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第1章 繰り返す女
備えあれば憂いなし_2
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午後6時。
ブルーローズではソムリエの本城秀徳が弟を迎える準備をしていた。金曜日でお店は忙しいはずだが、店の状況が許す限り弟と時間を取りたいと思っていた。
それは話したいことがあると連絡してきた弟の様子がいつもとは少し違う感じがしたからだった。
もちろん店長の天ヶ瀬には話を通してある。きっと融通は聞かせてもらえる、はずである。
接客は丁寧に、しかし心は可愛い弟のことを考えていつ来るのかと首を長くして待っていた。だが弟の幹彦が来たのは午後9時を回ってからだった。弟の仕事の都合もあるので特に時間を約束していなかった本城は弟が本当に来るのかどうか気が気でなかった。姿を見て安心したほどには心配していたようだ。
幹彦がブルーローズに入ってくると、出入り口の扉付近にいた天ヶ瀬が迷わずカウンターへ案内した。カウンターはタイミングよく常連客が帰ったところだった。バーテンダー以外誰もいないその場所はまるで予約席のようだった。いつもはいい加減に見える天ヶ瀬でも、流石に仕事となれば違う。出来る店長らしい振る舞いで店の状態をよく把握していた。
その様子をテーブル席でワインの注文を受けていた秀徳が目線の端で確認していた。注文されたワインをテーブル席にいるお得意様のグラスに注いでから店内の他の客に失礼にならないギリギリの速度で足速にカウンター席へとやって来た。
天ヶ瀬の計らいもあり、今日これ以降はカウンター席へ他の客は案内しないことになった。美人の店長は実は頼れる店長でもあるのだ。
カウンター席はテーブル席の横にあるピアノを挟んで奥の方にある。距離があるので話し声がテーブル席まで聞こえることはない。ピアノ周辺にシールドでも張ってあるのかと思うほどだ。もしかしたら九条が本当に張っているのかもしれないが店の従業員に確認する術はない。
本城秀徳は席に近付いたかと思うと間髪入れずに弟に問いかけた。
「幹彦、何があったんだ?」
じっと目を見て話す兄を見てバツが悪そうに弟は話し始めた。
「兄さん遅くなってごめん、ちょっと取引先との打ち合わせが長引いちゃって…… 悪いんだけど話す前に、先に何か飲んでもいいかな、腹も減ってるから軽く何かつまみも欲しいんだけど」
「あー…… 分かった。赤ワインで良いか、つまみはロバートに何か見繕ってもらうからちょっと待っててくれ」
「遅くなったのに気まで使わせてごめんね。兄さんいつもありがとう」
幹彦の返事を聞きながら兄の秀徳はワインとつまみを準備しに足速に厨房へ向かった。カウンターの中にいたバーテンダーの片桐はカウンターの外に出てくると、本城幹彦の隣に座った。
「こんばんは幹彦さん。ホールのお客さんの対応は私が代わりにするので気にせずお兄さんとお話しして下さいね。終わったら私もお邪魔して良いですか?」
「もちろん大丈夫です。それよりすみません、ご迷惑おかけして」
「大丈夫ですよ。ではフロアーが落ち着いたらまたこちらへ戻ってきますね」
笑みを浮かべた片桐はそのままテーブル席の方へ歩いて行った。すると片桐と入れ替わるように今度は天ヶ瀬がこちらへ歩いてきた。
「幹彦くん、大切な話だよね。常連さんも帰ったし、カウンター席は貸切にするから安心して」
「えっ、そんな申し訳ないです。僕個人のことなのに」
『それが、そうでもないのだよ』と天ヶ瀬は考えていた。
「いや、気にしなくて大丈夫。それとその話、僕も一緒に聞いていいかな?」
「もちろんです。結婚披露パーティーのこともあるのでブルーローズの皆さんには知っておいて頂いた方が良いと思うんです」
「そうか、分かった。お兄さんワインは赤って言っていた?」
「はい、今ワインセラーへ行ったようです」
「じゃ、グラス用意しなくちゃね」
軽い足取りで天ヶ瀬はカウンターの中へと入っていった。
幹彦の兄、秀徳がワインを2本持ってカウンター席へ戻ると用意されていたグラス二つにワインを注ぎ幹彦の隣へと腰を下ろした。
すると、待っていたかのようにスッとカウンターからグラスがもう一つ出てきた。
「これにもお願いできるかな」
天ヶ瀬がニッコリと微笑んで本城兄弟を見ていた。弟は笑顔なのに、兄は少し不服そうな顔をして恨めしそうに天ヶ瀬を睨んだ。
しかしこの店長に目線勝負で勝てるわけもなく、結局三人分のグラスにワインが注がれて話しが始まった。まだお疲れ様の乾杯はしていない。
「それで幹彦、何があったんだ」
「実は…… 前にオーナーが婚姻届不受理申請書のこと教えてくれたでしょ。覚えてるかな」
「あぁ、もちろん覚えているよ。変なのに付き纏われて怖いって言っていたよな。それがどうしたんだ?」
「それが今日、婚姻届が提出されたって役所の戸籍課から連絡があったんだ。俺そんなもの提出してないのに」
「相手はやっぱり、あの女か?」
「そう…… あの時話した社長の妹の鮫島李花。もちろん受理は拒否したよ」
「本当に何をするのかわからないな、その女」
「そうなんだよね。これだけで終わればいいけど…… どうかな」
そこへシェフのロバートが自ら料理を届けに厨房から歩いてきた。
「お待ちどうさま、今日のオードブルの盛り合わせだよ。この後ピッツアとパスタどっちがいいかな?」
幹彦が兄の方を向いてお願いした。
「ロバートさんの特製ピッツアが食べたいな」
「ロバート悪いけど、二人分お願いしていいかな」
秀徳が注文を伝えると間髪入れずそれに続く声があった。
「三人分でお願いね、ロバートよろしく!」
ピッツアと聞いて天ヶ瀬も食べたかったようだ。イギリス人のロバートのピッツアはイタリア人の料理人にも勝るとも劣らず絶品なのだ。
「じゃぁ、ちょっと待っててね」
何故か嬉しそうにロバートは軽い足取りで厨房へ向かった。今日は金曜日で早い時間から混雑していたから疲れているはずなのに。
ロバートがピアノの向こう側まで歩いて行くと天ヶ瀬がグラスを手にした。
「料理も来たから、つまみながら話そうか」
その合図でお腹を空かせた幹彦はやっと食事を取ることができた。美味しい前菜を食べながら三人は話を進めることにした。
「幹彦くん、美里ちゃんには話したの?」
「いえ、まだこれからです。会って話した方が良いと思って、明日話すつもりです」
「そうだね、早い方がいい。無事に結婚式ができるように私たちも協力するよ」
「ありがとうございます。色々とお世話になってばかりですみません。婚姻届不受理申請書の件ではオーナーにお世話になってしまって。お礼だけでも伝えたいんですが、オーナー今日はいらっしゃらないんですか?」
「あぁ…… 今日は九条さんちょっと野暮用があって別のところにいるんだ」
「そうなんですね、本当兄弟揃ってお世話になってばかりで。それにしても九条さんって博学な方ですね、知らないことなんか無いんじゃないかって感じですよね」
「あれは、博学というより物知りっていうのか……生き字引きのような…… まあ、そうだね……」
「天ヶ瀬さんお願いばかりで申し訳ないのですが、今日は残念ながらお会いできないので、九条さんにお礼だけでも伝えていただけますか?」
「いや、多分会えると思うよ。近いうちに…… だからその時直接言ってあげて。その方が喜ぶから」
天ヶ瀬ははっきりといつ会えるとは教えなかった。
「分かりました。ではそうさせていただきます」
実はこの後の結婚式に九条が来ることは本城幹彦には知らせていなかったのだ。ちょっとしたサプライズのつもりだったがお礼を言われた九条がどんな顔をするのかという楽しみが増えたと天ヶ瀬は内心ニンマリしていた。
その後、ロバートが自分の分のピッツアまでちゃっかりと作り持ってきては、然も当たり前のようにカウンター席に座り、一緒に食事をするのだった。なんでも今日のお客様用の料理は終わったと言い訳をしていつも以上に笑顔を振りまいている。それは彼にとって幹彦は元気をくれる特別な人だからだ。
「ロバートさんの作るものは本当に美味しいです。特にピッツアは最高ですね」
ロバートはこの言葉以上に幹彦にもっと褒めて欲しくてピッツア作りを学び直したくらいだ。
店長や他の従業員の意見は一致していた。
『ロバートが楽しんで美味しいものを作ってくれるならいいか、それに何か新しいメニューができるかもしれないし、頑張れ幹彦くん、ブルーローズのために!』などと考えていることは絶対にロバートにも幹彦にも言えないのだった。
鮫島李花の常識はずれな話が済んだ後はそれぞれが近況を報告し合っていた。気づけばバーカウンターにはレストラン・ブルーローズの従業員が勢揃いしていた。
ブルーローズではソムリエの本城秀徳が弟を迎える準備をしていた。金曜日でお店は忙しいはずだが、店の状況が許す限り弟と時間を取りたいと思っていた。
それは話したいことがあると連絡してきた弟の様子がいつもとは少し違う感じがしたからだった。
もちろん店長の天ヶ瀬には話を通してある。きっと融通は聞かせてもらえる、はずである。
接客は丁寧に、しかし心は可愛い弟のことを考えていつ来るのかと首を長くして待っていた。だが弟の幹彦が来たのは午後9時を回ってからだった。弟の仕事の都合もあるので特に時間を約束していなかった本城は弟が本当に来るのかどうか気が気でなかった。姿を見て安心したほどには心配していたようだ。
幹彦がブルーローズに入ってくると、出入り口の扉付近にいた天ヶ瀬が迷わずカウンターへ案内した。カウンターはタイミングよく常連客が帰ったところだった。バーテンダー以外誰もいないその場所はまるで予約席のようだった。いつもはいい加減に見える天ヶ瀬でも、流石に仕事となれば違う。出来る店長らしい振る舞いで店の状態をよく把握していた。
その様子をテーブル席でワインの注文を受けていた秀徳が目線の端で確認していた。注文されたワインをテーブル席にいるお得意様のグラスに注いでから店内の他の客に失礼にならないギリギリの速度で足速にカウンター席へとやって来た。
天ヶ瀬の計らいもあり、今日これ以降はカウンター席へ他の客は案内しないことになった。美人の店長は実は頼れる店長でもあるのだ。
カウンター席はテーブル席の横にあるピアノを挟んで奥の方にある。距離があるので話し声がテーブル席まで聞こえることはない。ピアノ周辺にシールドでも張ってあるのかと思うほどだ。もしかしたら九条が本当に張っているのかもしれないが店の従業員に確認する術はない。
本城秀徳は席に近付いたかと思うと間髪入れずに弟に問いかけた。
「幹彦、何があったんだ?」
じっと目を見て話す兄を見てバツが悪そうに弟は話し始めた。
「兄さん遅くなってごめん、ちょっと取引先との打ち合わせが長引いちゃって…… 悪いんだけど話す前に、先に何か飲んでもいいかな、腹も減ってるから軽く何かつまみも欲しいんだけど」
「あー…… 分かった。赤ワインで良いか、つまみはロバートに何か見繕ってもらうからちょっと待っててくれ」
「遅くなったのに気まで使わせてごめんね。兄さんいつもありがとう」
幹彦の返事を聞きながら兄の秀徳はワインとつまみを準備しに足速に厨房へ向かった。カウンターの中にいたバーテンダーの片桐はカウンターの外に出てくると、本城幹彦の隣に座った。
「こんばんは幹彦さん。ホールのお客さんの対応は私が代わりにするので気にせずお兄さんとお話しして下さいね。終わったら私もお邪魔して良いですか?」
「もちろん大丈夫です。それよりすみません、ご迷惑おかけして」
「大丈夫ですよ。ではフロアーが落ち着いたらまたこちらへ戻ってきますね」
笑みを浮かべた片桐はそのままテーブル席の方へ歩いて行った。すると片桐と入れ替わるように今度は天ヶ瀬がこちらへ歩いてきた。
「幹彦くん、大切な話だよね。常連さんも帰ったし、カウンター席は貸切にするから安心して」
「えっ、そんな申し訳ないです。僕個人のことなのに」
『それが、そうでもないのだよ』と天ヶ瀬は考えていた。
「いや、気にしなくて大丈夫。それとその話、僕も一緒に聞いていいかな?」
「もちろんです。結婚披露パーティーのこともあるのでブルーローズの皆さんには知っておいて頂いた方が良いと思うんです」
「そうか、分かった。お兄さんワインは赤って言っていた?」
「はい、今ワインセラーへ行ったようです」
「じゃ、グラス用意しなくちゃね」
軽い足取りで天ヶ瀬はカウンターの中へと入っていった。
幹彦の兄、秀徳がワインを2本持ってカウンター席へ戻ると用意されていたグラス二つにワインを注ぎ幹彦の隣へと腰を下ろした。
すると、待っていたかのようにスッとカウンターからグラスがもう一つ出てきた。
「これにもお願いできるかな」
天ヶ瀬がニッコリと微笑んで本城兄弟を見ていた。弟は笑顔なのに、兄は少し不服そうな顔をして恨めしそうに天ヶ瀬を睨んだ。
しかしこの店長に目線勝負で勝てるわけもなく、結局三人分のグラスにワインが注がれて話しが始まった。まだお疲れ様の乾杯はしていない。
「それで幹彦、何があったんだ」
「実は…… 前にオーナーが婚姻届不受理申請書のこと教えてくれたでしょ。覚えてるかな」
「あぁ、もちろん覚えているよ。変なのに付き纏われて怖いって言っていたよな。それがどうしたんだ?」
「それが今日、婚姻届が提出されたって役所の戸籍課から連絡があったんだ。俺そんなもの提出してないのに」
「相手はやっぱり、あの女か?」
「そう…… あの時話した社長の妹の鮫島李花。もちろん受理は拒否したよ」
「本当に何をするのかわからないな、その女」
「そうなんだよね。これだけで終わればいいけど…… どうかな」
そこへシェフのロバートが自ら料理を届けに厨房から歩いてきた。
「お待ちどうさま、今日のオードブルの盛り合わせだよ。この後ピッツアとパスタどっちがいいかな?」
幹彦が兄の方を向いてお願いした。
「ロバートさんの特製ピッツアが食べたいな」
「ロバート悪いけど、二人分お願いしていいかな」
秀徳が注文を伝えると間髪入れずそれに続く声があった。
「三人分でお願いね、ロバートよろしく!」
ピッツアと聞いて天ヶ瀬も食べたかったようだ。イギリス人のロバートのピッツアはイタリア人の料理人にも勝るとも劣らず絶品なのだ。
「じゃぁ、ちょっと待っててね」
何故か嬉しそうにロバートは軽い足取りで厨房へ向かった。今日は金曜日で早い時間から混雑していたから疲れているはずなのに。
ロバートがピアノの向こう側まで歩いて行くと天ヶ瀬がグラスを手にした。
「料理も来たから、つまみながら話そうか」
その合図でお腹を空かせた幹彦はやっと食事を取ることができた。美味しい前菜を食べながら三人は話を進めることにした。
「幹彦くん、美里ちゃんには話したの?」
「いえ、まだこれからです。会って話した方が良いと思って、明日話すつもりです」
「そうだね、早い方がいい。無事に結婚式ができるように私たちも協力するよ」
「ありがとうございます。色々とお世話になってばかりですみません。婚姻届不受理申請書の件ではオーナーにお世話になってしまって。お礼だけでも伝えたいんですが、オーナー今日はいらっしゃらないんですか?」
「あぁ…… 今日は九条さんちょっと野暮用があって別のところにいるんだ」
「そうなんですね、本当兄弟揃ってお世話になってばかりで。それにしても九条さんって博学な方ですね、知らないことなんか無いんじゃないかって感じですよね」
「あれは、博学というより物知りっていうのか……生き字引きのような…… まあ、そうだね……」
「天ヶ瀬さんお願いばかりで申し訳ないのですが、今日は残念ながらお会いできないので、九条さんにお礼だけでも伝えていただけますか?」
「いや、多分会えると思うよ。近いうちに…… だからその時直接言ってあげて。その方が喜ぶから」
天ヶ瀬ははっきりといつ会えるとは教えなかった。
「分かりました。ではそうさせていただきます」
実はこの後の結婚式に九条が来ることは本城幹彦には知らせていなかったのだ。ちょっとしたサプライズのつもりだったがお礼を言われた九条がどんな顔をするのかという楽しみが増えたと天ヶ瀬は内心ニンマリしていた。
その後、ロバートが自分の分のピッツアまでちゃっかりと作り持ってきては、然も当たり前のようにカウンター席に座り、一緒に食事をするのだった。なんでも今日のお客様用の料理は終わったと言い訳をしていつも以上に笑顔を振りまいている。それは彼にとって幹彦は元気をくれる特別な人だからだ。
「ロバートさんの作るものは本当に美味しいです。特にピッツアは最高ですね」
ロバートはこの言葉以上に幹彦にもっと褒めて欲しくてピッツア作りを学び直したくらいだ。
店長や他の従業員の意見は一致していた。
『ロバートが楽しんで美味しいものを作ってくれるならいいか、それに何か新しいメニューができるかもしれないし、頑張れ幹彦くん、ブルーローズのために!』などと考えていることは絶対にロバートにも幹彦にも言えないのだった。
鮫島李花の常識はずれな話が済んだ後はそれぞれが近況を報告し合っていた。気づけばバーカウンターにはレストラン・ブルーローズの従業員が勢揃いしていた。
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