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二章「動国の花」
第十話「開花 ーかいかー」 (後編) ①
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昨日の夕方、ようやく動国の社町に着いた。
この二日間は東語や気の授業もなく、駅も二つ飛ばしてひたすら移動を続けた。
社町に着くと、翌日に備えて社で充分な休息を取った。それはもう、二日ぶっ通しの馬車での移動の疲れが大方取れるくらいには。
そして今朝、部屋にはいつも通り、桜さんの迎えが来るはずだった。
「ちょっとお姉さんと、その辺で話しよっか」
来たのは虹さんだった。
ちょうど支度を終えたし、断る理由もないので誘いに乗った。部屋には案内されず、本当にその辺の廊下で立ち話をすることになった。
「『桜さん』じゃなくてがっかりした?」
「いえ、そんな」
「半分は図星だろ? 私を見た瞬間、気が白くなったよ。陰の気が増えた証拠だ」
「すみません……」
ぐうの音も出なかった。気を見る授業を受けた後だから、なおさらだ。
「謝らなくていいよ。反射的に自分の気持ちが出るってことは、心が健全なんだから。私が気になるのは、もう半分の方」
「え?」
「人前に出るのが不安なんだろ? 静での騒動と同じことが起きないかって」
図星すぎて、返す言葉もなかった。黄林さんのように心を共有しているわけでもないのに、あまりにも的確な指摘だった。
「ま、人前に立つ緊張もあるだろうけど」
「……全部、お見通しなんですね」
「まぁねー」
旅が始まってからずっと、目の前の課題をこなすことで精一杯だった。社町に着いた後の動向にまで、考えが及んでいなかった。
社町に入る目前で、ようやく気付いたのだ。
夜長姫と瓜二つの自分が、巫女として、大勢の人の前に立つ危険性に。
巫女のお披露目の際は、国中の人が社に押し寄せてくるという。
あの時の野次馬とは、比べものにならない規模だ。一度でも騒動が起きたら、怪我人が出るどころの話じゃない。
しかも町の人たちは、新たな巫女に多大な期待を寄せているようなのだ。
馬車が社町の門を潜った時、社に続く大通りの左右に大勢の人が集まっているのを簾越しに見て、社町にはこんなに人がいたのかと驚いた。
新たな巫女の存在は、高札での告知もあって周知の事実だ。
特に、月国は夜長姫のこともある。注目されるのは必然だろうし、ひそひそ声の二つや三つは聞こえてくると踏んでいた。
だけど実際には、人の数に反して大仰なほどに静まり返っていた。
それどころか、簾越しでも分かるくらい、人々の表情が喜色に満ちていた。
正直、不安がられている方が返って気が楽だった。期待が大きい分、裏切られた時の反動もまた大きくなるからだ。
そんな不安が、本番前の緊張と重なっている。
もちろん、気持ちがどうだろうと、やることは変わらない。
それに、僕に巫女になるように促した彼女たちが、なんの対策もしていないとは思えない。何より、巫女になることを選んだのは僕だ。
だから、顔には出さないようにしていたけど、気を偽ることはできないようだ。
「すみません。本番直前なのに、こんな……」
「まぁ、事が事だからな。無理もないよ。しかも、あんたにとっては初舞台だ」
「でも……」
「大丈夫だよ。葉月が心配しているようなことは、絶対に起きないから」
虹さんが、きっぱりと言いきった。
なんの躊躇も、迷いもなく。
「絶対……?」
「あんたの顔を見たところで、連中は変わった見た目の巫女だとしか思わないよ。それは、ここが静の社町だとしても変わらない」
「いや、でも」
「絶対だ」
「…………」
対策はしているだろうと思っていた。
だけど、それにしても『絶対』なんてことがあるだろうか。『絶対に起きない』なんて、なんの確信があって言えるのだろうか。
(静でも変わらないなんて、そんな……)
「信じられないって顔だね」
「あ! えっと……」
「いいって。疑い深いくらいが、生きてくには丁度いいんだから」
虹さんが苦笑する。予想外の言葉に、今度は顔にまで出てしまったらしい。
「まぁ、百聞は一見に如かずだよ。具体的なことを説明しても、おそらく今は信じられないだろうからね。だから、これだけは言っておく」
飄々と笑っていた虹さんが、一瞬にして真剣な顔つきになった。普段がへらへらとしている上に、元の顔の主張が強いから、真顔になっただけで迫力がある。
「花鶯の舞を、その目に焼き付けておきな」
「え?」
何言っているんだろうと考えかけたその時、傍らの襖が開いた。
手を伸ばせば触れられるくらい近くに、桜さんが立っていた。
「あ……」
「おはようございます。お二方」
唖然とする僕とは裏腹に、桜さんは特に驚いた様子もなく、冷静に首を垂れた。慌てて僕も「おはようございます」と返す。
そして虹さんはといえば、にんまりと口角を上げていた。確信犯ですか。
桜さんが、ちょっと怖い顔をしている。
睨まれているのかと少し怯んだけど、その視線は、虹さんへと注がれていた。
「先ほど出歩かれている御姿を見て、虹様にしては早起きだと思いましたが……」
「心外だなぁ。私はいつだって早起きだよ? 慢性的な遅刻魔ってだけでさ」
「堂々と遅刻発言をされるのは、巫女としていかがなものかと思われます。お館様を勝手に連れ出されていたことに関しては、社内でのことなので見逃しましょう」
「あーはいはい。三郎といいあんたといい、他国の巫女に小言多すぎだろ」
「三郎さんがうるさいのは否定しませんが……私は別段、普通かと」
さり気なく三郎さんがディスられた。
割と似た者同士だと思っていたけど、桜さんから見ても小うるさいらしい。
「いやいや、あんたも充分小言多いよ。姑かってくらい。ね?」
「あはは……」
「ほら否定してない!」
「あ、いや! 僕は別に……」
恐る恐る、桜さんの顔色を窺う。
埒が明かないと言わんばかりに、小さく溜め息をついただけだった。助かったのかどうかは、ちょっとよく分からないけど。
「そろそろ朝食の準備が整います。話を切り上げた方がよろしいかと」
「確かに。じゃあ、また後でねー」
虹さんが、長い赤毛を揺らして去っていく。
僕より背が高いし、目の前に立っていると圧を感じるのに、後ろ姿だけならごく普通に女性らしいのだから不思議なものだ。
賑やかな虹さんがいなくなったことで、廊下が急に静かになった。
(あ…………)
二人きりだと意識した瞬間、全身が熱くなった。頭に血が昇る。
慌てて俯いたものの、逆に桜さんの目に留まってしまった。体温がさらに急上昇して、今にものぼせ上りそうだ。
「葉月?」
「えっと、なんでもないです!」
「いや、なんでもなくないでしょ……」
呆れ顔で突っ込まれた。桜さんからしたら意味不明な行動でしかないと分かっていても、顔を上げられない。
(よりによって、桜さんの前でこんな……)
あの日、桜さんへの気持ちを自覚してから、体がおかしくなってしまった。
時々、こんな風にやたらと熱くなるのだ。桜さんのことを思い返す時とか、桜さんの送迎の後とか、誰かに桜さんの話をする時とか。
桜さんは、どうなんだろう。僕のこと……どう思ってるんだろう。
「大丈夫よ」
「え?」
一瞬、心を読まれたのかとドキリとしたが、黄林さんじゃないのでそんなわけがない。桜さんが続けた言葉は全く別のものだった。
「心配しなくても、巫女の前で暴れる輩はそうそういないわ。巫女は神聖な存在だもの。夜長姫に似ていても、それは変わらない」
「えっと……あ」
沸騰しかけていた頭が、急速に冷めていく。
虹さんとしていた話のことだと理解するのに、少し時間がかかってしまった。
実際に悩んでいたし、今でも悩んでいる。
だけど、彼女のことで頭が熱くなっている間だけは、ずっと胸につっかえていた不安をすっかり忘れていた。ほんの数秒だったけど、確かに。
「万が一いたとしても衛兵がいるし、いざとなれば私が盾になるわ」
「桜さん……」
(めっちゃ心配してくれてる……っ)
嬉しすぎて、胸が締め付けられる。
同時に、頭の中がお花畑だった自分が嫌すぎて土下座したい衝動に駆られた。ドン引きされるだけなので、実際にはやらないけど。
「――――って、駄目ですよ!! 盾なんて」
「巫女の従者になるというのはね、巫女の矛になり、盾になるということよ。たとえそれで、我が身を滅ぼすことになろうともね」
「いや、でも」
「私がそうしたいの」
真っ直ぐに見つめられ、返す言葉を失った。
「あんたには笑っていてほしい。だから、あんたが生きている限り、ずっと傍にいるって決めたの。たとえ従者じゃなかったとしてもね」
(あぁ……そうだ)
思えば、僕はこの瞳に惹かれたんだ。迷いのない、強くて綺麗なこの瞳に。
確固とした自分を持つ、焔のような瞳に。
盾になんてなってほしくない。
僕の代わりに傷付いてほしくなんかない。
だけど、彼女の意志が捻じ曲げられてしまうのも、同じくらい嫌だ。
他の誰にも、僕自身にも。
「……無理ですよ」
「え?」
「僕を守って桜さんがいなくなったら、きっと、一生笑えない。分かるんです」
そう、分かる。実際に僕は知っている。
目の前が真っ暗になって、いっそのこと消えてしまいたくなる……あの感覚を。
僕が今、心から笑えるのは、桜さんに出会えたからにほかならない。
「だから、僕、強くなります。自分の身をちゃんと守れるように。桜さんが盾になって、傷付かなくてもいいように」
「葉月……」
「まぁ、そのためには鍛えないとですけど」
「…………」
不意に、桜さんが歩み寄ってきた。ゆっくりと、僕を見つめたまま。
この二日間は東語や気の授業もなく、駅も二つ飛ばしてひたすら移動を続けた。
社町に着くと、翌日に備えて社で充分な休息を取った。それはもう、二日ぶっ通しの馬車での移動の疲れが大方取れるくらいには。
そして今朝、部屋にはいつも通り、桜さんの迎えが来るはずだった。
「ちょっとお姉さんと、その辺で話しよっか」
来たのは虹さんだった。
ちょうど支度を終えたし、断る理由もないので誘いに乗った。部屋には案内されず、本当にその辺の廊下で立ち話をすることになった。
「『桜さん』じゃなくてがっかりした?」
「いえ、そんな」
「半分は図星だろ? 私を見た瞬間、気が白くなったよ。陰の気が増えた証拠だ」
「すみません……」
ぐうの音も出なかった。気を見る授業を受けた後だから、なおさらだ。
「謝らなくていいよ。反射的に自分の気持ちが出るってことは、心が健全なんだから。私が気になるのは、もう半分の方」
「え?」
「人前に出るのが不安なんだろ? 静での騒動と同じことが起きないかって」
図星すぎて、返す言葉もなかった。黄林さんのように心を共有しているわけでもないのに、あまりにも的確な指摘だった。
「ま、人前に立つ緊張もあるだろうけど」
「……全部、お見通しなんですね」
「まぁねー」
旅が始まってからずっと、目の前の課題をこなすことで精一杯だった。社町に着いた後の動向にまで、考えが及んでいなかった。
社町に入る目前で、ようやく気付いたのだ。
夜長姫と瓜二つの自分が、巫女として、大勢の人の前に立つ危険性に。
巫女のお披露目の際は、国中の人が社に押し寄せてくるという。
あの時の野次馬とは、比べものにならない規模だ。一度でも騒動が起きたら、怪我人が出るどころの話じゃない。
しかも町の人たちは、新たな巫女に多大な期待を寄せているようなのだ。
馬車が社町の門を潜った時、社に続く大通りの左右に大勢の人が集まっているのを簾越しに見て、社町にはこんなに人がいたのかと驚いた。
新たな巫女の存在は、高札での告知もあって周知の事実だ。
特に、月国は夜長姫のこともある。注目されるのは必然だろうし、ひそひそ声の二つや三つは聞こえてくると踏んでいた。
だけど実際には、人の数に反して大仰なほどに静まり返っていた。
それどころか、簾越しでも分かるくらい、人々の表情が喜色に満ちていた。
正直、不安がられている方が返って気が楽だった。期待が大きい分、裏切られた時の反動もまた大きくなるからだ。
そんな不安が、本番前の緊張と重なっている。
もちろん、気持ちがどうだろうと、やることは変わらない。
それに、僕に巫女になるように促した彼女たちが、なんの対策もしていないとは思えない。何より、巫女になることを選んだのは僕だ。
だから、顔には出さないようにしていたけど、気を偽ることはできないようだ。
「すみません。本番直前なのに、こんな……」
「まぁ、事が事だからな。無理もないよ。しかも、あんたにとっては初舞台だ」
「でも……」
「大丈夫だよ。葉月が心配しているようなことは、絶対に起きないから」
虹さんが、きっぱりと言いきった。
なんの躊躇も、迷いもなく。
「絶対……?」
「あんたの顔を見たところで、連中は変わった見た目の巫女だとしか思わないよ。それは、ここが静の社町だとしても変わらない」
「いや、でも」
「絶対だ」
「…………」
対策はしているだろうと思っていた。
だけど、それにしても『絶対』なんてことがあるだろうか。『絶対に起きない』なんて、なんの確信があって言えるのだろうか。
(静でも変わらないなんて、そんな……)
「信じられないって顔だね」
「あ! えっと……」
「いいって。疑い深いくらいが、生きてくには丁度いいんだから」
虹さんが苦笑する。予想外の言葉に、今度は顔にまで出てしまったらしい。
「まぁ、百聞は一見に如かずだよ。具体的なことを説明しても、おそらく今は信じられないだろうからね。だから、これだけは言っておく」
飄々と笑っていた虹さんが、一瞬にして真剣な顔つきになった。普段がへらへらとしている上に、元の顔の主張が強いから、真顔になっただけで迫力がある。
「花鶯の舞を、その目に焼き付けておきな」
「え?」
何言っているんだろうと考えかけたその時、傍らの襖が開いた。
手を伸ばせば触れられるくらい近くに、桜さんが立っていた。
「あ……」
「おはようございます。お二方」
唖然とする僕とは裏腹に、桜さんは特に驚いた様子もなく、冷静に首を垂れた。慌てて僕も「おはようございます」と返す。
そして虹さんはといえば、にんまりと口角を上げていた。確信犯ですか。
桜さんが、ちょっと怖い顔をしている。
睨まれているのかと少し怯んだけど、その視線は、虹さんへと注がれていた。
「先ほど出歩かれている御姿を見て、虹様にしては早起きだと思いましたが……」
「心外だなぁ。私はいつだって早起きだよ? 慢性的な遅刻魔ってだけでさ」
「堂々と遅刻発言をされるのは、巫女としていかがなものかと思われます。お館様を勝手に連れ出されていたことに関しては、社内でのことなので見逃しましょう」
「あーはいはい。三郎といいあんたといい、他国の巫女に小言多すぎだろ」
「三郎さんがうるさいのは否定しませんが……私は別段、普通かと」
さり気なく三郎さんがディスられた。
割と似た者同士だと思っていたけど、桜さんから見ても小うるさいらしい。
「いやいや、あんたも充分小言多いよ。姑かってくらい。ね?」
「あはは……」
「ほら否定してない!」
「あ、いや! 僕は別に……」
恐る恐る、桜さんの顔色を窺う。
埒が明かないと言わんばかりに、小さく溜め息をついただけだった。助かったのかどうかは、ちょっとよく分からないけど。
「そろそろ朝食の準備が整います。話を切り上げた方がよろしいかと」
「確かに。じゃあ、また後でねー」
虹さんが、長い赤毛を揺らして去っていく。
僕より背が高いし、目の前に立っていると圧を感じるのに、後ろ姿だけならごく普通に女性らしいのだから不思議なものだ。
賑やかな虹さんがいなくなったことで、廊下が急に静かになった。
(あ…………)
二人きりだと意識した瞬間、全身が熱くなった。頭に血が昇る。
慌てて俯いたものの、逆に桜さんの目に留まってしまった。体温がさらに急上昇して、今にものぼせ上りそうだ。
「葉月?」
「えっと、なんでもないです!」
「いや、なんでもなくないでしょ……」
呆れ顔で突っ込まれた。桜さんからしたら意味不明な行動でしかないと分かっていても、顔を上げられない。
(よりによって、桜さんの前でこんな……)
あの日、桜さんへの気持ちを自覚してから、体がおかしくなってしまった。
時々、こんな風にやたらと熱くなるのだ。桜さんのことを思い返す時とか、桜さんの送迎の後とか、誰かに桜さんの話をする時とか。
桜さんは、どうなんだろう。僕のこと……どう思ってるんだろう。
「大丈夫よ」
「え?」
一瞬、心を読まれたのかとドキリとしたが、黄林さんじゃないのでそんなわけがない。桜さんが続けた言葉は全く別のものだった。
「心配しなくても、巫女の前で暴れる輩はそうそういないわ。巫女は神聖な存在だもの。夜長姫に似ていても、それは変わらない」
「えっと……あ」
沸騰しかけていた頭が、急速に冷めていく。
虹さんとしていた話のことだと理解するのに、少し時間がかかってしまった。
実際に悩んでいたし、今でも悩んでいる。
だけど、彼女のことで頭が熱くなっている間だけは、ずっと胸につっかえていた不安をすっかり忘れていた。ほんの数秒だったけど、確かに。
「万が一いたとしても衛兵がいるし、いざとなれば私が盾になるわ」
「桜さん……」
(めっちゃ心配してくれてる……っ)
嬉しすぎて、胸が締め付けられる。
同時に、頭の中がお花畑だった自分が嫌すぎて土下座したい衝動に駆られた。ドン引きされるだけなので、実際にはやらないけど。
「――――って、駄目ですよ!! 盾なんて」
「巫女の従者になるというのはね、巫女の矛になり、盾になるということよ。たとえそれで、我が身を滅ぼすことになろうともね」
「いや、でも」
「私がそうしたいの」
真っ直ぐに見つめられ、返す言葉を失った。
「あんたには笑っていてほしい。だから、あんたが生きている限り、ずっと傍にいるって決めたの。たとえ従者じゃなかったとしてもね」
(あぁ……そうだ)
思えば、僕はこの瞳に惹かれたんだ。迷いのない、強くて綺麗なこの瞳に。
確固とした自分を持つ、焔のような瞳に。
盾になんてなってほしくない。
僕の代わりに傷付いてほしくなんかない。
だけど、彼女の意志が捻じ曲げられてしまうのも、同じくらい嫌だ。
他の誰にも、僕自身にも。
「……無理ですよ」
「え?」
「僕を守って桜さんがいなくなったら、きっと、一生笑えない。分かるんです」
そう、分かる。実際に僕は知っている。
目の前が真っ暗になって、いっそのこと消えてしまいたくなる……あの感覚を。
僕が今、心から笑えるのは、桜さんに出会えたからにほかならない。
「だから、僕、強くなります。自分の身をちゃんと守れるように。桜さんが盾になって、傷付かなくてもいいように」
「葉月……」
「まぁ、そのためには鍛えないとですけど」
「…………」
不意に、桜さんが歩み寄ってきた。ゆっくりと、僕を見つめたまま。
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