっとも、調子に乗るに決まっているから、けして口には出さないけど。
小春は軽口ばかり叩くが、観察力と洞察力は並外れて高い。
故に、多少取り繕っていたとしても相手の本質をあっさりと見抜けてしまう。夜長姫が相手でも、例外ではない。
しかし、それを発揮するのは女遊びや怠けたい時が大半だ。優れた能力を無駄遣いする様は、もはや馬鹿としか言いようがない。
「容姿は酷似しているけど、中身は似ても似つかないわ。心が洗われるもの」
小春が目を丸め、それから軽く噴き出した。私の口から『心が洗われる』なんて言葉が出たのが意外だったのだろう。
「何それ、すごいな。桜の心を洗うとか、とんでもない洗浄力じゃん」
「汚くて悪かったわね」
口では文句を言いつつ、腹は立たなかった。
私が汚れているのは、私自身が一番知っている。本来なら、ここで息をすることも許されない存在なのだから。
だというのに、小春は苦笑しながら「違う違う」と否定してきた。
「むしろ逆。綺麗な分、吸い込んできた灰が目立つんだよ。俺はそんな桜が好きだから、下手に洗い流されないか心配」
「……私を口説いたって何も出ないわよ」
「うわぁ、つれない」
からからとわざとらしく笑う小春を無視し、最後の一口を頬張る。
桜餅を食し終えたところで、懐から薬包紙を取り出し、中身を茶へと入れた。葉の粕が広がり、風情ある茶が濁り湯と化していく。
笑っていた小春が、目を細めた。
「……やっぱ、今も飲んでんだ」
「社仕えをするなら必須よ。素の状態では、巫女のお務めの邪魔になるんだから」
昔から、周りと波長が合わなかった。
正しいという思いに基づいて行動する度に、和を乱すな、皆に合わせろと何度も叱られたが、私の心はそれを拒絶していた。
そんなのは、人形と変わらないと。
もちろん、個人によって多少の差はあるが、巫女が常に気を整えている現世において、大幅に皆と波長が合わない者はごく少数に限られる。故に、足並みを揃えられなければ『異常者』と見なされるのだ。
だけど、それを差し引いても、私は元から『異常者』だった。
まだ私が六つの頃、初めて視察の舞を見に行った時のことだ。
舞台に巫女が現れた直後、人々が唐突にざわめき出したのだ。
巫女の風貌が変わっていたわけでも、不可解なものが現れたわけでもない。私からしたら、周りの人たちの方が不自然だった。
そして、巫女の様子も明らかに変だった。
舞う気配もなく、民衆に背を向けたまま立ち尽くしていたのだ。
訳が分からなかったが、今思えば当然だ。
毎年、必ず人々が拝める『国の気』が姿を見せなかったのだから。
人々だけではない。巫女も見えなかったのだ。
巫女に選ばれた者は、例外なく気を見ることができるはずなのに。
そんな事情など知らなかった幼い私は、慣れない町中の空気と人混みにのぼせて気持ち悪くなり、両親に連れられてその場を離れた。
そして、がらりと空気が変わった。
人々の声が静まり、巫女が舞っていのだ。
振り返ってその様子を見た両親は、愕然としていた。おそらく、二人は『国の気』が現れたのを目にしたのだろう。
その直後に見た両親の眼差しは、今でもはっきりと覚えている。
驚愕と恐れが入り混じった瞳。
あれは、間違いなく、自分の子供に向ける目ではなかった。
ただそこにいるだけで奇跡を拒絶する私は、生まれながらに『鬼』だった。
間の悪いことに、ちょうどその頃は日照りで作物が育たない日々が続いていた。
だから私は捨てられた。鬼がいると、村の皆が不幸になるからと。
「あのさぁ」
昔へと思いを馳せていたところに、小春の溜め息交じりの声が入り込む。
「桜の葉って、過剰摂取すると良くないんじゃなかったっけ?」
「今さらよ。もう何年も飲んでるんだから」
「そりゃそうだけどさ……」
小春は何かを言いかけたが、唇を結んで言葉を呑み込んだようだ。
普段の気ままな振る舞いはどこへやら、こういう流れになると押しが弱くなる。やはり根っこは、子供の頃となんら変わらない。
「薬のこと、葉月様や李々は知ってんの?」
「李々は知ってるわ。葉月は知らない。何度か目の前で飲んだことはあるけど、胃腸薬だとしか教えてないわ」
薬包紙を仕舞い、薬で濁った茶を口にする。桜餅よりもさらに濃い香りが、薬特有の青臭さや葉の粕と共に口の中に流れ込んできた。
「今は教えないの?」
「必要に迫られない限りはね。余計な心配をかけたくないのよ。本当は李々にだって話したくなかったんだから」
黒湖様の加護を打ち消して、巫女を殺す。
そんな所業を成せたのは、『人ならざる力』を無に帰してしまう体質だからだ。
ただそこにいるだけで、巫女は力を使えず、気を見ることすらできなくなる。指先一つでも触れていれば、たちまち黒湖様の加護を一切受け付けない体と化す。
私の手にかかれば、不死身の巫女もただの人となり下がる。
あらゆる奇跡を、この体は拒絶するのだ。
本来なら、そんな私が夜長姫の傍にいられるはずがなかった。
巫女のお務めの妨害となることが明るみに出てしまえば、社に足を踏み入れるなど許されない。姫を殺すなど夢のまた夢だ。
だけど、私は知っていた。
奇跡を拒むこの体質を、少しでも抑える術を。
塩漬けした桜の葉を服用するという方法を。
私が奇跡を拒絶することを『力』ではなく『体質』と称する所以だ。人ならざる力は、正真正銘の奇跡だ。薬なんかで抑えられやしない。
今でも原理は分からない。
確かなのは、この体質が周囲に及ぼす影響を抑えられることだけだ。
夜長姫を殺す。そう決めたあの日から、薬師見習いだった姉さんに提示された量以上を摂取し続けてきた。毎日欠かさずに、ずっと。
確実にこの体質を抑え、夜長姫の傍に居続けられる体へと作り替えるために。
ただし、『国の気』を見ることはできない。
どんなに量や回数を増やしても、そこだけは変わらなかった。
周りへの影響は抑えられても、巫女の力を受け入れることはできても、自身が全ての奇跡を許容するには至らなかった。
だから私は、先日の舞でも目にしていない。
皆が美しいと見惚れた、見事な一本桜を。
「ごちそうさま」
薬を飲み終えたところで席を立つ。
「え、もう? 早くね?」
「あんたも食べ終わったんでしょう。行くわよ」
長居は無用と急かすと、小春は怠そうに腰を上げた。早々に勘定を済ませて店を後にし、道中に見つけた路地裏へ向かって歩き出す。
「そういや、用があるとか言ってたよな。また俺に頼みたいことでもあんの?」
「そんな大層なことじゃないわ」
程なくして路地裏に入る。人目がないことを確認して、改めて話を切り出した。
「あんたが受けた謹慎処分のことだけど」
「あぁ……職務怠慢だろ? それが、静で騒動が起きた一因だって」
「いいえ、違うわ」
小春はだらしないが、考えなしに社に反抗するほど愚かではない。
むしろ彼は本来、慎重で用心深い男だ。
観察力と洞察力の高さはその表れだし、普段の軽薄さはこの男なりの仮面でしかない。職務怠慢で謹慎処分を受けるなんてことは、本来ならばあり得ないのだ。
「なんで、私を庇ってくれたの?」
「ん?」
「声が聞こえるあんたなら、私が葉月を巫女たちから遠ざけようとしていたことくらい、知ってたはずでしょう?」
小春の顔から、笑みが音もなく消えた。
これが本当の小春だ。私と同じ『鬼』の顔。周りから『鬼』と指を差され続けて、心から笑えなくなった本当の顔。
だから小春は『軽薄な男』の面を被る。
私は、面の下の鬼を知る数少ない人間だ。
気を見るのが巫女に限らないように、人ならざる力を持つのも巫女に限らない。
力を持つもの全員が、黒湖様に選ばれるわけではないからだ。基準は定かではないが、大半が選ばれることなく生涯を終える。
鬼狩りは衰退したと言いつつ、鬼への嫌悪が未だ色濃いのはそういうことだ。
力を持つものは言うに及ばず、私のような得意体質の者や、心身に障害を持つ者も一括りに『鬼』と呼ばれる。
静国の社町で、葉月に『鬼』について聞かれた際には「鬼と呼ばれるのは、それ相当のことをした者のみ」と教えた。
だけど、実際にはそれだけじゃないのだ。
あの時は行動範囲のみならず、教える情報も最低限に留めた。巫女に捕まっても、何も知らないまま連れ回されただけと主張できるからだ。
実際、静国での騒動の際、葉月が望んだ『黒湖様の加護』によって複数の怪我人が出たにも関わらず、彼は何一つ罪に問われなかった。
それに葉月は、ぼんやりしているようで聡い。
下手に情報を与えては、私の目的に勘付いてしまう恐れがあった。
そうしたら、危険を承知で共犯になりかねない。出会ったばかりにも関わらず、異様なまでに懐いてくる葉月には、そんな危うさがあった。
だから、鬼について説明をする時も、私はあえて言葉を濁した。
あれは、夜長姫のみを指したのではない。『それ相当』というのは、普通ではないという意味だ。善悪や良心の有無など関係ない。
鬼とは、普通じゃない者を指すのだ。
神の如く崇められる巫女を除いて、例外なく。
塩漬けされた葉のしょっぱさが、舌を撫でる。
程なくして、しっとりとした皮の食感と、こってりとしつつも優しいあんこの甘さが、桜の華やかな香りと共に口いっぱいに広がった。
ふと、李々のことを思い出す。
人目を気にしないどころか見せつけるようにくっついてくるので、二人で外食することは滅多にないのだが、たまにこういう店に連れていくと大喜びする。女の例に漏れず甘いものに目がないし、洒落た茶屋を好むのだ。
(今の状態を李々に知られたら、二重の意味で面倒になりそうね)
小春と寄り道をしていたことはもちろん、私も桜餅を食べたかったと騒ぎ立てること間違いない。下手をすると、桜餅を食べる私を見たかったなどと馬鹿なことを言い出す可能性も……いや、絶対に言う。
(近い内に暇を見つけて、こういう店に連れていってあげようかな)
甘いものを食べる時の李々は、本当に可愛い。
小春の前なので絶対にやらないが、思い出すだけで頬が緩みそうになる。
(葉月も、こういう店とか喜ぶだろうな。甘いもの好きだし)
そもそも葉月は、外出自体を喜ぶ。病気でろくに出かけられなかったらしいから、知らない場所に赴くだけでも新鮮な気持ちになるのだろう。
最初に町を案内した時だって、ただ歩いているだけなのに楽しそうで、祭りではしゃぐ子供を連れているような気分だった。
(…………あ)
そういえば、葉月と一緒に町を歩いたのって、あの一度きりだ。
最初に町を案内した時は、必要最低限のことしか教えなかった。巫女から葉月を匿っていたこともあって、あちこちを歩き回られるのは都合が悪かったのだ。
あの時は必死だった。葉月には、社と関わり合いを持ってほしくなかったから。
川の上に突然現れた時点で普通じゃないのは分かっていたけど、それでも普通の人間として自由に生きてほしかった。
もし巫女にでもなったりしたら、あの笑顔を曇らせてしまうと知っていたから。
だけど、それはもう叶わない。葉月は、巫女に選ばれてしまったから。それが、公衆の面前で証明されてしまったから。
私を助けるためとはいえ、葉月自身が巫女になることを望んでしまったから。
葉月が自分の意思で選んだことだ。今さら、それを否定するつもりはない。
だからこそ、あの時のように二人で自由に町を歩くことは、もうできない。
(こんなことになるのなら、もっと一緒に歩けばよかったな……)
「あ、そういやさ」
小春が、桜餅を頬張りながら声を上げた。後悔の念が、強制的に遮断される。
「月国の新しい巫子……確か、葉月殿だっけ? 実際どうなの?」
「――――っ!」
葉月のことを考えていた矢先だったからか、動揺が体中を走った。しかも心なしか、顔も少し熱い気がする。
小春に醜態を晒すなど冗談じゃない。
熱を引っ込め、平常心をもって口を開く。すぐに冷静さを取り戻せるのは、胸の内に刃を隠し続けた侍女時代の賜物だ。
「どうって、何が?」
「夜長姫に似てるんだろ? 俺、謹慎中だったから未だに会ったことないけど」
「……えぇ、似てるわ。恐ろしく」
「うわぁ。そりゃ是非とも会いたくねーな。別人だとは分かっちゃいるけどさ」
「でしょうね」
口調こそ軽いが、これは紛れもない本心だ。
茶をすすり、あえて無関心を装った。理由なんて聞くまでもない。
「ま、あの時のこと関係なしに、最初に会った時から無理だったけどね。なんかこう……人間のふりをしてるみたいで」
「言い得て妙ね」
相変わらず鋭いなと、感心する。
もっとも、調子に乗るに決まっているから、けして口には出さないけど。
小春は軽口ばかり叩くが、観察力と洞察力は並外れて高い。
故に、多少取り繕っていたとしても相手の本質をあっさりと見抜けてしまう。夜長姫が相手でも、例外ではない。
しかし、それを発揮するのは女遊びや怠けたい時が大半だ。優れた能力を無駄遣いする様は、もはや馬鹿としか言いようがない。
「容姿は酷似しているけど、中身は似ても似つかないわ。心が洗われるもの」
小春が目を丸め、それから軽く噴き出した。私の口から『心が洗われる』なんて言葉が出たのが意外だったのだろう。
「何それ、すごいな。桜の心を洗うとか、とんでもない洗浄力じゃん」
「汚くて悪かったわね」
口では文句を言いつつ、腹は立たなかった。
私が汚れているのは、私自身が一番知っている。本来なら、ここで息をすることも許されない存在なのだから。
だというのに、小春は苦笑しながら「違う違う」と否定してきた。
「むしろ逆。綺麗な分、吸い込んできた灰が目立つんだよ。俺はそんな桜が好きだから、下手に洗い流されないか心配」
「……私を口説いたって何も出ないわよ」
「うわぁ、つれない」
からからとわざとらしく笑う小春を無視し、最後の一口を頬張る。
桜餅を食し終えたところで、懐から薬包紙を取り出し、中身を茶へと入れた。葉の粕が広がり、風情ある茶が濁り湯と化していく。
笑っていた小春が、目を細めた。
「……やっぱ、今も飲んでんだ」
「社仕えをするなら必須よ。素の状態では、巫女のお務めの邪魔になるんだから」
昔から、周りと波長が合わなかった。
正しいという思いに基づいて行動する度に、和を乱すな、皆に合わせろと何度も叱られたが、私の心はそれを拒絶していた。
そんなのは、人形と変わらないと。
もちろん、個人によって多少の差はあるが、巫女が常に気を整えている現世において、大幅に皆と波長が合わない者はごく少数に限られる。故に、足並みを揃えられなければ『異常者』と見なされるのだ。
だけど、それを差し引いても、私は元から『異常者』だった。
まだ私が六つの頃、初めて視察の舞を見に行った時のことだ。
舞台に巫女が現れた直後、人々が唐突にざわめき出したのだ。
巫女の風貌が変わっていたわけでも、不可解なものが現れたわけでもない。私からしたら、周りの人たちの方が不自然だった。
そして、巫女の様子も明らかに変だった。
舞う気配もなく、民衆に背を向けたまま立ち尽くしていたのだ。
訳が分からなかったが、今思えば当然だ。
毎年、必ず人々が拝める『国の気』が姿を見せなかったのだから。
人々だけではない。巫女も見えなかったのだ。
巫女に選ばれた者は、例外なく気を見ることができるはずなのに。
そんな事情など知らなかった幼い私は、慣れない町中の空気と人混みにのぼせて気持ち悪くなり、両親に連れられてその場を離れた。
そして、がらりと空気が変わった。
人々の声が静まり、巫女が舞っていのだ。
振り返ってその様子を見た両親は、愕然としていた。おそらく、二人は『国の気』が現れたのを目にしたのだろう。
その直後に見た両親の眼差しは、今でもはっきりと覚えている。
驚愕と恐れが入り混じった瞳。
あれは、間違いなく、自分の子供に向ける目ではなかった。
ただそこにいるだけで奇跡を拒絶する私は、生まれながらに『鬼』だった。
間の悪いことに、ちょうどその頃は日照りで作物が育たない日々が続いていた。
だから私は捨てられた。鬼がいると、村の皆が不幸になるからと。
「あのさぁ」
昔へと思いを馳せていたところに、小春の溜め息交じりの声が入り込む。
「桜の葉って、過剰摂取すると良くないんじゃなかったっけ?」
「今さらよ。もう何年も飲んでるんだから」
「そりゃそうだけどさ……」
小春は何かを言いかけたが、唇を結んで言葉を呑み込んだようだ。
普段の気ままな振る舞いはどこへやら、こういう流れになると押しが弱くなる。やはり根っこは、子供の頃となんら変わらない。
「薬のこと、葉月様や李々は知ってんの?」
「李々は知ってるわ。葉月は知らない。何度か目の前で飲んだことはあるけど、胃腸薬だとしか教えてないわ」
薬包紙を仕舞い、薬で濁った茶を口にする。桜餅よりもさらに濃い香りが、薬特有の青臭さや葉の粕と共に口の中に流れ込んできた。
「今は教えないの?」
「必要に迫られない限りはね。余計な心配をかけたくないのよ。本当は李々にだって話したくなかったんだから」
黒湖様の加護を打ち消して、巫女を殺す。
そんな所業を成せたのは、『人ならざる力』を無に帰してしまう体質だからだ。
ただそこにいるだけで、巫女は力を使えず、気を見ることすらできなくなる。指先一つでも触れていれば、たちまち黒湖様の加護を一切受け付けない体と化す。
私の手にかかれば、不死身の巫女もただの人となり下がる。
あらゆる奇跡を、この体は拒絶するのだ。
本来なら、そんな私が夜長姫の傍にいられるはずがなかった。
巫女のお務めの妨害となることが明るみに出てしまえば、社に足を踏み入れるなど許されない。姫を殺すなど夢のまた夢だ。
だけど、私は知っていた。
奇跡を拒むこの体質を、少しでも抑える術を。
塩漬けした桜の葉を服用するという方法を。
私が奇跡を拒絶することを『力』ではなく『体質』と称する所以だ。人ならざる力は、正真正銘の奇跡だ。薬なんかで抑えられやしない。
今でも原理は分からない。
確かなのは、この体質が周囲に及ぼす影響を抑えられることだけだ。
夜長姫を殺す。そう決めたあの日から、薬師見習いだった姉さんに提示された量以上を摂取し続けてきた。毎日欠かさずに、ずっと。
確実にこの体質を抑え、夜長姫の傍に居続けられる体へと作り替えるために。
ただし、『国の気』を見ることはできない。
どんなに量や回数を増やしても、そこだけは変わらなかった。
周りへの影響は抑えられても、巫女の力を受け入れることはできても、自身が全ての奇跡を許容するには至らなかった。
だから私は、先日の舞でも目にしていない。
皆が美しいと見惚れた、見事な一本桜を。
「ごちそうさま」
薬を飲み終えたところで席を立つ。
「え、もう? 早くね?」
「あんたも食べ終わったんでしょう。行くわよ」
長居は無用と急かすと、小春は怠そうに腰を上げた。早々に勘定を済ませて店を後にし、道中に見つけた路地裏へ向かって歩き出す。
「そういや、用があるとか言ってたよな。また俺に頼みたいことでもあんの?」
「そんな大層なことじゃないわ」
程なくして路地裏に入る。人目がないことを確認して、改めて話を切り出した。
「あんたが受けた謹慎処分のことだけど」
「あぁ……職務怠慢だろ? それが、静で騒動が起きた一因だって」
「いいえ、違うわ」
小春はだらしないが、考えなしに社に反抗するほど愚かではない。
むしろ彼は本来、慎重で用心深い男だ。
観察力と洞察力の高さはその表れだし、普段の軽薄さはこの男なりの仮面でしかない。職務怠慢で謹慎処分を受けるなんてことは、本来ならばあり得ないのだ。
「なんで、私を庇ってくれたの?」
「ん?」
「声が聞こえるあんたなら、私が葉月を巫女たちから遠ざけようとしていたことくらい、知ってたはずでしょう?」
小春の顔から、笑みが音もなく消えた。
これが本当の小春だ。私と同じ『鬼』の顔。周りから『鬼』と指を差され続けて、心から笑えなくなった本当の顔。
だから小春は『軽薄な男』の面を被る。
私は、面の下の鬼を知る数少ない人間だ。
気を見るのが巫女に限らないように、人ならざる力を持つのも巫女に限らない。
力を持つもの全員が、黒湖様に選ばれるわけではないからだ。基準は定かではないが、大半が選ばれることなく生涯を終える。
鬼狩りは衰退したと言いつつ、鬼への嫌悪が未だ色濃いのはそういうことだ。
力を持つものは言うに及ばず、私のような得意体質の者や、心身に障害を持つ者も一括りに『鬼』と呼ばれる。
静国の社町で、葉月に『鬼』について聞かれた際には「鬼と呼ばれるのは、それ相当のことをした者のみ」と教えた。
だけど、実際にはそれだけじゃないのだ。
あの時は行動範囲のみならず、教える情報も最低限に留めた。巫女に捕まっても、何も知らないまま連れ回されただけと主張できるからだ。
実際、静国での騒動の際、葉月が望んだ『黒湖様の加護』によって複数の怪我人が出たにも関わらず、彼は何一つ罪に問われなかった。
それに葉月は、ぼんやりしているようで聡い。
下手に情報を与えては、私の目的に勘付いてしまう恐れがあった。
そうしたら、危険を承知で共犯になりかねない。出会ったばかりにも関わらず、異様なまでに懐いてくる葉月には、そんな危うさがあった。
だから、鬼について説明をする時も、私はあえて言葉を濁した。
あれは、夜長姫のみを指したのではない。『それ相当』というのは、普通ではないという意味だ。善悪や良心の有無など関係ない。
鬼とは、普通じゃない者を指すのだ。
神の如く崇められる巫女を除いて、例外なく。
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