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「旦那さんとSEXするよ」打ちのめされた。

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「ただのピグともにもどりたい」

ゆい に宣言されてしまった。

「線」を引かれた・・・大きな「壁」になろうとしていた。

・・・嫌だ。

でも、嫌だと言えば、ゆい はいなくなってしまう気がした。
ボクの前から姿を消してしまう気がした。
「ピグとも」でもなくなり・・・会えなくなってしまう気がした。

「わかった」

そう答えるしかない。
・・・でも、何かが違う気がした。
・・・ゆい の求めている答じゃない気がした。
・・・言葉が見つからない・・・

携帯が鳴ってる・・・お嫁さんからの電話。

画面の ゆい を見ながら電話に出た。

「旦那さまぁー、電車止まっちゃったー」

吹雪で電車が止まっていた。帰れなくなった。
お嫁さんはボクのことを「旦那さまぁ」と呼んでいた。
「和明さん」と呼んでいたのが、結婚してからは「旦那さまぁ」に変わった。
冗談っぽく言い始めたのが定着した。
その言い方が可愛らしくて、そしてボクへの敬意がこもっていた・・・何より「結婚できたことの嬉しさ」が滲んでいるようでボクは好きだった。

「娘にも言われたの・・・ママ、最近おかしいよって・・・」

ボクの無言に耐えられなくなったように ゆい が話している・・・

・・・良かった・・・ゆい はすぐには消えなかった・・・
・・・言葉を探し続ける。

お嫁さんがいるのは4駅ほど離れたところだった。車なら20分だ。
冬用タイヤを履いたプリウスなら、問題なく迎えに行ける。

・・・でも、このまま ゆい と別れるわけにはいかない。

画面の中。ゆい は玄関につっ立ったままだ。
座る気配はない。今にも消えてしまいそうだ。
・・・何か言わなきゃいけない・・・
何か言葉を繋がなきゃいけない・・・

・・・ゆい がいなくなってしまう・・・

「ちょっと待っててねー、少ししたら出られるから・・・どこか店に入って待ってて」

明るい声でお嫁さんに言った。
画面を見つめるボクの顔とは真逆の声だ。
電話を切る。


ピグはピグでしかない。
データであって、デジタルであって、人間の感情の機微がみえるはずもない。
・・・機微が見えた。
部屋の空気すらわかった。・・・外と同じ冷たい空気が流れていた。

・・・・ゆい が今にも消えてしまいそうだ。

・・・何か言わなきゃ・・・

話を逸らすわけじゃない。
・・・・しかし、なんと言えばいいかわからなかった。

話の接穂が見つからない。
・・・・何か言わないと ゆい がいなくなってしまう・・・


「ゆい はホントお料理上手だよね・・・・」

バカなことを言ってしまった。

バレンタインのブログ記事。そして旦那さんの誕生日の記事。
ブログには美しい料理が並んでいた。
ブランドケーキ店と遜色のない手作りケーキが輝いていた。

「誕生日だから旦那さんの好物ばかり作ったんだよ。作り慣れてるものばっかりだよ(笑)」

無言から救われたように ゆい が話す。

よけいなことを言った。
・・・・打ちのめされた。
惨めさを痛感した。


ボクは嫉妬していた。
ゆい の旦那さんに嫉妬していた。
180cmを超えるスポーツマン。
建てたばかりの家で ゆい に毎日ご飯を作ってもらえる旦那さん・・・・

普通の家庭料理。
それが見事に美しかった。
・・・・ホテルのレストランのようだった。
日々の家庭料理を、これほど美しく作る女性をボクは知らなかった。
ボクの人生では出会ったことがない女性だった。

建てたばかりの家とはいえ、キッチンには染み一つなかった。
もちろん、画像をアップするんだ。それなりにキレイに掃除したに違いない。
・・・しかし、その美しいキッチン、そして部屋は、付け焼刃の掃除で美しさを保っているんじゃないに違いない。
ゆい の家事能力の高さがみえた。

ボクにとって ゆい は「高嶺の華」・・・「花」じゃなくて「華」
そうとしか表現できない存在だった。

ボクは162cmのチビでしかない。
住んでいるのは築40年の賃貸住宅だ。
キッチンには、長年染み込んだ汚れがこびりついていた。

ボクのお嫁さんは掃除が苦手だった・・・・
部屋の隅々まで埃が溜まっていた・・・


・・・・住んでる世界の違いを見せつけられていた。


「普段の料理からすごく綺麗だもん・・・いつも美味しそうだなぁーって見てる(笑)」

・・・・ボクの精一杯の(笑)だった。
笑えるわけはない。苦笑。せめてもの愛想笑い・・・・
画面を見つめるボクに笑顔はない。ゆい との会話を続けようと、ただ必死な顔だ。


「うん。食には気をつけてるよ。・・・・作り置きとか絶対にしない。どんなに遅くなっても旦那さんには作りたてしか出さないよ」


打ちのめされていた。
フィニッシュのパンチを喰らった・・・・

ボクの、お嫁さんは料理ができなかった・・・・
毎日の食卓は、お嫁さんがパート先のお弁当屋さんからもらってくる賞味期限切れの惣菜だった・・・・

・・・・・苦しくなった・・・
もう苦笑いもできない・・・
顔が歪んでいた・・・
眉間に皺を寄せて、今にも泣きそうな顔をしているに違いない。

・・・そんなに旦那さんと仲がいいんだ・・・
そんなに旦那さんに尽くすんだ・・・
そんなに旦那さんが好きなんだ・・・
そんなに旦那さんが大事なんだ・・・


「・・・・旦那さんとSEXするんだよね・・・・」

思わず聞いてしまった。

「求められたらするよ。夫婦なんだから当然でしょ(笑)」

即答だった。
聞かなければ良かった。
項垂れた。肩を落として画面の ゆい を見つめた。



運転席から見える道路は吹雪いていた。
日曜の夜。都内。
交通量は少ない。ウィークデーの昼間だったら、大変な渋滞になっていただろう。
冬用タイヤを履かせたプリウスは軽快だった。


ゆい は旦那さんとSEXしている。

ゆい は旦那さんとSEXしている。

ゆい は旦那さんとSEXしている。


頭の中で繰り返し響いた。

当たり前だ。

夫婦なんだからSEXして当たり前だ。


「カズ君だってするでしょ?」


・・・・・ボクは・・・ボクは・・・・ボクは・・・・


「帰ってきた 行かなきゃ」


ゆい が消えた。
ブチッ!っと音がしたように ゆい が消えた。


20分も走れば、お嫁さんの待っている駅についた。
コーヒーチェーンで待っているらしい。

吹雪の中、店を飛び出し、傘もささずに駈けてくる人影。お嫁さんだ。
急いで助手席に乗り込んでくる。


「ありがとーーーー旦那さまぁーーー!」


弾けるような笑顔だ。

・・・今日は、友達と一緒にいて体調もいいんだろう。
久しぶりに見た笑顔だった。
ボクの大好きだった笑顔だ。

外は吹雪。真っ白な世界。
それでも、車の中は暖かかった。


・・・・ボクは・・・・ボクは・・・お嫁さんとSEXしていなかった・・・・


バレンタインが終わって、旦那さんの誕生日も終わった。

・・・・そして3月を迎える。

・・・・その日がやってくる。




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