桜吹雪の後に

片隅シズカ

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一章「旅立ちの花」

第五話「花の宴 ーはなのえんー」 (後編) ③

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「安心しなよ。血は流さないし、その娘の命も名誉も守る。約束は絶対だ。あんたが自らの人生を捧げたんだからね」
「…………っ」

 声が出ない。
 何か特別な力が働いているとか、そんなんじゃない。こちらを無感情に見下ろす巫女たちの眼が、ただただ恐ろしい。

(どうしよう、このままじゃ……っ)

 代わりに、僕が受けることはできないのか。
 元々、僕のせいなんだ。桜さんが傷つけられるなんて、あってはならない。

 だけど、思い付いた時には遅かった。

「受け入れます。縄を解いてください」
「桜さ――」
「安いものよ。こんなことで、けじめを付けられるなんて……」

 桜さんの声は、落ち着いていた。恐怖も、怒りも、嘆きもなかった。

 パチパチと音を立て始めた火の中に、棒が突き立てられる。桜さんは、それを真っ直ぐ見つめていた。悔しそうに、唇を噛みしめて。



 安すぎるわ。


 
 呟いたその一言が、彼女の気持ちの全てを表しているようだった。





   ***





 部屋で待機していると、侍女らしき人が食事を運んできた。

「……ありがとうございます」

 お礼を言うと、侍女らしき人はすぐに部屋を後にした。あっさりめの食事だったので、少しほっとした。正直、食欲なんて全然ないから。

 腕に焼印を押すだけ。
 言葉にしたらあっけないようだし、刑としては軽いのだろうけど、実際に目の前で行われた行為は生々しすぎて見るにえなかった。

 桜さんは歯を食いしばりながらも、情け容赦なく焼かれる自分の腕を、最初から最後までしっかりと見つめていた。


 けして目をらすことなく、真っ直ぐに。


(ご飯……食べないと)

 今のままじゃ駄目だ。病室で甘やかされていた頃とは、違うんだ。

 僕も強くならないといけない。
 桜さんのように、強く。

 胃から込み上げてきそうなのをこらえて、思い切って口に運んだ。

(……美味しい)

 そう感じた自分に、僕は驚いた。
 味を感じる余裕なんてないと思っていたのに。それどころか、吐き気をともなっただるさが、みるみるうちに消え失せていく。

 むしろお腹が空いていたのだと、否応なしに気付かされた。
 美味しいご飯は、ただ美味しいのだ。食べる側の気持ちなんてお構いなしに。

 気持ちが変わらない内に、食べてしまおう。そして桜さんの様子を見に行こう。腕に火傷を負っただけとはいっても、やっぱり心配だし。


 現在、桜さんは医務室で処置を受けている。


 本来なら死刑に値する罪人を手当てするなんてあり得ない話らしいが、今回は事が事だけに特例なのだという。

 残酷な行為にばかり目がいったが、死刑を取り下げたことを考えれば、かなりの温情をかけてもらったのだろう。巫女たちが平然としていたのも、案外その辺りを理解していたからにすぎないのかもしれない。

(みんながみんな、夜長姫みたいなサイコパスってことはないはず……)

 黄林姫の柔らかな微笑みが、虹姫の飄々ひょうひょうとした笑みが頭をよぎる。
 頭を振って強引に追い払った。そんなこと、考えたって仕方がない。


 今は、桜さんの容体が第一だ。


 ご飯を食べ終わり、空になった皿をお盆に乗せて部屋を出た。途中で通りかかった侍女がお盆を受け取ってくれたので、手ぶらで医務室へと向かうことになった。

 暗い廊下の中で、障子越しに灯りが見えた。
 その部屋に近づくにつれて、何やら話し声のようなものが聞こえてくる。

「なんでそこまで肩入れするのさ?」

 虹姫の声だ。思いも寄らない人物の声に、ピタリと足が止まった。
 なんとなく存在をさとられたくなくて、忍び足で部屋へと近づいていく。

「最初は単純に、夜長を殺した責任を取ってるだけだと思ってたけど、それならわざわざ匿ってやる必要ないだろ?」
「何が言いたいの?」

 桜さんの声がして、思わず「え?」と声を漏らしそうになった。

 巫女相手に、タメ口で話している。
 虹姫も、それをとがめる様子はない。

 旧知の仲とかなのだろうか。そうだとしたら、口では高圧的に接しながらも、死刑を回避するよううながしてくれたことにも納得がいく。

「もしかして、たまきちゃんと重ねてる?」

(たまき?)

「……私はただ、姉さんのような人が理不尽にさらされるのが、許せないだけ」
「あぁ、なるほどねぇ」

 どうやら、桜さんには『たまき』という名のお姉さんがいるらしい。

 ちょっと意外だった。桜さんは大人びていて、妹というよりは姉という感じだから。世話焼きなところなんか、姉御肌といっても差し支えない。

「危なっかしいよね、そういう奴って。無駄に人の心配ばっかするからさ……ちょうど今、部屋の前で聞き耳を立ててる奴みたいに」
「――――っ!!」

(え、え……っ!? バレてる!?)

「気の流れが見える巫女相手に、かくれんぼは通用しないよ。特に、私や夜長みたいな化け物にはね。さっそく勉強になったな、葉月?」

 しかも、僕だということまでお見通しだ。それなら隠れていても仕方がない。
 ふすまを開け、「失礼します」と声をかけてから部屋に入った。さっきのことがあったからか、声が必要以上に震えてしまった。

 虹姫は、にやにやと笑いながら僕を見ていた。この人、絶対に面白がってるな。

 一方、桜さんは大きな目を丸めて僕を凝視していた。虹姫と違い、僕の存在に全く気付いていなかったらしい。

「えっと……すみません。桜さんのことが気になって、その……」
「ははっ、構わないよ。ただの思い出話だし」
「…………」

 どことなく、桜さんの表情が重い。
 虹姫はしらばっくれているけど、思い出話に花を咲かせる顔ではないだろう。

「じゃあ、私はそろそろお暇しようかな。明後日から忙しくなるしね」

 虹姫が立ち上がり、部屋を出ようとする。
 襖を開ける前に、僕の隣で足を止めた。

「そうそう。あんたも忙しくなるからね」
「巫女の仕事ですか?」
「仕事っちゃあ仕事だな。七国巡りだよ」
「あぁ……」


 そういえば、大将が言っていた。

 巫女は毎年、かんなぎそうかいの後に各国の社町を視察しにくるのだと。


「今回のって、巫総会だったんですか?」
「ん?」
「巫総会の後に視察するって聞いたんですけど」
「別にそんな決まりはないよ。その後にやる方が効率的だからそうしていたまでだ。それに、月国の新巫子のお披露目をしとかないと」
「あぁ、確かに……」
「ま、あんたにとっては急展開だろうけど、これで夜長だと迫害される危険から解放される。そう考えれば、悪い話じゃないだろ?」
「あ……っ」

 確かにその通りだ。このまま解放されたとしても、町での騒動の二の舞になっていたかもしれない。下手したら、本当に死者を出してしまっていた可能性もある。

「……そうですね。むしろ、助かったかもしれません。ありがとうございます」
「そこ、お礼を言うところじゃないだろ」
「でも、危険がなくなったのは事実ですから」
「……こりゃ驚いた、本気で言ってやがる。ま、聞き分けが良くて助かるよ」

 虹姫は、ひらひらと手を振りながら「ごゆっくりー」と部屋を出ていった。


「…………」
「…………」


 賑やかな人がいなくなったからだろうか。部屋の中が驚くほど静かになった。静かすぎて、なんとなく気まずい。
 
「葉月」
「は、はいっ」
「そんなところに突っ立っていないで、こっちに座ったら?」

 桜さんが、寝台をぽんぽんと叩く。

「え、隣、いいんですか?」
「いいに決まってるじゃない。座ればいいって言ってるんだから」
「……じゃあ、失礼します」

 そわそわしながら、桜さんの隣に腰をかける。
 今までだって隣り合ったことは何度もあるのに、胸の高鳴りがうるさい。そういえば、初めて同じ部屋で寝た時もこんなだった。

(いや、何を呑気に緊張してるんだ……っ!)

 これでは、なんのために医務室に来たか分からないじゃないか。僕のせいで、こんなことになっているのに。

「あの……腕、大丈夫ですか?」
「問題ないわ。処置が早かったし、痛み止めも塗ってもらったから」
「そうですか。よかった」
「むしろ、あんたの方が大丈夫? 顔色、あまりよくないけど」
「そう、ですかね? いろいろあったからかな」
「……これ?」

 桜さんが、包帯の巻かれた腕を見せてきた。
 思わず「ひっ」と身をひるませてしまった。包帯で隠れていても、その下に生々しい傷があることに変わりはない。

「この世界じゃ、焼印やきいんなんて日常茶飯事よ。子供でも見慣れているわ」
「え、マジですか!?」
「まじよ」

(巫女たちがヤバいってわけじゃないのか……)

「巫女になるつもりなら、これしきのことで動じてちゃ心が持たないわよ」
「あ、はい。気を付けます」
「…………」

 桜さんが、また黙り込んでしまった。
 普段からよく喋る方ではないけど、より口数が少なくなっている。表情も、どことなく沈んでいる気がする。

「……すみません」
「なぜ、謝るの?」
「なぜって、僕と関わりを持ったばかりに、桜さんを危険な目に――」
「馬鹿なこと言わないで!!」

 突然の怒鳴り声に、反射的に肩が震えた。
 だけど、怖くはなかった。血相は変えても、怒りなんてじんもなかったから。

「ごめんなさい」
「いえ、そんな」
「復讐」

 とうとつな一言に、僕は返す言葉を失った。

「夜長姫を殺したのは、姉を死なせたからよ」
「……仇討ってことですか?」
「そんな立派なものじゃないわ。姉さんは、そんなことを望む人じゃないもの。ただ、私が許せなかっただけ」


 許せなかった。その言葉が重く圧しかかる。

 お姉さんがいるんだと思ったけど、違った。
 お姉さんが、いたんだ。


「姉さんは優しかった。優しすぎて、蚊の一匹も殺せないような人だった。それこそ、焼印の光景を見ただけで倒れてしまうくらいにね」
「……僕より繊細ですね」
「そうね、そうかもね」

 蚊の一匹も殺せない優しい人というフレーズは、本でよく見かけたけど、実際にそんな人に会ったことは一度もない。

 だって、そんなに優しかったら、きっと息をするだけで苦しい。

「そんな姉さんが、私は大好きだった。姉さんがいたから、私は世の中を恨まずに生きていけるようになったの」
「恨む……?」
「私、少し特殊な生まれなのよ。加えて、人より激しい気性でね。物心がついた頃には、周りの人から『鬼』だとうとまれていたわ」

 ずいぶんととおぼろげな言葉だ。特殊な生まれというのは、さっき言っていた『黒湖に呑まれない体質』のことだろうか。

 でも、なぜ『鬼』だと疎まれるのだろう。
 今の世において『鬼』と呼ばれるのは、それ相当のことをした者のみ。確か、桜さんはそう言っていたけど……。

「知ってる? 桜って、葉に毒があるのよ」
「え、そうなんですかっ?」
「えぇ、周りの植物を枯らしてしまう毒よ」

 そういえば、桜の木の周りに他の植物が生えているのを見たことがない。あってもせいぜい、名前も分からない小さな雑草くらいだ。

「桜さんが、そうだって言うんですか?」
「えぇ。だけど、姉さんは私を拒まなかった。『さっちゃん』って呼んで可愛がってくれた。姉さんを守ることが私の生きる意味だったのに……何もできなかった」
「……夜長姫が、殺したんですか?」
「殺したも同然よ」



 地の底からうごめくような声だった。

 その顔を見て、全身が凍り付いた。



 僕の知っている桜さんのどれにも、その顔は当てはまらなかった。恨みなんて言葉だけでは、とても収まりきらない顔をしていた。

 あの時、町の人たちに向けられた憎悪を凝縮しても、この顔には及ばない。

(もし、桜さんにこの顔を向けられたら――)

「あいつは、無邪気な笑顔で楽しそうに語った。姉さんの優しさを踏みにじる様を、姉さんが苦しむ様を、姉さんが……壊れていく様を」

 七年前、月国に恐怖をもたらした『衣瀬いせむら鬼狩り再来事件』。

 もしかして、それと関係があるのだろうかと思ったけど、聞くのは止めておいた。桜さんにとって、そんなことは重要じゃないだろうから。

「ずっと憎くて憎くて仕方なかった。本心と素性を隠し続けて、侍女として忠実に仕えて、確実に殺せる機会をずっとうかがってきた。そして……胸を刺してやった。確実に死ぬように、何度も、何度も、何度も――」

 口から次々と出てくる、怨嗟の言葉。
 だけど、それとは裏腹に、桜さんの表情からは怨嗟がだんだんと消えていく。

「お前なんて所詮はただの人だ、お前の生に意味なんてないのだと、突き付けてやった。姉さんの生を踏みにじったように、虫けらのように、無慈悲に。あの日からずっと、私はそうしたかったから。それなのに……っ」

 桜さんの表情が、悲痛に歪んだ。
 焼印を押された時よりも、ずっと、痛そうに。

「あいつは、ずっと、笑っていたわ」
「…………え?」
「素晴らしい、今まで生きていた中で一番、感動したと喜んでいた。ずっと、私のことが好きだったと言った……」
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