桜吹雪の後に

片隅シズカ

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一章「旅立ちの花」

第三話「残花 ーざんかー」④

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 のどへと込み上げてきたものが、口から一気に溢れ出す。胸から刃物が抜かれ、気持ち悪い感触と共に鋭い痛みが走る。

 気が付けば、僕はその場に倒れ伏していた。

「…………い……っ」

 視界が、赤い液体で満たされる。胸が痛くて、息が上手くできない。
 病気のせいですっかり慣れた臭いがして、僕はようやく理解した。



 男に、刀か何かで刺されたのだと。



「姫様……お体に傷をつけてしまったこと……お許しください」

(僕には謝らないんですか……)

「でも!! ここまでしなければ、あなたはお姿を現さないでしょう!?」

 怒鳴っているのに、どこか笑っているように聞こえた。血の臭いで、頭がクラクラする。思考が上手くまとまらない。


 急に、笑い声が止んだ。


「……何を、しておられるのです?」

 また、声色が変わった。
 うわった声色だ。刺された僕より、痛いと言わんばかりの。

 そんな引き裂かれるような声で、今度は「早く!」と叫び出した。

「早く目を覚ましてください!! 早く!!」

(いや……無理でしょ……そんな……)

「おい、なんだあれ……?」
「きゃあああああ!!」

 その悲鳴を皮切りに、周囲の民家からざわめきが起こり出した。

「た、大変だ!! 女の子が!!」
「早く医者を!!」
「いや、もう駄目――あれ――」
「衛兵――呼ん――」
「あい――取り押さ――」
 
(……聞こえなく、なってきた?)
 
 急に、意識が朦朧としてきた。
 音も、光も、分からな――――



「……葉月?」



 凛とした声が、やけに鮮明に聞こえた。

「葉月!!」

 駆け寄ってくる足音が聞こえる。顔を見たいのに、動けない。

(桜、さん)

 桜さんの声と足音が聞こえて、真っ先に頭をよぎったのは焦燥感だった。 
 僕はどのみち助からないけど、このままでは桜さんまで危険にさらしてしまう。


 それだけは、絶対に嫌だ。


「油断してた。こんな時間に、一人で出歩かせるべきではなかった」
「……はっ!」

 声が出た。避けるような痛みが胸に走り、血がのどへと込み上げる。
 せっかく声が出たのに、せき込むことしかできない。「葉月!」と桜さんの声が耳にじんわりと響いて、不覚にも心地良いなんて思ってしまった。


 伝えないと。早く、一刻も早く伝えないと。


 なのに、伝えられない。
 いっそ、この傷が塞がってくれればいいのに。今だけでいいから。

「は……に……っ」
「ごめんなさい」

 この緊迫した場にそぐわない、恐ろしく落ち着いた声だった。顔を見ることはできないけど、桜さんは――冷静だ。

(あぁ……)

 安心したからだろうか。心なしか、胸の痛みが和らいでいる気がする。
 よかった。これなら、僕がわざわざ伝えなくても状況を把握してくれるはずだ。

「……姫様の……仇!」

(え――?)

「殺してやる……ここで……!!」

 姫様の、仇?
 僕は、自分の耳を疑った。一体、何を……

(いや、今はそんなことどうでもいい!)



「桜さん! 逃げて!!」



 周囲が、静まり返った。僕も、固まった。

(……声が、出た?)

 桜さんと男が、こっちを凝視している。
 二人だけじゃない。この場にいる全員が、同じ表情をしていた。

 周りの様子が見えたことで、今、自分が体を起こしていることに気付いた。

(一体、何が……?)

 しかも、痛みもない。

 何より、周りにできていた血溜まりが、嘘のようになくなっている。あるのは、ペンキを盛大に零したみたいに広がった血痕だけだ。

(いや、そんな、まさか……)

 恐る恐る、視線を下ろす。そして、真っ赤に染まった着物を左右に開いた。



 胸の傷が、ない。
 
 塞がったなんてものじゃない。
 綺麗さっぱり、跡形もなく消え去っていた。



「おぉ……ついに……姫様が……っ」

 男が、こうこつとした表情で近寄ってきた。

 僕が後ずさりしたのと同時に、桜さんが華麗な動きで男を取り押さえた。格好いいけど、押さえられてる男はすごく痛そうだ。

「葉月走って!! 今すぐ町から離れて!!」
「桜さん、何言ってーー」
「夜長姫だ」

 僕は、声がした方を見た。
 そして、おぞが走った。

「でも、夜長姫は死んだんじゃなかったの?」
「馬鹿いえ。今の見ただろ? 不死身なんだよ、鬼女なんだから」
「それに、あの髪の色……」
「間違いねぇ……」

 暗い上に離れたところにいるので、僕を見下ろす彼らの表情はよく見えない。

 だけど、一瞬にして空気が黒くなった。



 憎悪。

 そんな言葉が、脳裏をよぎった。
 僕とは縁もゆかりもなかった言葉が、驚くほど、自然に。



「こいつが、俺の家族を……」
「みんな、この女のせいで……」

 周囲にいた数人が、じりじりと近づいてきた。
 それもきねやら包丁やら、物騒なものを持って。

(いや、ちょっと待って……)

「早く!! 早く逃げなさい!!」
「で、でも、桜さんは!?」
「私は大丈夫だから!! 早く!!」

(絶対、大丈夫じゃない……!)

 混乱しているけど、僕が夜長姫だと認識されていること、そのせいで危険にさらされていることくらいは分かる。



 そして僕をかばい立てした桜さんも、ただで済むとは思えない。



(……桜さんがいるのは、門とは逆方向か)

 だけど、そんなことは関係ない。桜さんをここから引き離した上で町を出る。

「おい待て、さすがにそれは!!」
「うるせぇ!!」

 後ろから怒声が聞こえた。
 振り返ると、男の人がくわを手にじりじりと近づいてくるのが見えた。

 間違いなく危険極まりないけど、これ以上気にする余裕はない。すぐに前を向いた。とにかく立ち上がり、地を蹴って全力で走り出す。 


 突然、背後で悲鳴が上がった。


 思わず足を止めて振り返ってしまい、危うくこけそうになった。
 男の人が、鍬を手にしたまま倒れていた。気絶したのか、全く動いていない。

「お、おい!! 大丈夫か!?」
「触れてもいないのに吹き飛ばしたぞ!!」
「やっぱり化け物よ!!」

(いやいや、まさかそんな……)

「うわあああああ!!」

 悲鳴にも似た声が耳をつんざく。
 いつの間にか、草刈り鎌を持った女の人が横にいた。その鬼の形相を前に、声にならない悲鳴が口から漏れる。

 せつ、生き物のようにうねった黒髪が目の前に飛び込んできた。
 鋭く大きな瞳を見開いている。まるで、獲物に刃を突き立てる狩人のように。

 あの日、初めて目にした眼差しと同じだった。



 激しい炎のようで怖いと、それ以上に綺麗だと感じた、あの眼差しと。



「きゃああああ!?」
「お前何やってんだ!?」
「早く手当てを!!」

 気が付いた時には、桜さんの拳が女の人のほおにガッツリめり込んでいた。女の人の体は、地に倒れ伏せたまま動かない。

(うわぁ……)

 それどころじゃないのは分かるけど、なんだか物凄く居たたまれない。

「突っ立ってないで早く!!」

 桜さんに手を強く掴まれる。
 そのまま、引っ張られながら走り出した。慣れない着物のせいでまた転びそうになるが、立ち止まるわけにはいかない。

「あ、門だ!! これ――でっ!!」
「喋らない!! 舌噛むわよ!!」

(もう噛みました……)

「なんだお前ら!?」
「止まれ止まれ!!」

 門が見えて安堵したのも束の間。閉まっている上に門番がいることを思い出した。また勝手に吹き飛んでくれることを祈るしかない。

 万事休すかと思いきや、なぜか門が開き出した。門番たちは明らかに動揺しているので、まず違うだろう。

「お前たち、待――ぐわっ!!」

 吹っ飛んでいく門番たちを横目に、門をくぐる。これでーーーー

「あっ!!」

 桜さんが、何かに弾かれたかのように飛んできた。真後ろにいた僕も、桜さんの体に押される形で地面に叩きつけられる。

 すぐに飛び退いた桜さんが、僕に声をかけた。

「葉月、大丈夫っ?」
「はい、なんとか……」



 顔を上げて、僕はがくぜんとした。

 門に、まくのようなものが張り付いていた。透明だけど、確かにそこにある。



「桜さん、あれ、なんですかっ? なんか、門に変な膜みたいなのが」
「……見えるの?」
「え? そりゃあ――」

 何が起こったのか、考える余裕はなかった。
 気が付くと、僕たちの周りは衛兵たちでぎっしりと固められていた。
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