自殺橋

木枝

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 川は、とてもせせらぎとは言えない音を流しながら流れていく。
 多分耳を塞げばそれをも超える自分の血の音に驚かされることになるのだろうが、生憎それは出来そうにない。

 彼女の手が私の手の甲に添えられている。
 日焼けを知らない透明感のある肌に、幾つものあかぎれや逆剥けが目立つ。爪は綺麗に切り揃えられ、けれど伸ばしたりしなくても彼女の指は細長くて綺麗だった。

 自分の中に生まれた熱を冷ます為に彼女のひんやりとした手にあやかるが逆効果、という葛藤を延々と繰り広げていると、名残惜しくも彼女の手がするりと滑り抜けていく。どうやら、いい加減ヒールが窮屈になってきたらしい。靴を脱ぎ、椅子の上で三角座りをすると両腕を脚に回し、こちらをくるりと向いて首を傾げる。その膝に顔を預ける仕草はどこか悪戯っぽく、私は膝から流れ落ちる一房の髪に目を奪われていた。

 「で、その部活は最後までやったんです?」
 「一応引退までそこに居ましたよ」
 「あはは、執念ですねー」

 「そんな顔で笑わないで下さいよ……」

 「あら? どんな顔してました?」

 「ドヤ顔というか……不敵なというか……」
 「それのどうしていけないんですか」
 「だって気恥ずかしいじゃないですか」

 「気恥ずかしいって何ですか、気持ち悪いですね」

 彼女は楽しそうに笑う。
 けなされたのに、不快さなんて感じない。こうやって冗談を言える中になってきている―― それがたまらなく嬉しかった。
 
 「でも―― 学生時代、本当に部活の事しか考えてなかったんですもんね。せめて、もっと別に心を傾けられるものがあれば、もっと花の青春時代を楽しく過ごせたんでしょうけどね……」

 「心を傾けられるものとは?」

 「そりゃ趣味とか、彼女とかですよ。居なかったんですか? 彼女」

 「余計なお世話ですよ」

 じゃあ加藤さん、私の彼女になって下さいよ―― そう軽口を叩こうとして、焦る。冗談でも、それを言葉に出来ない自分に動揺する。

 「明日も仕事ですか?」

 彼女は先程と変わらない様子で私を気遣う。
 私は心内を悟られていない安堵に胸を下ろした。

 「ああ、そうですけど全然気にしなくて大丈夫ですよ」

 「いいわけないじゃないですか…… 本当に、こんな時間まで突き合わせてしまって…… 電車が来る時間になりましたら起こしますので、お休みになって下さい……」

 「いや、でも……」 

 「貴方が寝ている間に、やっぱり私がそそくさと抜け出して飛び込むとでも?」

 「はい……」

 朝起きて彼女が死んでいたら、私はもう立ち直れないかもしれない。
 不安過ぎて寝れたもんじゃない。
 すると彼女は不満げに口を窄ませ、鞄の中をまさぐり始める。
 すると、中から編みかけの毛糸の手袋が出て来た。彼女は糸口を躊躇なく引っ張る。4本の指まで出来ていた手袋は、するするという音をたててあっという間にピースサインになった。

 まさか。

 私の体がまた熱くなる。
 彼女はニヤリと微笑むと、その長くなった毛糸の片方を、私の右腕に巻きつけていく。
 そしてもう片方を自らの腕に巻きつけて――

 あれ……なんだろう。今、何か疑問に思ってたのに

 「これなら、私は身動き出来ませんね」

 彼女は満足そうに私を見上げた。
 私は赤面してしまって、照明から逃れるようにさりげなく横を向いた。

 「……もしや、寝ている私を引き摺って心中なんてしないですよね…?」  

 「あら、私をゴリラと言いたいのですか?」

 「いや……こんなことは、断じてないのですが……」

 私は毛糸をチラリと見やる。
 こんな状態で、寝られる訳がないでしょうが。

 「お休みなさい」

 彼女はまた悪戯に笑う。

 「……はい、おやすみなさい」

 薄い壁を一枚挟み、それでも糸でつながっている不思議な関係。

 この糸を伝って、この鼓動を悟られたりしないだろうか。
 私は、結局そんなことばかりを考えていた。

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