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#14.okinawa 打切
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河村杏奈の尾行失敗の夜、佐倉は愛子に言って『リラン』に河村修一を呼び出した。自分の存在が本人に知られた以上、これまで同様に調査を行っていても依頼に応えることは出来そうにない。一度、現時点での調査報告と今後についての話し合いを持つべきだと思った。
それに河村修一は何かを隠しているかもしれない。腹を割って話したい。
「何飲む?」
愛子がカウンター越しに聞いてくる。午後10時半。今日は木曜日。平日だが週も終わりに近づくと客足は延びてくる。店内は徐々に来客が見え始めていた。
「ジンジャエールで」
「はい、どうぞ」
その瞬間、何を注文するのかまるで最初からわかっていたかのように、愛子は佐倉の前へジンジャエールを置いた。グラスを置く音が心なしか強く響く。
愛子はおそらく佐倉に対して怒っているのだ。理由は他でもない、常連客である河村の期待に応えることが出来なかったからだ。それはつまり愛子自身の期待にも応えることが出来なかったことを意味する。
「怒っているのか」
「うるさいわね」
その刺々しい口調に周りの従業員ホステスも明らかに引いていた。こういう風に愛子のスイッチが入った場合、だいたい他の従業員から送迎時に理由を聞かれるのが常だ。しかし原因が弟だと知ると、それはたちまちクレームへと変わる。あんたのせいでママが怒って働きにくいだとか、店の雰囲気が悪くなって客が早く帰るだとか。まぁ、だいたいは黙って聞き流しているのだが。
カランカランと、鈴の音が響く。
約束より5分ほど遅れて、河村修一がやって来た。
「いらっしゃい、河村さん。奥のほうへどうぞ」
愛子が店の入り口で河村を迎え奥の席まで促すと、佐倉もその後へ続いた。
「忙しい中、お呼びだてして申し訳ありません」
席へ着くなり、まず佐倉は自らの無礼を詫びた。
「いえいえ、私も調査内容が気になっていたところです。さ、まずは1杯」
河村は愛子に佐倉の分の酒も注ぐよう促したが、愛子の手は動かない。
「ん?どうしたんだねママ」
「河村さん。申し訳ないけれど今日は良いお酒にはならないわ」
「どういうことだね」
河村は少し驚いた顔をしている。
「河村さん、今日はこれまでの流れについて報告致します」
「あ、あぁ。もちろん私もその報告を受けるつもりでここに来ているよ」
「結論から申し上げます。私が身辺調査をしていることが本人、つまり娘の杏奈さんに気づかれました」
「気づかれた?」
「ええ。正確に言えば依頼に気づかれたということではなく、尾行に気づかれ振り切られました」
「どういうことでしょうか?」
まだ解せないという顔をしている。佐倉はポケットから1枚の紙切れを取り出し、テーブルの上へ置いた。
「『カカワルナ、テヲヒケ』だと」
「ええ。娘さんは変装まで行い、私の尾行を振り切りました。そしてこれが私の車のフロントガラスに挟まれていたんです」
「そんな・・・」
「もう一つ、あなたに伺いたいことがある」
「何ですか?」
「具志堅功」
その名を口にした瞬間、河村の目が大きく開かれた。
「具志堅功が何か?」
動揺と怒りが入り交じっているような、歪んだ口調だった。
「現在の沖縄県知事です。と言っても私のような身分の者が、あなたのような方に改めて説明するのもおかしな話ですが・・・。娘さんは具志堅知事の家にほぼ毎日、出入りしています」
「何ですって!」
河村が立ち上がり急に声を荒げた。佐倉や愛子のみならず、店中の人間が驚いて河村へ視線を集中させている。
「失礼」
周囲の視線に気づき、河村は再び腰を降ろした。しかし、その顔にはまだ怒気が溢れている。
「河村さん、率直に聞きます。私は恥ずかしながらこの歳になっても政治だとか経済というものを把握しておりません。しかしあなたが県内の経済界において影響力のある人間だというのは姉から伺っております。あなたと具志堅知事はどういったご関係ですか?」
「ちょっと、ゆうちゃん」
「いや、いいんだママ」
愛子を制すと、河村は改めて真っ直ぐに佐倉の目を正視した。
「具志堅功は過去に私が代表を務める河村工業の顧問をして頂いたことがあります。そのご縁で彼の政治活動において私は金銭的援助を行っています」
「つまり政治献金ということですね」
「そうです。もちろん政治家個人への献金は原則として禁止されていますので、具志堅の後援会へ寄付しているものです」
「大きなお金が動いているのですか?」
「いえいえ、日本の法律で政治献金として提供出来る金額は決まっています。そこまで問題になるほどのものではありませんし、もちろん献金に関しては弊社の役員の同意のもとで行っております」
「そうですか。しかしいくら顧問を務めていたとはいえ、後援会に政治献金されるということは、よほど具志県知事とは親しい仲なんですね」
「ええ、まぁ。個人的にも社としてもだいぶお世話になりましたし。政治家志向が昔から強かったのですが、まさか知事にまでなるなんて正直驚きですよ」
「そしてあなたの娘さんが、その知事の家へ家庭教師として出入りをしている」
「家庭教師?いったい何の為に・・・」
「これは調べてわかったことですが、娘さんはいわゆる家庭教師センターといった類いに派遣されてはいません。あくまで個人的に家庭教師としてあの家へ出入りしているようです」
佐倉は太田から受けた報告をもとに伝えた。
「なるほど。わかりました」
そう言うと河村はいきなり席を立った。
「色々と動いてくださり、本当にありがとうございました。もうこれ以上の調査は結構です。お金は後日、指定された口座に振り込みますので」
「ちょっと待って下さい。これではあまりにも全てが中途半端なままです。彼女があなたと旧知の仲である具志県知事の家へ何の目的で出入りしているのか。それとこの紙切れが何を意味するのか。まだはっきりしていないままです」
「中途半端ではありません。私はあなたに娘の身辺調査を行ってほしいと依頼した。そしてこうやってきちんと娘の日々の行動を聞くことが出来た。あなたは十分に依頼内容に応えてくれました」
「このままでは納得できません」
「あなたが納得するかどうかは関係ないのでは?依頼人の私が依頼を終えると言っているのです。それでいいでしょう」
河村修一は優しく微笑み、愛子に勘定を頼んだ。
「今度はゆっくりと飲みましょう。さようなら」
それに河村修一は何かを隠しているかもしれない。腹を割って話したい。
「何飲む?」
愛子がカウンター越しに聞いてくる。午後10時半。今日は木曜日。平日だが週も終わりに近づくと客足は延びてくる。店内は徐々に来客が見え始めていた。
「ジンジャエールで」
「はい、どうぞ」
その瞬間、何を注文するのかまるで最初からわかっていたかのように、愛子は佐倉の前へジンジャエールを置いた。グラスを置く音が心なしか強く響く。
愛子はおそらく佐倉に対して怒っているのだ。理由は他でもない、常連客である河村の期待に応えることが出来なかったからだ。それはつまり愛子自身の期待にも応えることが出来なかったことを意味する。
「怒っているのか」
「うるさいわね」
その刺々しい口調に周りの従業員ホステスも明らかに引いていた。こういう風に愛子のスイッチが入った場合、だいたい他の従業員から送迎時に理由を聞かれるのが常だ。しかし原因が弟だと知ると、それはたちまちクレームへと変わる。あんたのせいでママが怒って働きにくいだとか、店の雰囲気が悪くなって客が早く帰るだとか。まぁ、だいたいは黙って聞き流しているのだが。
カランカランと、鈴の音が響く。
約束より5分ほど遅れて、河村修一がやって来た。
「いらっしゃい、河村さん。奥のほうへどうぞ」
愛子が店の入り口で河村を迎え奥の席まで促すと、佐倉もその後へ続いた。
「忙しい中、お呼びだてして申し訳ありません」
席へ着くなり、まず佐倉は自らの無礼を詫びた。
「いえいえ、私も調査内容が気になっていたところです。さ、まずは1杯」
河村は愛子に佐倉の分の酒も注ぐよう促したが、愛子の手は動かない。
「ん?どうしたんだねママ」
「河村さん。申し訳ないけれど今日は良いお酒にはならないわ」
「どういうことだね」
河村は少し驚いた顔をしている。
「河村さん、今日はこれまでの流れについて報告致します」
「あ、あぁ。もちろん私もその報告を受けるつもりでここに来ているよ」
「結論から申し上げます。私が身辺調査をしていることが本人、つまり娘の杏奈さんに気づかれました」
「気づかれた?」
「ええ。正確に言えば依頼に気づかれたということではなく、尾行に気づかれ振り切られました」
「どういうことでしょうか?」
まだ解せないという顔をしている。佐倉はポケットから1枚の紙切れを取り出し、テーブルの上へ置いた。
「『カカワルナ、テヲヒケ』だと」
「ええ。娘さんは変装まで行い、私の尾行を振り切りました。そしてこれが私の車のフロントガラスに挟まれていたんです」
「そんな・・・」
「もう一つ、あなたに伺いたいことがある」
「何ですか?」
「具志堅功」
その名を口にした瞬間、河村の目が大きく開かれた。
「具志堅功が何か?」
動揺と怒りが入り交じっているような、歪んだ口調だった。
「現在の沖縄県知事です。と言っても私のような身分の者が、あなたのような方に改めて説明するのもおかしな話ですが・・・。娘さんは具志堅知事の家にほぼ毎日、出入りしています」
「何ですって!」
河村が立ち上がり急に声を荒げた。佐倉や愛子のみならず、店中の人間が驚いて河村へ視線を集中させている。
「失礼」
周囲の視線に気づき、河村は再び腰を降ろした。しかし、その顔にはまだ怒気が溢れている。
「河村さん、率直に聞きます。私は恥ずかしながらこの歳になっても政治だとか経済というものを把握しておりません。しかしあなたが県内の経済界において影響力のある人間だというのは姉から伺っております。あなたと具志堅知事はどういったご関係ですか?」
「ちょっと、ゆうちゃん」
「いや、いいんだママ」
愛子を制すと、河村は改めて真っ直ぐに佐倉の目を正視した。
「具志堅功は過去に私が代表を務める河村工業の顧問をして頂いたことがあります。そのご縁で彼の政治活動において私は金銭的援助を行っています」
「つまり政治献金ということですね」
「そうです。もちろん政治家個人への献金は原則として禁止されていますので、具志堅の後援会へ寄付しているものです」
「大きなお金が動いているのですか?」
「いえいえ、日本の法律で政治献金として提供出来る金額は決まっています。そこまで問題になるほどのものではありませんし、もちろん献金に関しては弊社の役員の同意のもとで行っております」
「そうですか。しかしいくら顧問を務めていたとはいえ、後援会に政治献金されるということは、よほど具志県知事とは親しい仲なんですね」
「ええ、まぁ。個人的にも社としてもだいぶお世話になりましたし。政治家志向が昔から強かったのですが、まさか知事にまでなるなんて正直驚きですよ」
「そしてあなたの娘さんが、その知事の家へ家庭教師として出入りをしている」
「家庭教師?いったい何の為に・・・」
「これは調べてわかったことですが、娘さんはいわゆる家庭教師センターといった類いに派遣されてはいません。あくまで個人的に家庭教師としてあの家へ出入りしているようです」
佐倉は太田から受けた報告をもとに伝えた。
「なるほど。わかりました」
そう言うと河村はいきなり席を立った。
「色々と動いてくださり、本当にありがとうございました。もうこれ以上の調査は結構です。お金は後日、指定された口座に振り込みますので」
「ちょっと待って下さい。これではあまりにも全てが中途半端なままです。彼女があなたと旧知の仲である具志県知事の家へ何の目的で出入りしているのか。それとこの紙切れが何を意味するのか。まだはっきりしていないままです」
「中途半端ではありません。私はあなたに娘の身辺調査を行ってほしいと依頼した。そしてこうやってきちんと娘の日々の行動を聞くことが出来た。あなたは十分に依頼内容に応えてくれました」
「このままでは納得できません」
「あなたが納得するかどうかは関係ないのでは?依頼人の私が依頼を終えると言っているのです。それでいいでしょう」
河村修一は優しく微笑み、愛子に勘定を頼んだ。
「今度はゆっくりと飲みましょう。さようなら」
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