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様々な問題
ルウクの信念
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「ただいま帰りました」
ノートを手にしたまま執務室に戻ると、セレンがそれに目聡く気が付いた。
「どうした、それ。サイゴン伯爵は、いらないと言ったのか?」
「あ、いえ。そういう訳では無いのですが、少し……、ありまして」
「……なんだ?」
出来ればあまり報告はしたく無かったのだが、セレンに問われれば言わざるを得ない。ルウクは改めてセレンに向き直り、重い口を開いた。
「実はジングラム伯爵の従者のコトラスさんに、例のデマのことで突っかかられまして、少々騒ぎになってしまったのです。……また、間の悪いことにそこにサイゴン伯爵とフリッツ長官が現れまして、サイゴン伯爵はフリッツ長官に窘められる状況になってしまったのです」
「ああ、なるほど。それでお前はその場でノートを渡すのを遠慮したわけだ。サイゴン伯爵が拗ねてノートを拒否することを懸念して」
「……拗ねて、というのは語弊がありそうですけど、……そういうことです」
「お前は優しすぎる。そういう時はわざとその場で渡せばいいんだ。ああいう輩には、お灸が必要だぞ?」
「……陛下は、サイゴン伯爵にお灸を据えようと思っていらっしゃるのですか?」
「ふっ……。私の場合は狐とタヌキの化かしあいだ。どうすれば、駒が思い通りに動いてくれるのかを考えはするがな」
「…………」
たまに垣間見えるセレンの冷たい顔。セレンの平等精神に反し改革を邪魔する人物だとは言え、それでもサイゴン伯爵は王族の血が流れるセレンの親族でもあるのだ。その伯爵を駒扱いするセレンに、ルウクは戸惑いを隠せなかった。
「どうした?」
「あ、いえ。なんでもありません。……サイゴン伯爵とは2時間後に会う約束をしておりますので、それまで職務に戻ります」
「ああ、頼む」
それから約2時間、ルウクは途中で放棄していた再計算を続け、時間前に席を立った。そして流しを確認し、そのままになっていた使われたカップを片付け始める。
「ルウク、行ってもいいぞ。そこは私が片付けておく」
「クラウンさん……。大丈夫です。まだ時間はありますから。クラウンさんもお忙しいでしょうし」
クラウンは護衛官だとはいえ、忙しいセレンの仕事を少しでも軽くしようと仕事を受け持つようになっていた。最初の内は秘書という肩書を与えていないため、セレンも事務処理のような仕事をさせることを遠慮していたのだが、今ではそうも言っていられない状況になりつつある。
ナイキ侯爵にしてやられた気分になり、どうにも腑に落ちないところもあるにはあるが、そろそろ秘書という肩書も与えなくてはならないだろうと、国王であり2人の主であるセレンは考え始めていた。
「そうか……」
そう言いつつ、クラウンは給湯室を出る気配がない。一緒になってカップを洗い始めた。
「ところで――」
「はい」
クラウンの口調の雰囲気で、クラウンがここに来た理由に察しがついた。クラウンは他の誰かに聞かれたくない進言を、ルウクに言いに来たに違いない。
セレンが国王になる前からの付き合いがあるルウクには、クラウンとは違い、仕事上だけの関係ではなくセレンと精神的にも交わり支えあう信頼関係があった。だがそれに対し、クラウンが良い感情を持っていないだろうことは、クラウンの自分を見る目からたびたび推測することが出来た。
その咎めるような視線に合う度、ルウクの心には小さな棘が突き刺さっていた。
「ルウクは、自分が甘ちゃんだという事は気が付いてはいるのか?」
「……クラウンさんにそう思われているだろうなという事は気が付いていました」
「改善する気は無いのか?」
「反省することはありましたし自己嫌悪に陥ることもありました。ですが……、こんな私でも、いや、こんな私だからこそ役に立つ事もあるのではないかと今は考えています」
「その考えは大したものだな。だが、上に立つ者にはある程度の強かさや非情さがなければ務まらない。先ほどのあの程度のことで動揺するくらいでは、第一秘書としては失格ではないのか? それともう一つ、気になることがある」
「……何でしょうか」
「君はもう少し、精神的な部分で陛下から離れるべきだ」
「それは……?」
「陛下がああ見えて、精神的には孤独であるだろうことは想像がつく。だが国王としての職を全うするためには、その孤独ささえも武器にするくらい強く在っていただかなければならない。だが私には無意識の内に、陛下がご自分の孤独の隙間をルウクの存在で埋めようとしているように思えてならないのだ。あの方が真の国王になるためには……」
「お言葉ですが、クラウンさんの意見には賛同しかねます。いかな国王といえども、陛下は私たちと同じ血の通った人間です。貴方は陛下に、冷血漢になれとでも仰りたいのですか? そのために孤独を突き進めとでも?」
「そのくらいの強さが無ければ、陛下の目指す国造りは出来ないと言っているんだ」
「そんなことはありません! あのお方はただでさえ、ご自分の辛さや孤独を総て、ご自分の胸の内に収めて平静を装うようなお方なんです。……私の役目はもちろん第一秘書として陛下の職務を全うするために、事務処理や諸々の雑務をこなすことだとは理解していますし、もちろんそれを遂行していきます。ですが私個人として陛下に務める第一の目的は、陛下御自身が抱える辛さや孤独を解放していただけるように、陛下のお心を癒すことだとそう思っております。……これは陛下にまだ王位継承権が無かったころからの信条で、今もそれは変わってはいませんし、また変えるつもりもありません」
いつもは穏やかで、自分の意見を通すというよりは相手の立場を尊重する姿勢を見せるルウクが、クラウンの目をしっかり見て言い放った。普段では見られないその態度に、確固たるルウクの意志が感じられる。
「手伝っていただいて、ありがとうございました」
「いや……」
洗い物を終えてタオルで手を吹き、クラウンに礼を述べた後、ルウクはサイゴン伯爵と約束をした図書室へと足を運んだ。
ノートを手にしたまま執務室に戻ると、セレンがそれに目聡く気が付いた。
「どうした、それ。サイゴン伯爵は、いらないと言ったのか?」
「あ、いえ。そういう訳では無いのですが、少し……、ありまして」
「……なんだ?」
出来ればあまり報告はしたく無かったのだが、セレンに問われれば言わざるを得ない。ルウクは改めてセレンに向き直り、重い口を開いた。
「実はジングラム伯爵の従者のコトラスさんに、例のデマのことで突っかかられまして、少々騒ぎになってしまったのです。……また、間の悪いことにそこにサイゴン伯爵とフリッツ長官が現れまして、サイゴン伯爵はフリッツ長官に窘められる状況になってしまったのです」
「ああ、なるほど。それでお前はその場でノートを渡すのを遠慮したわけだ。サイゴン伯爵が拗ねてノートを拒否することを懸念して」
「……拗ねて、というのは語弊がありそうですけど、……そういうことです」
「お前は優しすぎる。そういう時はわざとその場で渡せばいいんだ。ああいう輩には、お灸が必要だぞ?」
「……陛下は、サイゴン伯爵にお灸を据えようと思っていらっしゃるのですか?」
「ふっ……。私の場合は狐とタヌキの化かしあいだ。どうすれば、駒が思い通りに動いてくれるのかを考えはするがな」
「…………」
たまに垣間見えるセレンの冷たい顔。セレンの平等精神に反し改革を邪魔する人物だとは言え、それでもサイゴン伯爵は王族の血が流れるセレンの親族でもあるのだ。その伯爵を駒扱いするセレンに、ルウクは戸惑いを隠せなかった。
「どうした?」
「あ、いえ。なんでもありません。……サイゴン伯爵とは2時間後に会う約束をしておりますので、それまで職務に戻ります」
「ああ、頼む」
それから約2時間、ルウクは途中で放棄していた再計算を続け、時間前に席を立った。そして流しを確認し、そのままになっていた使われたカップを片付け始める。
「ルウク、行ってもいいぞ。そこは私が片付けておく」
「クラウンさん……。大丈夫です。まだ時間はありますから。クラウンさんもお忙しいでしょうし」
クラウンは護衛官だとはいえ、忙しいセレンの仕事を少しでも軽くしようと仕事を受け持つようになっていた。最初の内は秘書という肩書を与えていないため、セレンも事務処理のような仕事をさせることを遠慮していたのだが、今ではそうも言っていられない状況になりつつある。
ナイキ侯爵にしてやられた気分になり、どうにも腑に落ちないところもあるにはあるが、そろそろ秘書という肩書も与えなくてはならないだろうと、国王であり2人の主であるセレンは考え始めていた。
「そうか……」
そう言いつつ、クラウンは給湯室を出る気配がない。一緒になってカップを洗い始めた。
「ところで――」
「はい」
クラウンの口調の雰囲気で、クラウンがここに来た理由に察しがついた。クラウンは他の誰かに聞かれたくない進言を、ルウクに言いに来たに違いない。
セレンが国王になる前からの付き合いがあるルウクには、クラウンとは違い、仕事上だけの関係ではなくセレンと精神的にも交わり支えあう信頼関係があった。だがそれに対し、クラウンが良い感情を持っていないだろうことは、クラウンの自分を見る目からたびたび推測することが出来た。
その咎めるような視線に合う度、ルウクの心には小さな棘が突き刺さっていた。
「ルウクは、自分が甘ちゃんだという事は気が付いてはいるのか?」
「……クラウンさんにそう思われているだろうなという事は気が付いていました」
「改善する気は無いのか?」
「反省することはありましたし自己嫌悪に陥ることもありました。ですが……、こんな私でも、いや、こんな私だからこそ役に立つ事もあるのではないかと今は考えています」
「その考えは大したものだな。だが、上に立つ者にはある程度の強かさや非情さがなければ務まらない。先ほどのあの程度のことで動揺するくらいでは、第一秘書としては失格ではないのか? それともう一つ、気になることがある」
「……何でしょうか」
「君はもう少し、精神的な部分で陛下から離れるべきだ」
「それは……?」
「陛下がああ見えて、精神的には孤独であるだろうことは想像がつく。だが国王としての職を全うするためには、その孤独ささえも武器にするくらい強く在っていただかなければならない。だが私には無意識の内に、陛下がご自分の孤独の隙間をルウクの存在で埋めようとしているように思えてならないのだ。あの方が真の国王になるためには……」
「お言葉ですが、クラウンさんの意見には賛同しかねます。いかな国王といえども、陛下は私たちと同じ血の通った人間です。貴方は陛下に、冷血漢になれとでも仰りたいのですか? そのために孤独を突き進めとでも?」
「そのくらいの強さが無ければ、陛下の目指す国造りは出来ないと言っているんだ」
「そんなことはありません! あのお方はただでさえ、ご自分の辛さや孤独を総て、ご自分の胸の内に収めて平静を装うようなお方なんです。……私の役目はもちろん第一秘書として陛下の職務を全うするために、事務処理や諸々の雑務をこなすことだとは理解していますし、もちろんそれを遂行していきます。ですが私個人として陛下に務める第一の目的は、陛下御自身が抱える辛さや孤独を解放していただけるように、陛下のお心を癒すことだとそう思っております。……これは陛下にまだ王位継承権が無かったころからの信条で、今もそれは変わってはいませんし、また変えるつもりもありません」
いつもは穏やかで、自分の意見を通すというよりは相手の立場を尊重する姿勢を見せるルウクが、クラウンの目をしっかり見て言い放った。普段では見られないその態度に、確固たるルウクの意志が感じられる。
「手伝っていただいて、ありがとうございました」
「いや……」
洗い物を終えてタオルで手を吹き、クラウンに礼を述べた後、ルウクはサイゴン伯爵と約束をした図書室へと足を運んだ。
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