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#9.paris 不測
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「マルセルさん、コーヒーでも飲んでください」
警視庁に帰り席に着くと、同僚の若い男性警官がマグカップを横から差し出してきた。「ありがとう」とその親切を受け取り、ふと窓の外に目をやる。気づけばもう夜になっている。モーリスが消え、目撃者の自殺から丸1日が経とうとしていた。
被害者のキリタニの職場である『ミナト・ジャポン』からは特に収穫となるものは何も無かった。モーリスの行方も依然として掴めていない。
「疲れた顔していますよ。早く帰って休まれたほうがいい」
朝のメグレと全く同じ言葉を同僚がかけてきた。ここは素直に他人の忠告をきいたほうが良いのかもしれない。
「あぁ、そうするよ。だが何か事件について進展があればすぐに電話をくれ。電話は24時間いつでも構わない」
「わかりました」
マルセルはコーヒーの残りを飲み干すと刑事課のフロアを出た。正面玄関に向かう途中、マルセルは自分の不甲斐なさを痛感していた。
目の前で上司であるモーリスが逃走したこと。彼が何を抱えているのかは未だにわからない。何か自分に力になれることがあったのではないか。
「マルセル」
背後から聞き慣れた声がした。メグレ警視だ。
「ちょっといいか」
メグレは顎で会議室の一室を指した。
部屋は捜査会議にも使用される広いもので、幾つもの机と椅子が並べられている。その空間にマルセルとメグレしかおらず静寂が2人を包む。
「座ってくれ」
メグレに促されマルセルは着席した。向かい合うようにメグレも着席する。
「これから話すことは他言無用だ。いいな」
「わかりました」
「モーリスの件だが・・・」
「はい」
「今日、彼の妻に事情を説明し同意を得て、彼の家を家宅捜索させてもらった」
「そうですか。何かわかりましたか?」
「彼の書斎から妙なものが出てきた」
「妙なもの?」
メグレは一枚の写真をマルセルに差し出した。写真は昔に撮られたものか随分色あせている。そこには4人の若者が写っていた。そのうち3人は東洋人、おそらく中国人か日本人といったところだろう。4人とも親指を立てカメラ目線でポーズを決めている。そして目の前には開かれたアタッシュケースがあり中には紙幣らしきものが確認出来る。
「この左端の男をよく見てみろ」
メグレに促され左端の男に集中する。あきらかに一人だけ国籍が違う男。よく見たら見覚えのある顔立ちをしている。
「モーリスさんですか」
「そうだ。そして写真に記されているこの日付をよく見てほしい」
「1977.12.10。これが何か」
「この日、日本で現金輸送車が襲われた。ある電気会社のボーナスを乗せた現金、こちらの金額で言うと約300万ユーロが警官に扮した男に強奪されたんだ。事件には伏線が張られていた。事件の4日前、日本のある銀行の支店に爆破予告の脅迫状が届いたのが始まりだった。脅迫状の主は現金で3万ユーロを要求。金を用意出来なければ支店長宅を爆破するという内容のものだった。指定日の指定時刻、日本の警察は支店長宅の近隣区域に約50名の警官を動員。爆発処理班も出動し、万一の事態に備えたが結局は何も起こらなかった」
マルセルには未だにメグレの言わんとしていることが理解出来なかった。
「しかし4日後、電気会社のボーナスを乗せた現金輸送車が日本の銀行を出発した際、機動隊の警官に扮した男がバイクで輸送車に接近し、運転手に停車を促して『先日、脅迫のあった支店長宅が爆破された。この車にも爆弾が仕掛けられているという情報が入ったので調べさせてくれ』と伝えた。そして『危ないから車を降りて』と乗車していた3名の銀行員を車から離れさせた。男は車の下に潜り込み、隠し持っていた発煙筒を点火。『爆発するぞ!』と叫び、輸送車に乗り込みバイクをその場に残したまま去っていった。路上に残った発煙筒は自然鎮火、後から男が偽警官だとわかった。誰も傷つけることなく現金を強奪したこと。また奪われた現金も保険会社を通して補填、その保険会社も海外保険企業による再保険により補填を受けたため日本国内では直接的に金銭損害を被った者がいないことから、当時は芸術的犯罪などと言った言葉が躍り、犯人もヒーロー扱いを受けた。ちなみに事件は時効を迎えた現在も未解決のまま迷宮入りとなっている」
「あの、その事件が何か・・・?」
メグレはマルセルの問いを無視しポケットから1枚の紙切れを取り出した。そこには外国の言葉、おそらく東洋の言葉と思しき文章が長々と書かれている。
「もう1つ、これを見てほしい。これは日本の言語だ。警視庁でわかる人間がいたので翻訳してもらった」
「なんと書かれているのですか」
「この手紙にはこう書かれている。『親愛なる友人、モーリスへ。元気にしているか。こちらは皆元気でやっているよ。と言っても連絡を取り合っているわけではなく、みんなそれぞれの世界での活躍ぶりが色々な媒体で取り沙汰されているからな。今回は君に報告があってこの手紙を書いている。あの刺激的でスリルな1件がこの日本でめでたく時効を迎えた。もう誰にも何も咎められることは無い。また馬鹿騒ぎしたいな。いつか4人で再会出来る日を夢見て・・・。キリタニ』」
「キリタニ?」
「あぁ。今回、パリレ・ブルーで殺されていた被害者と同じ名前だ。変だと思わないか」
「はい。偶然にしては出来すぎていますね」
「これは警視庁上層部で話し合った憶測に過ぎないが・・・。おそらくモーリスはこの日本で起きた現金強奪事件の犯行グループの1人だと思われる」
「ちょっと待ってください。その発想はあまりにも突拍子過ぎませんか」
「いや、写真の通りモーリスは学生時代に1年間、日本への留学経験がある。事件が起こった年だ。それに帰国後はパリ市内のあらゆる銀行や両替所で、約3年に渡って日本通貨を当時のフラン紙幣に換金していることもわかった。かなりの大金だ。他にもこれを見てほしい」
メグレは白い封筒に記された消印の日付を指差す。日付は『1984.12.13』とされている。
「この日付は、この強奪事件が日本で時効を迎えた3日後のものだ」
「状況証拠に過ぎません」
「確かに君の言うとおり、これだけではただの憶測に過ぎない」
マルセルはメグレと共に部屋を出た。
「クドいようだが、くれぐれも他言無用だ」
「わかりました」
メグレの口から次々と出る言葉にマルセルはただただ言葉を失うのみだった。まさかモーリスが犯罪に関わっていたとは・・・。悪い夢であってほしかったが、現実にモーリスが行方不明の事態ときている。メグレからは引き続きキリタニの身辺捜査の指示を受けた。
ポケットに手を入れると、くしゃくしゃになった紙が入っている。
『マルセル、すまない。後は頼んだよ』
いったい、この手紙は何を意味するのか。後は頼んだというのはどういうことであろうか。モーリスは奥さんへクリスマスプレゼントに指輪まで購入していた。きっとこのパリで例年のように、穏やかで幸せなクリスマスを過ごす予定だったに違いない。それが何か不測の事態が起きて行方をくらましたのだろうか。
警視庁の駐車場で、マルセルは車のドアガラスに映った自分の顔をじっと見つめた。自分でも驚くほど疲れきった顔をしている。
今日はとにかく帰って身体を休めよう。マルセルは運転席に乗り込み、車のアクセルを踏んだ。
警視庁に帰り席に着くと、同僚の若い男性警官がマグカップを横から差し出してきた。「ありがとう」とその親切を受け取り、ふと窓の外に目をやる。気づけばもう夜になっている。モーリスが消え、目撃者の自殺から丸1日が経とうとしていた。
被害者のキリタニの職場である『ミナト・ジャポン』からは特に収穫となるものは何も無かった。モーリスの行方も依然として掴めていない。
「疲れた顔していますよ。早く帰って休まれたほうがいい」
朝のメグレと全く同じ言葉を同僚がかけてきた。ここは素直に他人の忠告をきいたほうが良いのかもしれない。
「あぁ、そうするよ。だが何か事件について進展があればすぐに電話をくれ。電話は24時間いつでも構わない」
「わかりました」
マルセルはコーヒーの残りを飲み干すと刑事課のフロアを出た。正面玄関に向かう途中、マルセルは自分の不甲斐なさを痛感していた。
目の前で上司であるモーリスが逃走したこと。彼が何を抱えているのかは未だにわからない。何か自分に力になれることがあったのではないか。
「マルセル」
背後から聞き慣れた声がした。メグレ警視だ。
「ちょっといいか」
メグレは顎で会議室の一室を指した。
部屋は捜査会議にも使用される広いもので、幾つもの机と椅子が並べられている。その空間にマルセルとメグレしかおらず静寂が2人を包む。
「座ってくれ」
メグレに促されマルセルは着席した。向かい合うようにメグレも着席する。
「これから話すことは他言無用だ。いいな」
「わかりました」
「モーリスの件だが・・・」
「はい」
「今日、彼の妻に事情を説明し同意を得て、彼の家を家宅捜索させてもらった」
「そうですか。何かわかりましたか?」
「彼の書斎から妙なものが出てきた」
「妙なもの?」
メグレは一枚の写真をマルセルに差し出した。写真は昔に撮られたものか随分色あせている。そこには4人の若者が写っていた。そのうち3人は東洋人、おそらく中国人か日本人といったところだろう。4人とも親指を立てカメラ目線でポーズを決めている。そして目の前には開かれたアタッシュケースがあり中には紙幣らしきものが確認出来る。
「この左端の男をよく見てみろ」
メグレに促され左端の男に集中する。あきらかに一人だけ国籍が違う男。よく見たら見覚えのある顔立ちをしている。
「モーリスさんですか」
「そうだ。そして写真に記されているこの日付をよく見てほしい」
「1977.12.10。これが何か」
「この日、日本で現金輸送車が襲われた。ある電気会社のボーナスを乗せた現金、こちらの金額で言うと約300万ユーロが警官に扮した男に強奪されたんだ。事件には伏線が張られていた。事件の4日前、日本のある銀行の支店に爆破予告の脅迫状が届いたのが始まりだった。脅迫状の主は現金で3万ユーロを要求。金を用意出来なければ支店長宅を爆破するという内容のものだった。指定日の指定時刻、日本の警察は支店長宅の近隣区域に約50名の警官を動員。爆発処理班も出動し、万一の事態に備えたが結局は何も起こらなかった」
マルセルには未だにメグレの言わんとしていることが理解出来なかった。
「しかし4日後、電気会社のボーナスを乗せた現金輸送車が日本の銀行を出発した際、機動隊の警官に扮した男がバイクで輸送車に接近し、運転手に停車を促して『先日、脅迫のあった支店長宅が爆破された。この車にも爆弾が仕掛けられているという情報が入ったので調べさせてくれ』と伝えた。そして『危ないから車を降りて』と乗車していた3名の銀行員を車から離れさせた。男は車の下に潜り込み、隠し持っていた発煙筒を点火。『爆発するぞ!』と叫び、輸送車に乗り込みバイクをその場に残したまま去っていった。路上に残った発煙筒は自然鎮火、後から男が偽警官だとわかった。誰も傷つけることなく現金を強奪したこと。また奪われた現金も保険会社を通して補填、その保険会社も海外保険企業による再保険により補填を受けたため日本国内では直接的に金銭損害を被った者がいないことから、当時は芸術的犯罪などと言った言葉が躍り、犯人もヒーロー扱いを受けた。ちなみに事件は時効を迎えた現在も未解決のまま迷宮入りとなっている」
「あの、その事件が何か・・・?」
メグレはマルセルの問いを無視しポケットから1枚の紙切れを取り出した。そこには外国の言葉、おそらく東洋の言葉と思しき文章が長々と書かれている。
「もう1つ、これを見てほしい。これは日本の言語だ。警視庁でわかる人間がいたので翻訳してもらった」
「なんと書かれているのですか」
「この手紙にはこう書かれている。『親愛なる友人、モーリスへ。元気にしているか。こちらは皆元気でやっているよ。と言っても連絡を取り合っているわけではなく、みんなそれぞれの世界での活躍ぶりが色々な媒体で取り沙汰されているからな。今回は君に報告があってこの手紙を書いている。あの刺激的でスリルな1件がこの日本でめでたく時効を迎えた。もう誰にも何も咎められることは無い。また馬鹿騒ぎしたいな。いつか4人で再会出来る日を夢見て・・・。キリタニ』」
「キリタニ?」
「あぁ。今回、パリレ・ブルーで殺されていた被害者と同じ名前だ。変だと思わないか」
「はい。偶然にしては出来すぎていますね」
「これは警視庁上層部で話し合った憶測に過ぎないが・・・。おそらくモーリスはこの日本で起きた現金強奪事件の犯行グループの1人だと思われる」
「ちょっと待ってください。その発想はあまりにも突拍子過ぎませんか」
「いや、写真の通りモーリスは学生時代に1年間、日本への留学経験がある。事件が起こった年だ。それに帰国後はパリ市内のあらゆる銀行や両替所で、約3年に渡って日本通貨を当時のフラン紙幣に換金していることもわかった。かなりの大金だ。他にもこれを見てほしい」
メグレは白い封筒に記された消印の日付を指差す。日付は『1984.12.13』とされている。
「この日付は、この強奪事件が日本で時効を迎えた3日後のものだ」
「状況証拠に過ぎません」
「確かに君の言うとおり、これだけではただの憶測に過ぎない」
マルセルはメグレと共に部屋を出た。
「クドいようだが、くれぐれも他言無用だ」
「わかりました」
メグレの口から次々と出る言葉にマルセルはただただ言葉を失うのみだった。まさかモーリスが犯罪に関わっていたとは・・・。悪い夢であってほしかったが、現実にモーリスが行方不明の事態ときている。メグレからは引き続きキリタニの身辺捜査の指示を受けた。
ポケットに手を入れると、くしゃくしゃになった紙が入っている。
『マルセル、すまない。後は頼んだよ』
いったい、この手紙は何を意味するのか。後は頼んだというのはどういうことであろうか。モーリスは奥さんへクリスマスプレゼントに指輪まで購入していた。きっとこのパリで例年のように、穏やかで幸せなクリスマスを過ごす予定だったに違いない。それが何か不測の事態が起きて行方をくらましたのだろうか。
警視庁の駐車場で、マルセルは車のドアガラスに映った自分の顔をじっと見つめた。自分でも驚くほど疲れきった顔をしている。
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