桜吹雪の後に

片隅シズカ

文字の大きさ
上 下
33 / 76
二章「動国の花」

第十話「開花 ーかいかー」 (後編) ①

しおりを挟む
 昨日の夕方、ようやく動国の社町に着いた。

 この二日間は東語や気の授業もなく、駅も二つ飛ばしてひたすら移動を続けた。
 社町に着くと、翌日に備えて社で充分な休息を取った。それはもう、二日ぶっ通しの馬車での移動の疲れが大方取れるくらいには。

 そして今朝、部屋にはいつも通り、桜さんの迎えが来るはずだった。


「ちょっとお姉さんと、その辺で話しよっか」


 来たのは虹さんだった。

 ちょうど支度を終えたし、断る理由もないので誘いに乗った。部屋には案内されず、本当にその辺の廊下で立ち話をすることになった。

「『桜さん』じゃなくてがっかりした?」
「いえ、そんな」
「半分は図星だろ? 私を見た瞬間、気が白くなったよ。陰の気が増えた証拠だ」
「すみません……」

 ぐうの音も出なかった。気を見る授業を受けた後だから、なおさらだ。

「謝らなくていいよ。反射的に自分の気持ちが出るってことは、心が健全なんだから。私が気になるのは、もう半分の方」
「え?」
「人前に出るのが不安なんだろ? しずかでの騒動と同じことが起きないかって」

 図星すぎて、返す言葉もなかった。黄林さんのように心を共有しているわけでもないのに、あまりにも的確な指摘だった。

「ま、人前に立つ緊張もあるだろうけど」
「……全部、お見通しなんですね」
「まぁねー」

 旅が始まってからずっと、目の前の課題をこなすことで精一杯だった。社町に着いた後の動向にまで、考えがおよんでいなかった。



 社町に入る目前で、ようやく気付いたのだ。

 夜長姫と瓜二つの自分が、巫女として、大勢の人の前に立つ危険性に。



 巫女のお披露目の際は、国中の人が社に押し寄せてくるという。
 あの時の野次馬とは、比べものにならない規模だ。一度でも騒動が起きたら、怪我人が出るどころの話じゃない。

 しかも町の人たちは、新たな巫女に多大な期待を寄せているようなのだ。

 馬車が社町の門をくぐった時、社に続く大通りの左右に大勢の人が集まっているのをすだれ越しに見て、社町にはこんなに人がいたのかと驚いた。

 新たな巫女の存在は、たかふだでの告知もあって周知の事実だ。

 特に、月国は夜長姫のこともある。注目されるのは必然だろうし、ひそひそ声の二つや三つは聞こえてくると踏んでいた。

 だけど実際には、人の数に反して大仰なほどに静まり返っていた。
 それどころか、簾越しでも分かるくらい、人々の表情が喜色に満ちていた。

 正直、不安がられている方が返って気が楽だった。期待が大きい分、裏切られた時の反動もまた大きくなるからだ。


 そんな不安が、本番前の緊張と重なっている。


 もちろん、気持ちがどうだろうと、やることは変わらない。
 それに、僕に巫女になるようにうながした彼女たちが、なんの対策もしていないとは思えない。何より、巫女になることを選んだのは僕だ。

 だから、顔には出さないようにしていたけど、気をいつわることはできないようだ。

「すみません。本番直前なのに、こんな……」
「まぁ、事が事だからな。無理もないよ。しかも、あんたにとっては初舞台だ」
「でも……」
「大丈夫だよ。葉月が心配しているようなことは、絶対に起きないから」

 虹さんが、きっぱりと言いきった。
 なんの躊躇ちゅうちょも、迷いもなく。

「絶対……?」
「あんたの顔を見たところで、連中は変わった見た目の巫女だとしか思わないよ。それは、ここが静の社町だとしても変わらない」
「いや、でも」
「絶対だ」
「…………」

 対策はしているだろうと思っていた。
 だけど、それにしても『絶対』なんてことがあるだろうか。『絶対に起きない』なんて、なんの確信があって言えるのだろうか。

(静でも変わらないなんて、そんな……)

「信じられないって顔だね」
「あ! えっと……」
「いいって。疑い深いくらいが、生きてくには丁度いいんだから」

 虹さんが苦笑する。予想外の言葉に、今度は顔にまで出てしまったらしい。

「まぁ、百聞は一見にかずだよ。具体的なことを説明しても、おそらく今は信じられないだろうからね。だから、これだけは言っておく」

 飄々ひょうひょうと笑っていた虹さんが、一瞬にして真剣な顔つきになった。普段がへらへらとしている上に、元の顔の主張が強いから、真顔になっただけで迫力がある。

「花鶯の舞を、その目に焼き付けておきな」
「え?」


 何言っているんだろうと考えかけたその時、かたわらのふすまが開いた。

 手を伸ばせば触れられるくらい近くに、桜さんが立っていた。


「あ……」
「おはようございます。お二方」

 ぜんとする僕とは裏腹に、桜さんは特に驚いた様子もなく、冷静にこうべを垂れた。慌てて僕も「おはようございます」と返す。

 そして虹さんはといえば、にんまりと口角を上げていた。確信犯ですか。

 桜さんが、ちょっと怖い顔をしている。
 にらまれているのかと少しひるんだけど、その視線は、虹さんへと注がれていた。

「先ほど出歩かれている御姿を見て、虹様にしては早起きだと思いましたが……」
「心外だなぁ。私はいつだって早起きだよ? 慢性的な遅刻魔ってだけでさ」
「堂々と遅刻発言をされるのは、巫女としていかがなものかと思われます。お館様を勝手に連れ出されていたことに関しては、社内でのことなので見逃しましょう」
「あーはいはい。三郎といいあんたといい、他国の巫女に小言多すぎだろ」
「三郎さんがうるさいのは否定しませんが……私は別段、普通かと」

 さり気なく三郎さんがディスられた。
 割と似た者同士だと思っていたけど、桜さんから見ても小うるさいらしい。

「いやいや、あんたも充分小言多いよ。しゅうとめかってくらい。ね?」
「あはは……」
「ほら否定してない!」
「あ、いや! 僕は別に……」

 恐る恐る、桜さんの顔色をうかがう。
 らちが明かないと言わんばかりに、小さく溜め息をついただけだった。助かったのかどうかは、ちょっとよく分からないけど。

「そろそろ朝食の準備が整います。話を切り上げた方がよろしいかと」
「確かに。じゃあ、また後でねー」

 虹さんが、長い赤毛を揺らして去っていく。
 僕より背が高いし、目の前に立っていると圧を感じるのに、後ろ姿だけならごく普通に女性らしいのだから不思議なものだ。

 にぎやかな虹さんがいなくなったことで、廊下が急に静かになった。

(あ…………)


 二人きりだと意識した瞬間、全身が熱くなった。頭に血が昇る。

 慌ててうつむいたものの、逆に桜さんの目に留まってしまった。体温がさらに急上昇して、今にものぼせ上りそうだ。


「葉月?」
「えっと、なんでもないです!」
「いや、なんでもなくないでしょ……」

 呆れ顔で突っ込まれた。桜さんからしたら意味不明な行動でしかないと分かっていても、顔を上げられない。

(よりによって、桜さんの前でこんな……)

 あの日、桜さんへの気持ちを自覚してから、体がおかしくなってしまった。
 時々、こんな風にやたらと熱くなるのだ。桜さんのことを思い返す時とか、桜さんの送迎の後とか、誰かに桜さんの話をする時とか。
 

 桜さんは、どうなんだろう。僕のこと……どう思ってるんだろう。


「大丈夫よ」
「え?」

 一瞬、心を読まれたのかとドキリとしたが、黄林さんじゃないのでそんなわけがない。桜さんが続けた言葉は全く別のものだった。

「心配しなくても、巫女の前で暴れる輩はそうそういないわ。巫女は神聖な存在だもの。夜長姫に似ていても、それは変わらない」
「えっと……あ」

 沸騰しかけていた頭が、急速に冷めていく。
 虹さんとしていた話のことだと理解するのに、少し時間がかかってしまった。

 実際に悩んでいたし、今でも悩んでいる。

 だけど、彼女のことで頭が熱くなっている間だけは、ずっと胸につっかえていた不安をすっかり忘れていた。ほんの数秒だったけど、確かに。

「万が一いたとしても衛兵がいるし、いざとなれば私が盾になるわ」
「桜さん……」

(めっちゃ心配してくれてる……っ)

 嬉しすぎて、胸が締め付けられる。
 同時に、頭の中がお花畑だった自分が嫌すぎて土下座したい衝動に駆られた。ドン引きされるだけなので、実際にはやらないけど。

「――――って、駄目ですよ!! 盾なんて」
「巫女の従者になるというのはね、巫女の矛になり、盾になるということよ。たとえそれで、我が身を滅ぼすことになろうともね」
「いや、でも」
「私がそうしたいの」

 真っ直ぐに見つめられ、返す言葉を失った。

「あんたには笑っていてほしい。だから、あんたが生きている限り、ずっとそばにいるって決めたの。たとえ従者じゃなかったとしてもね」

(あぁ……そうだ)



 思えば、僕はこの瞳に惹かれたんだ。迷いのない、強くて綺麗なこの瞳に。

 確固とした自分を持つ、ほのおのような瞳に。



 盾になんてなってほしくない。
 僕の代わりに傷付いてほしくなんかない。

 だけど、彼女の意志がじ曲げられてしまうのも、同じくらい嫌だ。



 他の誰にも、僕自身にも。



「……無理ですよ」
「え?」
「僕を守って桜さんがいなくなったら、きっと、一生笑えない。分かるんです」

 そう、分かる。実際に僕は知っている。
 目の前が真っ暗になって、いっそのこと消えてしまいたくなる……あの感覚を。


 僕が今、心から笑えるのは、桜さんに出会えたからにほかならない。


「だから、僕、強くなります。自分の身をちゃんと守れるように。桜さんが盾になって、傷付かなくてもいいように」
「葉月……」
「まぁ、そのためにはきたえないとですけど」
「…………」

 不意に、桜さんが歩み寄ってきた。ゆっくりと、僕を見つめたまま。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

義妹がピンク色の髪をしています

ゆーぞー
ファンタジー
彼女を見て思い出した。私には前世の記憶がある。そしてピンク色の髪の少女が妹としてやって来た。ヤバい、うちは男爵。でも貧乏だから王族も通うような学校には行けないよね。

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

霞月の里

そゆ
ファンタジー
山奥の小さな村で穏やかな日々を過ごしていた明継と緋咲。そんな2人の前に現れたのは漆黒の衣装に身を包んだ金瞳の男だった。 2人を連れ去った男は、彼らの体に秘められた異能力の存在を告げ、その解放を求めた。 自分たちがなぜ特殊な能力をもち、どのように生まれてきたのか。運命に翻弄された2人がたどり着いた出生の秘密とは? 戦国時代を基礎にしていますが、時代背景と文明基準ゆるゆるの和風ファンタジーです。 化け物との戦いや、明継の体に宿る力を主軸にした物語になっています。 ※中盤からヒロインが強くなっていきます。男主人公がメインヒロイン? 毎週月曜日、18時台に更新します この作品は他サイトにも掲載しています

悪役令嬢の騎士

コムラサキ
ファンタジー
帝都の貧しい家庭に育った少年は、ある日を境に前世の記憶を取り戻す。 異世界に転生したが、戦争に巻き込まれて悲惨な最期を迎えてしまうようだ。 少年は前世の知識と、あたえられた特殊能力を使って生き延びようとする。 そのためには、まず〈悪役令嬢〉を救う必要がある。 少年は彼女の騎士になるため、この世界で生きていくことを決意する。

処理中です...