上 下
8 / 11
第一章『格闘家編』

格闘家を堕とせ

しおりを挟む
 夜も更け、擬態を解いてそらをとび目指すのは、街の中心にあるネロの活動拠点。

 最も道幅が広い街道に面した最上階の一室が、夜更けにも関わらず一部屋だけ明るい。
 恐らくここだろう、あたりをつけて窓をノックし、呼びかける。

「ネロさん、起きていますか?」

 少し時間を置き、カーテンが開く。
 窓から覗く古めかしく荘厳な室内に、昼間とは印象の違う、女性的で可愛らしさのあるネグリジェ姿のネロが、伏目がちに立っていた。

「お互い眠れないようですし、少し話しま——」

 言いかけの言葉を潰すように、窓は無慈悲に閉まる。

「ちょ、ネロさん!? ネロさん!」

 呼びかけながら再び窓をノックする。
 暫くすると今度は勢いよく開き、ネロが飛び出してくる。

「今何時だと思ってるんだ!」
「あ、ごめん。近所迷惑だよね」
「この辺りは私以外住んでいないけれど、でも見られたらどうする……その、淫魔と間違えられたら」
「まあ実際淫魔の力しか使えないし」
「そういうのはいい! 全く……入れ」

 不機嫌なネロに促され、窓から室内に入っていく。
 部屋の荘厳さとは裏腹に、家具は大きなベッド以外かなり簡素にまとめられている。
 そして部屋中には、異様に甘ったるい粘り気のある匂いが立ち込めていた。

「残念だが、客人をもてなすお茶なんかはない。水でいいか」
「気にしなくていいのに」
「そうもいかんだろう」

 水差しから陶器の器に水を注ぎ、渡してくるネロ。
 それに一口唇をつけていると、彼女は大きなベッドに腰掛け、自分の横を手でポンポンと叩く。

「まあ、座れ。私も話したいことがある」
「ありがとうございます」
「あとその、もう敬語はいい。既にたまに崩れているし」
「なら改めて。ありがとう、我儘を聞いてくれて」

 腰掛けながら感謝を述べるが、返事はない。
 言葉には表せない表情でもじもじと指遊びをする彼女は、間を置いて語りかけてくる。

「キミの作戦は完璧だった。いつの間にかかけられていた感覚増大で、目を瞑った瞬間にキミの気配が闘技場全体から感じた」
「うまくいっていたようですね」
「催淫に魅了、完璧なタイミングだった。敢えて言うなら、増大した感覚にすぐに適応して、キミの気配を絞り込めたら」
「まあ結局負けちゃいましたけどね」
「……ダーリンくん」

 オチをつけるように告げると、ネロは不服さを隠さずに返してくる。

「どうしてトドメを刺さなかった? あの尾なら、命を奪えていたかもしれないぞ」
「必要ないから」
「キミの目的は復讐だろ、なら私は殺されても仕方ない立場のはず」

 目を合わせてくれることはない。
 恥ずかしがっているというより、単純に疑問が拭えないのだろう。

「違うよ。僕の目的は変わらず、魔族から迫害を無くすことだから」
「じゃあどうしてここに来たんだ。勇者に宿った『天使の加護』を消すために、私たちを殺そうというのではないのか?」
「ちょっと違うかな。もう一度勇者と戦わなきゃいけないのは、通過点として必要だからだし」
「でも加護を無くすには、私達をどうにかしなければ」

 ぐるぐると話題が回り始める。
 僕にとっては本題に近いが、それより先に話したいことがある。

「ネロ。確かに僕は別の目的でここに来たけど、最初がこの国で良かったと思う」
「どうして」
「君の正義が一線を超える前に止められたから」
「……私は殺しだけはしない」
「君自身はね。でも、君の正義が誰かを殺すかも、既に殺しているかもわからない」

 訝しんだ表情を崩さないネロに、準備しておいた情報を投げつける。

「この国のオーガ種の人口推移を見たことはあるかな」
「あるさ、何度も。この国のトップとして当然」
「そのうちの自殺者数は」
「……」
「年齢推移は」
「…………っ!」

 正直、ずるいことをしてしまった。
 ネタバラシのように、表情をほぐして続ける。

「大丈夫、そこまでパッと出せる政治のトップはそう簡単にいないから」
「そんなことはどうでもいい! あったのか、変化はッ!」
「……微量にね。誤差の範囲ではあるだろうけれど」

 答えるが、返事はない。
 たとえ誤差だとしても、過ちを犯してしまったかもしれないと言う事実が許せないのだろう。

 そんな彼女の反応を見て、僕は息をついた。

「よかった、やっぱり君は一線を超えていないんだ」
「私は、あいつらを追い込んでしまったかもしれないんだっ!」
「そうやって、気づけば思いやれるよね」
「でもッ!」

 頑固な彼女の精神が、閾値に達して悲鳴を上げる。
 実際、彼女は僕の言葉を止めたのに、そこから続く意見を言わない。

「難しいよね、自分の意見を通すって」
「……認めたくなかった、私もその見落としを知っていたはずなのに」

 それは、例え一対一の個人でも、国や同じ志を持つ者を背負う立場でも、変わらない苦悩だ。

「ただ僕は、人間が正解だと思っている迫害を許せなくて、変えるために戦うことになった」
「それで大勢死んで、キミも一度は死んだんだろう」
「だからキミには、踏みとどまってほしいんだ」
「どうして」

 再び尋ねられる。
 だが、その「どうして」が僕の願いに向けたものでは無いことはわかる。
 なら答えるのは簡単だ。

「僕の場合、その線を超えてしまいそうになったんだ」
「今の印象じゃ、そんな冷徹には見えない」
「止めてもらえたからね、仲間たちに。おかげで自分の醜悪さに気づけたよ」

 どこまでも反則的な説得だ。
 今の文明レベルじゃどうしようもない、ロジックエラーな議題。
 それに漬け込んだネロの信念への揺さぶり。
 〆に身の上を利用した同情誘い。

 アルカは彼女をちょろいと言ったが、とんだ見落としだ。
 自分の正しさに雁字搦めにされた相手には、全力全開の、当たるかもわからない感情論に訴えかけるより有効策は無いのだから。

「一度は自軍にも敵軍にも死者が多いから、命を軽視しようとした。そんな男が、好きな子を大切にできると思う?」
「まさか、ハニーちゃんを誘えなかったのは」
「……本当に、どこまでも情けないよ」

 実際は長い付き合いなだけあって、探せばチャンスはいくらでもあった。
 だが決定的に手を引いてしまったのは、戦争が本格化し結果的に心が最も近づいたのに、自らのその心を疑ってしまったから。

「復活して、アルカと体を重ねられたのは奇跡だった。君に同じ轍を踏んでほしく無いと思うくらい、まだ自分を許せていないから」
「……だけどどうすれば良いのかわからない。自分の考えは正しいと思っている」
「そのままでいいよ。それで自分の正しさを力で他に強要しなければ、流れる血は減るんじゃ無いかな」
「他の、間違っている奴らは」
「合わない他者は全部悪って繋げたら、ひとりぼっちになっちゃうよ。みんな違うんだから」
「それは嫌だな。この国のみんなは、人もオーガもいい奴らだから」

 はにかみながら涙ぐむネロ。
 国への愛を皮切りに、彼女は自分に気づきだす。

「私は寂しかったんだ。自分と違う他者に、変に距離を作ってしまって。誰より強くて、誰より他人と違うのに……じゃあどうすれば」
「付き合うよ、寂しさを埋めるための関係構築くらい」
「……それなら、甘えようかな」

 安心したように笑ったネロは、そのまま僕の肩に頭を寄せてきた。

 ……うまくいった、のか?
 後半は真面目に話しすぎて、ネロを堕とすという目的をほぼ忘れていた。
 自分の膝に手を置いたまま、流れる長い沈黙。
 不意にネロの手が僕の足に置かれ、ぎゅむっとつねられる。

「痛゛ッ」
「す、すまん! 強すぎた!」
「大丈夫……どうしたの」
「いや、そのだな……」

 頬をかいた彼女は、視線を逸らし顔を赤ながら呟く。

「据え膳、だぞ」
「……ちょっと、待ってくれないかな」

 わからない……アルカの時もそうだったけど、どうしてうまくいったのかわからない。
 そうですか、で押し倒す。は絶対違う。
 既に関係構築が終わっているアルカと、これからのネロじゃ、あまりに違いすぎる……!

 脳内の苦悩はどれだけ時間を食ったのかわからない。
 そのせいでネロはため息をついてしまう。
 だが続けて、彼女はより顔を赤らめながら続ける。

「殺さないなら、するしかないだろう。『天使の加護』の契約は、私達七人の処女を繋ぎとしているのだから」
「え、そうなの?」
「そうだぞ。完全解除の条件は『全員の処女喪失』と『勇者の絶望』だと、聖女様が話していた」

 明かされる意外な真実に、思わず感心してしまう。
 解除条件を推理しきれていなかったアルカだが、奇しくも作戦が正攻法になっているとは思わなかった。

「それに……キミから仕掛けてきたんじゃないか」
「えっ?」
「忘れたのか、私と戦っている時」

 言われて記憶を巻き戻す。
 戦闘中は必死で、どう動いたかは正直曖昧にしか覚えていない。

 感覚増大でダメージと最後の撹乱。
 そこに導くため、魅了や催淫で……ん?

「…………キミのせいだぞ。知ってることを頼りに、お、オナニーというものをしてみたが、ぜんぜん治らないじゃないか」
「じゃあこの、部屋に残ってる生臭いなかに甘酸っぱさのある香りは」
「言うなぁっ! 匂いで余計切なくなるから、滅多に使わない香水で誤魔化したんだっ!」
「へ、へぇ……」

 カミングアウトしなくてもいい事を、ボロボロと口にしていく。
 香水で誤魔化そうとするほど、エロい匂いが充満した部屋で、あんな真面目な話をしていたのか……なんかすごく興奮してきたな。

「ま、魔王……その、大きくなってきてるぞ」
「ごめん、今までのシチュエーションが反転して、一気にエロさが増したからつい」
「何がつい、だ。全く」

 さっき足をつねった手を、大きくなった僕の股間に沿わせ、ぎこちなく撫でるネロ。
 徐々に呼吸を荒げながら、彼女はささやく。

「寂しさを埋める手伝い、してくれるんだよな」
「……うん」
「このままじゃ、切なくて寂しすぎて、一人では眠れそうにない」
「じゃあ、付き合うよ」
「……感謝するよ」

 ネロの言葉を聞き届け、全神経を集中し、不快な思いをさせないように、彼女をゆっくりとベッドに押し倒した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺は先輩に恋人を寝取られ、心が壊れる寸前。でも……。二人が自分たちの間違いを後で思っても間に合わない。俺は美少女で素敵な同級生と幸せになる。

のんびりとゆっくり
恋愛
俺は島森海定(しまもりうみさだ)。高校一年生。 俺は先輩に恋人を寝取られた。 ラブラブな二人。 小学校六年生から続いた恋が終わり、俺は心が壊れていく。 そして、雪が激しさを増す中、公園のベンチに座り、このまま雪に埋もれてもいいという気持ちになっていると……。 前世の記憶が俺の中に流れ込んできた。 前世でも俺は先輩に恋人を寝取られ、心が壊れる寸前になっていた。 その後、少しずつ立ち直っていき、高校二年生を迎える。 春の始業式の日、俺は素敵な女性に出会った。 俺は彼女のことが好きになる。 しかし、彼女とはつり合わないのでは、という意識が強く、想いを伝えることはできない。 つらくて苦しくて悲しい気持ちが俺の心の中であふれていく。 今世ではこのようなことは繰り返したくない。 今世に意識が戻ってくると、俺は強くそう思った。 既に前世と同じように、恋人を先輩に寝取られてしまっている。 しかし、その後は、前世とは違う人生にしていきたい。 俺はこれからの人生を幸せな人生にするべく、自分磨きを一生懸命行い始めた。 一方で、俺を寝取った先輩と、その相手で俺の恋人だった女性の仲は、少しずつ壊れていく。そして、今世での高校二年生の春の始業式の日、俺は今世でも素敵な女性に出会った。 その女性が好きになった俺は、想いを伝えて恋人どうしになり。結婚して幸せになりたい。 俺の新しい人生が始まろうとしている。 この作品は、「カクヨム」様でも投稿を行っております。 「カクヨム」様では。「俺は先輩に恋人を寝取られて心が壊れる寸前になる。でもその後、素敵な女性と同じクラスになった。間違っていたと、寝取った先輩とその相手が思っても間に合わない。俺は美少女で素敵な同級生と幸せになっていく。」という題名で投稿を行っております。

【破天荒注意】陰キャの俺、異世界の女神の力を借り俺を裏切った幼なじみと寝取った陽キャ男子に復讐する

花町ぴろん
ファンタジー
陰キャの俺にはアヤネという大切な幼なじみがいた。 俺たち二人は高校入学と同時に恋人同士となった。 だがしかし、そんな幸福な時間は長くは続かなかった。 アヤネはあっさりと俺を捨て、イケメンの陽キャ男子に寝取られてしまったのだ。 絶望に打ちひしがれる俺。夢も希望も無い毎日。 そんな俺に一筋の光明が差し込む。 夢の中で出会った女神エリステア。俺は女神の加護を受け辛く険しい修行に耐え抜き、他人を自由自在に操る力を手に入れる。 今こそ復讐のときだ!俺は俺を裏切った幼なじみと俺の心を踏みにじった陽キャイケメン野郎を絶対に許さない!! ★寝取られ→ざまぁのカタルシスをお楽しみください。 ※この小説は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

愛しい彼女に浮気され、絶望で川に飛び込んだ俺~死に損なった時に初めて激しい怒りが込み上げて来た~

こまの ととと
恋愛
休日の土曜日、高岡悠は前々から楽しみにしていた恋人である水木桃子とのデートを突然キャンセルされる。 仕方なく街中を歩いていた時、ホテルから出て来る一組のカップルを発見。その片方は最愛の彼女、桃子だった。 問い詰めるも悪びれる事なく別れを告げ、浮気相手と一緒に街中へと消えて行く。 人生を掛けて愛すると誓った相手に裏切られ、絶望した悠は橋の上から川へと身投げするが、助かってしまう。 その時になり、何故自分がこれ程苦しい思いをしてあの二人は幸せなんだと激しい怒りを燃やす。 復讐を決意した悠は二人を追い込む為に人鬼へと変貌する。

スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件

フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。 寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。 プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い? そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない! スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。

異世界召喚された先の人間が気に食わなかったのでその場で皆殺しにして、巨乳の王女を婚約者から寝取って快楽堕ちさせました。

第三世界
ファンタジー
異世界召喚された先に都合のいい奴隷として扱われそうになったので、その場にいた人間を皆殺しにしながら、巨乳の王女と無理やりセックスしちゃいました。※ノクターンノベルズとpixivにも投稿をしています。

勇者に大切な人達を寝取られた結果、邪神が目覚めて人類が滅亡しました。

レオナール D
ファンタジー
大切な姉と妹、幼なじみが勇者の従者に選ばれた。その時から悪い予感はしていたのだ。 田舎の村に生まれ育った主人公には大切な女性達がいた。いつまでも一緒に暮らしていくのだと思っていた彼女らは、神託によって勇者の従者に選ばれて魔王討伐のために旅立っていった。 旅立っていった彼女達の無事を祈り続ける主人公だったが……魔王を倒して帰ってきた彼女達はすっかり変わっており、勇者に抱きついて媚びた笑みを浮かべていた。 青年が大切な人を勇者に奪われたとき、世界の破滅が幕を開く。 恐怖と狂気の怪物は絶望の底から生まれ落ちたのだった……!? ※カクヨムにも投稿しています。

冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい

一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。 しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。 家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。 そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。 そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。 ……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──

処理中です...