一冬の糸

倉木 由東

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#23.paris 糸口

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「やっぱりめぼしいものは特にないですね」
 電気をつけていない真っ暗闇の部屋。パソコンのモニターの光がまぶしい。その光に照らされ、ヨシムラは残念そうに言った。
「そうか。よくパソコンのことは詳しくないが、書類やファイルのデータとかの中身も何も無いのか?」
「そうですね。特にこれと言って事件の手がかりになるようなものはありません。メールの中身も仕事関係のものばかりです」
「メグレ警視、他に遺留品は無かったのですか?」
 マルセルがメグレに確認する。
「まぁ死体の中にあった財布ぐらいかな」
「ちょっと見させてもらってもよろしいでしょうか?」
「あぁ、そこにある」
 奥にある長机の上をメグレが指差す。そこにはキリタニの自宅で押収した書物、煙草から歯ブラシなどの生活用品までもがビニール袋に包まれて並べられていた。
 その中に黒い折りたたみ財布が入ったビニール袋があった。雨に濡れたまま入れられたせいで、ビニール袋の内側には蒸気から発生する水滴が未だについている。
 マルセルは指紋をつけぬよう手袋を着用すると、ビニール袋を開けて財布を取り出した。折りたたみ型の財布を広げる。ユーロ通貨の紙幣、こちらも未だ濡れたままの状態で数枚重なって付着していた。丁寧に1枚1枚剥がそうとしても、この状態ではすぐに破れそうだ。他には免許証。クレジットカードやキャッシュカードの類は入っていない。確かにこれだけだと何の手がかりも掴めない。
「駄目か」
 マルセルは財布をビニール袋に詰め戻し、机の上の元あったところに置いた。その時、ふと横にあるビニール袋に目がいった。
「警視、これは?」
 ビニールの中には手のひらサイズ、紫色をした布製のものが入れられている。
「あぁ、それもキリタニの遺体の中に入っていたやつだ。中には白い粉が入っていて麻薬かと思ったらただの塩だったよ」
「塩ですか?」
「それは御守りというものです」
 ヨシムラが割って説明する。
「いわゆるクリスチャンにとっての十字架みたいなもので、日本で最もポピュラーな御守りですね。塩は広く厄よけを意味します。自分自身の健康を祈るためや、学生が受験をする時の合格願い、恋愛成功を願うために持っている人もいるんですよ」
「キリタニは何かしらの宗教を信仰していたということかな?」
 マルセルの言葉をヨシムラが笑いながら否定する。
「いえいえ、無宗教でも持っている人はたくさんいますよ。それぐらい日本ではポピュラーなものです。日本ではお寺という簡単に言うと神様に願い事をする教会のような場所があります。そういったところで売られている物ですね。どこの御守りかしら。ちょっといいですか?」
 ヨシムラがマルセルから御守りの入ったビニール袋を受け取り、パソコンモニターの明かりを頼りに観察を始めた。ビニール袋の端をつま先でつまみ、ぐるぐると回す。
「どこだろう?東京のお寺かな」
 日本語だろうか。何やら1人でつぶやき始めた。
「メグレ警視、ちょっと中を見させてもらってもいいですか?」
 次は流暢なフランス語。気のせいか、この2日間の間でもフランス語のアクセントが上達しているように感じる。
「あぁ。大丈夫だ」
 メグレの許可を取り、ヨシムラがビニール袋から御守りを取り出す。布を縛っている紐をほどき、中からまたビニール袋に入れられている塩を取り出した。やはり日本では普通の文化なのか、ヨシムラは塩に対しては特段興味を示さない。中身が空になった布をつまんでは、ぶつぶつ独り言を言っている。
「あっ」
 ヨシムラが布を裏返して声をあげる。そこには時間を経て、薄く消えかかっているものの何やら文字が書かれているのがわかる。

 “ID h.kiritanna  PASS 19771210“

「何だこれは?」
 メグレが口にする。
「何かのパスコードのようですね」
「でもパソコンの中にはロック解除が必要なファイル等は無かったはずだぞ」
「・・・。ただ御守りに直接何かを書き込むなんて正直聞いたことありません。ちょっと気になりますね」
 メグレとヨシムラのやり取りにすっかりマルセルは取り残された。年代的にもパソコンなどのデジタル機器に触れて生きてきたわけではないので、さっぱりわからないことが多い。そんなことを考えているとヨシムラから急にボールが来た。
「マルセル警部、どう思われます?」
「いや、私はパソコンの類いは全く。娘の出産祝いの時もインターネットを使って初めてベビー用具を通販で購入したが、やり方が全くわからず、ご近所さんを呼んだくらいだ」
「通販ですか・・・。あ!」
 急にヨシムラが思い立ったかのようにパソコンと向き合う。
「どうした?」
「ネットですよ、ネット」
「ん?ヨシムラのパソコンではインターネットの閲覧履歴も調べているはずだぞ」
「フリーメールは?」
「フリーメール?」
「そうです。ミナトジャポン・ドメインのメールアドレスでは何も無かったかもしれません。ですがヤフーやグーグルといったウェブメールのアドレスをキリタニは持っていたのではないでしょうか?」
「なるほど。その可能性はあるな」
 一人、会話についていけていないが、メグレとヨシムラのやり取りを見ていると何か糸口が見つかったようにマルセルには見えた。ヨシムラの手がキーボードの上で忙しく踊り始めた。
「ありました!」
 ヨシムラが声をあげ、メグレとマルセルにモニターを見るよう指差す。
「やっぱりフリーメールのアドレスとパスワードでしたね」
 あるウェブサービスの中の1つがヒットしたらしい。
「おそらくネットの履歴からは完全に削除していたのでしょう」
「開いてみてくれ」
「ちょっと待ってください」
 指示を受けたヨシムラが画面を下へ下へと走らせる。
「何かわかったか?」
 10分程してマルセルがヨシムラに声をかけた。
「ええ。まずこのフリーメールアドレスを使ってキリタニがやり取りをしていた人間はそう多くありません。主に3人から4人といったところですね」
「メールの中身は?」
「相手によって様々ですが・・・。1番やりとりが多いのはカワムラという人物とのメールですね。次にマエシロという人物。メグレ警視、もうちょっと調べさせてもらっていいですか?」
「あぁ。でもパソコンの持ち出しは認められないぞ」
「大丈夫です。私の自宅パソコンからでもこのフリーアドレスにログインしてメールの内容を見ることが出来ますから」
「確かにそうだな。じゃあ頼む。でも今日は遅い。2人とも帰って休むんだ」
 時計を確認すると3時半をまわっていた。しかし不思議と疲労感は無い。何か糸口が掴めたかもしれないという期待感、そしてモーリスの衝撃の告白が入り交じり、マルセルの神経は完全にハイの状態になっていた。
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