一冬の糸

倉木 由東

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#11.okinawa 警告

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 この日も河村杏奈は例の家で家庭教師をしており、佐倉は家が確認できる近くの公園に愛車を停めていた。佐倉にとってはただひたすら待っているだけのこの時間は、苦痛でしかない。
 杏奈が家の中に入り、もう2時間になろうとしている。おそらく中で彼女から授業を受けているのは中学生の女の子だ。この家を出入りしている学生らしき姿はこの3日間で1人しか見ていない。部活動帰りなのか上半身はジャージを着用しており、背中には県内でも屈指の私立校の名前がプリントされていた。そんな優秀と思われる子の家庭教師を務めるのだから杏奈は勉学の部分でもよほど優れているのであろう。

 神は二物を与えたー。佐倉の頭にふとそんな言葉がよぎった時、家の扉から杏奈が出てきたのが見えた。
「やっとかよ」
 思わず1人、口にする。この仕事がいつまで続くかはわからないが、この時間に慣れるなんてことは絶対に無いだろう。そんなことを考えながら佐倉は杏奈のMINIを追いかけるべくハンドルを握った。
 杏奈はスピード狂で、国道58号線に出ると待ってましたとばかりにMINIは次から次へと他の車両を追い越してく。そんな車を気づかれずに追尾するというのは簡単なことではなかったが、見失っては元も子もない。自分の車が国産車だったからまだ良いものの、彼女のような外国車だったら気づかれるリスクはかなり高まる。まぁ万が一、見失ったとしても彼女の最近の動きは那覇市街のキャバクラ店だ。何とかなるだろう。
 そう思った矢先、杏奈の車は佐倉の思惑とは別の方向にハンドルを切った。調査開始して初めての行動パターンだ。
 MINIは国道58号線を那覇市内に入ると上野屋の信号を左折した。その先は那覇新都心と呼ばれるエリアで追尾すると大型のショッピングセンターを目指しているのがわかった。大きな口に吸い込まれるように彼女の車は立体駐車場の入り口へ入っていき、佐倉の車も3台後ろに続いた。
 木曜という平日にも関わらず、駐車場は混み合っている様子で3,4階は満車で杏奈の車が五階へ入っていくのが見えた。佐倉も後に続く。
 大学の駐車場と同じように、MINIが駐車した箇所が確認出来るところに佐倉は愛車を停めた。
 車を降りた彼女は大きな紙袋を1つ下げ、店内入口へ向かっていく。佐倉も気づかれぬよう後を追う。店内のあちらこちらに赤や緑の飾りつけが施されるのを見て佐倉は世間がクリスマスシーズンであることを今年初めて実感した。
 杏奈はエスカレーターを2階で降りると、外へ繋がる出口近くのトイレのほうへ入っていった。さすがにトイレの中までついていくことは出来ず、佐倉は杏奈の後ろ姿を横目に一度外に出た。映画館とショッピングセンターを挟み、丸テーブルがいくつか並べられているオープンスペース。その1つ、ガラス越しにトイレの出入り口が確認できるテーブルに佐倉は腰かけた。
 何人かの男女がトイレへ入っていく。1人、また1人。クリスマスセールの影響か、ほとんどの人間が買い物袋を持って入っていくのが確認出来る。
時間が刻一刻と過ぎていく。遅い。そう思い始めたのは杏奈より後に入った者たちが、彼女より先に出てきたことに気付いたからだ。用を足すにはあまりにも時間がかかりすぎている。
佐倉は席を立ち、トイレへ向かった。しかし女子トイレの前で男が立ち尽くしていては不審に思われるだけだ。警備員に来られても面倒なだけである。
何かいい手はないか・・・。
その時、男子トイレの中から薄いピンク色のユニフォームを纏った中年女性が出て来た。清掃員だ。
「すみません。中に知人の女性が入ったまま出てこないんですが、見ていただけますか?」
「お知り合いですか?」
「ええ。黒いワンピースに水色のカーディガンを纏った女性です」
 清掃員の中年女性は、不審そうな目で佐倉のことを見ている。
「あの、知り合いというか恋人でして。妊娠中なんです。つわりとかで倒れていないかと心配で」
「あら、まあ!ちょっと待ってて」
 やっと佐倉の言葉に耳を傾けてくれ、女性は女子トイレの中に入っていったが、それもつかの間、出てくるや否やまたもや不審そうな目で佐倉のことを見ている。
「あんた、本当に知り合い?」
「どうして?」
「今、トイレの中には手を洗っている女の子以外、誰もいないわよ」
「なんだって」
「ちょっと待っていなさい。警備員呼んでくるから」
「失礼」
 佐倉は中年女性を突き飛ばし、駐車場に向かって駆け出した。杏奈はおそらく変装してすぐにトイレを後にしたのだ。五階の駐車場に着くと、停めてあったはずのMINIが既に無かった。慌てて自分の車に乗り込む。その時、フロントガラスのワイパーに紙切れが挟んであることに気がついた。
 運転席を出て紙切れを取り出すと、そこに口紅で書いたらしい赤い文字が、たった一行だけ記されていた。
『カカワルナ、テヲヒケ』
 やられた。自分の尾行に気づかれていたのだ。
 クソッ!佐倉は運転席のドアを感情任せに思い切り蹴った。
 その時、ポケットの中のスマートフォンが振動した。
「もしもし」
「もしもし、太田です。今、家庭教師の家の前ですか?」
「いや、違う。新都心のショッッピングセンターだよ」
「え?河村の尾行で?」
「ああ、だが逃げられた。気づかれたんだ」
「本当っすか?佐倉さんの尾行に気づくなんて・・・」
「そんなことより用件は何だ?」
「はい。驚きですよ。河村が家庭教師やっている家の『具志堅』っていうのは知事の具志堅ですよ」
「知事?」
「そう!知事ですよ知事。沖縄県知事の具志堅功の家です」
「知事の?」
「ええ。おそらく家庭教師をしているのは知事のお孫さんでしょう」
「なるほど。あんなでかい家に住んでどんな金持ちかと思ったら、知事だったとはね」
「どうします?」
「どうしますって何が?」
「いや、気づかれたんでしょ?それに具志堅功っていったら知事のくせして最近はやたらとブラックな噂もつきまとっていますよ。そんな知事の家と関わっているやつの身辺捜査なんて。河村杏奈も絶対ブラックですよ。やるんですか?」
「当たり前だ。この依頼に知事の存在なんて関係ない。俺の依頼人は呑み屋の常連客、つまり河村修一であって、依頼事項はその娘の身辺調査。これ以上でもこれ以下でもない」
「わかりました」
「ちょうどいい。お前はもう手を引いていいぞ」
「え?どうしてですか?」
「もう河村杏奈にも気づかれているし、お前さんの言う通り、これ以上深入りするのは危険かもしれない。あとは俺1人でやる」
「それは無いですよ。ちゃんと最後まで手伝わせて下さい」
「駄目なものは駄目だ。じゃあな」
 そう言うと佐倉は一方的に電話を切った。太田が手伝わなくなるのは正気痛い。それでも未来ある若者をこれ以上巻き込むわけにはいかない。これで良かったんだと佐倉は自分自身に言い聞かせ、アクセルを踏んだ。
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