「止まり木」で一時の安らぎを

文字の大きさ
上 下
1 / 1

はじまりの時

しおりを挟む
「お茶とおやつのお店 止り木」
 そう掲げられた看板をぼうっと眺める。通勤途中の道にできた、そのお店が開いている時間にここを通ったのは初めてかもしれない。おやつなんて言葉を見かけることはめっきりと減って、珍しいなと思ったのは記憶にある。今日ここで足が止まってしまったのはお茶とおやつという言葉から感じる癒しの雰囲気に惹かれてしまったからだろう。
「お茶と、おやつかあ……」
 昔からここにあった古い一軒家を改築したそのお店は新しいけれど新しくなくて、かかっている店名を大書した暖簾もまるで居酒屋か何かのよう。店の前にある葉が赤く染まった大きな桜の木に隠れるような、すりガラスの窓を通して見える明かりはぼんやりとしたオレンジ色で、レトロな雰囲気は何となく今風な感じもするのだけれど。
 入ろうかどうしようか迷って、それでも今の自分の状況的に寄り道するのは気が引けて。歩き出そうとしたところに耳触りの良い声が聞こえた。
「いらっしゃいませ、よろしければ中に」
 立ち止まっていたからか、気を使われてしまったのかもしれない。大丈夫です、と手を振って歩き出そうとして……下を向いていたからか全く動きに気づかないうちに目の前に回り込んできた人にぶつかりそうになって、慌てて立ち止まる。
「顔色が良くないです、少し休憩していかれませんか?」
 少し顔をあげても視界に入るのは、薄水色のエプロンだけ。そのままぐっと首を上向けていくと、日本人らしくない青みがかった目と視線がぶつかった。
「どうぞ、こちらへ」
 長い髪をひとくくりにした恐らくは青年だろう人が柔和な笑みを浮かべ、ぼんやりと顔を眺めるこちらの視線を意に介さない様子で中へと手を差し伸べる。再度断る気力もなく後について店の中へと向かった。
 初めて足を踏み入れた店内は温かな照明の色とあちこちに飾られている昔ながらの玩具が目を引くくらいで、後はテーブルがいくつかと合わせた椅子が置いてあるだけ。椅子の座面がパッチワークで飾られていて、可愛いなあと眺めていると座るように促されて大人しく腰掛ける。かけていたリュックを下すと、ずっしりとした何かから解放されたように感じて大きく息を吐いた。
「少々お待ちください」
 ことん、と置かれたグラスも厚めのガラスが昔風で、徹底しているなあという感想が頭に浮かぶ。あまりの静かさにそのまま目を閉じると、少し眠りかけてしまったのだろう。目の前にお盆が置かれた音に肩がびくりと震えた。
「お待たせ致しました、こちらをどうぞ」
 ふわりと花の香り。厚手の茶碗に注がれた薄茶色はジャスミン茶だろう、もう一つ深めの器が置かれていて、乳白色ののなにかにこげ茶色のシロップがかけられている。
「豆乳プリンです、かかっているのは黒蜜」
 引き寄せされるように手に取った器はほんのりと温かい。プリン、って言っていた筈と器をじっと見ていると、頭上から小さな笑い声が降ってきた。
「あまり体調がよくなさそうだったので、これ以上冷やすよりも温めた方が良いかと思いまして」
 気遣いに感謝して小さく頭を下げ、スプーンを差し入れる。柔らかなひと固まりを切り取り、口へ入れると黒蜜の甘さが最初に来て、その後に豆乳の優しい味わいが広がる。小さく息を吹きかけて啜ったジャスミン茶の花の香りが後に残った甘さを押し流して通り過ぎ、気がつけばまた一口食べたくなってしまう。
「美味しい……」
「有難うございます」
 じっと見られていたことに気づき、頬が赤く染まる。抗議の意味を込めて見上げた視線は柔らかな笑みに流されてしまったようで。
「少し顔色が戻ったようですね、ごゆっくり」
 長髪の青年が店の奥へと入っていく、何となく目で追っていると聞こえてくるのは小さな話し声。
「大丈夫そうなんだな?」
「はい、疲労か睡眠不足か……大きな変調ではなさそうです」
 聞こえた会話にこの店に居たのはあの青年だけではなく、しかもその見知らぬ誰かにも心配をかけてしまっていたのだと理解して赤く染まった頬から血の気が引いていくのが分かった。
(うわ、ヤバい……どうしよう)
 出来るだけ早く食べ終えて、この場を後にするのが良いだろうとせっせとスプーンを動かす。食べ終えたころにはなんだかお腹のあたりがふわりと温かくなっていて、心なしか頭もスッキリしたような。
 さて、支払いをと思っていると奥から青年が戻ってくる。そしてその後ろにもう一人、このような店には似つかわしくないごつめの男が顔を覗かせた。
「お待たせしてしまいましたか、申し訳ございません」
「あ、いえいえ。すっかり長居してしまって……あの、お支払いを」
 財布を取り出すと、青年の方が笑みを浮かべたまま困ったように眉を顰めた。
「お気になさらず……こちらがお誘いしたので」
 そういうわけには、と言いかけた言葉を、人相がよろしくない方の男が遮る。
「こいつが良いって言ってんだからいらねぇよ。その代わり、次は客として来てくれや」
 ハエでも追い払うかのように手を振って断られてしまえば、それ以上粘るわけにもいかない。そういう事なら、と再度例を告げて立ち上がる。
「それなら……ごちそうさまでした、次は必ず」
 店を出ると、リュックを背負い直し歩き出す。何も解決したわけではないが、温まったお腹のせいか先程までよりも心が軽くなっているように感じる自分に現金だなあと苦笑いを浮かべてしまった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

すみません、妻です

まんまるムーン
ライト文芸
 結婚した友達が言うには、結婚したら稼ぎは妻に持っていかれるし、夫に対してはお小遣いと称して月何万円かを恵んでもらうようになるらしい。そして挙句の果てには、嫁と子供と、場合によっては舅、姑、時に小姑まで、よってかかって夫の敵となり痛めつけるという。ホラーか? 俺は生涯独身でいようと心に決めていた。個人経営の司法書士事務所も、他人がいる煩わしさを避けるために従業員は雇わないようにしていた。なのに、なのに、ある日おふくろが持ってきた見合いのせいで、俺の人生の歯車は狂っていった。ああ誰か! 俺の平穏なシングルライフを取り戻してくれ~! 結婚したくない男と奇行癖を持つ女のラブコメディー。 ※小説家になろうでも連載しています。 ※本作はすでに最後まで書き終えているので、安心してご覧になれます。

Forever Friends

てるる
ライト文芸
大学の弓道部のOB会で久々に再会するナカヨシ男女。 彼らの間の友情とは!? オトナのキュン( *´艸`) てゆーか、成長がない^^; こともないか(笑)

希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~

白い黒猫
ライト文芸
ここは東京郊外松平市にある希望が丘駅前商店街、通称【ゆうYOU ミラーじゅ希望ヶ丘】。 国会議員の重光幸太郎先生の膝元であるこの土地にある商店街は、パワフルで個性的な人が多く明るく元気な街。就職浪人になりJazzBarを経営する伯父の元で就職活動をしながら働く事になった東明(とうめい)透(ゆき)は、商店街のある仕事を担当する事になり……。 ※ 鏡野ゆうさんの『政治家の嫁は秘書様』に出てくる商店街が物語を飛び出し、仲良し作家さんの活動スポットとなってしまいました。その為に同じ商店街に住む他の作家さんのキャラクターが数多く物語の中で登場して活躍しています。鏡野ゆうさん及び、登場する作家さんの許可を得て創作させて頂いております。  コラボ作品はコチラとなっています。 【政治家の嫁は秘書様】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/354151981 【希望が丘駅前商店街 in 『居酒屋とうてつ』とその周辺の人々 】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/274274583/188152339 【日々是好日、希望が丘駅前商店街-神神飯店エソ、オソオセヨ(にいらっしゃいませ)】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/177101198/505152232 【希望が丘駅前商店街~看板娘は招き猫?喫茶トムトム元気に開店中~】  https://ncode.syosetu.com/n7423cb/ 【希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/172101828/491152376  【Blue Mallowへようこそ~希望が丘駅前商店街】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 【希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 【希望が丘駅前商店街~黒猫のスキャット~】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/813152283

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

推し様は二十二年前に捨てた継子(わがこ)

栄吉
ライト文芸
私(田中舘瑛美)は、定年退職して、毎日、暇な日々を送っていたが、声で繋がる配信アプリというものを見つけて、使ってみた。推しの配信者ができたのだが、その人は、私が、二十二年前に捨てた継子(わがこ)だった。

処理中です...