クロスオーバー

連鎖

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みさき(運命)

帰宅①

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 美咲は駅前のタクシー乗り場の長い列に並び、
 聞き慣れた音や見慣れた明かりに包まれると、
 あのアルバイトを遠い過去の記憶にできそうだった。

 だが、その穏やかな時間は長くは続かない、ふと気がつけば、
 いつものように全身を舐め回すような視線がまとわりついた。

「またか…」と思わず声にでそうになるが、この格好では仕方がなかった。

 美咲の格好は、
 白いプリンセスロングドレスにハイヒールを履いているので、
 真っ白な服は遠くからでも目立つし、
 ヒールで背も高くなっているので仕方が無かった。

 しかも、終電後の遅い時間にタクシーを待っていれば、
 好奇の目が集まるのも無理はなかったし、
 駅前で暇を持て余す人々にとっては、
 彼女は格好の「暇つぶしの相手」だった。

 もちろん、アッシュブラウンのウェーブヘアと美しい顔が、
 声をかけるのをためらわせるが、
「送ろうか?」「これから飲まない?」と次々に声がかかる。

 アルバイト中とは違い、そんな誘いにも
「ごめんなさい」「急いでいるの」「また今度ね」と優しく断り続けるが、
 その対応にも少し飽きてきた頃、ようやくタクシーの順番が回ってくる。

 美咲は足早にタクシーに乗り込み、
 少し眠たげな顔で運転手に行き先を告げ、シートに身を預けた。

 今日の出来事で疲れ切った美咲は、
 街灯の光と無機質な街並みが次々と流れていくのを、
 ぼんやりと眺めている。

 とはいえ、何も考えずにいることはできず、
 心の奥にはアルバイトで起こった事の不安が広がり、
 あの時に感じた男たちの視線が肌を這い回っているような気がして、
「早く家に帰りたい…」とつぶやきたくなった。

 それでも、美咲はその弱音を心の奥にしまい込み、
 バックミラー越しに探るように見てくる運転手の視線を感じながらも、
 深いため息をついた。

 こういう事をする相手への対応は決まっていて、

「ここに名刺を置いておきますね。良かったら来てください。」

 と声をかけると、相手も無言でその探るような視線をやめる。

「いつものこと」「こういう生活…」と、
 美咲は再び現実を噛み締めながら、自分の役割を改めて受け入れていた。

 運転手の視線が減り、自宅のタワーマンションが近づくにつれて、
 少しずつ心が落ち着いてくる。

 だが、あの視線やアルバイトの記憶は消えることが無く、
 記憶が曖昧になればなるほど、胸の内に不安と恐怖として燻り続けた。

 いつものように、家の前ではなく、
 少し離れたコンビニでタクシーを降りると、
「この辺りなら、安心できる…」という漠然とした気持ちが、
 彼女の落ち着きを取り戻させた。

 もちろん、店に入って周囲に客がいても、
 その人達に美咲が何かをする必要は無いし、視線が自分に向けられたり、
 話しかけられたりもしないはずなので、
 その安堵と共に「あの時…」「わたしは…」と、
 あの記憶に焦りまで交じる。

 美咲はコンビニに入り、必要なものを手早く買って帰ることにして、
 何か漠然とした焦りを「お酒で…」と諦めて、
 今も自分を探るように見てくる視線を、意識しないようにした。

 もちろん、目立つ格好なので見られるのは仕方が無いが、
 棚を眺めながら周囲に注意を向けたり、
 自分の事を特別な感情で見てくる人がいないかを確認していた。

 そうやっていても、あのアルバイトの事ばかりが気になってしまい
「さあ、他に…」と、諦めた美咲は気持ちを切り替えた。

 そうやって、見られるのは仕方が無いと、店の商品を眺めている内に、
 周囲の視線があの時とは違うと気づき、
「これで、終わった…」と呟きながら支払いを済ませて店を出た。

 コンビニを出た美咲は、
 もう一度周りを確認してからタワーマンションへ向かうが、
 彼女の心はまだ緊張していた。

「やっぱり、気のせいよね…」

 そう自分に言い聞かせながら自宅に向かうが、
 コンクリートに響く足音が、心臓の鼓動と共鳴するように速まっていく。

 もちろん、周りに誰もいないはずなのに、
 だれかに見られている感じがして、
 それがただの妄想だと自分に言い聞かせた。

 やっと目の前には、目的のタワーマンションがそびえ立ち、
 エントランスの自動ドアが開くと、
 冷たい空気が頬をかすめる感触が心を落ち着かせた。

 マンションの静寂が美咲を包み、
 明かりが柔らかい温もりを放っているが、その温かさに包まれながらも、
 美咲はまるで外の世界から逃げ込んだかのような錯覚に陥っていた。

 エレベーターの前に立ち、ボタンを押すと、
 恐怖なのか、それとも安堵なのか、指先がわずかに震えた。

 こんなに夜も遅く、人の気配はないはずなのに、
 見えない誰かの視線を感じるようで、心がざわめき、
 どれだけ用心深く振る舞っても警戒心が消えない。

 ようやくエレベーターが到着し扉が開くと、
 すぐに乗り込み、あのボタンを連打する。

 ようやく扉が閉まり始めて、美咲はようやく息をつき、
 扉が閉まりきって外の喧騒が途切れると、しばしの安堵感に包まれる。

「8階…」

 ため息をつきながら表示を見ていると、
 エレベーターが動き出し、わずかな揺れさえも心を乱すが、
 美咲は冷静さを保とうと必死に努めた。

 やがて8階に到着し、エレベーターのドアが開く。

 静まり返った廊下には誰の気配もなく、自分の香水の香りだけが漂い、
 その感覚が、わずかな落ち着きを取り戻してくれたが、
 部屋までの道のりがどこか遠く感じられ、
 手にしたコンビニの袋と小さなお土産が、やけに重く感じられた。

 心の奥で何かがざわつく中、あの時から続けている癖が嫌になる。

 美咲は非常階段へと向かい、自分の住む階を目指して歩き始める。

 一人だけ歩いている階段の音は不気味だし、
 自分以外の扉を開く音など聞こえたら悲鳴を上げそうだが、
 何度も背後に気を配りながら、
 薄暗い階段を登り、物音がしない廊下を進むと、部屋の前にたどり着く。

「やっと…」と、深呼吸をして気持ちを整えてからスマホを取り出し、
 最後にもう一度周囲を確認するが、物音一つしない。

 その感覚に安心して鍵を外し扉を開けると、
 慣れ親しんだ香りが出迎え、思わず安堵の息が漏れた。

「ハァ。帰ってきた…」

 ドアを閉めると、外界から完全に遮断された静寂が広がる。
 だが、外で感じた視線の記憶がまだ心に残り、また胸がざわめく。

 部屋に入ると、白を基調にした壁に金の装飾が施されたカーテン、
 リビングには高級なソファーと、真新しい巨大な薄型テレビが配置され、
 窓の外には、キラキラと光り輝く夜景が窓一面に広がっている。

 見渡せば豪華で贅沢な空間だが、それがかえって美咲には冷たく、
 居心地の悪さを感じさせた。

「パパ………こんな部屋、私には似合わないのに…」

 彼女はため息をつき、店で着飾る華やかなドレスやピンヒールが
 ウォークインクローゼットに並び、
 その鮮やかな色彩が今はただ重くのしかかっていた。

 居間の豪華な家具や衣装は、まるで彼女を迎えるものではなく、
 逆に自分が背負った役割を突きつけてくるようだった。

「いい加減、疲れたな…」

 彼女はキッチンへ行き、コンビニの袋を開ける。

 中にはサンドイッチとおにぎり、冷たい複数本のお酒。
 食欲は湧かないが、空腹だけは紛れもない。

 シンクの前に腰掛け、適当に並べて冷たいサンドイッチを一口かじり、
 お酒を一本開けて煽るように飲みながら、それを飲み込んだ。

「味気ない…」

 食べ物の味は薄く、孤独を噛みしめるような感覚に襲われる。
 美咲は静かに目を閉じ、今の自分の生活を振り返った。

 華やかで刺激的な仕事、外の世界では誰かの視線にさらされ、
 その人達が望む人を自分は演じ続け、
 家に帰ればこの無機質な空間が待っている。

「これが、私の人生なのかな…」

 最後の一口を飲み込み、ため息をつく。

 食事を終えて残った袋を見つめ、
 不安と疲労感が静かに心を覆い尽くすようだった。

「彼女って、友達だったっけ?」と、意味もない問いかけをする。

 豪華な部屋と衣装に囲まれながらも、
 彼女は心の奥で、本当に求めているものが何なのか、
 改めて問いかけつづける自分に、これから気づくのかもしれない。


 帰宅①
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