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二章「動国の花」
第九話「開花 ーかいかー」 (前編) ②
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「全く、悩むくらいなら私に聞きなさいよ。授業に身が入らないなんてことがあったら、ただじゃ済まないんだから」
「すみません……」
花鶯さんに怒られてしまった。当然だろう。僕個人の悩みで授業に悪影響が及ぶなんて、はた迷惑もいいところだ。
そのまま説教になるかと思いきや、黄林さんが「ふふ」と笑ったことで矛先が僕から逸れた。花鶯さんが、露骨に嫌そうな顔で笑い声の主を睨む。
「何よ」
「かおちゃんは責任感が強いものね。不甲斐ないと思っているんでしょう? 後輩が人知れず不安を抱えていたことに気付けなくて」
「な、なんで私の心まで共有してんのよ!?」
(心配してくれたのか……)
勝手に共有された花鶯さんには悪いけど、彼女の内心を知れたのは嬉しい。
素直に心配してくれればいいものを、キツイ言葉に置き換えてしまう辺りも、きいちゃんと本当によく似ている。
顔を真っ赤にする花鶯さんをよそに、黄林さんは「ちなみに」と言葉を続けた。
「みんなが力のことについて聞かなかったのは、会議の時から翌朝まであなたの心を共有していて、既に事情を知っていたからよ」
「そんな長いことですか!?」
「ごめんなさいね、監視も兼ねていたものだから。でも安心して。会議の後に関しては、他のみんなには一切共有していないから」
苦笑する黄林さんを前に、改めて戦慄するほかない。全然気付かなかった。
(ていうことは、まさか……桜さんの前で大泣きしたことも!?)
うわあああああああ!!
人目がなかったらのたうち回るレベルで恥ずかしい。生き恥もいいところだ。
「黄林、そろそろ話を締めてくれる? このままのぼせ上って熱でも出されたら、授業どころじゃなくなるから」
さらっと、とどめを刺された。
なんとか堪えたつもりが、既に沸騰していたと突き付けられ、今すぐこの場から立ち去りたくなった。僕の力、透明化だったりしないだろうか。
「そうね。でも、あと二つだけ言わせて」
「え、二つですか?」
「そうよ。どちらも大事だから。まず一つ目」
改めて、黄林さんが神妙な顔つきになった。
「今言ったように、力の存在はむやみに表に出していいものではないの。だから、私の力の詳細は、従者以外には内緒よ。彩雲君にもね」
思わず「え?」と声を上げた。
「伝えるなんて言葉でわざわざ濁したのは、彩雲君がいたからなの。だから、あなたにはこうして今、実感してもらったわけだけど」
「でも、彩雲君も仮初とはいえ従者ですよ? それに偽ったとはいえ、力の詳細を話したことになるんじゃ……」
「大丈夫よ。仮に誰かに話したとしても鼻で笑われるだけでしょうし、口下手で頭も態度も利口とはいえないから、まず正確に伝わらないわ」
本人のあずかり知らないところで、好き放題に言われまくる彩雲君だった。
「それに、仮初の従者にしているのは、虹さんの傍に置いておくための口実にすぎないわ。だから、あの子は他の民衆と同じように扱うことにしているの。社や巫女に関する情報も、必要最低限しか耳に入れないつもりよ」
(そういえば、出発前にも言ってたな)
部外者なのにって、花鶯さんが連れていくことに猛反対してたっけ。差別というより、巻き込みたくないといった口ぶりだったけど。
彼は、この状況をどう思っているんだろう。
有無を言わさず連れ回されているのに、周りからは部外者扱いされる。
そんな矛盾した自分の立場を、彼はどう捉えているんだろう。
やたらと反抗的なのは、もしかしたらその矛盾に起因しているのかもしれない。
「……そういうことなら、分かりました」
「もう一つはね」
ごくりと、唾を飲み込んだ。
「ごめんなさいね。勝手に共有しちゃって」
「え? あ、いえ」
「今後は必要に迫られない限り、勝手に共有しないわ。今は私の力をちゃんと知ってもらうために、あえてそうしただけだから」
「あんた、私の心を普通に共有したけど?」
花鶯さんがじろりと、恨みがましく黄林さんを睨みつける。
「必要だと思ったからよ。どうせなら、優しい先輩だと思われたいでしょう?」
「余計なお世話よ!」
睨みが一切効かないどころか、軽くあしらわれてしまう花鶯さんだった。
二人の寸劇が終わったところで、僕は「あの」と声を上げた。
「……それが、二つ目ですか?」
「えぇ、そうよ。大事なことでしょう? いつ心を共有されるか分からなかったら、溜まったものじゃないもの」
唖然とする僕に、黄林さんがおどけるような口調で笑いかけた。
子供のような満面の笑みだ。少々わざとらしいくらいに。僕の緊張を解きほぐそうとしてくれているのかもしれない。
「もっとも、必要な時は共有させてもらうし、事前に断りを入れられないことも多々あるわ。気分悪いでしょうけど」
「いえ、大丈夫です。そうせざるを得ないんだと分かってますから」
「……ありがとう」
黄林さんの顔が、ふわりと綻んだ。
普段から笑顔を絶やさない人だけど、これは多分……自然に零れた笑顔だ。
「私の話はこの辺にしましょう。早速だけど、また視界を共有してもらうわね」
「はい」
「じゃあ、前をしっかり見ていて」
視界が暗転する。
再び、目の前に僕が現れた。黄林さんが今見ている、僕の姿だ。
そして次の瞬間、視界が桜色で満たされた。
「うわぁ……」
僕の頭や肩から、桜のような可憐な花弁を纏った枝が伸びている。さながら、僕が木の幹であるかのように。
枝は、なんとも不思議な色をしていた。
透明だけど、花弁の色と同じ淡い桜色を帯びている。光が反射して、所々が虹色に煌めいている。枝の形を催した宝石細工のようだ。
さらにその周りには、いくつもの赤と白の線が渦巻いていた。まるで体の一部だと言わんばかりに、ぴったりと桜にくっついて離れない。
体から伸びて、宝石のような枝を持ち、紅白の線を纏うその桜は、僕の知っている桜とは全然違う。まさしく摩訶不思議というやつだ。
だけど、美しかった。
言葉を忘れてしまうくらいに、息を呑んでしまうくらいに。
「それが気よ。私から見える、葉月君の気」
「僕の気……」
「桜の木みたいでしょう? だから桜は、神聖な木として大切にされているの」
以前、桜さんから聞いたことがある話だ。単なる風習の一環かと思いきや、まさか巫女が見る『気』に由来するものだったとは。
「五国の形が桜の花びらみたいに描かれるのも、実のところ、桜の木が神聖だという概念からくるこじ付けにすぎないのよ」
「そういうの、僕の世界にもありますよ。月で餅をつく兎とか」
「あら、そちらの世界にも月があるのね」
「はい。自然とか天候とか、結構この世界と共通していることが多いですよ。文明も昔の日本……僕のいた国に似てるんです。言葉とか、着物とか、高札とか、和装本とか。あと、日本にはなかったんですけど、社町を囲む壁とかも――」
ふと、一つの疑問が湧いた。
「……あの、聞きたいことがあるんですけど」
「なに?」
黄林さんの声が、一段と低く聞こえた。
今は黄林さんの視界を共有している状態だから、彼女の姿が見えない。
そのせいで黄林さんの感情が読めなくて怖いけど、あえて構わないことにした。聞ける時に聞いて、この疑問を解消しておきたい。
「僕が静で見た膜って、結局何なんでしょうか。確か、社町の門に張ってある結界だって言ってましたけど」
「あれも気よ」
やっぱりそうかと合点がいった。
会議の時、黄林さんが言っていたのだ。巫女に選ばれるほどの者でもない限り、あの結界を見るのは不可能に等しいと。
「膜のように見えたっていうけれど、あれも例外なく桜の木の形をしているわ。きっと、ぼんやりとしか見えなかったんでしょうね」
「気って、門にもあるんですか? 人間とか動物なら分かりますけど……」
「もちろんあるわよ。気というのは、始まりと終わりがあるもの全て……すなわち万物に宿るものなの。何も生き物に限らないわ」
(そういえば、黒湖様は『湖に宿る意思』だ)
湖に宿る『意思』に、万物に宿る『気』。
本当に、八百万の神々みたいだ。
「桜ちゃんが捕らわれたのは、あの門の気がそういう風に強化されているからよ。異常事態であれば、一般人でも捕えられるようにね」
「強化?」
「えぇ。巫女は気を整えるのみならず、用途に合わせて手を加えることもできるの。私たちはそれを『気の強化』と呼んでいるわ」
(そんなことまで、できるのか……)
「ちなみに、気に触れるのと捕らえられるのは全くの別物よ。気に触れることができるのは、黒湖様に選ばれた巫女のみだから」
つまり、巫女は気を強化することで一般人に干渉できるということだ。
巫女からしたら、気は道具でもあるのだ。
人から見えない道具なんて、使い方次第では立派な兵器になり得る。
(僕もこれから、それを――)
「あのね」
怖じ気づきそうになった僕を見かねたのか、花鶯さんが口を開いた。
「言っとくけど、気の強化も巫女の大事なお務めの一つよ。あんたも、この視察中にできるようにならないと駄目だから」
「あ、はい!」
花鶯さんの叱咤で、ビシッと背筋が伸びる。その反動だろうか。沸き上がりかけた恐怖心も、いったん収まった。
どんなに怖くても、やることに変わりはない。
桜さんの傍にいる。ただそれだけのために、僕は巫女になったんだから。
「まぁ、それも気を自分で見れないことには話にならないわ。花びらを見て」
花鶯さんの声に従い、花びらに視線を移した。
「この花びらが白に近いほど『陰』の気を、赤に近いほど『陽』の気を有しているわ。そして、周りの赤と白の線」
今度は、螺旋状に渦巻く紅白の線へ目をやる。
「この線が、私たちが手を加えるものよ。陽を減らすには赤い線を、陰を減らすには白い線を切る……つまり、多い方の線を切って、花びらを桜色に近づけるの」
「あぁ、なるほど。赤と白を混ぜると桜色になりますもんね」
「もちろん、人によって個人差はあるけどね。元々白よりの人もいれば、赤よりの人もいる。あんたの場合は白よりね」
「あ、本当だ」
確かに、言われてみれば若干白みがかった桜色をしている。
「僕の気は、陰が多いということですか?」
「そうね。まぁ、要は極端に赤すぎたり白すぎたりしなければいいだけ。まずはそれを頭に入れておきなさい」
「分かりました……あれ?」
ふと、ある一点が目に入った。透明な枝の中に、白く染まっている箇所があったのだ。まるで、木に生えた白カビのように。
いや、一つだけじゃない。
よく見ると、同じような白い箇所が小さいながらも所々に見受けられる。
「あの、その白いのはなんですか? なんか、枝にいくつかあるんですけど」
「……分からないわ」
「え?」
「でも、確かなことが二つある」
黄林さんが視界の共有を止めたのだろう。桜があっけなく霧散し、視界が元に戻った。名残惜しいけど、今は花鶯さんに目を向ける。
何やら、難しそうな顔をしていた。
「一つは、枝が白く染まるのは稀ということよ。気の色は基本的に花びらに反映するけど、中には、枝にまで色が及んでいる人がいるの。本当に稀だけれど」
大切なことであるとでも言わんばかりに、繰り返して言った。
「もう一つは、夜長がそうだったということ」
「え……っ?」
先日の李々さんの言葉が、頭を過る。
『もし、世界の敵になったらどうしますか?』
『生きていることで、愛する人を不幸にしてしまう……そんなおぞましい存在になったら、あなたはどうしますか?』
「……あの、変なこと聞いてもいいですか?」
「なに?」
「この体って、もしかして……夜長姫のものなんでしょうか?」
「…………」
花鶯さんが沈黙した。
だけど、不安に駆られるほど待たされることはなく、すぐにその唇が開いた。
「……夜長の気は、白い箇所どころかほぼ白だったわ。もはや白い枝に白い花よ。共通点があるというだけで、あんたの気とはまるで違う」
「じゃあ……っ」
「えぇ。その体が夜長のものということは、まずあり得ないわ」
「……そっか」
安堵の息が、声と共に漏れた。正直、不安で仕方なかったのだ。
夜長姫だと言われた、あの夜からずっと。
だけど、それを今、花鶯さんがはっきりと否定してくれた。圧しかかっていた肩の荷が、彼女の言葉で全部下りた。
「大体、その体は男なんでしょう?」
「あ……」
今になって、何を馬鹿なことを言ってるんだろうと、ちょっと恥ずかしくなった。せっかく肩の荷が下りたのに、今度は羞恥心で全身が熱くなってしまった。
「すみません……」
花鶯さんに怒られてしまった。当然だろう。僕個人の悩みで授業に悪影響が及ぶなんて、はた迷惑もいいところだ。
そのまま説教になるかと思いきや、黄林さんが「ふふ」と笑ったことで矛先が僕から逸れた。花鶯さんが、露骨に嫌そうな顔で笑い声の主を睨む。
「何よ」
「かおちゃんは責任感が強いものね。不甲斐ないと思っているんでしょう? 後輩が人知れず不安を抱えていたことに気付けなくて」
「な、なんで私の心まで共有してんのよ!?」
(心配してくれたのか……)
勝手に共有された花鶯さんには悪いけど、彼女の内心を知れたのは嬉しい。
素直に心配してくれればいいものを、キツイ言葉に置き換えてしまう辺りも、きいちゃんと本当によく似ている。
顔を真っ赤にする花鶯さんをよそに、黄林さんは「ちなみに」と言葉を続けた。
「みんなが力のことについて聞かなかったのは、会議の時から翌朝まであなたの心を共有していて、既に事情を知っていたからよ」
「そんな長いことですか!?」
「ごめんなさいね、監視も兼ねていたものだから。でも安心して。会議の後に関しては、他のみんなには一切共有していないから」
苦笑する黄林さんを前に、改めて戦慄するほかない。全然気付かなかった。
(ていうことは、まさか……桜さんの前で大泣きしたことも!?)
うわあああああああ!!
人目がなかったらのたうち回るレベルで恥ずかしい。生き恥もいいところだ。
「黄林、そろそろ話を締めてくれる? このままのぼせ上って熱でも出されたら、授業どころじゃなくなるから」
さらっと、とどめを刺された。
なんとか堪えたつもりが、既に沸騰していたと突き付けられ、今すぐこの場から立ち去りたくなった。僕の力、透明化だったりしないだろうか。
「そうね。でも、あと二つだけ言わせて」
「え、二つですか?」
「そうよ。どちらも大事だから。まず一つ目」
改めて、黄林さんが神妙な顔つきになった。
「今言ったように、力の存在はむやみに表に出していいものではないの。だから、私の力の詳細は、従者以外には内緒よ。彩雲君にもね」
思わず「え?」と声を上げた。
「伝えるなんて言葉でわざわざ濁したのは、彩雲君がいたからなの。だから、あなたにはこうして今、実感してもらったわけだけど」
「でも、彩雲君も仮初とはいえ従者ですよ? それに偽ったとはいえ、力の詳細を話したことになるんじゃ……」
「大丈夫よ。仮に誰かに話したとしても鼻で笑われるだけでしょうし、口下手で頭も態度も利口とはいえないから、まず正確に伝わらないわ」
本人のあずかり知らないところで、好き放題に言われまくる彩雲君だった。
「それに、仮初の従者にしているのは、虹さんの傍に置いておくための口実にすぎないわ。だから、あの子は他の民衆と同じように扱うことにしているの。社や巫女に関する情報も、必要最低限しか耳に入れないつもりよ」
(そういえば、出発前にも言ってたな)
部外者なのにって、花鶯さんが連れていくことに猛反対してたっけ。差別というより、巻き込みたくないといった口ぶりだったけど。
彼は、この状況をどう思っているんだろう。
有無を言わさず連れ回されているのに、周りからは部外者扱いされる。
そんな矛盾した自分の立場を、彼はどう捉えているんだろう。
やたらと反抗的なのは、もしかしたらその矛盾に起因しているのかもしれない。
「……そういうことなら、分かりました」
「もう一つはね」
ごくりと、唾を飲み込んだ。
「ごめんなさいね。勝手に共有しちゃって」
「え? あ、いえ」
「今後は必要に迫られない限り、勝手に共有しないわ。今は私の力をちゃんと知ってもらうために、あえてそうしただけだから」
「あんた、私の心を普通に共有したけど?」
花鶯さんがじろりと、恨みがましく黄林さんを睨みつける。
「必要だと思ったからよ。どうせなら、優しい先輩だと思われたいでしょう?」
「余計なお世話よ!」
睨みが一切効かないどころか、軽くあしらわれてしまう花鶯さんだった。
二人の寸劇が終わったところで、僕は「あの」と声を上げた。
「……それが、二つ目ですか?」
「えぇ、そうよ。大事なことでしょう? いつ心を共有されるか分からなかったら、溜まったものじゃないもの」
唖然とする僕に、黄林さんがおどけるような口調で笑いかけた。
子供のような満面の笑みだ。少々わざとらしいくらいに。僕の緊張を解きほぐそうとしてくれているのかもしれない。
「もっとも、必要な時は共有させてもらうし、事前に断りを入れられないことも多々あるわ。気分悪いでしょうけど」
「いえ、大丈夫です。そうせざるを得ないんだと分かってますから」
「……ありがとう」
黄林さんの顔が、ふわりと綻んだ。
普段から笑顔を絶やさない人だけど、これは多分……自然に零れた笑顔だ。
「私の話はこの辺にしましょう。早速だけど、また視界を共有してもらうわね」
「はい」
「じゃあ、前をしっかり見ていて」
視界が暗転する。
再び、目の前に僕が現れた。黄林さんが今見ている、僕の姿だ。
そして次の瞬間、視界が桜色で満たされた。
「うわぁ……」
僕の頭や肩から、桜のような可憐な花弁を纏った枝が伸びている。さながら、僕が木の幹であるかのように。
枝は、なんとも不思議な色をしていた。
透明だけど、花弁の色と同じ淡い桜色を帯びている。光が反射して、所々が虹色に煌めいている。枝の形を催した宝石細工のようだ。
さらにその周りには、いくつもの赤と白の線が渦巻いていた。まるで体の一部だと言わんばかりに、ぴったりと桜にくっついて離れない。
体から伸びて、宝石のような枝を持ち、紅白の線を纏うその桜は、僕の知っている桜とは全然違う。まさしく摩訶不思議というやつだ。
だけど、美しかった。
言葉を忘れてしまうくらいに、息を呑んでしまうくらいに。
「それが気よ。私から見える、葉月君の気」
「僕の気……」
「桜の木みたいでしょう? だから桜は、神聖な木として大切にされているの」
以前、桜さんから聞いたことがある話だ。単なる風習の一環かと思いきや、まさか巫女が見る『気』に由来するものだったとは。
「五国の形が桜の花びらみたいに描かれるのも、実のところ、桜の木が神聖だという概念からくるこじ付けにすぎないのよ」
「そういうの、僕の世界にもありますよ。月で餅をつく兎とか」
「あら、そちらの世界にも月があるのね」
「はい。自然とか天候とか、結構この世界と共通していることが多いですよ。文明も昔の日本……僕のいた国に似てるんです。言葉とか、着物とか、高札とか、和装本とか。あと、日本にはなかったんですけど、社町を囲む壁とかも――」
ふと、一つの疑問が湧いた。
「……あの、聞きたいことがあるんですけど」
「なに?」
黄林さんの声が、一段と低く聞こえた。
今は黄林さんの視界を共有している状態だから、彼女の姿が見えない。
そのせいで黄林さんの感情が読めなくて怖いけど、あえて構わないことにした。聞ける時に聞いて、この疑問を解消しておきたい。
「僕が静で見た膜って、結局何なんでしょうか。確か、社町の門に張ってある結界だって言ってましたけど」
「あれも気よ」
やっぱりそうかと合点がいった。
会議の時、黄林さんが言っていたのだ。巫女に選ばれるほどの者でもない限り、あの結界を見るのは不可能に等しいと。
「膜のように見えたっていうけれど、あれも例外なく桜の木の形をしているわ。きっと、ぼんやりとしか見えなかったんでしょうね」
「気って、門にもあるんですか? 人間とか動物なら分かりますけど……」
「もちろんあるわよ。気というのは、始まりと終わりがあるもの全て……すなわち万物に宿るものなの。何も生き物に限らないわ」
(そういえば、黒湖様は『湖に宿る意思』だ)
湖に宿る『意思』に、万物に宿る『気』。
本当に、八百万の神々みたいだ。
「桜ちゃんが捕らわれたのは、あの門の気がそういう風に強化されているからよ。異常事態であれば、一般人でも捕えられるようにね」
「強化?」
「えぇ。巫女は気を整えるのみならず、用途に合わせて手を加えることもできるの。私たちはそれを『気の強化』と呼んでいるわ」
(そんなことまで、できるのか……)
「ちなみに、気に触れるのと捕らえられるのは全くの別物よ。気に触れることができるのは、黒湖様に選ばれた巫女のみだから」
つまり、巫女は気を強化することで一般人に干渉できるということだ。
巫女からしたら、気は道具でもあるのだ。
人から見えない道具なんて、使い方次第では立派な兵器になり得る。
(僕もこれから、それを――)
「あのね」
怖じ気づきそうになった僕を見かねたのか、花鶯さんが口を開いた。
「言っとくけど、気の強化も巫女の大事なお務めの一つよ。あんたも、この視察中にできるようにならないと駄目だから」
「あ、はい!」
花鶯さんの叱咤で、ビシッと背筋が伸びる。その反動だろうか。沸き上がりかけた恐怖心も、いったん収まった。
どんなに怖くても、やることに変わりはない。
桜さんの傍にいる。ただそれだけのために、僕は巫女になったんだから。
「まぁ、それも気を自分で見れないことには話にならないわ。花びらを見て」
花鶯さんの声に従い、花びらに視線を移した。
「この花びらが白に近いほど『陰』の気を、赤に近いほど『陽』の気を有しているわ。そして、周りの赤と白の線」
今度は、螺旋状に渦巻く紅白の線へ目をやる。
「この線が、私たちが手を加えるものよ。陽を減らすには赤い線を、陰を減らすには白い線を切る……つまり、多い方の線を切って、花びらを桜色に近づけるの」
「あぁ、なるほど。赤と白を混ぜると桜色になりますもんね」
「もちろん、人によって個人差はあるけどね。元々白よりの人もいれば、赤よりの人もいる。あんたの場合は白よりね」
「あ、本当だ」
確かに、言われてみれば若干白みがかった桜色をしている。
「僕の気は、陰が多いということですか?」
「そうね。まぁ、要は極端に赤すぎたり白すぎたりしなければいいだけ。まずはそれを頭に入れておきなさい」
「分かりました……あれ?」
ふと、ある一点が目に入った。透明な枝の中に、白く染まっている箇所があったのだ。まるで、木に生えた白カビのように。
いや、一つだけじゃない。
よく見ると、同じような白い箇所が小さいながらも所々に見受けられる。
「あの、その白いのはなんですか? なんか、枝にいくつかあるんですけど」
「……分からないわ」
「え?」
「でも、確かなことが二つある」
黄林さんが視界の共有を止めたのだろう。桜があっけなく霧散し、視界が元に戻った。名残惜しいけど、今は花鶯さんに目を向ける。
何やら、難しそうな顔をしていた。
「一つは、枝が白く染まるのは稀ということよ。気の色は基本的に花びらに反映するけど、中には、枝にまで色が及んでいる人がいるの。本当に稀だけれど」
大切なことであるとでも言わんばかりに、繰り返して言った。
「もう一つは、夜長がそうだったということ」
「え……っ?」
先日の李々さんの言葉が、頭を過る。
『もし、世界の敵になったらどうしますか?』
『生きていることで、愛する人を不幸にしてしまう……そんなおぞましい存在になったら、あなたはどうしますか?』
「……あの、変なこと聞いてもいいですか?」
「なに?」
「この体って、もしかして……夜長姫のものなんでしょうか?」
「…………」
花鶯さんが沈黙した。
だけど、不安に駆られるほど待たされることはなく、すぐにその唇が開いた。
「……夜長の気は、白い箇所どころかほぼ白だったわ。もはや白い枝に白い花よ。共通点があるというだけで、あんたの気とはまるで違う」
「じゃあ……っ」
「えぇ。その体が夜長のものということは、まずあり得ないわ」
「……そっか」
安堵の息が、声と共に漏れた。正直、不安で仕方なかったのだ。
夜長姫だと言われた、あの夜からずっと。
だけど、それを今、花鶯さんがはっきりと否定してくれた。圧しかかっていた肩の荷が、彼女の言葉で全部下りた。
「大体、その体は男なんでしょう?」
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