一冬の糸

倉木 由東

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#13.paris 薬物

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「モーリス警視はどういう方なのですか?」
 警視庁を出てしばらくすると、ヨシムラが口にした。
「あぁ。正直、個人的にはかなり信用、尊敬している刑事だ。犯罪に加担するような人間には思えない」
「そうですか」
「私も質問していいかい?」
「なんでしょう」
「かなり流暢にフランス語を話しているのに驚いたんだが、昔から勉強でもしていたのか?」
「いえ、フランス語を学び始めたのはインターポールに来てからのことです」
「インターポールに来てどれくらいになる?」
「4ヶ月です」
「4ヶ月?本当か?そいつは凄い。たった4ヶ月でここまで話せるものなのか」
「フランスには一緒に遊んだりする友人もいないものですから。毎日夜や休みの日に教材を読んでいました」
「いや、それでも簡単なことではないよ。凄い」
「そんなことはありません。あ、あの建物ですね」
 気づくと目的地に到着し、道路脇に車を寄せた。

「3階の左端だ」
 目的の建物を指差し、学生の部屋を確認する。車を降りヨシムラと共に錆びた階段をのぼる。建物自体かなり古い。色あせた壁面についた汚れが、この建物の歴史を感じさせた。目的である部屋のドアの前に立つ。ヨシムラがコン、コン、コンと3回ノックをする。
 しばらく待ったが反応はない。
「少し気が引けるが」
 言いながらマルセルはドアノブに手をかけた。鍵はかかってない。心なしか開くドアに重みを感じた。
 ドアを開くと強烈なコカの香りが鼻をついた。
「う!」
 思わず2人とも鼻と口を塞ぐ。玄関先の足下には汚れた衣類が散乱しており、それらは室内へと続いていた。
「そのまま入るぞ」
 歩くスペースもままならない中、マルセルは足を踏み入れた。
「これがフランス男性の典型的な1人暮らしの様子ですか」
 嫌みのつもりか本心からなのか、ヨシムラの流暢なフランス語と足音が後から続く。
「日本人男性はみんな潔癖性かい?」
「どうかしら」
 とは言え、確かにこの状況は酷い。黄ばんだ肌着や靴下、トランクスなどが散乱しているだけでなく、ゴミ箱の中も溢れかえり、部屋の真ん中に置かれた小さい丸テーブルの上には、中途半端に具が残されたインスタント食品の箱などが放置されたままだ。
 置かれていた弁当箱を手に取り、匂いを嗅ぐと強烈な悪臭が鼻を突いた。放置時間は1日や2日なんてものじゃないだろう。
 もしかしたらあのナスリという男子学生はここ何日も家に帰っていなかったのかもしれない。
「マルセル警部」
「どうした?」
「台所にこんなものが」
 ヨシムラが黒いビニール袋を持って来た。
「なんだそれは?」
「何かの植物の一部ですかね。何本か折られた枝が入っています。おそらく匂いのもとはこれかと」
「貸してみろ」
 ヨシムラからビニール袋を手にした瞬間、再びコカの匂いが鼻を突いた。中身から木の枝を取り出す。枝に着いている全ての葉は両端が尖っており、小さいが薄黄色の花も確認出来る。
「なるほど」
「何がなるほどなんですか?」
「これはコカの葉だ」
「コカというとコカインの元となる樹木のことですよね」
「そうだ」
 他に何か手がかりになりそうなものは・・・。マルセルは部屋の奥にあるデスクに気づいた。引き出しを1つ1つ勢い良く開ける。
 通っている大学の教材らしきものや、ペンや定規等といった文房具が散乱しているだけで特に気を引くようなものは見当たらない。
 しかし1番下の引き出しを開けた時、新聞のスクラップ記事が目に入った。紙面には見慣れない文字があちこちに躍っている。明らかに東洋の文字だろう。
「ヨシムラ、ちょっと」
「はい?」
「これ、日本の新聞かい?」
「そうですね。でもかなり古いですね、これは」
「何の記事だね?」
「日本で昔起きた現金強奪事件が時効を迎えた記事ですね。メグレ警視がお話していた事件です。どうしてこんな記事が、こんなところに」
 行方不明のままの上司モーリス、そして殺されたキリタニとも関連している可能性が高い40年前の日本で起きた現金強奪事件。そのスクラップ記事が、パリレ・ブルーの公園で起きた猟奇事件の目撃者の部屋からコカインの葉と共に出て来た。
「すぐに警視庁へ戻ろう。君は戻ったらこのコカの葉を鑑識に回してくれ。それと目撃者であるナスリの死体から薬物反応があったかも確認するんだ」
「わかりました」
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