王道にはしたくないので

八瑠璃

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第1部

3話

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 威風堂々と入ってきた父顕之に対して俺の返答はシンプルなものだった。

 「へいき」

 「………盛大に転んでいたからな。まだ痛むだろうし、あんまり動き回るなよ」

 「ん」

 端的な返答に一瞬父の眉尻が上がるものの、そのまま話し続ける。そうしてゆっくりとこちらに近付いてくると、俺と目線を合わせるように片膝をついた。何をするのだろうかと疑問に思ったが、すぐに思惑に気が付いた。
 普段の俺はそれはもう、甘えに甘やかされてきた。周囲からの愛に包まれた子供の俺が超絶甘えん坊なのは家族使用人全員の知るところだ。つまり、これは普段ならば俺が父に抱き着いている場面である。
 私の意識が気恥ずかしさから拒否の思考に移行する。が、父の顔を見た瞬間にそんな気恥ずかしさよりも大きな感情で埋め尽くされ、俺は衝動的に父の腕の中へと飛び込んでいた。

 俺の造形美は周囲から言われた記憶では母譲りだ。どちらかといえば、だが。母は学生時代から父と結婚するまで、高嶺の花として有名だった。そんな母に惚れ込んだのが当時天上天下唯我独尊として有名だった父だ。それまでは追われる側だった父は何がきっかけか、何処で知り合ったのかは定かではないが、母に猛アピールを始めたらしい。
 男は追うよりも追わせなさい、とは誰の言葉だったか。それまで傲慢不遜だった父は、母に会ってからはまるで首輪でも繋がれたように大人しくなった。そんな父の周囲から母は猛烈に歓迎された。
 「さながら猛獣使いの様な眼差しでございました」と、栄明から遠い眼差しで語られたことを覚えている。

 閑話休題話が逸れた
 とにかく父にとって母は世界で何よりも尊び愛した人なのだ。そんな母に似ている子供。態度は堂々としていても、その瞳はこれでもかと言うほどの心配を煮詰めた感情が渦巻いていた。
 超絶顔のいい男がそんな目でこっちを見ている。ここで抱きつくのを拒否したら父は当分母に泣きつくだろう。裏で。
 父を悲しませたくない。甘えたい。甘やかしてほしい。
 父の瞳を見た時点で私は負け確定だった。俺の本能の方がよほど大きかったのだ。

 飛びついてきた俺の後頭部を労わるように撫でて立ち上がった父は、栄明に朝食の用意を言付けた。そして俺を抱いたまま部屋を出ると、悠然とした足取りで何処かへと何処かへと歩を進めていく。

 「母さんも心配していた。痛かっただろう」

 そう言って広い胸の中に抱き包められた俺の背中を撫でた。嗅ぎ慣れた父の匂いにひどく安心してしまう。安心し切った体は勝手に動いては擦り寄るように父の胸に頬擦りしていた。俺の本能の中で私の思考が頭を抱えているのが分かる。しかし止めることは出来そうになかった。

 広い邸内を歩いて辿り着いたのは、これまた広いダイニングルームだ。
 天井は高く、間取りも随分とゆとりがある。白の大理石には汚れ一つ見当たらない。白い空間の中に黒が入る事で広いながらも引き締まったかのような雰囲気があった。これも大理石か。

 そんな広い空間の中に居る母が、入ってきた俺と父を見つめてふわりと微笑んだ。

 「仁。顕之さん。おはよう」

 「おはようさく

 「おぁよう」

 未だ残る気恥ずかしさからかちょっと噛んでしまった。そんな俺に対して向けれらる視線には何の疑いもいらない。純粋な愛情だけだった。父が母へ、母から俺に。流れるようなキスが送られてくる。
 ぁあ、そうだった。この家族こんな感じだったな。
 私であれば目が死んでいただろうが、俺は父母の愛情を受けてただ頬が緩むばかりだった。

 「もう平気そうだけど」

 「念の為もう暫くは様子見だ。あんまり動かないようにも言った」

 「この子が動くなと言われて大人しくはしてないと思うけど………。仁、朝ご飯食べましょう。ハニーミルクもあるわよ」

 父と母に挟まれての会話。幼児らしく甘いものが好きな俺は、普段ならば母の一言に目を輝かせていただろうが、大人の私が邪魔をする。精一杯の喜びとして勢いよく首を縦に振るしか出来なかった。

 本来ならば膝の上に乗せての食事などしないだろう。ただどうしても、どうしても今の俺は誰かの温もりに守られていないとボロを出しそうで怖かった。そんな機微を察してか、父は弱々しく服を掴む俺を無理に剥がす事はせずに、俺の分の食事を側に寄せるとそのまま食べ始めた。母もそんな父に何を言うでもなく、薄青のマグカップを俺へと渡してくる。大人しく受け取って静かに飲み始める俺を見て、微笑みながら撫でてくるその手は、優しいものだった。



 私は、甘いものよりも辛いものばかりを好んで食べていた。甘いものは苦手な部類だったはずだ。ましてや、こんなに甘いミルクなど。好んではいなかった、筈なのに。
 認めるしかなさそうだった。私はもう、俺になったのだ。あれだけ張り詰めていたものが、母の撫でる手によって解れていくのを感じる。安堵を求めている俺を拒絶するわけでもなく、感応する私がいる時点で私は俺の一部になっていたのだ。
 どうしたって俺は鷹官 仁なのだ。注がれる愛情に返す自分自身の動作に、心に、私は諦めることにした。
 ミルクと共に”私”の思考さえも飲み干す様に、ゆっくりと喉の奥へと流し込んでいく。
 理性本能に負けた時点で、もう決まった様なものだったのに、それでも認めたくなかったのは、私が負けず嫌いだったからだろうか。しかしもう、私はいないのだ。

 私は死んで、俺は生きている。私がいつか消えることになろうとも、俺に残す事はできる筈だ。

 先人として後人に託すべく、私はこれから、俺として生きていく。そう決めた。





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