16 / 72
一章「旅立ちの花」
第五話「花の宴 ーはなのえんー」 (後編) ③
しおりを挟む
「安心しなよ。血は流さないし、その娘の命も名誉も守る。約束は絶対だ。あんたが自らの人生を捧げたんだからね」
「…………っ」
声が出ない。
何か特別な力が働いているとか、そんなんじゃない。こちらを無感情に見下ろす巫女たちの眼が、ただただ恐ろしい。
(どうしよう、このままじゃ……っ)
代わりに、僕が受けることはできないのか。
元々、僕のせいなんだ。桜さんが傷つけられるなんて、あってはならない。
だけど、思い付いた時には遅かった。
「受け入れます。縄を解いてください」
「桜さ――」
「安いものよ。こんなことで、けじめを付けられるなんて……」
桜さんの声は、落ち着いていた。恐怖も、怒りも、嘆きもなかった。
パチパチと音を立て始めた火の中に、棒が突き立てられる。桜さんは、それを真っ直ぐ見つめていた。悔しそうに、唇を噛みしめて。
安すぎるわ。
呟いたその一言が、彼女の気持ちの全てを表しているようだった。
***
部屋で待機していると、侍女らしき人が食事を運んできた。
「……ありがとうございます」
お礼を言うと、侍女らしき人はすぐに部屋を後にした。あっさりめの食事だったので、少しほっとした。正直、食欲なんて全然ないから。
腕に焼印を押すだけ。
言葉にしたらあっけないようだし、刑としては軽いのだろうけど、実際に目の前で行われた行為は生々しすぎて見るに堪えなかった。
桜さんは歯を食いしばりながらも、情け容赦なく焼かれる自分の腕を、最初から最後までしっかりと見つめていた。
けして目を逸らすことなく、真っ直ぐに。
(ご飯……食べないと)
今のままじゃ駄目だ。病室で甘やかされていた頃とは、違うんだ。
僕も強くならないといけない。
桜さんのように、強く。
胃から込み上げてきそうなのを堪えて、思い切って口に運んだ。
(……美味しい)
そう感じた自分に、僕は驚いた。
味を感じる余裕なんてないと思っていたのに。それどころか、吐き気を伴った気怠さが、みるみるうちに消え失せていく。
むしろお腹が空いていたのだと、否応なしに気付かされた。
美味しいご飯は、ただ美味しいのだ。食べる側の気持ちなんてお構いなしに。
気持ちが変わらない内に、食べてしまおう。そして桜さんの様子を見に行こう。腕に火傷を負っただけとはいっても、やっぱり心配だし。
現在、桜さんは医務室で処置を受けている。
本来なら死刑に値する罪人を手当てするなんてあり得ない話らしいが、今回は事が事だけに特例なのだという。
残酷な行為にばかり目がいったが、死刑を取り下げたことを考えれば、かなりの温情をかけてもらったのだろう。巫女たちが平然としていたのも、案外その辺りを理解していたからにすぎないのかもしれない。
(みんながみんな、夜長姫みたいなサイコパスってことはないはず……)
黄林姫の柔らかな微笑みが、虹姫の飄々とした笑みが頭を過る。
頭を振って強引に追い払った。そんなこと、考えたって仕方がない。
今は、桜さんの容体が第一だ。
ご飯を食べ終わり、空になった皿をお盆に乗せて部屋を出た。途中で通りかかった侍女がお盆を受け取ってくれたので、手ぶらで医務室へと向かうことになった。
暗い廊下の中で、障子越しに灯りが見えた。
その部屋に近づくにつれて、何やら話し声のようなものが聞こえてくる。
「なんでそこまで肩入れするのさ?」
虹姫の声だ。思いも寄らない人物の声に、ピタリと足が止まった。
なんとなく存在を悟られたくなくて、忍び足で部屋へと近づいていく。
「最初は単純に、夜長を殺した責任を取ってるだけだと思ってたけど、それならわざわざ匿ってやる必要ないだろ?」
「何が言いたいの?」
桜さんの声がして、思わず「え?」と声を漏らしそうになった。
巫女相手に、タメ口で話している。
虹姫も、それを咎める様子はない。
旧知の仲とかなのだろうか。そうだとしたら、口では高圧的に接しながらも、死刑を回避するよう促してくれたことにも納得がいく。
「もしかして、環ちゃんと重ねてる?」
(たまき?)
「……私はただ、姉さんのような人が理不尽に晒されるのが、許せないだけ」
「あぁ、なるほどねぇ」
どうやら、桜さんには『たまき』という名のお姉さんがいるらしい。
ちょっと意外だった。桜さんは大人びていて、妹というよりは姉という感じだから。世話焼きなところなんか、姉御肌といっても差し支えない。
「危なっかしいよね、そういう奴って。無駄に人の心配ばっかするからさ……ちょうど今、部屋の前で聞き耳を立ててる奴みたいに」
「――――っ!!」
(え、え……っ!? バレてる!?)
「気の流れが見える巫女相手に、かくれんぼは通用しないよ。特に、私や夜長みたいな化け物にはね。さっそく勉強になったな、葉月?」
しかも、僕だということまでお見通しだ。それなら隠れていても仕方がない。
襖を開け、「失礼します」と声をかけてから部屋に入った。さっきのことがあったからか、声が必要以上に震えてしまった。
虹姫は、にやにやと笑いながら僕を見ていた。この人、絶対に面白がってるな。
一方、桜さんは大きな目を丸めて僕を凝視していた。虹姫と違い、僕の存在に全く気付いていなかったらしい。
「えっと……すみません。桜さんのことが気になって、その……」
「ははっ、構わないよ。ただの思い出話だし」
「…………」
どことなく、桜さんの表情が重い。
虹姫はしらばっくれているけど、思い出話に花を咲かせる顔ではないだろう。
「じゃあ、私はそろそろお暇しようかな。明後日から忙しくなるしね」
虹姫が立ち上がり、部屋を出ようとする。
襖を開ける前に、僕の隣で足を止めた。
「そうそう。あんたも忙しくなるからね」
「巫女の仕事ですか?」
「仕事っちゃあ仕事だな。七国巡りだよ」
「あぁ……」
そういえば、大将が言っていた。
巫女は毎年、巫総会の後に各国の社町を視察しにくるのだと。
「今回のって、巫総会だったんですか?」
「ん?」
「巫総会の後に視察するって聞いたんですけど」
「別にそんな決まりはないよ。その後にやる方が効率的だからそうしていたまでだ。それに、月国の新巫子のお披露目をしとかないと」
「あぁ、確かに……」
「ま、あんたにとっては急展開だろうけど、これで夜長だと迫害される危険から解放される。そう考えれば、悪い話じゃないだろ?」
「あ……っ」
確かにその通りだ。このまま解放されたとしても、町での騒動の二の舞になっていたかもしれない。下手したら、本当に死者を出してしまっていた可能性もある。
「……そうですね。むしろ、助かったかもしれません。ありがとうございます」
「そこ、お礼を言うところじゃないだろ」
「でも、危険がなくなったのは事実ですから」
「……こりゃ驚いた、本気で言ってやがる。ま、聞き分けが良くて助かるよ」
虹姫は、ひらひらと手を振りながら「ごゆっくりー」と部屋を出ていった。
「…………」
「…………」
賑やかな人がいなくなったからだろうか。部屋の中が驚くほど静かになった。静かすぎて、なんとなく気まずい。
「葉月」
「は、はいっ」
「そんなところに突っ立っていないで、こっちに座ったら?」
桜さんが、寝台をぽんぽんと叩く。
「え、隣、いいんですか?」
「いいに決まってるじゃない。座ればいいって言ってるんだから」
「……じゃあ、失礼します」
そわそわしながら、桜さんの隣に腰をかける。
今までだって隣り合ったことは何度もあるのに、胸の高鳴りがうるさい。そういえば、初めて同じ部屋で寝た時もこんなだった。
(いや、何を呑気に緊張してるんだ……っ!)
これでは、なんのために医務室に来たか分からないじゃないか。僕のせいで、こんなことになっているのに。
「あの……腕、大丈夫ですか?」
「問題ないわ。処置が早かったし、痛み止めも塗ってもらったから」
「そうですか。よかった」
「むしろ、あんたの方が大丈夫? 顔色、あまりよくないけど」
「そう、ですかね? いろいろあったからかな」
「……これ?」
桜さんが、包帯の巻かれた腕を見せてきた。
思わず「ひっ」と身を怯ませてしまった。包帯で隠れていても、その下に生々しい傷があることに変わりはない。
「この世界じゃ、焼印なんて日常茶飯事よ。子供でも見慣れているわ」
「え、マジですか!?」
「まじよ」
(巫女たちがヤバいってわけじゃないのか……)
「巫女になるつもりなら、これしきのことで動じてちゃ心が持たないわよ」
「あ、はい。気を付けます」
「…………」
桜さんが、また黙り込んでしまった。
普段からよく喋る方ではないけど、より口数が少なくなっている。表情も、どことなく沈んでいる気がする。
「……すみません」
「なぜ、謝るの?」
「なぜって、僕と関わりを持ったばかりに、桜さんを危険な目に――」
「馬鹿なこと言わないで!!」
突然の怒鳴り声に、反射的に肩が震えた。
だけど、怖くはなかった。血相は変えても、怒りなんて微塵もなかったから。
「ごめんなさい」
「いえ、そんな」
「復讐」
唐突な一言に、僕は返す言葉を失った。
「夜長姫を殺したのは、姉を死なせたからよ」
「……仇討ってことですか?」
「そんな立派なものじゃないわ。姉さんは、そんなことを望む人じゃないもの。ただ、私が許せなかっただけ」
許せなかった。その言葉が重く圧しかかる。
お姉さんがいるんだと思ったけど、違った。
お姉さんが、いたんだ。
「姉さんは優しかった。優しすぎて、蚊の一匹も殺せないような人だった。それこそ、焼印の光景を見ただけで倒れてしまうくらいにね」
「……僕より繊細ですね」
「そうね、そうかもね」
蚊の一匹も殺せない優しい人というフレーズは、本でよく見かけたけど、実際にそんな人に会ったことは一度もない。
だって、そんなに優しかったら、きっと息をするだけで苦しい。
「そんな姉さんが、私は大好きだった。姉さんがいたから、私は世の中を恨まずに生きていけるようになったの」
「恨む……?」
「私、少し特殊な生まれなのよ。加えて、人より激しい気性でね。物心がついた頃には、周りの人から『鬼』だと疎まれていたわ」
随分とと朧げな言葉だ。特殊な生まれというのは、さっき言っていた『黒湖に呑まれない体質』のことだろうか。
でも、なぜ『鬼』だと疎まれるのだろう。
今の世において『鬼』と呼ばれるのは、それ相当のことをした者のみ。確か、桜さんはそう言っていたけど……。
「知ってる? 桜って、葉に毒があるのよ」
「え、そうなんですかっ?」
「えぇ、周りの植物を枯らしてしまう毒よ」
そういえば、桜の木の周りに他の植物が生えているのを見たことがない。あってもせいぜい、名前も分からない小さな雑草くらいだ。
「桜さんが、そうだって言うんですか?」
「えぇ。だけど、姉さんは私を拒まなかった。『さっちゃん』って呼んで可愛がってくれた。姉さんを守ることが私の生きる意味だったのに……何もできなかった」
「……夜長姫が、殺したんですか?」
「殺したも同然よ」
地の底から蠢くような声だった。
その顔を見て、全身が凍り付いた。
僕の知っている桜さんのどれにも、その顔は当てはまらなかった。恨みなんて言葉だけでは、とても収まりきらない顔をしていた。
あの時、町の人たちに向けられた憎悪を凝縮しても、この顔には及ばない。
(もし、桜さんにこの顔を向けられたら――)
「あいつは、無邪気な笑顔で楽しそうに語った。姉さんの優しさを踏みにじる様を、姉さんが苦しむ様を、姉さんが……壊れていく様を」
七年前、月国に恐怖をもたらした『衣瀬村鬼狩り再来事件』。
もしかして、それと関係があるのだろうかと思ったけど、聞くのは止めておいた。桜さんにとって、そんなことは重要じゃないだろうから。
「ずっと憎くて憎くて仕方なかった。本心と素性を隠し続けて、侍女として忠実に仕えて、確実に殺せる機会をずっと窺ってきた。そして……胸を刺してやった。確実に死ぬように、何度も、何度も、何度も――」
口から次々と出てくる、怨嗟の言葉。
だけど、それとは裏腹に、桜さんの表情からは怨嗟がだんだんと消えていく。
「お前なんて所詮はただの人だ、お前の生に意味なんてないのだと、突き付けてやった。姉さんの生を踏みにじったように、虫けらのように、無慈悲に。あの日からずっと、私はそうしたかったから。それなのに……っ」
桜さんの表情が、悲痛に歪んだ。
焼印を押された時よりも、ずっと、痛そうに。
「あいつは、ずっと、笑っていたわ」
「…………え?」
「素晴らしい、今まで生きていた中で一番、感動したと喜んでいた。ずっと、私のことが好きだったと言った……」
「…………っ」
声が出ない。
何か特別な力が働いているとか、そんなんじゃない。こちらを無感情に見下ろす巫女たちの眼が、ただただ恐ろしい。
(どうしよう、このままじゃ……っ)
代わりに、僕が受けることはできないのか。
元々、僕のせいなんだ。桜さんが傷つけられるなんて、あってはならない。
だけど、思い付いた時には遅かった。
「受け入れます。縄を解いてください」
「桜さ――」
「安いものよ。こんなことで、けじめを付けられるなんて……」
桜さんの声は、落ち着いていた。恐怖も、怒りも、嘆きもなかった。
パチパチと音を立て始めた火の中に、棒が突き立てられる。桜さんは、それを真っ直ぐ見つめていた。悔しそうに、唇を噛みしめて。
安すぎるわ。
呟いたその一言が、彼女の気持ちの全てを表しているようだった。
***
部屋で待機していると、侍女らしき人が食事を運んできた。
「……ありがとうございます」
お礼を言うと、侍女らしき人はすぐに部屋を後にした。あっさりめの食事だったので、少しほっとした。正直、食欲なんて全然ないから。
腕に焼印を押すだけ。
言葉にしたらあっけないようだし、刑としては軽いのだろうけど、実際に目の前で行われた行為は生々しすぎて見るに堪えなかった。
桜さんは歯を食いしばりながらも、情け容赦なく焼かれる自分の腕を、最初から最後までしっかりと見つめていた。
けして目を逸らすことなく、真っ直ぐに。
(ご飯……食べないと)
今のままじゃ駄目だ。病室で甘やかされていた頃とは、違うんだ。
僕も強くならないといけない。
桜さんのように、強く。
胃から込み上げてきそうなのを堪えて、思い切って口に運んだ。
(……美味しい)
そう感じた自分に、僕は驚いた。
味を感じる余裕なんてないと思っていたのに。それどころか、吐き気を伴った気怠さが、みるみるうちに消え失せていく。
むしろお腹が空いていたのだと、否応なしに気付かされた。
美味しいご飯は、ただ美味しいのだ。食べる側の気持ちなんてお構いなしに。
気持ちが変わらない内に、食べてしまおう。そして桜さんの様子を見に行こう。腕に火傷を負っただけとはいっても、やっぱり心配だし。
現在、桜さんは医務室で処置を受けている。
本来なら死刑に値する罪人を手当てするなんてあり得ない話らしいが、今回は事が事だけに特例なのだという。
残酷な行為にばかり目がいったが、死刑を取り下げたことを考えれば、かなりの温情をかけてもらったのだろう。巫女たちが平然としていたのも、案外その辺りを理解していたからにすぎないのかもしれない。
(みんながみんな、夜長姫みたいなサイコパスってことはないはず……)
黄林姫の柔らかな微笑みが、虹姫の飄々とした笑みが頭を過る。
頭を振って強引に追い払った。そんなこと、考えたって仕方がない。
今は、桜さんの容体が第一だ。
ご飯を食べ終わり、空になった皿をお盆に乗せて部屋を出た。途中で通りかかった侍女がお盆を受け取ってくれたので、手ぶらで医務室へと向かうことになった。
暗い廊下の中で、障子越しに灯りが見えた。
その部屋に近づくにつれて、何やら話し声のようなものが聞こえてくる。
「なんでそこまで肩入れするのさ?」
虹姫の声だ。思いも寄らない人物の声に、ピタリと足が止まった。
なんとなく存在を悟られたくなくて、忍び足で部屋へと近づいていく。
「最初は単純に、夜長を殺した責任を取ってるだけだと思ってたけど、それならわざわざ匿ってやる必要ないだろ?」
「何が言いたいの?」
桜さんの声がして、思わず「え?」と声を漏らしそうになった。
巫女相手に、タメ口で話している。
虹姫も、それを咎める様子はない。
旧知の仲とかなのだろうか。そうだとしたら、口では高圧的に接しながらも、死刑を回避するよう促してくれたことにも納得がいく。
「もしかして、環ちゃんと重ねてる?」
(たまき?)
「……私はただ、姉さんのような人が理不尽に晒されるのが、許せないだけ」
「あぁ、なるほどねぇ」
どうやら、桜さんには『たまき』という名のお姉さんがいるらしい。
ちょっと意外だった。桜さんは大人びていて、妹というよりは姉という感じだから。世話焼きなところなんか、姉御肌といっても差し支えない。
「危なっかしいよね、そういう奴って。無駄に人の心配ばっかするからさ……ちょうど今、部屋の前で聞き耳を立ててる奴みたいに」
「――――っ!!」
(え、え……っ!? バレてる!?)
「気の流れが見える巫女相手に、かくれんぼは通用しないよ。特に、私や夜長みたいな化け物にはね。さっそく勉強になったな、葉月?」
しかも、僕だということまでお見通しだ。それなら隠れていても仕方がない。
襖を開け、「失礼します」と声をかけてから部屋に入った。さっきのことがあったからか、声が必要以上に震えてしまった。
虹姫は、にやにやと笑いながら僕を見ていた。この人、絶対に面白がってるな。
一方、桜さんは大きな目を丸めて僕を凝視していた。虹姫と違い、僕の存在に全く気付いていなかったらしい。
「えっと……すみません。桜さんのことが気になって、その……」
「ははっ、構わないよ。ただの思い出話だし」
「…………」
どことなく、桜さんの表情が重い。
虹姫はしらばっくれているけど、思い出話に花を咲かせる顔ではないだろう。
「じゃあ、私はそろそろお暇しようかな。明後日から忙しくなるしね」
虹姫が立ち上がり、部屋を出ようとする。
襖を開ける前に、僕の隣で足を止めた。
「そうそう。あんたも忙しくなるからね」
「巫女の仕事ですか?」
「仕事っちゃあ仕事だな。七国巡りだよ」
「あぁ……」
そういえば、大将が言っていた。
巫女は毎年、巫総会の後に各国の社町を視察しにくるのだと。
「今回のって、巫総会だったんですか?」
「ん?」
「巫総会の後に視察するって聞いたんですけど」
「別にそんな決まりはないよ。その後にやる方が効率的だからそうしていたまでだ。それに、月国の新巫子のお披露目をしとかないと」
「あぁ、確かに……」
「ま、あんたにとっては急展開だろうけど、これで夜長だと迫害される危険から解放される。そう考えれば、悪い話じゃないだろ?」
「あ……っ」
確かにその通りだ。このまま解放されたとしても、町での騒動の二の舞になっていたかもしれない。下手したら、本当に死者を出してしまっていた可能性もある。
「……そうですね。むしろ、助かったかもしれません。ありがとうございます」
「そこ、お礼を言うところじゃないだろ」
「でも、危険がなくなったのは事実ですから」
「……こりゃ驚いた、本気で言ってやがる。ま、聞き分けが良くて助かるよ」
虹姫は、ひらひらと手を振りながら「ごゆっくりー」と部屋を出ていった。
「…………」
「…………」
賑やかな人がいなくなったからだろうか。部屋の中が驚くほど静かになった。静かすぎて、なんとなく気まずい。
「葉月」
「は、はいっ」
「そんなところに突っ立っていないで、こっちに座ったら?」
桜さんが、寝台をぽんぽんと叩く。
「え、隣、いいんですか?」
「いいに決まってるじゃない。座ればいいって言ってるんだから」
「……じゃあ、失礼します」
そわそわしながら、桜さんの隣に腰をかける。
今までだって隣り合ったことは何度もあるのに、胸の高鳴りがうるさい。そういえば、初めて同じ部屋で寝た時もこんなだった。
(いや、何を呑気に緊張してるんだ……っ!)
これでは、なんのために医務室に来たか分からないじゃないか。僕のせいで、こんなことになっているのに。
「あの……腕、大丈夫ですか?」
「問題ないわ。処置が早かったし、痛み止めも塗ってもらったから」
「そうですか。よかった」
「むしろ、あんたの方が大丈夫? 顔色、あまりよくないけど」
「そう、ですかね? いろいろあったからかな」
「……これ?」
桜さんが、包帯の巻かれた腕を見せてきた。
思わず「ひっ」と身を怯ませてしまった。包帯で隠れていても、その下に生々しい傷があることに変わりはない。
「この世界じゃ、焼印なんて日常茶飯事よ。子供でも見慣れているわ」
「え、マジですか!?」
「まじよ」
(巫女たちがヤバいってわけじゃないのか……)
「巫女になるつもりなら、これしきのことで動じてちゃ心が持たないわよ」
「あ、はい。気を付けます」
「…………」
桜さんが、また黙り込んでしまった。
普段からよく喋る方ではないけど、より口数が少なくなっている。表情も、どことなく沈んでいる気がする。
「……すみません」
「なぜ、謝るの?」
「なぜって、僕と関わりを持ったばかりに、桜さんを危険な目に――」
「馬鹿なこと言わないで!!」
突然の怒鳴り声に、反射的に肩が震えた。
だけど、怖くはなかった。血相は変えても、怒りなんて微塵もなかったから。
「ごめんなさい」
「いえ、そんな」
「復讐」
唐突な一言に、僕は返す言葉を失った。
「夜長姫を殺したのは、姉を死なせたからよ」
「……仇討ってことですか?」
「そんな立派なものじゃないわ。姉さんは、そんなことを望む人じゃないもの。ただ、私が許せなかっただけ」
許せなかった。その言葉が重く圧しかかる。
お姉さんがいるんだと思ったけど、違った。
お姉さんが、いたんだ。
「姉さんは優しかった。優しすぎて、蚊の一匹も殺せないような人だった。それこそ、焼印の光景を見ただけで倒れてしまうくらいにね」
「……僕より繊細ですね」
「そうね、そうかもね」
蚊の一匹も殺せない優しい人というフレーズは、本でよく見かけたけど、実際にそんな人に会ったことは一度もない。
だって、そんなに優しかったら、きっと息をするだけで苦しい。
「そんな姉さんが、私は大好きだった。姉さんがいたから、私は世の中を恨まずに生きていけるようになったの」
「恨む……?」
「私、少し特殊な生まれなのよ。加えて、人より激しい気性でね。物心がついた頃には、周りの人から『鬼』だと疎まれていたわ」
随分とと朧げな言葉だ。特殊な生まれというのは、さっき言っていた『黒湖に呑まれない体質』のことだろうか。
でも、なぜ『鬼』だと疎まれるのだろう。
今の世において『鬼』と呼ばれるのは、それ相当のことをした者のみ。確か、桜さんはそう言っていたけど……。
「知ってる? 桜って、葉に毒があるのよ」
「え、そうなんですかっ?」
「えぇ、周りの植物を枯らしてしまう毒よ」
そういえば、桜の木の周りに他の植物が生えているのを見たことがない。あってもせいぜい、名前も分からない小さな雑草くらいだ。
「桜さんが、そうだって言うんですか?」
「えぇ。だけど、姉さんは私を拒まなかった。『さっちゃん』って呼んで可愛がってくれた。姉さんを守ることが私の生きる意味だったのに……何もできなかった」
「……夜長姫が、殺したんですか?」
「殺したも同然よ」
地の底から蠢くような声だった。
その顔を見て、全身が凍り付いた。
僕の知っている桜さんのどれにも、その顔は当てはまらなかった。恨みなんて言葉だけでは、とても収まりきらない顔をしていた。
あの時、町の人たちに向けられた憎悪を凝縮しても、この顔には及ばない。
(もし、桜さんにこの顔を向けられたら――)
「あいつは、無邪気な笑顔で楽しそうに語った。姉さんの優しさを踏みにじる様を、姉さんが苦しむ様を、姉さんが……壊れていく様を」
七年前、月国に恐怖をもたらした『衣瀬村鬼狩り再来事件』。
もしかして、それと関係があるのだろうかと思ったけど、聞くのは止めておいた。桜さんにとって、そんなことは重要じゃないだろうから。
「ずっと憎くて憎くて仕方なかった。本心と素性を隠し続けて、侍女として忠実に仕えて、確実に殺せる機会をずっと窺ってきた。そして……胸を刺してやった。確実に死ぬように、何度も、何度も、何度も――」
口から次々と出てくる、怨嗟の言葉。
だけど、それとは裏腹に、桜さんの表情からは怨嗟がだんだんと消えていく。
「お前なんて所詮はただの人だ、お前の生に意味なんてないのだと、突き付けてやった。姉さんの生を踏みにじったように、虫けらのように、無慈悲に。あの日からずっと、私はそうしたかったから。それなのに……っ」
桜さんの表情が、悲痛に歪んだ。
焼印を押された時よりも、ずっと、痛そうに。
「あいつは、ずっと、笑っていたわ」
「…………え?」
「素晴らしい、今まで生きていた中で一番、感動したと喜んでいた。ずっと、私のことが好きだったと言った……」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる