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王の遺言

不穏な気配

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 シザク王子はシエイ王から戴冠の儀を執り行ってもらう予定だったのだが、結局のところシエイ王の死去により、戴冠式は後の事として、ソルダン王国のしきたりに則り自動的に王位に就くことになる。

 そしてセレンには、王の死を悲しんでいる暇は無かった。近隣諸国への国葬への招待。葬送のルートの確認や、それに伴う警備の手配。ほかにも様々なことを、国葬までに準備をしなければならないのだ。

 ルウクもセレンの下で、忙しく走り回っていた。本来なら覚えるべきことが多々あるはずなのだが、そんな事も言っていられない状況だ。軍楽隊のパレードに関して沿道に配置する人員のことなどを確認しようと、ルウクはナイキ侯爵の部屋を訪れた。

(あれ? ドアが開いている)

 普段は固くきっちりした印象のナイキ侯爵にしては珍しいと、恐る恐るドアに近づいてみた。すると、彼の部下らしき人と真剣な話をする侯爵の声が聞こえてきた。

「…その件は、かなり慎重に行動した方がいいな。カチューン国はそれなりに軍備も備わっている上に強かな国だ。バツアーヌを狙っていて、この国を内側から攻め滅ぼそうとしているのだとしたら忌々しき問題だ」

(……バツアーヌ? それって、こないだ僕が本で読んだ…、ルーファス地方に埋蔵されている資源の事だよな)

 ルウクは自分が訪れた目的をつい忘れて、ドアの前で思わず聞き入ってしまっていた。それに気が付いたナイキ侯爵が、ドアに近づいて来る。

「誰かと思ったらルウクか。そんなところで立ち聞きしてないで、要件を言いなさい」
「あ、すみません。ドアが開いていたものでつい…っ」

 そんなつもりは無かったのだけど、言われてみれば確かに立ち聞きとしか言えない状況になっていた。

「あの、本葬の前日に執り行う軍楽隊パレードの事でご相談したくて伺ったのですが」
「ああ。そのことか。それならシガ殿に先ほど警備の配置図など渡しておいたから、セレン様にも資料が回るはずだ」
「あ、そうでしたか。ありがとうございます。失礼いたしました」

 ルウクがぺこりとお辞儀をしてセレンの下に戻ろうと踵を返しかけたとき、ナイキ侯爵に呼び止められる。

「セレン様の様子はどうだ?」
「……お辛いとは思うのですが、そんなそぶりも見せず気丈に振る舞われていらっしゃいます」
「そう、か。今は悲しんでいる余裕もないからな。気に掛けてやってくれ」
「かしこまりました。失礼致します」

 一礼してセレンの部屋へと向かう。歩きながら、先ほどナイキ侯爵の言っていたカチューン国のことを思い出していた。

(随分、物騒な事を言っていたよな。内側から攻め滅ぼすとかなんとか……)

 セレンの部屋をノックして、返事を確認してドアを開ける。

「失礼します、セレン様」

 部屋に入るとちょうどシガが来ていて、ナイキ侯爵の言っていた資料を手にしていた。

「入れ違いだったな。手間かけた」

 セレンが「すまないな」と言う表情で、ルウクの方を見る。

「あ、いいえ。大したことありませんので」

 真剣な表情で資料に目をやるシガもセレンの表情にも、疲れの色が濃く出ている。ルウクは少し休んでもらいたくて、紅茶を入れようとその場を離れた。

「そういえば、カチューン国の姫君も国王夫妻とともにいらっしゃるそうだな」

 セレンの言葉にルウクは思わず振り向く。それに気づいたセレンが、小首をかしげてルウクを見た。

「あ、いえ。すみません。先ほどナイキ侯爵も、カチューン国の話をされていましたので」
「ナイキ侯爵が?」
「配下の者が戻ってきたようですね。どうなさいますか? 後で宰相殿に会いに行かれますか?」
「そう…だな。カチューン国は、少し気になる事もあるからな」

 神妙な顔で考え込むセレンに、先ほど聞いてしまったナイキ侯爵たちの言っていた事の信憑性が高まり、不穏な気持ちになった。
 ルウクはざわざわと騒めく気持ちを治めようと、茶葉を取り出しポットに入れる。後ろでセレンたちが話し込んでいる内容を聞きながら、紅茶の準備をした。

「少し休憩なさいませんか?」

 空いたテーブルに温めた2人分のカップを置き、茶こしで茶殻をこしながら注ぐ。芳しい良い香りが鼻孔をくすぐった。

「そうだな。根を詰めてばかりじゃ、捗るものも捗らないだろう」
「そうですね。ルウクもこちらに来て一緒に飲みましょう」

 突然のシガの申し出に戸惑った。嬉しいことは嬉しいのだけど、下っ端で身分の違いすぎる自分が同席してもいいものなのかルウクは迷った。躊躇して、ついセレンを窺ってしまう。それに気が付いたセレンが、苦笑して手招きした。

 そういえば、自分を卑下するなと最初にセレンに言われていたのだ。ルウクは二人の好意に感謝して、自分の分もカップに注いで、空いているセレンの隣へと腰かけた。

「父上の容態が悪くなり始めてから、カチューンからの接触が増えているのだよな」
「…そうです。シザク王子へ、縁談を持ち込んで来てもいます」

(縁談…? ナイキ侯爵が言っていた内側から攻め滅ぼすとは、そういう事なのか?)

 セレンは神妙な顔で視線を下に向け、何かを考えているようだった。だが、気持ちを切り替えたかのようにカップに口を付け、目を閉じた。

「美味いな」

 満ち足りた顔で呟くセレンに、ルウクは安堵する。

 父であるシエイ王が亡くなってから悲しみに浸る間もなく忙しく動き回っているセレンに、少しでも癒しの時間を作ってあげたいとルウクはずっと考えていたのだ。たかが紅茶一杯といえどもホッとする時間を作ることが少しでも出来るのなら、それに越したことはない。

 シガもきっと同じことを思ったのだろう。穏やかな表情を見せるセレンを、優しい目で見ていた。

 黙って午後のひと時を楽しんだセレンが空のカップをソーサーに置く。ゆっくりと顔を上げた時、セレンの表情は少しさっぱりしているようにも見えた。

「さて、少し元気が出たところでナイキ侯爵のところに行くとするか。兄上に話を付けるにしても、私の考えだと思われると聞く耳を持ってくれそうにないからな」

「そうですな。では私も参りましょう。ルウク、悪いがそこらの資料を片付けておいてくれますか? 後は私らが戻るまで、好きにしていて良いですよ」

「はい。かしこまりました」

 ルウクはセレンらを見送って、カップや資料を片付ける。そしてシガの好意を受けて、以前図書館から借りてそのままになっている本を手に取った。そして栞を挟んでいた続きから読み始める。

 バツアーヌの可能性やそこから生じる様々な利益。それらを読み進めるうちに、自然とカチューン国の事が頭をよぎる。

 現国王となったシザク国王とセレンは、どうもそれ程仲は良さそうではない。それならばせめて頭の切れる方だと良いと、ルウクは少し失礼なことを考えていた。
 ルウクにとっては、セレンが居心地のいい空間で仕事をすることが一番大切な事なのだ。

 だが、ルウクが思いもよらない水面下で、彼の危惧することが着々と進行し始めていた。
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