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「翻弄される命」誰も殺しに来なかった。

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首都高を北上していた。交通量は少ない。
プリウスの運転席から見える空が重い。ドンヨリとした灰色だ。


「震災」から10日が経つ。


毎朝 ゆい の部屋に入る。「きたよ」のベルを鳴らす。
・・・ゆい が入った形跡はない。

・・・手紙を書いた。

ピグの手紙は伝言板のような形で、お互いに書き込みができるようになっていた。
だから、ボクの手紙だけが並んでいる。いくつもいくつも並んでいる。

最初「心配している・・・」と書いた手紙は、日を追うごとに、どれだけ貴女のことが好きなのかといった手紙になっていた。

この10日間・・・毎日、毎日、毎日・・・どれだけ ゆい を愛してるかを再確認させられていた・・・こんなにも愛してる・・・・いや・・・ゆい を「愛しい」と思う。

「愛してる」は「人類愛」だの、なんだか色々な広い意味があるような気がする。
それに比べて「愛しい」は・・・・所有欲や、独占欲や・・・「好き」の究極の延長線上にあるような気がする・・・・絶対に他人には渡したくない。手元に置いておきたい・・・手元に囲い込みたい・・・隅々まで全てを自分のものにしたい・・・そんな気持ちの言葉に感じる。


難しい理屈はいい・・・
とにかく ゆい を愛していた。

それでも手紙に「愛してる」とは書かなかった。「世界で一番大好き」そう綴った。

ゆい と会ったことがない。
声を聞いたこともない。
ピグというアバターを使ったチャットだけの関係だ。
さすがに「愛してる」とは綴れなかった・・・・おかしいと思った。
ピグだけのやりとりで「愛してる」はおかしい・・・おかしなヒトと思われてしまう。

それでもカッコをつけてる場合じゃなかった。

「震災」は収束に向かっているんじゃない。進行形だ。
火災・・・行方不明・・・未だ災害は進行形だ。

地面は揺れている。常に揺れている。・・・ときおり襲ってくる大きな余震。


!!! 


助手席の携帯がけたたましく鳴った。緊急地震警報だ。・・・来る!

来た!突き上げるような衝撃。
目の前の車、赤が点灯する。
・・・道路一面にストップランプの赤。

・・・揺れている。道路が揺れていた。大きい。道路が、床が、車が船の底にいるように揺れる。
並んでいる外灯が、指で鉛筆を振るように揺れている。

上下線ともに、道路一面に黄色いハザードの点滅で停まっている。


・・・・治まった・・・


「・・・車を置いて非難する場合にはキーをつけたままにしてください・・・・」


そんなアナウンスが道路脇に取りつけられたスピーカーから流れていた・・・

車内にハザードの音が響く。

・・・大きく溜息をついた。・・・それほど大きく感じた。ここは高速の高架上だ。揺れが増幅されていたんだろう。たまらなく怖かった。

空の密度が濃くなったように感じる。
・・・・雨が降れば放射能を降らせた。


スーパーに物がなかった。コンビニに物がなかった。
ガソリンがなかった。
全ての車がガス欠で動かなくなった・・・10日が経ち、ようやくガソリンの供給が始まっていた。
それでも満足な供給は行えない。
1台20リッターといった給油制限だ。
街中でタンクローリー車を見つけると、皆がその後をついて行った。

「さらに大きな地震がくる」・・・まことしやかに噂が流れた。

福島原発では命をかけての戦いが展開されていた。
戦時体制と見紛うばかりだ。

震源地の東北は、被災の真っ只中だ。

未だ連絡のつかない人間がいた。
東北にも客先はある。・・・・友人もいる。
連絡のつかない人間が何人もいる。

命の危険を感じていた。すぐ隣に「死」があった。

「人の命は儚い」

何ら意味も持たず人が死んでいた。
因果応報・・・・そんな高等な講釈など、あざ笑うように人が死んでいた。

人生は続く・・・・喜び、悲しみ・・・それでも人生は続く・・・この人生を歩いて行く・・・

そんな思いをあざ笑うように日常が崩壊した。
昨日と同じ明日が来ると信じていた・・・・日々、それすらも考えずに生きている・・・その日常が、見事に寸断された。

人生は・・・人の命は自分のものじゃない。

人の命が自分のものなら、人は死ぬことはない。
永遠に生き続けられる。

命とは、身体の寿命の事だ。
自分の身体は、自分のものじゃない。
自分の意思とは関係なしに寿命はやってくる。
人は永遠には生きられない。

・・・・しかし、身体の寿命とも関係なしに・・・ただ、その場所にいただけ、それだけの理由で人が死んでいた。

震災で多くの命が失われた。
・・・自分の命の終わり方が、こんなカタチだと予期した人はいるんだろうか。
明日、津波がやってきて自分は死ぬんだ。
・・・・そんなことを予期した、考えた、想像した人はいるんだろうか。


人の命は儚い。そして明日をも知れないものなんだ。
痛切に感じた。
・・・・今できることは、今するべきだ。

大好きなら大好きだと伝える。
・・・ ゆい に「大好き」と伝えられないまま人生を終えるかもしれない・・・
ゆい の生死はわからない・・・
・・・もう二度と会えないかもしれない・・・

受け入れられなくていい。
付き合いたいなどと大それたことは考えない。

ただ、・・・ただ、・・・好きだった事だけは伝えたかった。伝えるべきだった。

貴女の心の片隅に、ボクの想いを残したかった。

・・・・・痛烈に後悔していた。


人の命は儚い。
自分の意思とは関係なく命は翻弄される。

生きたいだろう命が死を迎える。
・・・そして、生きたくもない命が生き長らえる。

人生は理不尽だ。


・・・・30代で人生は詰んでしまった。

3億円を超える借金を背負った。
細かな数字はわからない。

・・・意味がないからだ。
3億4千万円なのか、3億8千万円なのかわからない・・・・もう数字に意味はない。
3億円も4億円も同じだ・・・・「返済ができない金額」ということでは同じだ。

サラリーマンの生涯所得が3億円程度だと言う。
生きてる間一生かかって稼ぐ金額が3億円。それを超えた金額の借金だ。・・・返せるわけがない。
人生をもう一度繰り返し、その全ての収入を返済に充てても届かない金額だ。



ボクの人生は詰んでしまった。

会社を潰して・・・従業員の転籍がすべて完了して、ボクは身を引いた。
都心の家賃25万円のオートロックのマンションから、下町の家賃6万円のアパートに越した。・・・この先収入の見込みはない。手持ちの現金もなかった。


布団に倒れ込んでいた。突っ伏していた。

・・・何時だろう。時間の感覚はない。
暗くなれば夜で、明るければ昼間だ。それだけのこと。

明け放した窓から蝉の騒音が聞こえた。
・・・だから昼間だ。

・・・・暑い。
額に汗が浮いている。パジャマ代わりのTシャツは汗を含んで重くなっている。
布団も汗で湿っていた。

・・・かまうもんか・・・

疲れ切っていた。

このまま布団と同化してしまいたい・・・・

壁には備え付けのエアコンがあった。
使えない。カネがないからだ。電気代がもったいないからだ。
エアコンを使うか使わないか、1台のエアコンを使ったところで月に5,000円もかからないだろう・・・それでも、その5,000円が出せなかった。

夏の空気が淀んでいる。熱気が流れない。
布団と自分の体温が同じだった。自分の湿気が跳ね返ってきた。

清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟で上体を起こす。
頭に窓からの空気の流れを感じる。
その空気につられて起きた。立ち上がった。

着替えて外に出た。
・・・やっぱり外の方がまだマシだ。
頭には寝癖。何日着たのかわからないシャツ。

木造2階建てのアパート。
深夜になれば隣の水商売の女が大声で電話していた。会話の内容さえ理解できた。

鉄製の階段を降りる。住宅街の私道、アスファルトの熱が靴底に伝わる。
その熱を受けて歩き出した。トボトボと。身体を引きずるように歩き出す。
自分の身体から一気に何かが抜けたような感じだった。
何なのかはわからない。
説明できないもの。・・・・気力とか、そういったものか・・・それが抜けた分だけ身体が軽くなった気がした・・・軽くなったわけじゃない。足に力が入っていないのか。・・・自分の体重を感じなかった。
どこを歩いても、ふわふわと雲を歩いてるような感じだった。

トボトボと・・・軽くなってしまった身体を乗せて歩いた。

10分歩けば図書館があった。
ONタイム、そして授業中の図書館は老人の巣窟だ。
家には居場所がないのか・・・・はたまた無料の冷房の恩恵を享受するためか、黙って本を読んでいる。
適当な雑誌を選んで机の席に座る・・・・学校の机のようだ。ひとつの机にひとつの硬い椅子。
パラパラとページをめくって無料の冷房の恩恵に与る。

・・・隅っこに、本を読むこともなく居眠りを決め込んでいる男がいた。
黒く変色してしまったシャツ・・・垢のこびりついた顔、そして、組んでいる腕・・・ホームレスだろう・・・常連が何人かいた。
片隅に、静かに、人としての気配を消している。
ひとたび利用者に不快感を感じさせれば追い出されてしまう。無料の冷房の恩恵を享受できなくなる。それを防ぐための生活の知恵か。

・・・・ボクも似たようなものだ。
今のところは壁の薄い部屋がある。湿気を含んだ布団がある。・・・・しかし、仕事はない。、いつホームレスへと転落するかわかならない。・・・人生はなんと先の見えないものか。


尖った声が聞こえてきた。息せき切って上がってくる。集団だ・・・・4、5人ほどか。
中学生か。若さ溢れる・・・気力溢れる声は暴力だ。頭に響く。身体に響く。

・・・もう、そんな時間なのか・・・・学校の終わる時間なのか。

蜘蛛の子を散らすようにボクとホームレスは席を立つ。
這々の体で図書館から逃げ出す。外に出る。

・・・・暑い。

・・・さらに10分歩いて土手にでる。
川沿いは、まだ風が通る。

川縁まで降りて行く。さらに鉄道の高架下を目指す・・・その方が涼しい。
いつもの指定席に座る。
川が淀んで流れがない場所だ。嫌な臭い・・・ドブ特有の匂いがする。・・・それでも、一番涼しい場所だった。
ドブの匂い。今のボクにはお似合いだ。


川を見て過ごした。
日がな一日、川を見て過ごした。
ただ、川を見ていた。


・・・社長の時には止まるのが怖かった。
自転車操業だった・・・・いや、入金はなく一方的な出費ばかりだった。
それでも、借金を新たな借金で返す・・・やっぱり自転車操業か。

止まるのが怖かった。
自転車は漕ぎ続けなければ転んでしまう。・・・転ぶのが怖かった。
どんな大怪我をするのか・・・想像すれば恐怖で身が竦んだ。

・・・・最初「独立採算」を目的としたのが上手くいかなくなり、目的が、会社の存続から、従業員の落ち着き先を見つけるとなり、その目的を果たしたとき、ボクは自転車を漕ぐのをやめた。
もう給料を払うこともない。
会社を存続させる意味もない。

想像していた大怪我と向き合うことにした。

「自己破産」ができなかった。
親の住宅を担保に金を借りていた。
可愛がってくれた叔父を保証人として金を借りていた。

ボクが「自己破産」をすれば、すぐさま、親は住居を失う。住む場所を失う。
叔父には保証人として「追い込み」がかかる。
・・・・それだけは、なんとか避けたかった。

銀行と話し合った。

「いくらなら払えますか?」

東京の一等地、東京の東京。丸ノ内の皇居近くの都銀の本店で聞かれた。
担当者は大きな・・・そしていかにも高級そうな机。革張りの椅子に座っている。
その目前でボクは立ったままだ。

通常の返済金額は月々400万円程度だった。
・・・・それをどこまで減額するか・・・・返済スケジュールを組み直す。通称「リスケ」だ。
借金総額は変わらない。
ただ、毎月の返済額を一時的に下げること。

何度も何度も呼び出された。・・・脈絡もなしに呼びつけられた。・・・嫌がらせの意味もあったのか・・・だから他に何もすることもできない。・・・就職活動も・・・もちろん働く気力もなかったけれど・・・
ただ、銀行の呼び出しを受け、言われた資料を作り、都心一等地の銀行に電車を乗り継ぎ向かった。

いくつかの紆余曲折があって毎月10万円と決まった。
あくまで一時的な措置。早急に生活を立て直し、返済金額を上積みするということを条件とした措置だった。
そして、毎月返済をすれば保証人には追い込みをかけない。
・・・とりあえずの話。あくまでもとりあえずの話として、そう決まった。

・・・・武士の情けだった。

担当者は、事の経緯を全て知っていた。
ボクが騙されたような経緯で、借金を背負ったことを知っていた。
そのまま、ビジネスライクに保証人を追い込むのはあまりに酷ではないのか・・・そういった心情からだった。

・・・・助かった。
これで、親の住居を取り上げられることはない。
叔父に借金の追い込みがかかることはない・・・

・・・・しかし、

月々10万円の返済では、一生かかっても借金は完済できない。・・・・リスケを認めてくれたとはいえ、返済事故であることに違いはない。延滞金は加算されていった。・・・その金利は年14%
3億5千万円の元金なら、年間52,500,000円が元金に加算される。
月々10万円の返済・・・年間1,200,000円の返済・・・・返済しても返済しても借金は増えていくだけになる・・・年間50,000,000円もの金額が毎年上積されていく・・・文字通りの雪だるま式に借金が増えていく・・・しかも一生だ。

しかも、この取り決めはとりあえずの結果。
確約があるわけじゃない。
新たに契約書を結んだわけじゃない。
銀行の胸先三寸の決め事だ。
ボクが10万円の返済を滞らせれば、当然として即時に銀行は親の住居を取り上げ、保証人である叔父を追い込む。

さらには、他の金融機関との話合いはまだ決着をみていなかった。

・・・人生に時限爆弾を抱えたのと同じだった。
いつ都銀が親の住居を取り上げるか、いつ叔父に追い込みをかけるのか・・・いつ爆発するのかわからない時限爆弾だった。

これが、ボクが自転車を転ばせて受けた大怪我だった。
想像通りの恐怖の大怪我だった。


死ぬことを考えなかったわけじゃない。

・・・しかし、死ななかった。
・・・・いや、死ねなかった。

命が惜しかったわけじゃない。

・・・もう、死ぬ気力がなかった。

「自殺」という行動には大きな気力を必要とする。
「自殺」には大きなエネルギーが必要だ。

・・・・そんな気力すら残ってなかった。

誰かが殺しに来るのなら「どうぞ」という気持ちだった。喜んで、笑って死んでやる。


借金は「都銀」、そして上場企業の「ノンバンク」からしかなかった。
一番困った時でカード会社から借金をした。・・・しかし、それとて上場企業だ。
誰も手荒なことはしない。
脈絡なしに呼びつけられ、机の前で立たされるのが関の山だ。


ホームレスが釣りをしていた。
釣った魚を、造った水たまりで泳がせていた。
・・・・生簀にしていた。
ホームレスは食料を釣っていた。

彼らには生きようという気力がみえた。


・・・起きてから何も食ってなかった。
食欲もない。腹も減らない。・・・・全ての欲を失っていた。

何も欲しくなく、何もしたくなかった。
何もしなかった。
眠たくなったら寝た。
起きれば起きた。

人生はそれだけだ。
それだけの繰り返しだった。

もう生きる気力はなかった。
死ぬ気力もない。

ホームレスにすらなれなかった。
ホームレスになることは、親の住居が銀行に取られること。叔父に対して借金の「追い込み」がかかることだ・・・それはできない。

・・・それでも殺されるのなら、仕方がないと諦めもできる。
しかし、誰も殺しに来なかった。

死ぬこともできず、ホームレスにもなれない・・・一生かかっても返済できない借金・・・

蟻地獄だった。

・・・しかし、落ちることは許されない。
いっそ落ちたほうが楽だ。
自分の意思で落ち切ることすらできなかった。・・・その決心をするほどの気力もなかった。

川を見ていた。
・・・気づけば堂々巡りを繰り返していた。


・・・・そんな時だったんだ、お嫁さんと出会ったのは・・・
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