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一章「旅立ちの花」
第三話「残花 ーざんかー」①
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薬草の処理を一通り終えた僕は、広場近くの本屋で『矢版』に目を通していた。
江戸時代の瓦版とほぼ同じだ。矢のように速く伝わるというのが由来らしいが、『野蛮』と脳内変換してしまいそうになるのが少し難だ。
要は新聞に相当するものだ。配達してもらう体制はないけど、本屋に限らず、結構あちこちで売っているので入手には困らない。
(……ここにもないか)
求める情報が見つからず、軽く落胆する。
図書館にも足を運んだけど同様だった。世の中、やっぱり甘くない。
昨夜のことだ。
この世界に来てから一週間が経過したということで、改めて今後のことを考えようと桜さんが話を持ちかけてくれた。
「仕事、ですか?」
「えぇ。何をするにせよ、まずは日々の生活費を稼がないと話にならないわ」
「……もしかして、今の僕って未だにニート……無職なんですか?」
「残念ながらね。正式に契約しているわけじゃないでしょう?」
「確かに……」
日中は餅屋のご主人を手伝ったり、薬草の処理を手伝ったりと、地味に忙しいので気付かなかったが、賃金などは貰っていない。
「……それなら、正式に雇ってもらうというのはどうでしょうか?」
「生憎、この店ではそういう募集はないわ。今は不在だけど、後継ぎもいるし」
「じゃあ」
「私も人手には困ってない」
「そうですか……」
言い終わる前に釘を打たれてしまった。要するに、そういうことだろう。
(要領悪いからな、僕。いても邪魔になるだけなのかも……)
ついて行くなんて、もってのほかだろうか。
考えてみれば、桜さんからしたら、突然目の前に現れただけの男にすぎない。
(どのみち、今のままではいられないけど)
桜さんが面倒を見てくれるのは、僕が独り立ちできるまでという話だ。
それまでは、桜さんは餅屋に滞在するという。本来、旅をするのが桜さんのワークスタイルであるにも関わらずだ。
桜さんについていきたいけど、自由を奪いたいわけじゃない。
それならまずは、一刻も早く一人で生きていけるようになる必要がある。
そして今に至る。
(仕事探すために来たのに、どうしよう……なんか楽しくなってきた)
僕にとって本屋や図書館は宝の山だ。見るだけでも興奮するのだが、桜さんにはあまり理解してもらえない。ちょっと残念だ。
(あ、新刊出てる)
たちまち大人買いしたい衝動に駆られたけど、グッと堪えた。
桜さんに「一度に買い過ぎ」と怒られたからだ。どうせ揃えるのなら今買っても一緒だと思うけど、居候という立場上、口答えはできない。
(むしろ、今までが甘かったんだろうな)
妹がしっかりしていたこともあって、母は病気の僕をかなり甘やかした。
正直、妹に対して負い目を感じることも少なくなかったので、甘え過ぎないように注意してきた。本の大人買いを除いて。
気軽に出歩くことができず、いつ容体が悪化するか分からない。
そんな僕にとって、傍らに置いておける本はいわば精神安定剤だった。だから悪いなと思いつつ、そこだけは甘えさせてもらっていた。
そういうわけで、目の前の本を買えないというのは、僕にとっては結構な打撃だった。大げさじゃなく、半身をもがれたような気分だ。
(まぁ、今はいきなり読めなくなる体じゃないんだ。まずは仕事探さないと)
とはいうものの、目ぼしいものはなかなか見つからない。仕事探しで資格や職歴がものを言うのは、どうやらこの世界でも同じらしい。
(この体の身元が分かれば、もっと探しやすいんだけど……)
今のところ、知らない記憶が頭に浮かぶといったことはない。
異世界転生ものによくある、前世の記憶を思い出したみたいな流れかなと思ったけど、実際はどうなんだろう。
ぼんやりと考えていると、外から複数の足音が聞こえてきた。
本屋の前を、次々と人が通り過ぎていく。日頃の賑わいとは違う、ちょっとした騒ぎを聞きつけたかのような慌ただしさだ。
(イベントでもあるのかな?)
僕はとりあえず、矢版と本を数冊購入し、広場へと向かった。
広場には井戸の他に『高札場』がある。
民衆はそこに掲げられた『高札』から法令の制定や改正、国の情勢などを知るのだという。矢版が新聞なら、高札は官報ということだ。
そこに人がごった返していた。しかも、あちこちから歓声が上がっている。高札を見に来ただけだろうに、なぜかお祭りのような賑わいだ。
(あ……)
離れたところに、見知った顔を見つけた。広場の近くで居酒屋を営む大将だ。
高札の内容を確認するついでに声をかけようと思い、僕も人混みの中に入った。今の体が健康だからできることだ。
人の波に揉まれながらも、なんとか声が届く距離まで近づいた。
「大将、こんにちは」
「おう、葉月か」
大将が人好きのする笑顔と共に振り返った。
最近、一人で行動することが多くなった。
桜さんは旅に出てなくても忙しいみたいで、薬草を採りにいく時はもちろん、それ以外でも頻繁に町の外に出ている。何をしているのかは、よく分からないけど。
だから、町中で一人の時は、主に彼から話を聞いて知識を得ている。
最初は「そんなことも知らないのか」と呆れられたけど、ずっと病気で田舎から出たことがなかったのだと誤魔化している。半分は嘘ではない。
改めて、高札の内容を確認する。
五国と二島、合わせて七国の名前がある。国名の次にはそれぞれ共通して、人の名前が『姫』や『殿』という敬称と共に綴られている。
「あれ、なんですか?」
「七国の巫女一覧だ。毎月、こうやって巫女の名前が張り出されるんだよ。いつ代替わりするか分からねぇからな」
「そうなんですか……」
その中でも僕の目を引いたのは、月国の『夜長姫』だった。
夜長姫というと、坂口安吾の『夜長姫と耳男』を思い出す。
小学生の頃、有名な文豪の代表作の一つということで、夏休みの読書感想文の題材にしようとしたが、結局は断念した。
面白かったけど、小学生が宿題として提出するには、内容が苛烈だったのだ。
サイコパスのお姫様と、翻弄されながらも姫に惹かれていく男。
お姫様の壊れっぷりも、まだ小学生だった僕には衝撃的だったけど、結末はさらにとんでもなかった。衝撃的だっただけに、僕の中で印象深く残った本だった。
もちろんその夜長姫とは別人だし、僕が驚いているのはそんなことではない。
「……あの、大将」
「なんだ?」
「あの赤いのは、なんですか……?」
僕は月国の『夜長姫』を指さす。
そこには、赤い線が引かれていた。太い筆で引いたのだろう。もはや名前全体が真っ赤に染め上げられたかのようだ。
「死んだんだよ」
「あぁ……」
大将の説明から想像はついたけど、それでもおかしな話だった。
「……その割には、随分と賑やかですね」
「おま、馬鹿っ!」
大将が顔を引きつらせ、周囲を見回す。
特に変わった様子はないし、誰も僕らに見向きもしない。この騒がしさの中では、僕らの会話はかき消されているようだ。
「ちょっとこっち来い」
腕を引っ張られ、広場から離れた路地裏にまで連れて来られた。
「お前、いくら田舎もんの箱入りだったからって、発言には気ぃつけろ」
「えっと……なんか、すみません」
苦笑する僕に呆れたのだろう。大将は小さくため息をついた。
「夜長姫は鬼女なんだよ。人間の皮を被った」
「鬼女? 人を襲う鬼ってことですか?」
「人を襲うなんてもんじゃねぇ」
忌々しげに眉を潜める大将を前に、僕は驚きを隠せなかった。
大将は喜怒哀楽がはっきりしていて、多少口が悪い面もあるけど、人を貶すような言葉を躊躇いもなく口にする人ではない。
そんな大将が、名指しで『鬼』だと貶している。普段の人の良い彼からは、とても想像がつかない姿だ。
「あの、死んだっていうのは……」
「俺ら庶民には詳細なんざ知らされねぇよ。けど、噂では殺されたらしいぜ」
「えっ?」
「ま、殺されて当然だけどな」
なんの抵抗もなく、殺人を当たり前だと受け入れる大将に、寒気すら覚えた。
一国の姫が殺されたという事実が、当然の事として受け入れられて喜ばれている。向こうから聞こえるお祭り騒ぎが、何よりの証拠だ。
「いいか。夜長姫のことは、絶対に人前で口にするんじゃねぇぞ。誰かに聞くってのも駄目だ。特に……お前はな」
「それは、どういう」
「ちょいと耳を貸しな」
言われた通りに、耳を傾ける。
「心当たりは、あるだろ?」
おーいと表から声が上がる。大将の店の常連さんの一人だ。
「悪ぃ、もう行くわ」
「あ、あの」
「明日の閉店後なら余裕あるから、うちに来いよ。そこで話してやるから」
そして、彼は何事もなかったかのような顔で立ち去って行った。
残された僕は、しばらくそこに立ち尽くした。
江戸時代の瓦版とほぼ同じだ。矢のように速く伝わるというのが由来らしいが、『野蛮』と脳内変換してしまいそうになるのが少し難だ。
要は新聞に相当するものだ。配達してもらう体制はないけど、本屋に限らず、結構あちこちで売っているので入手には困らない。
(……ここにもないか)
求める情報が見つからず、軽く落胆する。
図書館にも足を運んだけど同様だった。世の中、やっぱり甘くない。
昨夜のことだ。
この世界に来てから一週間が経過したということで、改めて今後のことを考えようと桜さんが話を持ちかけてくれた。
「仕事、ですか?」
「えぇ。何をするにせよ、まずは日々の生活費を稼がないと話にならないわ」
「……もしかして、今の僕って未だにニート……無職なんですか?」
「残念ながらね。正式に契約しているわけじゃないでしょう?」
「確かに……」
日中は餅屋のご主人を手伝ったり、薬草の処理を手伝ったりと、地味に忙しいので気付かなかったが、賃金などは貰っていない。
「……それなら、正式に雇ってもらうというのはどうでしょうか?」
「生憎、この店ではそういう募集はないわ。今は不在だけど、後継ぎもいるし」
「じゃあ」
「私も人手には困ってない」
「そうですか……」
言い終わる前に釘を打たれてしまった。要するに、そういうことだろう。
(要領悪いからな、僕。いても邪魔になるだけなのかも……)
ついて行くなんて、もってのほかだろうか。
考えてみれば、桜さんからしたら、突然目の前に現れただけの男にすぎない。
(どのみち、今のままではいられないけど)
桜さんが面倒を見てくれるのは、僕が独り立ちできるまでという話だ。
それまでは、桜さんは餅屋に滞在するという。本来、旅をするのが桜さんのワークスタイルであるにも関わらずだ。
桜さんについていきたいけど、自由を奪いたいわけじゃない。
それならまずは、一刻も早く一人で生きていけるようになる必要がある。
そして今に至る。
(仕事探すために来たのに、どうしよう……なんか楽しくなってきた)
僕にとって本屋や図書館は宝の山だ。見るだけでも興奮するのだが、桜さんにはあまり理解してもらえない。ちょっと残念だ。
(あ、新刊出てる)
たちまち大人買いしたい衝動に駆られたけど、グッと堪えた。
桜さんに「一度に買い過ぎ」と怒られたからだ。どうせ揃えるのなら今買っても一緒だと思うけど、居候という立場上、口答えはできない。
(むしろ、今までが甘かったんだろうな)
妹がしっかりしていたこともあって、母は病気の僕をかなり甘やかした。
正直、妹に対して負い目を感じることも少なくなかったので、甘え過ぎないように注意してきた。本の大人買いを除いて。
気軽に出歩くことができず、いつ容体が悪化するか分からない。
そんな僕にとって、傍らに置いておける本はいわば精神安定剤だった。だから悪いなと思いつつ、そこだけは甘えさせてもらっていた。
そういうわけで、目の前の本を買えないというのは、僕にとっては結構な打撃だった。大げさじゃなく、半身をもがれたような気分だ。
(まぁ、今はいきなり読めなくなる体じゃないんだ。まずは仕事探さないと)
とはいうものの、目ぼしいものはなかなか見つからない。仕事探しで資格や職歴がものを言うのは、どうやらこの世界でも同じらしい。
(この体の身元が分かれば、もっと探しやすいんだけど……)
今のところ、知らない記憶が頭に浮かぶといったことはない。
異世界転生ものによくある、前世の記憶を思い出したみたいな流れかなと思ったけど、実際はどうなんだろう。
ぼんやりと考えていると、外から複数の足音が聞こえてきた。
本屋の前を、次々と人が通り過ぎていく。日頃の賑わいとは違う、ちょっとした騒ぎを聞きつけたかのような慌ただしさだ。
(イベントでもあるのかな?)
僕はとりあえず、矢版と本を数冊購入し、広場へと向かった。
広場には井戸の他に『高札場』がある。
民衆はそこに掲げられた『高札』から法令の制定や改正、国の情勢などを知るのだという。矢版が新聞なら、高札は官報ということだ。
そこに人がごった返していた。しかも、あちこちから歓声が上がっている。高札を見に来ただけだろうに、なぜかお祭りのような賑わいだ。
(あ……)
離れたところに、見知った顔を見つけた。広場の近くで居酒屋を営む大将だ。
高札の内容を確認するついでに声をかけようと思い、僕も人混みの中に入った。今の体が健康だからできることだ。
人の波に揉まれながらも、なんとか声が届く距離まで近づいた。
「大将、こんにちは」
「おう、葉月か」
大将が人好きのする笑顔と共に振り返った。
最近、一人で行動することが多くなった。
桜さんは旅に出てなくても忙しいみたいで、薬草を採りにいく時はもちろん、それ以外でも頻繁に町の外に出ている。何をしているのかは、よく分からないけど。
だから、町中で一人の時は、主に彼から話を聞いて知識を得ている。
最初は「そんなことも知らないのか」と呆れられたけど、ずっと病気で田舎から出たことがなかったのだと誤魔化している。半分は嘘ではない。
改めて、高札の内容を確認する。
五国と二島、合わせて七国の名前がある。国名の次にはそれぞれ共通して、人の名前が『姫』や『殿』という敬称と共に綴られている。
「あれ、なんですか?」
「七国の巫女一覧だ。毎月、こうやって巫女の名前が張り出されるんだよ。いつ代替わりするか分からねぇからな」
「そうなんですか……」
その中でも僕の目を引いたのは、月国の『夜長姫』だった。
夜長姫というと、坂口安吾の『夜長姫と耳男』を思い出す。
小学生の頃、有名な文豪の代表作の一つということで、夏休みの読書感想文の題材にしようとしたが、結局は断念した。
面白かったけど、小学生が宿題として提出するには、内容が苛烈だったのだ。
サイコパスのお姫様と、翻弄されながらも姫に惹かれていく男。
お姫様の壊れっぷりも、まだ小学生だった僕には衝撃的だったけど、結末はさらにとんでもなかった。衝撃的だっただけに、僕の中で印象深く残った本だった。
もちろんその夜長姫とは別人だし、僕が驚いているのはそんなことではない。
「……あの、大将」
「なんだ?」
「あの赤いのは、なんですか……?」
僕は月国の『夜長姫』を指さす。
そこには、赤い線が引かれていた。太い筆で引いたのだろう。もはや名前全体が真っ赤に染め上げられたかのようだ。
「死んだんだよ」
「あぁ……」
大将の説明から想像はついたけど、それでもおかしな話だった。
「……その割には、随分と賑やかですね」
「おま、馬鹿っ!」
大将が顔を引きつらせ、周囲を見回す。
特に変わった様子はないし、誰も僕らに見向きもしない。この騒がしさの中では、僕らの会話はかき消されているようだ。
「ちょっとこっち来い」
腕を引っ張られ、広場から離れた路地裏にまで連れて来られた。
「お前、いくら田舎もんの箱入りだったからって、発言には気ぃつけろ」
「えっと……なんか、すみません」
苦笑する僕に呆れたのだろう。大将は小さくため息をついた。
「夜長姫は鬼女なんだよ。人間の皮を被った」
「鬼女? 人を襲う鬼ってことですか?」
「人を襲うなんてもんじゃねぇ」
忌々しげに眉を潜める大将を前に、僕は驚きを隠せなかった。
大将は喜怒哀楽がはっきりしていて、多少口が悪い面もあるけど、人を貶すような言葉を躊躇いもなく口にする人ではない。
そんな大将が、名指しで『鬼』だと貶している。普段の人の良い彼からは、とても想像がつかない姿だ。
「あの、死んだっていうのは……」
「俺ら庶民には詳細なんざ知らされねぇよ。けど、噂では殺されたらしいぜ」
「えっ?」
「ま、殺されて当然だけどな」
なんの抵抗もなく、殺人を当たり前だと受け入れる大将に、寒気すら覚えた。
一国の姫が殺されたという事実が、当然の事として受け入れられて喜ばれている。向こうから聞こえるお祭り騒ぎが、何よりの証拠だ。
「いいか。夜長姫のことは、絶対に人前で口にするんじゃねぇぞ。誰かに聞くってのも駄目だ。特に……お前はな」
「それは、どういう」
「ちょいと耳を貸しな」
言われた通りに、耳を傾ける。
「心当たりは、あるだろ?」
おーいと表から声が上がる。大将の店の常連さんの一人だ。
「悪ぃ、もう行くわ」
「あ、あの」
「明日の閉店後なら余裕あるから、うちに来いよ。そこで話してやるから」
そして、彼は何事もなかったかのような顔で立ち去って行った。
残された僕は、しばらくそこに立ち尽くした。
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