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一章「旅立ちの花」
第二話「桜人 ーさくらびとー」③
しおりを挟む五つに分かれた陸地で、中央には黒い丸が一つある。陸地の周りには、五つの地と同じ形の島が二つ、対称的な位置に置かれている。
五つの地と二つの島、そして黒い丸には、それぞれ漢字が記されている。
五つの地は、上から時計回りに『中』『動』『堅』『柔』『静』と一文字ずつ。
二つの島は『動』と『堅』の間にあるものが『陽』、『静』の左斜め上にあるものが『月』となっている。
黒い丸にのみ『黒湖』と二文字ある。
とりわけ印象的なのは、陸地の形だった。
「なんだか、桜の花みたいな形ですね」
「実際はここまで綺麗な形ではないみたいだけど、桜が神聖な木として昔から大切にされているからでしょうね」
「へぇ……」
「陸に五つ、海上に二つ、全部で七つの国があって『七国』と呼ばれているわ。まずは陸の五つから説明するわね」
桜さんが、五つに分かれた陸地を指さす。
「東の『動国』と『堅国』。西の『柔国』と『静国』。どちらにも属さない『中つ国』。この五つは『五国』と呼ばれているわ」
「どちらにも属さないというのは、中立国ということですか?」
「えぇ。中つ国が間に入ることで、西と東の衝突を防いでいるのよ」
「板挟みってやつですね……」
「まぁ、元々そのために作られた国だしね」
高天原と黄泉の間にある『中つ国』とは全く別物らしい。そりゃそうか。読み方が違うし、そもそも日本じゃないのだ。
「そして、ここは西に属する『静国』ね。もっとも、会話では略称の『静』でいいわよ。柔国も同様に『柔』で通じるわ」
「あ、そうですか」
ありがたい話だ。『やわらかなるくに』とか『しずかなるくに』って噛みそうだし、そもそも舌が回らない。早口言葉みたいだ。
「あぁ、そうそう。この世界の文字は『西字』と『東字』の二種類だって言ったけど、読み方も『西字読み』と『東字読み』の二つがあるのよ」
「読み方ですか?」
「例えば、これ。西字読みだと『くに』、東字読みだと『こく』と読むわ」
桜さんが『国』の一文字を指さしながら説明する。要するに西は訓読み、東は音読みらしい。分かりやすくて良い。
「もっとも、西だからといって、全てが西字読みということはないわ。東から入ってきた言葉などはそのまま伝わってくるしね。逆も然りよ」
「なるほど」
(つまり、外来語とかと同じということか)
「中つ国には、どっちの読み方も入ってますね」
「西にも東にも属さないということで、あえて双方の読みを入れているのよ」
「徹底して中立ですね」
「そうね。それじゃあ、次は島の方よ」
桜さんは五国の周りの、『陽』と『月』の文字が記された二つの島を指さした。
「これは、東に属する『陽国』。もう一つは、西に属する『月国』。この二つはまとめて『二島』と呼ばれているわ」
「へぇ、島国ですか。僕がいた『日本』という国も島国なんですよ」
「奇遇ね。私も島国出身よ」
「マジですかっ?」
「まじよ」
(うわあああ……っ!)
思いも寄らないところに共通点があった上に、桜さんがまた乗ってくれた。これはもう舞い上がるしかない。
一人で興奮する僕をよそに、桜さんが淡々と次のページを開く。
そのページに記されているものを見た瞬間、思わず息を呑んだ。
今見ていた地図と同じものだ。
だけど陽国が『柔』の左斜め下に、月国が『中』と『動』の間に変わっていた。
「二島の位置が違いますね。対称のままだけど」
「国といっても、人工の浮島だから」
「人工の浮島?」
「この二つは、一際強い力を持つ巫女を、五国から隔離するために作られたのよ」
「隔離、ですか……」
「巫女の力にも個人差があってね。普通の人間に毛が生えたような者から、命を指一本で奪えるような者まで千差万別なの。強い力を持つ巫女は、その言動一つで国を滅ぼしてしまいかねないのよ。本人にその気がなくてもね」
心なしか、桜さんの声が一段と低くなった。
どれほど重い内容なのか、この世界に来たばかりの僕でも分かるくらいに。
(ていうか、国を滅ぼすって……)
それこそファンタジーみたいな話だけど、この世界では、それが現実なのだ。
まるで、個人が核兵器を扱うような。
そんな考えが頭を過って、鳥肌が立った。
そして人というのは得てして、強い力を怖れる一方で焦がれるものだ。国を滅ぼすほどの力であれば、なおさら。
「……隔離するのは、誰かに利用されるのを防ぐためですか?」
「えぇ。仮に何かあっても、島であれば他の国に被害が及ぶこともないしね」
社まで建てられて崇められる一方で、力を怖れられ、狙われ、隔離される。
この世界の巫女は、僕が思っている以上に責任重大で、不自由な立場らしい。
「わざわざ浮島にしたのも、同じ場所に留めないためよ。潮流に乗って、五国の周りを右回りに動き続けているの。一年かけて一周するわ」
「潮流から外れてしまう……なんてことはないんですか? 浮島ということは、水底に接してないですよね?」
南米には草で作られた浮島があるらしいけど、五千人ほどしかいない小さな島である上に、常にロープで固定しているという話だ。
だけど二島は、地図を見る限り五国の面積と変わらない。南米の草の島をロープで繋げるのとは、規模がまるで違う。
「もちろん、その可能性もあり得るわ。だから五国は、島が自国付近に来る時期になると、可動式の橋を掛けて固定するのよ」
「可動式……結構、大規模ですね」
「そりゃそうよ。島一つを繋ぎ留めるんだから」
科学の概念とかなさそうだと思ったけど、案外そんなことはないのかもしれない。どんな風に繋ぎ留めているのか、ちょっと気になる。
「ちなみに、この二島は見ての通り、常に対称の位置にあるの。それが太陽と月の動きを連想させることから『陽国』、『月国』と呼ばれるようになったのよ」
「なるほど。どっちが太陽か月かって基準はあるんですか?」
「別に深い意味はないわ。陽国は一年の初めに東に位置するから『太陽』で、月国はその反対だから『月』なだけよ」
「おぉー」
国の名前の由来というのは、調べてみると結構面白い。世界で二番目に大きいカナダの由来は『村』だし、カメルーンはポルトガル語で『小エビ共和国』だ。
(五国の由来も調べてみようかな……)
「そして、これは『黒湖』。湖よ」
桜さんが、五国の中心の黒い丸を指さす。
湖というには、随分と巨大だ。地図を見る限り、一国の三分の一は占めている。
「毎年行方不明者が出たり、記憶喪失者が出たりと怪奇現象が後を絶たないことから、『黒い穴』とも呼ばれて人々に怖れられているわ」
「黒い穴、ですか」
「もちろん、実際に黒いわけじゃないわ。近づいた者を無に還すという意味合いで、そう呼ばれているだけよ」
「それ死んじゃってますよね……?」
まるでブラックホールだ。
湖だし、さすがに体がバラバラになったりはしないだろうけど。
(行方不明者や記憶喪失者が出ている……か)
僕がこうなっているのと、何か関係があったりするだろうか。
「これから何をするにしろ、余程のことがない限り、ここには近づかない方がいいわ。達者な探検家ですら、うかつには近寄れない場所だから」
「そんなに恐ろしい場所なんですか?」
「詳細は分からないけどね。『黒湖にはけして近寄らないように』と子供の頃から教わることもあって、謎が多い未知の領域なのよ」
「おぉ!」
「一方で、それ故に黒湖に惹かれて探検家になる者も後を絶たないわ。被害者の大半は、近づき過ぎて引き込まれた探検家だって話だし」
「うわぁ……」
(本当にバラバラになったりして……)
「少なくとも、今のあんたが行ったところで無駄死にするだけよ」
「……でしょうね」
未知の領域はすごく興味深いけど、バラバラにはなりたくない。
「さて、今日はこのくらいにしましょう。もうすぐ日も暮れることだし」
「ありがとうございます」
桜さんが本を閉じ、背伸びをする。
(出会った時から思ってたけど、やっぱり桜さんって綺麗だ……)
艶やかな黒髪、切れ長だけど大きな瞳、長いまつ毛、整った目鼻立ち。
簡素な着物姿でも綺麗なのだ。少し着飾れば、とんでもなく化けるだろう。目力が強いから、化粧をしたら迫力が増すかもしれないけど。
「ちなみに、何かやりたいことはある?」
「え?」
「何をするかによって、今後どうするかも決まってくるわよ」
「えっと……」
「行きたいところでもいいけど」
(いきなりついていきたいっていうのは、さすがにドン引きだよな……)
「どこか、お勧めの所とかあったりします?」
「大きなことをやりたければ中つ国ね。夢追い人や上を目指す人間……中つ国には、そういう人間が集まるわ。人は馬鹿みたいに多いけどね」
(東京みたいなものか)
「都会ですか。わざわざ行く理由はないですね。今のところ……」
言葉を続けようとして、僕は一瞬固まった。
恐る恐る、桜さんの顔を見る。
「もしかして、お邪魔……でしょうか?」
考えてみれば、とんでもない話だ。仮住まいとはいえ、出会ったばかりの女の子の部屋に上がり込んでいるのだから。
昨日は、慣れない町の雰囲気と薬草の処理の手伝いでへとへとだったから、とにかく休めることがありがたかったけど……。
(……うわぁ、急に恥ずかしくなってきた)
顔が茹で上がって死にそうな僕をよそに、桜さんは相変わらずの通常運転で「別に」とだけ言った。本当にクールな人だ。
「しばらくの間、ここで暮らせばいいわ。私は何も困らないから」
「いいんですか!?」
「元よりそのつもりよ。ただし、独り立ちできるまでという条件付きだけど」
「ありがとうございます!!」
とりあえず、今すぐ追い出されるということはなさそうだ。沸き上がった心配が杞憂に終わったことに安堵する。
男が上がり込んでいることに関しても、桜さんは全く気にしていない。そういえば、必要だったとはいえ、僕の後ろで普通に着物を脱いでいた。
(男としては、全く意識してないんですね……)
無理もないかもしれない。僕から見ても、男には全然見えないし。
まぁ、いいやとすぐに思い直した。変に意識し合ってギクシャクするよりは良いだろう。それこそ、下手したら追い出されかねないし。
「あ、忘れてたわ。水……」
「僕が行きますよ」
「場所覚えてる? さらっと教えただけだけど」
「大丈夫ですよ。もし迷ったら、その辺の人に聞きますから」
「じゃあ、身分証を忘れないようにね。井戸の番に見せなきゃ貰えないから」
「はい!」
「桶はあそこにあるわ」
「おけ……? あ、はい! 桶ですね!」
(『バケツ』なんて言葉があるわけないか)
「じゃあ、行ってきます!」
僕は桶を手に、餅屋を飛び出していった。
健康な体で、初めての一人行動。そう思うと、心なしか足取りが軽くなる。
(とりあえず、迷わないようにしないと……)
拙い記憶を頼りに、僕は井戸へと向かった。
「…………」
物陰から、その様子を窺う影があった。
目を見開き、大きく震えている。
「姫様……?」
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