桜吹雪の後に

片隅シズカ

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二章「動国の花」

第八話「桜ふふむ ーさくらふふむー」④

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「蛍さん……体力あるんですね」
「い、いえ、そんな! 私なんか、腕立て伏せ五十回しかできなくて」
「充分体力あると思いますよ!?」

 そもそも、なんで侍女が腕立て伏せするんだろう。いろいろと謎すぎる。

「単に、葉月の体力がなさすぎるだけよ」

 花鶯さんが呆れ顔で断言した。腕立て伏せ五十回できない僕は軟弱らしい。

「言っとくけど、まだ全部じゃないんだからね」
「マジですか……」
「まじ?」
「あ、いえ。なんでもありません」

(明日、筋肉痛になってるかも……あれ?)

「あの……僕たちって、くろさまの加護で守られてるんですよね?」
「そうよ」
「手首……まだ痛いんですけど」
「口を慎んで舌を噛みなさい」
「それ死んじゃいますよ!?」

 いきなり死刑宣告されてしまった。体力のない奴は死あるのみなのだろうか。

「黒湖様を侮辱ぶじょくするからよ」
「え? 侮辱……?」
「あの、姫さま」

 蛍さんが遠慮がちに声を上げた。

「まだ黒湖様のことがよく分からないだけで、けして侮辱ではないと――」
「『姫さま』じゃないでしょ、蛍」
「あ! す、すみません!!」

(そういえば、花鶯さんの侍女だったんだっけ)

 つまり元上司だ。今は対等とは言っても、急に意識を変えるのは難しいだろう。

「葉月にそのつもりがなくても、今の発言は侮辱になるのよ。黒湖様への侮辱は死に値するものと思いなさい」
「はい。でも、何がどう侮辱なのか、分からないんですけど……」

 花鶯さんが小さく溜め息ついた。

「黒湖様の御加護は、あくまでも命の危機に瀕した時のみよ。黒湖様は守り神様であって、なんでも屋じゃないんだから」
「すみません……」
「知っての通り、巫女の使命は国の気を整えることよ。そんな巫女を選び、守護して下さる黒湖様は、七国の守り神様でもあるの」

(確かに……そうだ)

 国を守る巫女の存在は、黒湖様あってこそ。
 花鶯さんの言葉で、改めてその事実を痛感した。黒湖様という神様はおとぎ話などではなく、国を支える主柱なのだ。

「だけど、民衆は黒湖様の存在を知らないし、ましてや感じることなんてできない。だからこそ、私たちが国を守り続けて、黒湖様と民衆の間を取り持つの。それが黒湖様への御恩返しであり、巫女の存在意義よ」

(神様への恩返しが存在意義、か)

 もし元の世界でそんなことを口にしたら、普通じゃないと思われる。精神疾患を疑われてもおかしくないだろう。

「ねぇ、葉月。突然知らない世界に来て、鬼だと恐れられて、巫女になれと言われたんですもの。戸惑うのも、当然だと思うわ」
「…………」
「だけど、私たちはけして強制してない。最終的には、あなたの意思を尊重したつもりよ。あなたにとっては、そうじゃないかもしれないけど」

 僕には信心深さなんてないけど、どんなに胡散臭くても、どんなに突拍子のない内容でも、花鶯さんの言葉なら耳を傾けたいと思った。


 彼女の言葉の節々には、不器用ながらも僕への気遣いが垣間見えるから。


「だから」

 花鶯さんが、真剣な目でじっと見つめてきた。

「巫女に選ばれたからには、巫女になると決めたからには、黒湖様をちゃんと敬わないと駄目よ。それが、あなたのためにもなるから」
「……分かりました」
「よろしい!」


 花鶯さんが満足げに笑った。


 笑顔を見るのは初めてだけど、なんとも素直な笑い方をする人だ。自分の感情を押し殺すのが苦手な反面、必要以上に偽らないからだろう。

まぶしいなぁ)

 作り笑顔でずっと生きてきた僕には、そんな風に笑える彼女が羨ましい。

「それじゃあ、いったん休憩に入るわよ」
「「はい」」
「葉月は少しでも手首を休めておきなさい。体の管理も練習の内だから」
「あ、はい! ありがとうございます」
「礼はいいからちゃんと休んでなさい! 私は少し席を外すから」

 ムキになりながらも、気遣いは忘れない花鶯さんだった。やっぱり良い人だ。

「あの……」

 花鶯さんが部屋を出るや否や、蛍さんがそっと声をかけてきた。

「大丈夫、ですか? その、無理とかは……」
「いえ、全然。むしろ、ちょっと生き生きしてるっていうか」
「え?」
「この世界に来てから、体がへとへとになることが多くなったんです。知らない場所を歩き回ったり、社町で仕事を手伝ったり、舞の練習をしたり……こんな風に人並みに疲れるなんて、元の世界では考えられなかったから、楽しくてーー」

 ぽかんと、口を開いた蛍さんの顔が目に入る。
 蛍さんが呆けているのだと気が付いた瞬間、僕は我に返った。

「あ、すみません! いきなりこんな話して」
「あ、い、いえ! こちらこそすみません! 黙ったままで……気が利かなくて」

 逆に謝られてしまった。
 何か思うところがあるのか、蛍さんはうつむいて目を細めた。

「姫さま……花鶯さんなら、ちゃんと応えるんです。はっきり言いすぎて厳しいところはありますけど、それは相手を思いやってるからこそで」
「…………」
「私ときたら、十五にもなってまともに話をすることすらできなくて……あ、すみません! 私、いきなり変なこと言っちゃって」
「……ふふ」

 思わず笑いが零れた。蛍さんが、目を丸くして顔を上げる。

「あの、もし良かったらその……『蛍ちゃん』って呼んでも良いかな?」
「えっ?」
「なんか、年下だって分かっちゃうと、かしこまるのが逆に変な感じしちゃって」
「も、もちろんです。私は、畏まってもらえるほど立派な人じゃありませんし」
「僕もだよ。だから、もっと砕けて話してくれて構わないよ」
「え!?」


 それに、昔の僕と少し似ているのだ。

 自信がなくて、それでも尊敬できる人が身近にいた、あの頃の僕と。


「あ、無理にとは言わないけど」
「はい。あっ! えと……うん、『葉月くん』」

 それだけ言って、黙りこくってしまった。少しは緊張が解けたようだけど、照れてるのか顔を真っ赤にしている。

(……かわいい)

 最初に会った時も思ったけど、本当に小動物みたいだ。花鶯さんが世話を焼こうとするのも無理はないかもしれない。

「手を出したら吊るすわよ」
「うわっ!?」
「はわぁっ!!」

 二人して声を上げながら振り返る。
 いつの間にか、僕たちの背後で花鶯さんが仁王立ちしていた。

「いつからそこにいたんだって顔しないでよ。普通に入ってきただけなんだから」
「「は、はい!」」
「もう少ししたら練習を再開するわよ。指一本の動きから徹底的に矯正するから、二人とも覚悟しておきなさい」
「「もちろんです!」」
「……あんたたち、本当に気が合うのね」

 仁王立ちしつつ、毒気を抜かれたような顔をする花鶯さんだった。





   ***





 舞をなんとか覚えた頃には、すでに日が沈みかけていた。程なくして空の赤は溶けて、全てが闇に染まるだろう。

 夕食まで部屋で待機ということで、李々さんが部屋まで送ってくれることになった。廊下を歩いていると、生暖かい夜風が頬をさわりと撫でた。

「はぁ……ついてないにもほどがあるよぉ。こんな羽虫のために、桜ちゃんとの時間を二度もふいにする羽目になるなんて……」
「すみません……」
「ただの独り言なのでお気になさらず」
「いや、普通に聞こえてきましたけど……?」
「えぇ。聞こえるように言いましたから」
「それ独り言じゃないですよ!?」

 思わず大声で突っ込んでしまった。あまりにも扱いが酷すぎる。

「でも、お気持ち分かります。僕も桜さんが離れると寂しくなりますし」
「出会って二週間程度のあなたに言われても、まるで説得力がありませんね」
「まぁ、確かにそうかもしれなーー」


 ふと、視界の端に人の気配がした。
 

 桜さんだ。一つにまとめた長い黒髪が、夜の闇に綺麗に溶け込んでいる。
 歩いている方向からして、駅から出てきたらしい。もうすぐ夕食のはずだけど、今から新たに食材を調達でもするのだろうか。
 
 よく見ると、かごを持っている。
 餅屋で見た、薬草を入れていた籠に似ていた。
 
「さ――――!?」
 
 桜さんに声をかけようとしたが、できなかった。後ろから口を塞がれたからだ。姿は見えないけど、李々さんだろう。
 
(あ、行っちゃう)
 
 程なくして、桜さんの姿が見えなくなった。拘束はまだ解かれない。

 どれくらい、身動きが取れなかっただろう。
 足音一つ聞こえなくなったところで、ようやく口元が自由になった。訳が分からず、振り返って李々さんの顔をうかがう。
 
「あの、李々さ――」

 そこにいるのは、桜さん命のはっちゃけた李々さんでも、愛くるしい笑顔でさり気なく毒舌な李々さんでもなかった。



 冷たくて、無関心で。
 だけど、黒い何かを瞳の奥底に隠している。

 李々さんの形をした、得体の知れない何かだ。



「……李々、さん?」
「仕事中ですよ、葉月さま。いくら巫子さまとはいえ、下々の仕事の邪魔をするのは、さすがに関心できませんねぇ」

 にらまれているわけでもなければ、攻撃を仕掛けられているわけでもない。

 なのに、動けない。呼吸がままならない。心臓の音がだんだんと速くなっていく。さながら、蛇に睨まれた蛙のように。

「邪魔するつもりは、ないですよ? ちょっと声をかけようと思っただけで」
「いいえ、声をかけるだけで邪魔なんです」
「そう、ですか」
「……ねぇ、葉月さま。一つだけ質問してもよろしいですか?」

 猫がのどを鳴らすような声で、言葉を紡ぐ。

 疑問形だけど、僕が拒絶したとしても構わず質問をするだろう。猫なで声には、そんな有無を言わさない圧があった。

「もし、世界の敵になったらどうしますか?」
「え?」
「生きていることで、愛する人を不幸にしてしまう……そんなおぞましい存在になったら、あなたはどうしますか?」
「…………」

(何を、言ってるんだ……?)

 世界の敵というのは、『鬼』ということか?
 そんな存在というのは、『鬼』だと忌み嫌われている夜長姫のことか?



 僕が――そうだって言いたいのか?
 


「そんなに固まらなくても、例えばの話ですよ。ただの気まぐれです」

 李々さんが、ゆっくりと距離を詰めてくる。

「でも、もし……仮にですよ? 本当にそうなってしまったとしても、これだけは絶対に忘れないでください」

 逃げたい。そんな言葉が、頭をよぎった。
 だけど、できない。今度は動けないのではない。逃げたら人ではないと認めることになる。なぜか、そんな気がしてならなかった。

「わたしは、桜ちゃんをこれ以上苦しめたくない。たとえ本人が望んだとしても」

 気が付くと、李々さんが目の前にいた。
 手を伸ばせば触れてしまうくらい、近くに。

「あなたはどうです? あなたには、絶対に譲れない何かがありますか?」
「僕は…………」
「ふふ」


 李々さんの顔に、愛らしい笑みが浮かんだ。
 

「…………あ」

 全身から、一気に力が抜けた。間抜けな声が出てしまったが、今は座り込まないように体を支えるので精一杯だった。

「行きましょう。春でも、夜風は冷えます」
「……そう、ですね」

 冷えるというけど、今日はそれほど寒くない。
 それなのに、鳥肌が立った。全身を撫でるほのかな夜風が、急に肌に刺さるほど冷たくなったような気がした。
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