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「疑心暗鬼」禁断症状。

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コンビニ駐車場。
春の陽射しだ。
プリウスの時計は11時を回っている。

亜貴と電話していた。


「カズくん・・・もうちょっと待ってね・・・・」


耳元から亜貴の声が聞こえる。・・・・甘い声だ。申し訳なさそうな甘い声。身体中が幸福で満ちていく甘い声だ。


日程が決まらなかった。
亜貴と会う約束をしていた。・・・手を繋いで桜を見る、と。
初めて会って・・・これからも一緒にいると決めて・・・次は一緒に桜を見ると約束した。
その日程が決められなかった。

亜貴の旦那さんの休みは不定期だ。
物流業のため年中無休。土日のどちらか1日。さらに平日のどこかで1日。それで週休2日としていた。

まさか、旦那さんの休みの日に会うわけにはいかない。

旦那さんの休みがわかれば、その日以外と決められる。

しかし、前もって休みが決まることはなかった。・・・亜貴にも直前に知らせるらしい。・・・たぶん、直前になって決めるんだろうな。管理職・・・経営幹部、シフトで決めるという立場じゃないんだろう。
・・・いや、決まっているけど伝え忘れている。

・・・いや、決まっているけど亜貴には伝えないんじゃないか・・・

亜貴と話していて、ボクの中で「旦那像」が作られてきた。・・・・旦那さんのオラオラ感が見えてきていた。

地元名士の家長。成績優秀、高身長のスポーツマン。

オラつくには十分な要素だ。

・・・ボクの地元にもいた。バスケ部のキャプテンで生徒会長。
今では県会議員になっている。・・・ちなみに、嫁さんは同級生。生徒みんなの憧れだった中学美少女No1と言われたテニス部女子だった。

中学校のヒエラルキーそのままに、今も地元を仕切っていた。

・・・地方ではよく聞く話だ。



首都高。プリウスを走らせる。

客先でのミーティング。

晩御飯。
テレビからは震災現場が流れている。


・・・・日々だけが過ぎていく。

毎日メールをして、毎日声を聞いた。5分でも、10分でも声が聞きたかった。



プリウスのフロントガラスを雨が叩く。

助手席に、コンビニおにぎりのビニール・・・・ゴミ。

ジョージアブラックを片手に亜貴の声を聞いていた。

「愛してる・・・」

その言葉を言いたかった。聞きたかった。毎日伝えて、毎日伝えて欲しかった。

シートに座る作業服は濡れネズミだ。・・・首にかかったタオル。
今日は、壊れた外部照明の復旧工事だ。
雨だからと、施工スケジュールは変えられない。
朝からの、かなり激しい雨。
作業用の雨合羽を着ていても、中にまで染み込んできた。
その雨が体温を奪う。・・・まだ春先だ。・・・雨が降れば冷たい。
プリウスの中、暖房がフル稼働している。

・・・どれだけ辛い仕事でも、亜貴の声を聞ければ笑顔になれた。


「カズくん・・・もうちょっと待ってね・・・・」


旦那さんの休みがわからない。
会う日程が決められない。

電話を切った。

窓の外。
雨が流れ落ちる。
シートに身体を埋めた。


「カズくん・・・もうちょっと待って・・・・」

翌日も日程は決まらなかった。
・・・・そして、翌日も・・・・その翌日も・・・


ひょっとして・・・会いたいのはボクだけじゃないのか。
もう、亜貴は会いたくないんじゃないか・・・
会ってしまったことを亜貴は後悔してるんじゃないのか・・・・

疑心暗鬼が頭をもたげる。
まさか、聞くわけにもいかない。

・・・いや、聞くのが怖かった。


「やっぱり・・・よく考えたんだけど・・・」


高校1年生。
初めての彼女に、そう切り出されてフラれた。・・・・あの経験は、人生のかなりのトラウマになっていた。


亜貴は美しかった。
初めて会った・・・・あのコテージでの風景を思い出す。
長く美しいジーンズの足が伸びていた。
ロングカーディガン。
品よくまとまった栗色の髪。

・・・・そして、何より八重歯の光る笑顔がボクを撃ち抜いた。

逆光の中で全てが輝いていた。


人間としての、生き物としての世界が違っていた。


・・・・だから、わかっていた。


「一緒にいたい・・・」


亜貴は言ってくれた。
・・・しかし、そこに「震災」という劇場効果があることを。

「東日本大震災」

その渦中にいて・・・毎日が心細く・・・何かに助けを求め、何かにすがりたい・・・その日本最大級の災害の渦中・・・その劇場の只中にいることが、亜貴の心理に影響を与えていることをわかっていた。

・・・・そうでなければ、亜貴は、どうにもボクにつりあう女性じゃなかった。

だから、会ってはみたものの・・・劇場効果で「一緒にいたい」とは言ったものの・・・時間が経って、冷静に考えてみれば・・・


「やっぱり違う」


そう思ったとて不思議じゃないと思っていた。


・・・しかし・・・

フラれるために会いに行った。

あの時にフラれるなら諦めはついた。・・・なにより諦めるために会いに行ったんだ。
・・・でも・・・今・・・気持ちを全て亜貴に持っていかれた今、亜貴に愛されてると一時でも実感した今、・・・ここで、亜貴を失うのはあまりに怖かった。
・・・・考えると身が竦んだ。


・・・そんなはずはない。


亜貴を信じる心と、・・・・やっぱりかと自分を卑下する心がせめぎ合う。


「カズくん・・・もうちょっと待って・・・・」


自分に自信がない。
ボクなんかが、亜貴に愛されるはずがないんだ・・・・



リビング。夜。
風呂から上がった。
バスタオルで頭を拭きながらテレビをつけた。

・・・・帰ってきた時には、すでに、お嫁さんは寝室で眠っていた。

画面に阿武隈川が映っている・・・・桜が咲いている。満開を迎えている。

・・・亜貴と、ふたりで、手を繋いで桜を見る。


携帯を取り出した。
メールの確認。
・・・メールはない。

「あーきぃー 会いたいぃーーー」

打った文字を消した。
携帯を閉じた。

亜貴は旦那さんに攫われた捕らわれの身だ。

今、亜貴は、旦那さんと一緒にいる。
旦那さんにご飯を作っているんだ。
亜貴は、どんな顔で旦那さんといるんだろう・・・

メールのできない夜を悶々と過ごした。

亜貴が旦那さんと浮気するんじゃないかと・・・旦那さんに無理やり襲われるんじゃないかと・・・・何より、亜貴の心変わりが怖かった。
歯ぎしりしながら夜を過ごした。


「カズくん、もうちょっと待って・・・」


頭の中で亜貴の声が響く。

日程は決まらない。


もう、我慢できない。


メールをしても、声を聞いても渇いた。
・・・身体が渇いた。

禁断症状だ。
・・・亜貴が足りない・・・声だけじゃダメだ・・・身体全てで亜貴を感じたかった。
亜貴に浸りたかった。

・・・・渇く、渇く、渇く・・・・そして疼いた。
身体の奥底から欲情の猛りが込み上げる。


亜貴を知った。
亜貴を知らなかった過去には戻れない。

項垂れた。



東京駅。
JR緑の窓口にボクは立っていた。

ほとんど客はいなかった。

少し強引に決めた。
亜貴からの日程を待っていたら会えないと思った。・・・このまま会えなくなると恐れた。


・・・・桜を、手を繋いで見られなくなる・・・


旦那さんの休みは、ほとんどが木曜日と土曜日だった。
火曜日に行こう。火曜日に亜貴に会いに行くと決めた。

今度は新幹線で行く。
400kmからの距離がある。車で行くには時間がかかりすぎる。
新幹線なら仙台まで2時間だ。

「震災」による特別ダイヤ編成。特別料金だった。
高速は無料開放。新幹線は5,000円で乗れた。

火曜日宿泊で仙台駅前のホテルをとった。
帰りは、水曜日の遅い新幹線をとる。
火、水曜日どちらかは会えるずだ。ダメなら、それでいい。会わないで引き返す。・・・そう亜貴に言って、半場強引に日程を決めた。


緑の窓口を出た。
亜貴にメールで日にちと時間を伝えた。

すぐに、亜貴から返信が来る。

「うん わかったよー」

そして、

「ありがとうカズくん・・・ごめんね・・・」

この一言で亜貴も会いたいのは同じだとわかった。安心した。
・・・しかし旦那さんの休みがなかなかわからない・・・まさか聞くわけにもいかない。


「なぜだ?これまでオレに休みを聞いたことはないよな?」


旦那さんに不信感を抱かせるだけだ。



当日。
東京駅から新幹線に乗る。
車内はガラガラだった。

「頑張ろう東北!」

スローガンのできる前だ。復旧作業に向かう人間だけが乗る新幹線だった。
大きなバッグを持ったビジネスマンが数人固まって乗っていた。
広い車内に数人だけ。
どこか車内に緊張感が漂っていた。・・・悲壮感すらが見えた。

・・・・そんな中、ジーンズを履いてショルダーバッグひとつ・・・遊び姿のボクは異邦人だ。
疎外感、意味のない罪悪感を感じた。

東京を出る時は晴れていた天気が、大宮を過ぎると雨に変わった。


「あーきぃー 愛してるよ ・・・もうすぐ会えるねー・・・」


能天気なメールを打った。


旦那さんの休みは予想通りで木曜日だった。
今日は移動だけ。明日、午前中から会うことができる。
亜貴に駅まで迎えに来てもらう。


1カ月ぶりに亜貴に会える。

「愛してる・・・」

メールのラリーが続く。

「会えるんだ」

その高揚感がお互いのメールにあった。
ボクは新幹線の中だ。
いつメールしても繋がる。
いつメールしてもいいんだ。
そんな安心感もお互いにあった。


仙台駅に着いた。
傘は持ってきていない。
濡れながら歩いた。・・・それほどの雨じゃない。

仙台市内は、レストランもコンビニも通常営業が行われていた。

・・・・違うのは、街を走る車両だ。
自衛隊車両が多かった。

仙台。大都市。
ビルの乱立する中を、緑色、迷彩色の自衛隊車両が行き来していた。そしてダンプ・・・・横断幕のトラック。
異様な光景だった。

駅からすぐ・・・歩いて8分のホテルにチェックインをした。


「愛してる・・・」

「早く会いたい・・・」


メールのラリーが続く。


夜。細かな雨が降り続く。
窓から見える外は漆黒・・・・電気がついていない。
未だ、停電が頻繁に起こる。
電力需給は逼迫している。
夜の街からは「明かり」が消えていた。

駅まで歩くのも面倒だった。
隣のコンビニで夕食を買った。

・・・・1ヶ月前に来た時には、コンビニ弁当すらなかった。
毎食を亜貴が持ってきてくれるお弁当で過ごした。

こうして、食べ物に不自由しないだけ復旧してきたってことだ。


朝。雨は止んだ・・・待ち合わせの駅に向かう。
仙台には旦那さんの勤務先があった。まさか仙台まで亜貴に迎えに来てもらうわけにはいかない。・・・・どこで、車が見られるかわからない。

東京・・・大都市圏じゃ考えられないけど、地方だと「車」で個人が認識されていたりする。

「昨日、あそこにいたよね?」

思わぬところで誰かに見られている。
そんなことがよくある。

旦那さんが働いている仙台都市部。
亜貴に仙台駅まで迎えに来てもらうわけにはいかない。

・・・・どこで待ち合わせるか・・・・?

在来線でも、いつも使っている駅だと誰の目があるかわからない。
ひとつ福島寄りの駅で待ちあわせる。


仙台駅から在来線に乗る。

まだ、通学時間帯だ。
高校生が乗っている。
それでも、東京の殺人ラッシュから比べれば閑散といっていい。

しばらく走って高校生が降りて行った。
一気に乗客がいなくなった。


天気が良かった。
電車の中には春の日差しが入っていた。

・・・長閑だった。


しかし、車窓からの風景はブルーシートの町だった。
町ごと崩れてしまっている地域がある。
くすんだ灰色の町。
真新しいブルーシートの青が鮮やかだった。


1カ月が経っていた。
1カ月しか経っていない。1カ月も経った・・・

田畑・・・そして、遠くに山が見えた。
懐かしい風景だ。

東京暮らしが長い。・・・しかし、出身は田舎町だ。
どこか、帰ってきたという郷愁を誘う。


・・・帰ってきた。


駅。電車を降りる。
ホームから亜貴の車が見えた。


駅を出た。目の前に亜貴の車。
亜貴が後部座席のスライドドアを開けてくれた。カバンを置く。助手席に乗り込む。


・・・亜貴がいた。


ボクの愛した亜貴がいた。ボクの亜貴がいた。

亜貴の笑顔。たまらない。たまらなく幸せな気分になる。


「亜貴、ただいま!」


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