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「弟の寝ている間に」家門の継承。

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学校から帰れば、今日もセドリックが停まっていた。

・・・・また来てんのか・・・・

ここんところ毎日のようにセドリックが停まっていた。
別に、親が離婚するのはなんともない。

・・・ましてや、父の、あの酒を飲んで狂ってしまってる姿・・・・長年、母さんの顔の青痣を見せられてきた・・・・父が暴れた後には、その証拠のように母さんの顔に青痣が残った。
・・・・ボクは、さっさと離婚すりゃあいいのにと思ってたくらいや。

・・・・青痣のついた顔じゃ、外を歩けない。

そんな時は、ボクが母さんに代わって買い物に行った。

「食べたいものを買ってこい」

初めて買い物に行かされたのは小学校3年生の時やった。
・・・・父が酒を飲んで母に暴力をふるっていたのは、昨日今日始まった話やない。ボクの記憶の中では、まったくの日常の出来事やった。

「何を買うたらええんやろ・・・?」

食べたいものを買ってこい・・・そう言われても小学校3年生のボクにはわからない。・・・そもそもどこへ行けばいいのかもわからへん・・・
困ったボクは、近所の食料品店でパンを買った。・・・アンパン、クリームパン・・・そして、前から食べてみたかったケーキのような菓子パンを買った。・・・干ブドウが入ってて・・・飴状になった砂糖がいっぱいかかってたパンやった。田舎の小学校3年生には、それが、すごく都会的なケーキに見えた。

家に帰って、買い物袋を見た母さんは烈火のごとく怒った。

「夕食」を買ってこいと言ったのに、なんでパンを買ってくるんや・・・・さらには、お菓子を買ってくるとは何事や。

米は家にある。好きなものを買ってこい、は、好きなおかずを買ってこいの意味やった。・・・肉・・・魚・・・そういう意味やったんか・・・・

・・・こうしてボクは、一番食べたかった「菓子パン」を食料品店に返品に行かされた。
真っ暗な夜道を、トボトボと・・・・トボトボと泣きながら歩いた光景は、今でもはっきり憶えている。


家に入れば、父と母さんが向かい合っていた・・・弟が抱かれている。

・・・そして、父の隣には叔母がいた。

この前・・・・この前父が来ていた時も叔母が一緒やった・・・・

父は4人兄弟妹やった。家を継いだ父が長男、下に弟が2人・・・そして末っ子が妹。

叔母は、6年前に隣の愛媛県の老舗料亭に嫁いでいた。・・・加藤清正と加藤嘉明の会談の場になったとかの、由緒正しい老舗料亭や。
実家に顔を出すたびに・・・つまりウチに・・・・松山の洒落たお菓子なんかを持ってきてくれた。・・・・松山は四国の中の都会や。

・・・・が、ボクは叔母を、あんまり好きやなかった。

どうにも「女っぽい」んやった。
そりゃ、女だから当然や・・・なんというか、男に対しての「媚」を感じた。

叔母は男3兄弟の末っ子妹や。
そんなことからか、なんでもかんでも「兄」たちを頼っていた。・・・また、兄である「叔父」たちも、なんでもかんでも言うことを聞いていた・・・・・だけやなく、まわりの男、全てに媚を売り、意のままに操ってるような感じが見えた。・・・・裏で舌を出してるような。

・・・どうにも、女の人のそういう部分が見えてしまう・・・・
ボクを学校で虐めている主犯は「女の子グループ」や。・・・・村と町の「女の子グループ」の対立が根底にあった。
・・・そんな経験からか、どうにも女の子の・・・・女の人が天性で持っている、掌で男を動かす「媚」のようなものに目がいった。
学校でも、ものの見事に女の子たちに男の子たちは踊らされていた。
龍也がアイドルとして踊らされ、後ろ盾としてゴンが踊らされていた。
クラス全員が・・・学校全体が、ボクを見えない者の「透明人間」として仕立てていった・・・そう仕向けていったのは龍也やない。ゴンやない。女の子が天性に持つ「媚」という技やった。


叔母は、ボクに対しても、どうにも、流行りの玩具や、流行りのお菓子で媚を売ろうとしているように感じた。
・・・・もちろん、可愛い女性やった。甥っ子であるボクから見ても「叔母さん」というより、歳の離れた「可愛い従姉」といった方がいいくらいや。

・・・・ただ、どこかで「嫌な感じ」を抱いていた。好きにはなれへんかった。


「公園行っといで」

母さんがいつものように200円を手渡した。

いつものように、お砂場セットを持って、弟の手を引いた・・・・


・・・・なんで叔母さんが来んねやろ・・・・離婚するんやったら叔母さんは関係ないやろ・・・なんでや・・・


・・・・陽が暮れていく・・・・ブランコに座って砂場の弟を見ていた。


細かい雨が降ってきた・・・・


夜になっていた。
部屋の中。・・・湿気・・・息がつまる空気やった。

弟は二段ベッドの下の段・・・弟の寝床で眠っていた。

父がいた。
白い開襟シャツに、深緑のズボン。
足の長い父は、とても運転手には見えない・・・・そもそも、肉体労働者には見えない。
いつも、洒落た格好をしていた。
背が高く、パッと見に華やかな印象があった。
ボクの洋服がかっこよかったのも、父が選んでくれたからや。
徳島じゃなくて、四国で一番の都会の松山にまで買い物に行った。
・・・・その洒落た格好・・・そこに・・・そこに不釣り合いな、「手甲」を今日もしている。
かっこいいセンスのなか、「手甲」だけが浮いて見えた。


・・・父の隣に叔母がいた。

母は俯いていた。

そして、ボクは泣いていた・・・・



叔母の嫁ぎ先は、松山の老舗料亭や。
結婚して6年・・・未だに子供ができへんかった。・・・妊娠すらしたことがない。
・・・・しかし、子供がないということは、嫁ぎ先の老舗料亭・・・代々続く老舗にとっては大問題やった。


・・・家が途絶えてしまう・・・・・


弟が松山の老舗料亭へと、養子に出されることが決まった。・・・決まっていた。・・・今、知らされた。


「カァくんも大変やろ?毎日毎日、学校からまっすぐ帰って弟の面倒みて・・・」

叔母が言った。

・・・・そうか・・・・そうかもな・・・確かに大変や・・・毎日毎日、学校終わったら真っすぐ家帰って・・・お砂場セット持って公園行って・・・・

弟が松山行ったらプラモデルを造る時間も、宿題をする時間も、友達と遊ぶ時間もできるようになるんよなぁ・・・

そうかもな・・・そのほうがええんかもな・・・

弟も、いつまでも、ひとりで家でお留守番させとくわけにもいかんわな・・・

・・・・頭では、最良かもしれんとは思う・・・・・

叔母の家は、松山の老舗料亭や・・・弟は、そこの御曹司になるんや。・・・未来の老舗料亭の当主や。

こんな、廃墟みたいな家で、毎日、毎日、ひとりでお留守番して・・・ボクを待って・・・このあと、どうすんねん・・・
父はあてにはできひん。
・・・・このあとどうする・・・・?
母さんひとりで、ボクらふたりの子供、めんどーみていくんか・・・・それは、難しいよなぁ・・・
弟の将来は・・・弟の未来は、松山行った方がええんちゃうか・・・
絶対そうや・・・そのほうが、弟にとって、絶対ええねん・・・わかってる・・・そのほうがええねん・・・そのほうがええ・・・


でも・・・んでも・・・んでもな!!

・・・・そんなん嫌やわ・・・嫌や!!

絶対嫌やわ!!!


「離れて暮らしても兄弟じゃ。それに変わりはないんじゃ」

父が言う。
そんな言葉、慰めにもならへんわ!

父は、威厳を保つようにか、床の間らしきところを背中に、えらそーにほざいていた。
「家」が大事だと。「家」を絶やしたらアカンと。
何より、家長のワシが決めたことなんやと。

・・・言葉が上滑りしている・・・洒落た格好が、言葉を軽くしていた。
可愛い妹のために、ひと肌脱いでやろうと力説していた。

・・・・もう誰も相手にしない・・・・誰一人父を相手にしなくなっていた。

祖父は、顔を見れば父を叱責していた。
母さんも、顔を見れば父を責めていた。

・・・・そして、責められるに足る行動しか父はしてこなかった。
だから、父は帰ってこなかったんやろう。
ここには父の居場所はない。
・・・・いや、父の居場所など、もうどこにもない。

・・・そうか、それで松山やったんか。
松山の叔母を頼ったんやな。
そして、叔母には父に頼みがあった。


弟をくれ。


跡取りがいなければ離縁されるんやろう。・・・・そんな話は聞いたことがある。
父、母さん・・・叔母が泣きながら話しているのを見たことがある・・・・

父が上っ面だけの威厳をもって話している。
酒乱。 クズ。 負け犬。 ・・・・こいつは世界で一番のクソ野郎や。
・・・・その隣の女に、叔母に、なんとも汚らしい「媚」を感じた。こいつもクソ女や。



ボクは泣いていた。
涙が、これでもかと、こんなにも泣けるもんなんかと涙が零れた・・・・・
人はこんなにも泣けるもんなんか・・・・人間には何リットルの涙があるねん。拭いても拭いても涙が流れた。


どれだけ、どれだけ泣いたら止まるんじゃ・・・・アホたれ。


・・・・弟は眠っていた。・・・弟は何も知らずに眠っていた。
二段ベッドの下の段。タオルケットを掛けられて、両手をギュッと握りしめて眠っていた。
枕元に汚い、汚れた小さなタオルがあった。・・・・薄い水色の。
弟はこれがないと眠れない。グズる。
なんてことはない薄い水色のタオル・・・無地で・・・それでも生まれてから、ずっと弟の傍にあった。
今では、水色なのか何なのか・・・元の色すらわからない。
毛羽立ち、破れ・・・それでも、そのタオルを触らなければ弟は眠れない・・・


よく眠っている・・・
・・・遊び疲れたかなぁ・・・・今日も、砂場で、いっぱい遊んだもんなぁ・・・・


泣き声が、これでもかと口をついた。
しゃくりあげる嗚咽をガマンすることすらできずに泣いた。

間違いなく、生きてて一番泣いた。
いつまでも、いつまでも泣いた。泣き続けた。

机の脇に、少年ジャンプが転がっていた。
・・・・もう、少年ジャンプなんか読みたない・・・・なんにも面白ない・・・ぜんぜん笑われへん・・・

もう、何があっても笑えへんかった・・・・泣くこともなかった。感動するなんてあるはずもない。

・・・そのボクが泣いていた。
泣く、笑う・・・全ての感情をなくしていたボクが泣いた。

どれだけ泣いても涙は止まらない。


窓に細かい雨筋が流れている・・・・

・・・・畳の上。涙の染みができていた・・・・

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